闇に立つ少年、光を運ぶ少女
何処までも果てしなく続くこの空の向こうでも、誰かが泣いているのだろうか。この悲しみよりも、深い嘆きに囚われている人がいるのだろうか。
竜騎士の砦の前庭に、スラッシュが舞い下りた。執務室にいたヨシュアは、翼の羽ばたきと鳴き声で、ルキアがシークの谷から戻ってきたことを知る。
毒によって眠らされてしまった竜の目を覚ますため、シークの谷へ“月下草”を取りにいってからというもの、ルキアは暇を見つけてはたった一人で谷へと出かけていく。
シークの谷でなにがあったのか、ヨシュアはミリアからすべて聞いていた。解放軍の元帥ともあろう者が、一人で危険な谷を出歩くなどもってのほかだが、その哀しい出来事を思うとなにも言えない。なにより、マッシュから書簡で、しばらく好きにさせてやって欲しいと頼まれていた。憎まれ役は自分一人で充分だ、と。
いつもなら谷から戻るとすぐに梁山(リアンシャン)城へ帰るルキアが、この日は珍しくヨシュアの部屋を訪ねた。
窓際に置かれたテーブルにつき、出されたお茶にルキアは視線を落としている。
「……話とはなんでしょう、ルキア殿?」
ルキアは話があると切り出したものの、ヨシュアを前にして黙ったままであった。
「う、うん………」
「…………。今日はカナカンから、私のお気に入りの銘酒が届きました。多少、嫌なことを聞いてもすぐに忘れることができるでしょう」
ヨシュアの心遣いに、ルキアは感謝する。顔を上げると、ようやく重い口を開いた。
「……教えて欲しいことがあるんだ。……その、ヨシュアは、紋章を投げ出したくなったことはないか?」
あぁ、そういうことか、とヨシュアは納得する。
「……若い頃は、そんな気になったことも、ありましたな」
「でも……投げ出さなかった………」
「竜洞騎士団のため、という『責任』がありました。それに、この過酷な宿命を誰かに押しつける図太さもなかったので」
「…………そうか……そうだな……」
また、ルキアはうつむいてしまった。
ルキアは、生きる目的を探している。それがあれば、“真の紋章”がもたらす呪いを受け入れられるのではないか。だが、ヨシュアと違って、ルキアは解放軍を率いることが目的とはならない。帝国を打倒した時点で、自分の役目は終わりだと思っている。右手に宿る“ソウルイーター”が、解放軍に留まることを許さない因果を持っていることを充分に自覚していた。
ヨシュアは在りし日の自分を見る想いで、ルキアを見つめた。
「『人生、別離足ル』」
この言葉に、ルキアは顔を上げた。
「遠い昔、この騎士団領を訪れた旅人が、私に手向けてくれた言葉です。『所詮、人生というものは別離の場所だ』という意味だとか。紋章があろうがなかろうが、それが人に課せられた宿命なのだ、と彼は言っていました」
その言葉を、噛みしめるようにルキアは呟いた。そして、微かに笑う。
「うん……そうだな……。別れのない出会いはないか。それはみんな同じだったな」
「……はい」
ルキアは軽く息を吐くと、立ち上がった。
「ありがとう、ヨシュア。少し……ほんの少しだけ、気持ちが楽になったよ」
「またいつでもお越し下さい。私で良ければ、話し相手になりましょう」
「うん、ありがとう」
竜騎士の砦を出ると、ルキアは“瞬きの手鏡”を使って梁山城へ戻った。
「お帰りなさい、ルキアさん」
ルキアのわがままな転移魔法の注文を、嫌な顔一つせずに聞いてくれるビッキーが、いつものように笑顔で出迎えてくれた。ルキアもビッキーの頭をいつものようにクシャリと撫でて答える。
「ただいま、ビッキー。誰か、俺を捜しに来たかい?」
「うぅん、今日は誰も来てないよ」
ついこの前、モラビア城を無血開城させたばかりである。しばらくは兵を休養させよう、というルキアの意見をマッシュは反対しなかった。リーダーが常に城にいなくても、雑事はマッシュたちが手際よく片づけてくれるだろう。
「じゃあ、例の場所に転移を頼むよ」
「うん、良いよ。………でも、いつも一人だけど、大丈夫?」
少し首を傾げて、ビッキーがルキアを見た。
「心配ないよ。あすこはモンスターもいないしな。夕方までには戻る」
「そう……。気をつけてね、ルキアさん」
「行ってくるよ」
ビッキーがそれっとロッドを振ると、ルキアの姿がかき消えた。
淡い光が消えると、目の前の風景は一変している。いつも思うことだが、一体どういう仕組みになっているのか不思議だ。
一度、ビッキーに質問して困らせたことがある。方向性はともかく真面目な彼女は、一日中考えこんでしまって、その日は何処にも転移ができなくなってしまった。ルキアは平謝りして、ビッキーを思考の渦から抜け出させたのである。
ルキアはトラン湖を一望した。遠い対岸に、船が行き来するのが見える。キーロフはあの辺りだな、とルキアは目をかざした。
此処は、梁山城の背後にある小島である。まわりを切り立つ岸壁で囲われたこの島は、人を寄せつけない。始めはどんなところだろうというただの好奇心で、この島に転移できないかビッキーに相談した。だがいつしか、一人になりたいときには、ルキアは必ず此処へ来るようになっていた。草原が広がるだけのなにもない小島である。だが、此処から見るトラン湖の景色と吹き渡る風は、ルキアにいくばくかの慰めを与えてくれた。
ルキアは草原に寝転んだ。
「『人生、別離足ル』か………」
何処までも高く澄みきった空を眺めながら呟いてみる。果たして、自分はそこまで強くなれるのであろうか。
ルキアは、人の気配に目を覚ました。いつの間にか、うたた寝してしまったらしい。気づけば、日が西に傾いている。
カスミが隣にすわって、ルキアの顔を見つめていた。
「……カスミ……?」
「あ、すみません、起こしてしまって……」
「どうして此処に……?」
身体を起こしながら、ルキアは訊いた。
「夕方になってもお帰りになられないので、軍師殿が探してきて欲しい、と」
「そうか……。すまないな、手間をかけさせて」
「いいえ」
だが、二人とも立ち上がろうとはしなかった。茜色に変わりゆく、トラン湖の景色に心奪われている。
「………ルキア様は、いつも此処に来られるのですか?」
「うん……まぁ、時間が取れるときだけな」
「ビッキーさんに言われました。ほんとはほんとはダメなんだからねって」
「え?」
ルキアはカスミを見つめる。
「此処へは、ルキア様だけしか転移しないんだそうです。約束の時間に戻られないから、今日だけ特別に私も転移してもらえました」
「助かったよ。寝過ごして風邪をひくところだった」
笑って答えながらも、なお去りがたく、またルキアは湖を眺める。カスミはそんなルキアを少し哀しそうに見つめた。
「…………。そういえば、カスミ……」
「はい、なんでしょう?」
少し視線を向けただけなのに、カスミの表情は途端に明るくなる。
「城でさ、なにか言いかけるときがあるよね。いまのうちに聞いておくよ。他に誰もいないことだし」
今度は、カスミの顔は真っ赤になった。
「そ、それは………その、良いんです……。……ほんとに、なんでもないですから……」
うつむいて、カスミはつかえながらそう言った。
「そうかい……?」
「は、はい……」
ルキアはそれほど鈍くはないので、カスミの気持ちを知らないわけではない。ルキアもカスミのことは憎からず想っている。自分が先に言うのが筋だろうことも、よくわかっている。
だが、カスミの想いを感じるたびに、ルキアは自分の右手が鉛のように重くなる錯覚に囚われていた。いまも、手枷がはめられている気がしてならない。
果たして自分は、この少女の純粋なる想いを独占するのに相応しい男だろうか。
だけど、それでも………。
「わ、私、軍師殿に、ルキア様が間もなく帰られることを報告してきます」
照れくささを誤魔化すように立ち上がりかけたカスミの腕を、ルキアはつかんだ。
「待って。“瞬きの手鏡”なしでどうやって帰るつもりさ」
「あれくらいの崖なら、ロッカクの里の修行で降りてましたし………」
「………それから、城まで泳ぐって言うのか?」
「は、はい……」
ルキアはカスミの腕をつかんだまま、軽く息を吐いた。
「女の子にそんなことさせるわけにはいかないだろ」
「大丈夫ですよ、ルキア様。私も忍びのはしくれです」
「だけど、俺にとっては一人の女の子だ」
互いの視線がかちあう。だが、それも一瞬のこと。二人して顔を赤くすると、視線を逸らしてしまった。
「あ、あの、ルキア様……手を………」
そっぽを向きながらも、ルキアの手はカスミの腕をつかんだままだった。
「……此処にいますから。私、ルキア様の側にいますから………」
カスミの腕をつかんだままの右手に、ルキアは視線を落とす。
この少女は、忌まわしい“呪いの紋章”の真実を知ってもなお、同じ言葉を言ってくれるだろうか。
「…………。カスミは、俺の側にいるのが怖くないのか?」
「どうしてですか……?」
「……え……あー、あの、“27の真の紋章”は宿主に絶大なる力をもたらすけれど、大いなる災いを巻き起こすって話があるじゃないか」
内心、真実を打ち明けることができない自分に自己嫌悪しながら、苦し紛れにルキアはそう言った。
真っ直ぐにルキアを見つめていたカスミは、空いている自分の手をルキアの右手に重ねた。
「カスミ……」
ルキアが驚いて力をゆるめると、両手で優しく包みこむ。
「この世界を創りあげたとまで伝えられる、真の紋章たちのすべてを知っている人がいるのでしょうか……? そんなこと、噂にすぎないじゃないですか。たとえ、災いをもたらすものだとしても、それは紋章の力であって、宿主のせいではないはずです。だから、私にとってルキア様の側にいることは幸せなことであって、怖いと思ったことなんかありません」
心地よいカスミの声が、ゆっくりルキアの心に染みこんだ。
ルキアは手首を返して、再びカスミの腕をつかむ。そのまま引き寄せると、カスミを抱きしめた。
「……!?」
驚いて声も出ないカスミに、ルキアはささやく。
「ありがとう、カスミ」
その声が、あまりにも切なく聞こえたので、カスミは大人しくルキアの胸に頬をあてた。緊張と嬉しさがない交ぜになって、早鐘のような鼓動はどうすることもできなかったけれど。
ルキアはカスミを胸に抱いて、この過酷な宿命の中で、彼女と出会えたことをすべてのものに感謝する。
別れの時はもうそこまで来ているけれど、いまこの時だけはカスミの想いを独占していよう。あともう少し。ほんの一時で良い。そのあとは、恨まれても忘れられてもかまわない。カスミの言葉が、想いが、永遠を生きる力になる。数え切れない別れを乗り越える力になる。
そして、ルキアは親友のことを思い出す。
ただ一人の友達だ、と言ってくれたテッド。俺にとってカスミがそうであるように、お前にとって俺は希望の光だっただろうか。
END
前サイトの記念すべき初キリ番リクエスト作です。『300』をゲットされた隠密太郎様のリクエスト、『坊×カスミ』でした。いかがでしたでしょうか?(ドキドキ)
『1』設定で、坊ちゃんサイドの話を書いてみました。
作中の手向けの言葉は、干武陵(うぶりょう)の激カッコイイ漢詩からの引用です。『勧酒』(さけヲすすム)という五言絶句の結句。井伏鱒二氏の名訳をご存じの方が多いかな……? ページタイトルにつけたのがそれです。
書かなきゃいけないことは書いたので、言い訳、始めても良いですか?(ゎ
カスミが後半になってやっと出てきました。「あぁ〜、どうしよう〜」とわかってはいたんですが、あまりにも未熟な私には、もはや修正不可能でした(;'-')
うちの坊ちゃんとカスミは『1』ではキスもしてません(爆)
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