薄暗い塔の中。ひどくガランとした廊下に、ビッキーは立ち尽くしていた。
「………ヘリオンお婆ちゃん……?」
 恐る恐る視線を右に左に向けながら、ビッキーは廊下を進んだ。
 心細さに涙目になりかけたが、懐かしい気配がビッキーの胸に届いた。
「お婆ちゃん……!」
 ビッキーは走り出す。
 長い廊下を抜け、階段を駆け上り、見つけた大きな扉を開ける。その部屋の一番奥で、ヘリオンは大きな椅子に腰かけていた。丸テーブルに肘をついて、ジロリとビッキーを見る。
「あれほど、時間は越えるなと言ったのに………」
「それどころじゃないんだよ、お婆ちゃん!」
 ビッキーは丸テーブルに駆けよった。
「ルックさんが、真の紋章の力を使っちゃって……!」
「あぁ、かなり大きな戦だったみたいだね。ここまで、紋章の波動が届いたよ」
「それで、倒れちゃって……」
「……どんな具合なんだい?」
「よく、わからないの……。すごく、すごく、冷たくなっちゃって、息もなんだか浅いみたいだし、ホウアン先生が魔法が原因だと手の施しようがないって言って………」
 なんとかちゃんと伝えたいと思うのだが、ちっとも上手く言葉が出てこない。説明しているうちに、ビッキーはぽろぽろと涙が零れてきた。
「………命に関わるほど酷いのかい?」
 泣きじゃくりながら、ビッキーは首を横に振った。
「うぅん……。命に別状はないって……。……ただ、衰弱が激しいからって………」
「あぁ、わかったわかった。泣くんじゃないよ」
「お婆ちゃん……!」
 ビッキーはヘリオンに縋りついて、泣きじゃくった。
「心配ないさ。真の紋章に見こまれた奴は、そうそう簡単にくたばりゃしないよ」
 優しく頭を撫でながら、ヘリオンは言った。
 ようやく泣きやんだビッキーは、ヘリオンが差しだしたハンカチを受け取って、涙を拭った。照れたように笑ったが、まだその笑顔にはいつもの元気がない。
 ペタンと床にすわりこんで、頭をヘリオンの膝に載せた。
「……どうした……?」
「うん………。ルックさんがね、うわごとでルキアさんの名前を呼んでたの………。……ルキアさん、何処、行っちゃったのかな………」
 ルックにとって、ルキアの強さは驚嘆に値するのだろう。だが、強く在れば在るほど、それは紋章の望むところ。より一層、深く、分かち難く結びつく。そのことに、ルックは気づいているのかどうか。ヘリオンが思うに、ルキアと“ソウルイーター”はすでに………。
 ヘリオンは軽く溜め息を吐いた。
「………ルキアのことは、そっとしておいておやり」
「でも……」
「そのうち、帰ってくるからさ」
「それって、お婆ちゃんの予言……?」
「まぁね」
「そっか……。ルックさん、それまでには元気になれると良いな」
「……これを持ってお行き」
 ヘリオンはテーブルの上にあった札を一枚取った。
「なんのお札?」
「“気合の札”だよ。いまのルックには、“優しさの雫”ではとても追いつかないし、“癒しの風”では却って逆効果だ。そういうときは、“気合”が一等よく効くんだよ」
「………私に、起動できるかな………」
「ルックのことを助けたいんだろ……?」
「もちろん」
 ビッキーは顔を上げた。
「なら、できるさ。その気持ちと、集中力さえあれば」
「うん、頑張るよ」
 ビッキーは札を受け取って、立ち上がった。
「ありがとう、お婆ちゃん」
「気をつけてお帰り」
「うん、またね」
 ビッキーはひらひらと手を振って、ロッドを掲げた。
 不安定な魔力が、都市同盟のほうへ遠ざかったのを確認して、ヘリオンは深々と椅子の背にもたれた。
「『またね』じゃないだろうに……」
 もしくは、彼女の予言であったろうか。

 ビッキーは梁山城へ帰ると、すぐに医務室へ向かった。
 ルックの眠るベッド脇の椅子に腰かけて、札を取り出す。
 上位魔法である“気合の札”。果たして、自分に起動できるのだろうか。
 迷いを断ち切るように、ビッキーは首を振った。札を構えて目を閉じる。
生命(いのち)の奥に眠る神秘の力よ、目覚め給え。“気合の札”起動
 詠唱とともに札が輝き、上から光の粒子へと変換していく。それは、変換された端から崩れていき、ルックの身体を包みこんでいった。札が完全に光と化して手許からなくなると、ビッキーは目を開けた。
 札の起動には成功した。あとはルックの気力次第である。
 身体を包みこんだ光が消えると、ルックの頬には赤みがさしていた。
「ルックさん………」
 ビッキーは恐る恐る、ルックの頬に触れた。
 暖かい。大きく、安堵の息が口をついて出た。
「………う……ん………」
 微かに声が聞こえたかと思うと、ルックの目がパチッと開いた。手を当てたままだったビッキーは、まともに目があって硬直する。
「……なに、してるのさ……?」
「え、えっと、あの、ゴメン……!」
 ビッキーは、慌てて手を離した。顔を真っ赤にして慌てるビッキーを、ほんの少し不思議そうに眺めて、ルックは見慣れない天井に目をやった。
「そうだ、ホウアン先生を呼んでくるね」
 視線を外されて、安心したような残念なような、不思議な気持ちを胸に抱えながら、ビッキーは間仕切りのカーテンから出ていった。
 それでようやく、ルックは此処が医務室で、自分が医務室用の寝間着を着ていることに気づいた。慌てて額に手をやると、サークレットはつけたままになっていた。軽く安堵の息を吐いたところで、ホウアンとビッキーが入ってきた。
「顔色が良くなりましたね。気分はどうですか?」
 脇の椅子に腰かけて、ホウアンは訊いた。ビッキーは少し後ろに下がって見ている。
「………別に……」
 素っ気ない答えを気にすることなく、ホウアンは額にのっていたルックの手を取って脈を計った。続いて、布団をずらし、失礼しますよと言いながら、寝間着の袷を少しはだけさせて、胸に聴診器を当てた。
 ルックは、苦痛はなくなったものの、身体を動かすのはまだ億劫で、されるがままにしている。
 一通り、ルックの体調を確認したホウアンは、元通りに寝間着を直し、布団を掛けた。
「体温も呼吸も戻りましたね。さすが“気合の札”といったところでしょうか。ただ、念のため、今日一日は此処で安静にしていてください」
「………もう大丈夫だから、部屋へ戻るよ」
「無理は禁物ですよ」
「他にも病人がいるんだろう。ベッドを空けたほうが良いんじゃないの……?」
「言っておきますが、一番重症だったのは君なんですからね。安静にしていなくてはダメです」
 有無を言わさぬ強い口調で言われて、ルックは折れた。
「じゃあ、お大事にしてください。ビッキーさん、あとはお願いしますよ」
「はい」
 何故ビッキーがあとを任されるのか、とルックは訝る。
 だが、そういえば、ホウアンは珍しい札の名を口にしていなかったか。
「………“気合の札”を使ったのかい……?」
 ホウアンを見送って、椅子にすわったビッキーに訊いた。
「うん。……ルックさん、すごく苦しそうだったから……」
 一日も経たないうちに、身体がこれだけ楽な理由はわかった。
「そんな珍しい札、よく手に入ったね」
「ヘリオンお婆ちゃんがくれたんだよ」
 思いがけない人の名を聞いて、ルックは目を瞠った。
「…………。魔術師の島へ行ったのかい?」
「うん」
「どうして……?」
「ヘリオンお婆ちゃんなら、ルックさんを治す方法、知ってるかなって思って」
「……そうじゃなくて……」
「……え?」
「…………僕のためにそんな遠出をした理由を訊いたんだ」
「だって、ルックさんのこと、好きだから」
 またも思いがけない言葉をさらりと聞かされて、ルックはビッキーをまじまじと見つめた。
「好きな人が苦しいと、私もつらいよ。だから、なんとかしてあげたいって思ったんだよ」
 冗談ではないのは、その真剣な表情を見ればわかる。だが、ルックには、何故好かれるのか、その理由が皆目わからない。
 三年前の戦いの時は、ほとんど話したこともなかった。再会してからは、なにかとビッキーは話しかけてきたが、それは自分が近くに立っているからで、他に話し相手がいないからだと思っていた。
「………どうして、僕なのさ?」
「どうしてって……」
 ビッキーは、ちょっと首を傾げた。
「……人を好きになるのに、理由がいるの……?」
 ルックは言葉に詰まる。いつも突拍子もないことを言って、ルックを呆れさせるビッキーだが、今日はいつにもましてとんでもないことを言う。
 しかも、正論を。
「…………」
 返す言葉が見つからず、ルックは首を反対側へ向けた。
「………ルックさん、怒ってる……?」
「…………別に。呆れてはいるけど……」
「良かった」
「は……?」
 ルックは思わず振り返ってしまった。満面の笑みを浮かべたビッキーと目があった。
「だって、想うのもダメって言われたら、どうしようかと思ってたんだよ」
「…………。そっか、そう言えば良かったんだ」
 たちまち、ビッキーは泣きそうな表情になる。
「えぇー、もうダメだよ。怒ってないって言ったもん、ルックさん」
「冗談だよ」
 ピタリとビッキーの動きが止まった。本当によく変わる表情だ、とルックは眺めている。
「ルックさんも、冗談、言うんだぁ」
「………僕だって、冗談くらい言うよ」
「私、初めて聞いたよ」
「君と会話するのも初めてだよ」
「そんなことないよ。いつも、お話ししてたじゃない」
「君が一方的にね」
 拗ねたように頬を膨らませて、ビッキーはルックを見た。平然と、ルックはその視線を受け止める。
「……クスッ」
 ビッキーが笑った。その笑顔で、自然とルックの表情も穏やかなものに変わった。
 本当に嬉しそうに笑うビッキーの目から、涙が零れ落ちた。
「……ビッキー……?」
 ルックが手を伸ばして、頬をつたう涙を拭った。それで初めて、ビッキーは自分が泣いていたことに気づく。
「あ、あれ……? やだな、泣かないつもりだったのに……。なんでかな……?」
 ビッキーは両手で涙を拭うのだが、あとからあとから雫は零れ落ちてくる。
「止まらないよ、ほんとに、もう……。ゴメンね、ルックさん。……たぶん、ルックさんが元気になったの見て、気が抜けちゃったんだと思う」
(あぁ、本当に………)
 止まらない自分の涙に困惑するビッキーを見て、ルックはようやく、己が本当に彼女に想われているのだと実感した。
「ビッキー、ありがとう」
 思いがけない言葉に、ビッキーはぽかんと口を開けてルックを見つめた。
「僕のために、魔術師の島まで行って、“気合の札”を起動してくれて、ありがとう……」
「……うん。どういたしまして」
 ビッキーは、ルックが思わず見惚れてしまうくらいの、可愛い笑顔を見せた。
「…………あ、あの、ルックさん」
「なに……?」
 目許をこすったので赤くなっていたビッキーの顔が、さらに赤みを増した。
「……ルックさんは、あの、私のこと………」
 しどろもどろになったビッキーを見て、ルックはなにを訊かれているのか理解する。
「…………。僕は、一つところに留まることができないんだ……」
 ぼんやりと天井を見つめて、ルックは言った。
「永遠という時間を渡り続けるんだ。そうしないと、風は風でなくなってしまうから………」
 卑怯な答えだとは思うが、それが真実だ。
「………私には、行かなくちゃいけないところがあります。でも、そこへ行くまでの過程でも、そこでの用を終えてからも、私はあなたと一緒に渡り続けたいと思っています」
 ルックは自嘲の笑みを浮かべる。
「この紋章は“視えざる者”。誰にも見つけられやしないよ」
「でも、感じることはできます。視えなくても、私はあなたを見つけました
 いつもと違う口調に気がついて、ルックは視線をビッキーへ向けた。ほんの一瞬、大人びた笑みを浮かべたビッキーを見た、ような気がする。瞬くと、いつもの闊達な笑顔の彼女だった。
「…………。他人と関わるのが億劫な僕を好きになるなんて、君って本当に変わってるよ」
「億劫だけど、嫌いじゃないでしょう?」
 のほほんと図星をさされて、ルックの頬に朱がさした。
「だって、ずっと見てたから知ってるもん。確かに、他の人に関わるのって面倒くさそうなんだけど、石版の前で忙しそうに働いてるみんなを見るルックさんの目って、とっても優しいんだよね。みんなが気づかないのが不思議なくらい」
 紅潮の止まらない顔を誤魔化すように、ルックは背を向けた。
「そんなの、君の気のせいだよ」
「えぇ〜、そんなことないもん」
「もう少し、僕は寝かせてもらうよ」
 照れくささを誤魔化すように、ルックはぶっきらぼうに話を打ち切った。そんなルックの態度に気づいているのかいないのか、ビッキーはしまったと口許に手をやった。
「あ、そうだね。ごめんなさい、煩くして」
「普段もそうやって、気を遣ってくれるとありがたいんだけどね」
「もう、ルックさんたら……」
 ちょっと拗ねた表情をしたビッキーは、ふと真顔になった。
「ね、ルックさん、もう一つだけ、良い?」
「なに?」
「これからは、私のことも見てくれる?」
 背を向けたまま、軽く息を吐き出してルックは頷いた。
「………そうだね。そうするよ」
 胸にあるこの不思議な気持ちが、『好き』になるのか、『嫌い』になるのか。見極めようと思う。
「ありがとう」
 答えははぐらかされてしまったけれど、いまはそれでも良い、とビッキー思った。
 にっこりとルックの背に微笑んで、ビッキーは立ち上がった。
「それじゃ、おやすみなさい、ルックさん。またあとで来るからね」
 ビッキーが医務室を出ていったのを背中で感じ取り、ルックは軽く溜め息を吐いた。
 しゃべりすぎたな、といまになって思う。だけど、あの無垢な笑顔になら、自分の言葉は一つの齟齬もなく真っ直ぐに届いただろう。そう思うと、ふっと気持ちが軽くなった。
「一緒に渡り続ける、か………」
 できもしないことをと思いかけて、ルックは苦笑する。あの暴発娘なら、もしかしたら、本当にやってしまうかも知れない。
 つけっぱなしになっていたサークレットを外すと、そっと、体調を気遣うように風が前髪を撫でていった。
 サークレットを枕の下に押しこんで、ルックは目を閉じた。
 こんな時、目が覚めて誰かがいてくれるのは、案外、良いものなんだなと思いながら。
END




 お疲れ様でした。ルック篇改訂版でした。(初稿:2001.9 改訂:2003.5.25)
 『3』プレイ後、オフィシャルの展開に多少(?)の怒りを感じつつも、『3』の話もやはり書きたかったので、設定の修正をいたしました。でも、御覧になっておわかりのように、合わせていないところもあります。どうしても納得できないところは、やっぱりね(^^;)
 最初は、全部書き直そうかと思ったんですが。そんな根性なくなりました(爆) っていうか、作った言葉をなかったことにするのに忍びなく(貧乏性・^^;)、一部書き替えという形になってしまいました。

 以降、補足と変更事項について。

 “真なる風の紋章”の二つ名を変更しました。でも、“留まれざる者”とも呼ばれてることにしてます。どちらも、風の本質を現してると思うし。それにしても、否定形ばかりになってしまったのは、何故?(^^;;;

 ルックが『2』で言った台詞「それにあいつがいなくなれば無理なことだし・・・」を穿って考えて、ルックとササライは双子!?なんて思っていましたが。まさか、あんな設定だったとは・・・。この台詞の意味、なんだったんでしょうね? ということで、シンクロ説は没(^^;)
 でも、某同人誌で読んだ「レンタル設定話」はとても気に入っていて(「お客様、こちら真(新)作につき一ヶ月以上のレンタルは延滞料金が発生します〜」・大笑)、ルックはやっぱりこの時点では紋章を宿していないし、ササライは任務遂行のため貸与という形式を取りうやむやにそのまま器に戻すことに神殿は決めた(もちろん、本人は知らない)、という形です。だから、『3』では、ルックのほうが若干ササライよりも年上に見えると考えています。

 ルックにとっての真の紋章は、忌避すべき物に変わっちゃったかな。自分が自分でいられなくなる、という思いは変わってないけれど。
 だから、ルキアの存在はやっぱり絶対。その強さゆえに、ルキアが“ソウルイーター”と融合してしまったことには、気づいていなくて。気づいちゃったから、壊れてしまったと考えてるんだけど、これはまだどうなるかわかりません(爆)

 ビッキーについて。
 すみません、うちのビッキー、分裂です(>_<) 『外伝2』の子供版ビッキーの醒めた表情が印象強くって、勝手にこんなにしてしまいました。一応、上手く共存しているので記憶が飛ぶようなことはない、っていうmy設定です。それにしても、あの変わり様。なにがあったんでしょうね?
 ヘリオンがビッキーにあげた指輪は、『時の車輪シリーズ』R.ジョーダン(早川書房)からネタを拝借しました。女性だけで構成されている魔法結社みたいなところの、正式メンバーがはめている指輪です。『〈大いなるヘビ〉の指輪』といいます。目はルビーじゃないですが。
 ビッキーはどういう順番で時間を飛んでるんでしょうね? ちょっとまだ考え中なとこもありますが、またいつ書けるかもわからない小ネタを潜りこませました(;'-')

 さて、ササライ篇も書かねばなりませんね。いつになるのかわかりませんが(爆) まぁ、いつかは書きます。多分、短いですけど。きっと、コケにしちゃうけど(核爆)
 ササライは、やっぱりどっか抜けてる、という印象が拭えませんでした(^^;)

2010.12.26 加筆しました。
 うちの設定では、真の紋章を宿していると成長は遅く、ピーク時(18〜20歳)で止まるということになってます。その成長速度をどうするか。かなり悩んで、いまも悩んでます(爆)
 ルックは7年も赤子のままにしてますが、今回あまりに説明不足だと痛感してササライ篇で折り込む予定だった会話ですが、いつになったら書けるかもわからないので加筆。さらに、テッドと坊ちゃんの見た目年齢が私脳内でちょっと上に変化です(爆)

 ここまで読んでくださって、ありがとうございましたm(_ _)m