紋章に魅入られた子供たち 外伝
境界を定める姉妹 篇
ルックが借りていた本をレックナートのもとへ返しに行ったとき、彼女は二度と開くことのない眼の不自由さも感じさせずに、奥のテラスでお茶の用意をしていた。
「レックナート様、お借りしていた本を返しに来ました」
「机の上に置いておいてくれますか、ルック」
「はい」
師の書斎机に本を置き、ルックはテーブルの上に載った茶器を眺めた。
まろやかな白磁に青で蔓草模様を描き、そして一輪だけハッとするような鮮やかな紅い花が咲いている。レックナートが飾り棚に置いているお気に入りの茶器である。この器が使われるのを、ルックは此処へ来て初めて見た。
「……お客様が見えるのですか?」
「えぇ。私の、とても大事な人です」
そう答えるレックナートの表情には笑みがある。珍しく、彼女本人が目覚めているらしい。
「お手伝いしましょうか……?」
「大丈夫です、もう終わりますから。ルックは自分の部屋にいなさい」
「はい。失礼します」
嬉しそうにテーブルのセッティングをしているレックナートを物珍しく眺めたあと、ルックはドアへ向かった。
ドアノブに手を伸ばしかけたとき、ドアのほうが勝手に開いた。
「レックナート、入るわよ」
華美という言葉を体現したような女が入ってきた。ルックは避け損ねてぶつかってしまう。
「あら、ごめんなさい」
「いえ、すみません」
視線がかちあって、女の目がすぅと細められた。
「坊や……」
本能的に、ルックは二、三歩、後ろへ下がった。
「レックナート様の弟子のルックといいます」
「そう……。弟子をとったとは聞いていたけれど、坊やが………」
坊やと呼ばれてムッとしたが、年齢よりも幼く見られるのはいつものことなので無表情で通した。
「……どうしました、ルック……?」
奥から出てきたレックナートは女に目を留めて、息を呑む。
「ウィンディ姉様……! 早かったのですね」
レックナートに名前を呼ばれて、ウィンディはルックへの興味をなくした。
「いつも予見通りに動く必要はなくてよ」
ウィンディの言葉に、レックナートは苦い笑いを浮かべた。
おそらく二人とも自分を視界に入れていないだろうが、ルックは軽く目礼して部屋を出た。
(……あの人の扉は、向こう側へ開いていた………)
師が姉と呼んだ女にぶつかったときに視た幻を、ルックは思い出す。とても気が強そうに見えたが、幻の中の女は、“門”に取りこまれまいと必死に抵抗していた。
ルックはガランとした廊下で大きく溜め息を吐き、自室へ戻った。
「元気そうだね、レックナート」
「姉様も……」
二人は、互いに慈しむように抱きあった。
「姉様の好きなお茶を用意したの。冷めないうちにいただきましょう」
「そうね」
テーブルについて、ほのかに花の香りのするお茶を二人は楽しんだ。
「レックナート、あの坊やだけど………」
「はい?」
「あんな幼い子が、継承者なのかい?」
「姉様……!」
顔色を変えたレックナートに、ウィンディは首を横に振った。
「互いを潰しあう、五行の紋章には興味がないよ。たとえ、真の紋章でもね」
「…………。“風”の望んだ子です」
「……思い出した……。お前がハルモニアから攫ってきた、あの赤ん坊かい、あの子は?」
「はい………。紋章に別の器を与えたら、いままでの時間を取り戻すかのように成長しました。実年齢と外見がようやく追いついてきたところです」
「おぞましい技を見つけたもんだよ、あの男は……!」
忌々しげにウィンディは舌打ちをした。
「……もう一人は、救い出せませんでした……」
悲しそうにうつむいたレックナートの手を、優しくウィンディは叩いた。
「無茶をおしでないよ。あの男に一泡吹かせられたのなら、上出来さ。それに、あと少し、もう少しだよ、レックナート」
「姉様……?」
さも楽しそうに嗤うウィンディを、レックナートは不安そうに見つめた。
「あの紋章が、とうとうグレッグミンスターへ流れ着いたよ」
「み、見つけたのですか!?」
「まさか。あの黄金の都に、どれだけの人がいると思ってるんだい。ほんのわずかな気配を感じ取っただけだよ」
レックナートは安堵の溜め息をもらした。
「でも、時間の問題さ。必ず、私のものにしてみせるよ」
うっとりと遠くを眺め、ウィンディは呟く。
「四百年も待ったのだもの。あと数年がなにほどのものだろう」
「止めてください、姉様。あんな、あんな恐ろしい紋章と関わるのは……!」
叫ぶように言ったレックナートの言葉に、ウィンディの柳眉がつり上がる。
「いまさらなにを言うの。私たちが復讐を果たすためには、どうしても、あの“ソウルイーター”の力が必要なんだよ。私たちが落とされた地獄に、あの男も突き落としてやるためには!」
「でも、眠りについていた“呪いの紋章”を目覚めさせることはなかったのではないですか? “ソウルイーター”を護ってきた、隠された紋章の村を滅ぼすことはなかったのではないですか!?」
「私たちの村が、一族が、どんな目にあったか忘れたの、レックナート!! お前から、光を奪い涙を奪ったあの男を、許せって言うのかい!?」
レックナートは耳をふさいで、子供のように首を横に振った。
唐突に、その動きが止まる。耳をふさいだ手をおろして、表情のなくなった顔をウィンディに向けた。
「だからといって、私たちが同じことをして良い、ということにはなりません」
ウィンディは勢いよく立ち上がると、レックナートの肩をつかんだ。
「お下がり、“境界を定める者”! お前なんかに用はない! 私は妹と話をしているんだよ! レックナート、私を見て、私の声を聞いて。私にお前の声を聞かせて……!」
怒りに満ちていた声は、やがて哀願する色に変わった。
「…………。ね、姉様……」
やがて、レックナートの顔は表情を取り戻した。
「……レックナート………」
ウィンディは膝をついて、レックナートに縋りつく。
「忘れないでおくれ、あの時の誓いを……」
「……忘れていません……。……忘れられようはずも、ありません……」
泣いているかのような震える声で、レックナートはウィンディの肩を抱いた。
「炎に包まれた村に、私は誓った。必要最小限の犠牲で、復讐を果たしてみせると………」
顔を上げたウィンディは、レックナートの頬を包んだ。
「炎に包まれた村に、お前の目を灼いたあの炎に、私は誓った。復讐を果たすためなら、どんな犠牲も厭わないと………」
「姉様……でも、あの紋章は危険すぎます………」
ウィンディは微笑んだ。
「相変わらず、臆病な子だこと」
立ち上がったウィンディは、優しくレックナートの頭を撫でた。
「お前はとても私の未来を予見する勇気はないようだけれど、いまの私には二つの未来が視えているよ」
ゆったりと歩き、手すりに身体を預けてウィンディは振り返る。
「一つは、最凶の力と絶望的な孤独を得た私。そして、もう一つは……」
その時ウィンディの見せた表情は、レックナートにとって忘れ得ぬものとなった。
「絶対的な死と永遠の愛を得た私」
「姉様……!」
レックナートが手を伸ばすより先に、ウィンディは転移して消えてしまった。レックナートの耳に、ささやく声だけが届く。
「なにがあっても、誓いは忘れないでおくれ、妹よ」
涙は流せぬ身体でも、レックナートは嗚咽にその身を震わせながら頷いた。
姉妹の会話とともにあった茶器は、二度と使われることはなかった。
END
突発的に浮かんだので勢いに任せて書いてみた話。マナにしては珍しく、短い(笑)
レックナートとウィンディは実の姉妹ではないそうですが、同族の女性を姉妹と呼び慣わしてるのなら、それなりに絆はあったのではないかと。「分け合って逃亡」というのが、また意味深だなと思ったのでした。深読みしすぎかしら(^^;;;
追記(2003.5.18)
『3』発売後、オフィシャルと著しく齟齬のあった、レックナートの設定(盲目・涙流れぬ者)を合わせることにしました。私的には、目を閉じてるだけってほうが良かったんだけど(^^;) しかし、涙が出ないのに泣かせるっていうのは難しいですね(爆)
それから、ルックの設定も変更です。これはオフィシャルに合わせているようで、合わせてなかったり(;'-')
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