黎明



 その日、梁山(リアンシャン)城はかつてない悲しみに包まれていた。
 ナナミがゴクウをかばって命を落としたのである。戦争に死はつきものだが、まだ年若い少女が犠牲になってしまったことは、幻影(ホアイン)軍を悲しみに沈ませた。
 ゴクウはぼんやりと目を覚ました。窓の外は薄暗い。まだ夜明け前だ。
 顔を横へ向けると、アイリが椅子に腰かけたままベッドに俯せて眠っている。一瞬、ヒヤリとした想いがゴクウの胸の内をすべり落ちる。だが、アイリの安らかな寝息を確認して、ホッと安堵の溜め息を吐いた。
 ゴクウはそっとベッドを抜け出すと、アイリの肩に毛布をかけた。そして、忍び足で部屋を抜け出す。
 部屋を出るのを誰にも見咎められたくなかったので、短い階段の下に向かって“眠りの風の札”を落とした。札の起動後、人が倒れる音が立て続けに聞こえる。見張りの兵士たちが眠ってしまったのを確認して、ゴクウは屋上へ続く階段へ向かった。その階段前にも見張りの兵はいるが、思っていた通り、彼はすっかり眠りこんでいた。その横をすり抜けて、屋上へ向かう。
 屋上へ出た途端、夜明け前独特の冷たい空気がゴクウの肌を突き刺した。
「寒……」
 なにか羽織ってこれば良かったかとも思う。だが、変に麻痺しているこの感覚を正常に戻すには、これくらいが良いかもしれないと思い直した。
 東の地平が白々としていた。こんなに胸がふさぐのに、時間は留まることを知らず、確実に流れていく。
「……はぁ………」
 ゴクウは大きな溜め息を吐いた。希望の朝が始まろうというのに、なにもやる気がしない。
 あともう少しでこの戦いは終わる。もはや、都市同盟のこの勢いは止まらないだろう。では、戦争が終わったあと、自分はどうしたら良いのか。いままでは漠然とながらあったはずの未来のヴィジョンが、なにも見えなくなってしまって、ゴクウは愕然とした。
「俺は………」
 倒れそうになって、塀にもたれかかる。
 そのゴクウの真横で、突然、空気が撓(たわ)んだ。驚いて振り向き、それが転移魔法独特の現象であることを思い出す。
 空中に弾き出されたのは、ゴクウが思いもしなかった人物だった。
「う、うわわ……!」
 その人物はなんとか体勢を立て直そうとするが、そんな間があるはずもなく、屋上の床に落ちた。
「ってぇ……。ルックの奴、なんてことするんだ………」
「……ル、ルキア……?」
 転移されて落ちてきたのは、グレッグミンスターにいるはずのルキアだった。
「あ………。ゴクウ……」
 腰をさすっていたルキアの動きが止まる。
「どうしたのさ、こんなところに……?」
 ゴクウの当然の質問に、ルキアはちょっと気まずそうに視線を落とした。
「えっと、その………」
「ルックがどうとか言ってなかったけ」
 ルキアはラフな部屋着姿で、トレードマークのバンダナも巻いていないし、手袋もはめていない。印象が普段と違うので、ゴクウはしげしげとルキアを見つめた。ゴクウの遠慮のない視線を察して、ルキアはなんだか言いにくくなる。
「…………ルックが、私を此処へ転移したんだ……」
「……どうして……?」
「君を見舞ってやって欲しいってさ」
 そう言って、ようやくルキアは立ち上がった。軽く埃を払って、ゴクウを見つめる。
「ルックがあんなに心配していたわけが、やっとわかったよ」
 今度は、ゴクウが視線を逸らした。
「…………ナナミのことは、本当に、心からお悔やみ申し上げるよ……」
「……ありがとう」
 ゆっくりと息を吐き出して、ゴクウは空を見上げた。
「家族を亡くしたのは、俺だけじゃないのにね………」
 その視線の先には別のものを見て、ゴクウは呟いた。
「そうだよ」
 ルキアは地平を眺めて、あっさりと頷いた。
「家族を亡くした人、恋人を亡くした人、親友を亡くした人………。戦争に身を置いている限り、それは当たり前のことになってしまうんだ。哀しいことにね……」
 淡々と言うルキアをゴクウは見つめる。
 誰よりもつらい戦いを経験してきたのはルキアだ。ゴクウは文献で読んだ『門の紋章戦争』の事、そしてルキアが時々、話してくれた事を思い出す。それを思えば、自分の悲しみがどれほどのものだというのだろう。
「……でも、ゴクウ、大事なことを忘れているだろ」
「………え?」
 不思議な光を湛えた瞳が、ゴクウをじっと見つめている。
「大切な人の死を悼むのは、当然のことなんだよ」
「…………ルキア……」
「戦争中だろうと、大切な人を亡くしたら、泣いても良い。……その哀しみに慣れることができる人なんていやしないんだ………」
 不意に視界のルキアがぼやける。ゴクウは慌てて目を押さえると、上を向いた。
「……だけど、リーダーが泣くと、みんなが、心配するじゃないか……」
 つっかえながら言われた言葉に、ルキアはほんの少し微笑んだ。
「ゴクウは優秀なリーダーだな。私なんか、誰がいてもおかまいなしによく泣いた。それに、いまは私しかいないんだから、幻影軍の誰かに心配かけることもないだろ」
 ゴクウの手のひらの隙間から、一筋、涙が零れ落ちていく。それを確認して、ルキアはまた地平線に視線を戻した。
 いままで、不思議なくらい涙が出てこなかった。確かに、みんなの前では泣きたくなかったが、一人になっても涙は出てこなかった。だがいまは、もう止まらないのではないかというくらいに、涙があとからあとからあふれてくる。
 ゴクウは、たった一人の家族を失ってしまった哀しみに泣き崩れた。
 在りし日の自分を見る思いで、ルキアはゴクウを見守った。ルキアが転移した直後のゴクウの表情には絶望しかなかった。これで、少しは気持ちが前へ向いてくれると良いのだがと思う。
 やがて、ゴクウの嗚咽の声も小さくなってきた。手の甲でゴシゴシと目許を拭いて、顔を上げる。ルキアと目があって、ゴクウは照れ笑いを浮かべた。
「エヘヘ……ありがとう、ルキア」
「どういたしまして」
 いつものゴクウの表情に戻ってきて、ルキアは内心ホッとする。
 ゴクウは、いまルキアが来てくれて本当に良かったと思う。「泣いても良い」と言われても、やはり幻影軍のメンバーの前では泣けなかっただろう。他の誰でもなく、ルキアでなければ、この胸の痛みに立ち向かっていこうと思うことができなかったかもしれない。自分とナナミが望んでいたことを、思い出すことさえできなかったかもしれない。
 二人は明け初める空を眺めた。
「……あのさ、ルキア」
「ん?」
「二つの正反対の願いを叶えることって、やっぱり無理なのかな……?」
 ルキアは少し首を傾げた。
「………願いによると思うけど……。考えて考えて、どうしても方法が見つからないなら、一つずつ叶えれば良いんじゃないか……?」
 ルキアの答えを聞いて、ゴクウはとても嬉しそうに笑った。
「そっか、そうだよね。一つずつで良いんだ」
 ゴクウは確認するように、何度も頷いた。
「日が、昇る」
 ルキアが東の地平を指さした。
 地平がくっきりと白く浮き上がると、太陽が徐々に姿を現した。世界が、太陽の光を浴びて色を取り戻す。
「………良かった……」
 ゴクウの呟きに、ルキアが振り向く。ゴクウもルキアを見た。
「夜明けを見ても、この心が感動できなかったらどうしようって思ってたんだ………」
「ゴクウ………」
 いつもの、屈託のない表情でゴクウは微笑んだ。
「大丈夫だよ。……まだ、胸の奥は痛いけど………。でも、この戦いは終わらせる、絶対に。それから…………」
「それから……?」
「ナイショ」
 ゴクウは笑った。元気になったのなら良いか、とルキアは追求しない。『二つの正反対の願い』のもう片方のことだろうと、なんとなくわかったので。
「………ルキア、本当にありがとう。来てくれて嬉しかったよ」
「ルックに言ってやってくれ。私は飛ばされただけだから」
「うん、ルックにもあとで言っておくよ」
「別に良いよ、そんなこと」
 突然、別の少年の声が割りこんだ。
「ルック……!」
 渦巻く風を伴って、ルックが現れた。ルキアは軽く息を吐く。
「まだ、部屋で寝ているのかと思ってた」
「そういうわけにはいかないだろ。僕が無理に頼んだんだから……。ちゃんとグレッグミンスターまで送るよ」
 ルキアの前ではこんな顔をするんだ、とゴクウはルックを見つめる。その視線に気がついて、ルックがゴクウを睨んだ。
「なに……?」
「え、べ、別になんでもないよ」
 ゴクウは思わず後退る。
「………ゴクウ、私はこのまま、家までルックに転移してもらう」
 ルキアの出した助け船に、ゴクウはすぐさま乗った。
「うん、わかったよ。……本当に、来てくれてありがとう……。また、必ず遊びに行くから」
「あぁ、待ってるよ」
「じゃあ、またね」
 ひらひらと手を振って、ゴクウは屋上の階段を下りていった。
 ナナミのことを考えると、まだ胸は痛む。でも、やらなきゃいけないことは思い出した。ゲンカク爺ちゃんもよく言ってた。行動を起こしさえすれば、道は開けるものだ。

 必ず、平和も、ジョウイも取り戻すよ、お姉ちゃん。
END





 前サイトキリ番『777』をゲットされた夢見様のリクエスト、『かっこいい坊ちゃんと、2主のシリアスのお話』でした。いかがでしたでしょうか?

 前のあとがき見るに、相当難産だった模様(;'-') たぶん、時間設定を此処にしたのが拙かったのではないかと。ゲーム中の主人公の反応があまりにも淡泊だったので、ついつい妄想が働いてしまったようです。
 ルキアがどうしてあんなところに落ちてきたのかは、次の話を読んでもらえるとわかるデス('-'*) マーク付きだけど。

 前サイトでも言ったような気がするのですが、リクエストの『かっこいい』は果たして何処までかかってたのでしょう・・・。いま思うと、2主までかけて欲しかったのかなぁ、なんて遠い目をしてしまいます(;;;'-')