紋章に魅入られた子供たち 外伝

空を征す者 篇




 トラン共和国南方・ゴウラン地方の大森林に、怪物が出るという噂が広まった。
「怪物?」
 パンヌ・ヤクタ城での用事を済ませた帰り道、エルフの村に立ち寄ったルキアは、素っ頓狂な声をあげて聞き返した。
「噂なんですが……」
 そう答えつつも、キルキスの表情は暗い。
「姿を見た者はいません。ただ、行方不明者が続出したんです」
「捜索は?」
「えぇ、近隣の村々とも協力して捜したんですが、その捜索隊からも行方不明者が出てしまって………。いまは、街道を除いて、森の中へ入ることを禁じています」
「それが怪物の仕業? 盗賊ではなく……?」
「はい。夜盗の類なら、街道を行く人たちを狙うでしょう。でも、街道では行方不明者が出たという話はないんです。森の中へ入った狩人や樵たちが犠牲になっています。……それから、声を聞いたという者もいて………」
「声……?」
「夜、この世の者とは思えない不気味な声を聞いたそうです」
「ふぅん……。大森林か………」
 シルビナの出してくれたお茶を飲みながら、ルキアは大森林へ意識を凝らす。
「ルキアさん、バレリアさんからはなにも聞いてない?」
 キルキスの隣りにちょこんとすわって、大きなお腹のシルビナは首を傾げた。
「あぁ、バレリアには会えなかったんだ。出かけてたみたいで」
「たぶん、森のほうへ行かれていたのでしょう。近いうちに、軍を派遣して調査に出ると言ってましたから」
「そうだろうな………」
 微かに意識に引っかかるものがあって、ルキアはキルキスを見た。
「キルキス、“迷いの森”の呪いはもうないんだよな?」
「はい。エルフの村のあの大樹が焼失した時点で、結界も失われています。……なにか、感じますか?」
「………はっきりしたことは言えないんだけど、すごく小さな歪みがある、ような気がするんだ」
「歪み……?」
「ルビィも同じ事を言ってたよ」
 シルビナのほうが、ルキアの言葉に反応した。
「ルビィが……?」
「うん。“迷いの森”の結界と似たような歪みがあるって。でも似てるだけで、全然違うものだから、森にはしばらく入らないほうが良いって」
「そう……」
「……きっとバレリアさんが、原因を究明してくれますよ」
「そうだな」
 そのあとは、キルキスとシルビナの間にできた赤ちゃんがいつ頃産まれるのかとか、エルフの村や隣りのコボルト村の近況など、他愛もない世間話に花を咲かせ、ルキアはグレッグミンスターへ帰ることにした。
「お気をつけて、ルキア様」
「うん、ありがとう。今度は、赤ちゃんの顔を見に来るよ」
 キルキスの顔は真っ赤になり、シルビナは嬉しそうに笑った。
「待ってるからね、ルキアさん」
 街道まで、キルキスとシルビナが見送った。ルキアの姿が見えなくなるまで立ち尽くしていた二人は、やがて顔を見あわせた。
「ねぇ、キルキス、あの噂話、ルキアさんにするんじゃなかったって思ってるでしょ……?」
「………うん。ルキア様のことだから、絶対、放っておかないよね……」
「うん、好奇心の塊だもん、ルキアさんって」
 シルビナの断言に、キルキスは溜め息を吐いた。
「大丈夫かなぁ、ルキア様」

 キルキスが溜め息とともに言葉を零した頃、ルキアは大森林の中で小さくくしゃみをした。
「………誰か噂でもしてるかな……?」
 キルキスたちが心配した通り、街道を大きく外れた森の中にルキアは入っていた。
 鬱蒼と生い茂る木々。だが、枝は陽の光を求めて上へ上へと向かうので、人が歩く分には差し支えなかった。ただ、まだ陽も高いはずなのに、茂る枝葉が空を覆い尽くし薄暗い。
 噂話が気になったのも確かだが、あの歪みを見過ごすことがルキアにはどうしてもできなかった。チリチリと、右手の紋章が疼いて警告を発しているのである。近づくな、ではない。見過ごすな、である。
「………私の手に負えなかったら、どう責任をとってくれるんだか……」
 ブツブツと文句を言いながら、ルキアは森の奥へとどんどん分け入っていった。
 微かだが、意識に触れる歪みを見失わないように、それにだけ集中していたルキアは、左手から近づいてきた気配の対応に遅れた。大森林にいるモンスターは、ルキアにとってなんの脅威にもならないので、まわりへの警戒を怠っていたのである。
 ガサガサと枝葉をゆらす音に気づいて振り返る。大森林にはいないはずのその大きさに、ルキアはしまったと舌打ちした。無用の戦いは避けたかったが、もはや逃げようもない。ルキアは足場を確保して、“天牙棍”を構えた。それと同時に、真っ赤な異形の者が姿を現した。
「……? スラッシュ?」
 ルキアはそれに見覚えがあった。竜洞騎士団の副団長ミリアの愛竜である。
 スラッシュは人懐っこく鳴いた。一時期、ルキアがしょっちゅう乗騎していたので、「私より懐かれてますね」とミリアに言われたことがある。スラッシュはルキアのことをちゃんと覚えていたようだ。甘えるように、頭をこすりつけてきた。
「よしよし」
 ルキアはその頭を撫でてやる。
「お前のパートナーはどうしたんだ? まさか、お前一人で此処まで来たわけじゃないんだろう……?」
 ルキアの言葉がわかったのか、スラッシュは頭をもたげると、大きく一声鳴いた。
 しばらくすると、近づいてくる人の気配がある。
「スラッシュ! こんなところにいたのね!? 急に走り出したりして、なにがあったの?」
 現れたのは、やはりミリアだった。そして。
「ミリア、スラッシュはいたか?」
 騎士団長ヨシュアが姿を見せた。
「ヨシュア……!」
 竜洞から滅多に出ることはないはずの騎士団長を見て、ルキアは思わず声をあげた。
「ルキア殿……!」
「ルキア様!」
 スラッシュの陰にいたルキアに気づいて、二人も驚いた。
「どうしたのさ、こんなところまで?」
「ルキア様こそ。……だから、スラッシュが急に走り出したんですね。ルキア様の気配に気づいて………」
 スラッシュはその通り、と言うように鳴いた。ミリアは軽く息を吐く。
「………私は、パンヌ・ヤクタ城にレパントの代わりに出かけてたんだ。帰りにエルフの村に寄ったら、変な噂を聞いたから………」
「噂………」
 繰り返したヨシュアに、ルキアは頷く。
「なにか出るらしい。行方不明者が続出してるそうだ。…………確かに、此処には変な歪みがあるみたいだから、ちょっと調べてみようかなって」
「お一人でなんて、危険すぎます」
 苦言を呈したミリアに、ルキアは軽く肩をすくめた。
「こいつが、うるさくってさ。手に負えなさそうだったら、すぐ逃げるつもりだし」
 右手を軽く振って、ルキアはあっさりと紋章の影響を打ち明けた。
 “呪いの紋章”とまで呼ばれるものを宿しながら、なお強く真っ直ぐに向き合えるルキアの強さに、ミリアは畏敬の念を禁じ得ない。それが呼びこんだ死に、何度も涙を流してきたというのに。
 あの長い戦いの最中では、できるだけその力に触れようとはしなかったが、それはまわりに気を遣ってのこと。その名が呼び起こす不吉さに、皆が戦くのを避けていただけ。いま、解放軍のリーダーでもなく、トラン共和国の重鎮でもない、自由を得たルキアは、己を偽ることを止めた。
 そして、ミリアは同じ真の紋章を宿す騎士団長のことを思う。命に代えても守りたいヨシュアのことを想う。竜洞騎士団領を預かる者として、逃げることは許されず、個人の自由などまったくといって良いほど無い。それなのに、己には決して刻まれることのない時間の流れをまざまざと見せつけられて、この方はどんな想いでいるのだろうか、と。
 ミリアがふとそんなことを思っている間に、ヨシュアは自分たちの目的をルキアに説明していた。
「我々も同じです。ゴウランで不可解な事件が発生していると聞いたので」
 ルキアは訝って、首を傾げる。
「確証のない噂に、騎士団長直々のお出ましは、大袈裟すぎるんじゃないか?」
 ルキアの言葉に、ヨシュアは口の端を上げた。
「私も、これにせっつかれたのですよ」
 顔の横に上げて示された右手の甲。手甲に隠されたそこには、“竜の紋章”がある。“翼と鱗の世界”と、この世界を結ぶ者。
「………じゃあ、あれは異界の者なんだ」
「そのようです。我々は、はぐれ竜ではないかと考えているのですが」
 ルキアは顎に手をあてて考えこむ。
「バレリアには、荷が重いかな………」
 軽く溜め息を吐いて、ルキアは組んでいた腕を解いた。
「バレリア殿がこちらに……?」
「うん、たぶんね。キルキスが、近いうちに軍を差し向けるって話を聞いたそうだ。実際、今日、パンヌ・ヤクタに彼女はいなかったし」
「では、急いだほうが良さそうですね」
 ルキアの言葉に同意したヨシュアに、ミリアは柳眉をつり上げた。
「ヨシュア様! 今日は偵察に来ただけではないですか!」
「事情が変わった。今日中に片を付ける」
 あっさりと前言を翻してきたヨシュアに、ミリアはきつく拳を握りしめた。なんとしても思い留まって欲しいのだが、此処でまた昨日と同じ押し問答を繰り返すのも馬鹿馬鹿しい。なにより、あからさまに興味津々で見つめるルキアの視線が気になって、言葉が出てこなかった。
 ヨシュアにしてみれば、ミリアの小言を封じられたので、ルキアとの出会いは渡りに船である。此処へ出かけることを納得させるのも、至難の業だったのだから。

 ヨシュアを乗せてきた竜は、森の外れに待機させているとのことだった。スラッシュも本来ならそこに待機させておいたほうが良いのだろうが、いまから戻るのも余計な時間がかかるので、そのまま連れて森の中を進むことになった。
「はぐれ竜退治も、団長自ら行う仕事なわけ?」
 歪みに向かって歩きながら、ルキアは気になっていたことを訊いた。
「そんなはずありません!」
 ルキアの問いに、ミリアは大きく頭を振る。笑いがこみあげてくるのを押さえるのに、ルキアは苦労した。
「先に言ったとおり、紋章が反応しているから出向いたに過ぎません。本来なら、副団長の仕事でもないですね」
 ヨシュアは淡々と説明する。
「……ただ、最近になって、はぐれ竜の噂をよく聞くようになりました。“最初の母”が産んだ卵が孵ったわけではなく、異界の出入り口ができやすくなっていて、迷い出てくる竜がいるらしいのです」
「あぁ、“出口”が行方不明だからな。境界を定める力が弱くなってるんだろう」
「恐らく……」
“入口”があの女では、定まるものも定まらないだろうし」
「おかげで、こちらの仕事が増えています。迷いこんだ者は、真っ直ぐ私を目指してやってきます。望むならもとの世界に帰してやりますし、竜洞で暮らすようになった者もいる。この大森林にいる者が竜ならば、私の許へやってくるはずですが、それが来ないということは、来られないような事態になっているか………」
「或いは、それは竜ではないから、だな」
「はい」
 だが、いまとなっては、ヨシュアは後者であることを確信している。“生と死を司る紋章”までもが警告を発した事態とあっては、もはや竜ではないだろう。なんとかミリアの目を誤魔化して、一人で来れば良かったか、と埒もないことを考えてしまう。
「本当に、竜のためだけにあるんだな、それは……」
 見透かしたように、ルキアはズバリと“竜の紋章”の本質の一つを言い当てた。
「えぇ、そうです……」
 ヨシュアは苦笑して頷いた。
 仲間の竜騎士を守るためであろうとも、己が表立つことは許されない。竜たちがこの世界でも自由に在れるよう、“竜の紋章”は宿主の自由を奪った。それが、この紋章がもたらした呪いの一つ。
「…………宿主は、ただの『器』に過ぎません
 淡々と語ったヨシュアをミリアは複雑な表情で見たが、なにも言わずにまた視線を前へと向けた。
 あくまでも、真の紋章を継承する騎士団長を守る立場の竜騎士に、ヨシュア個人をとやかく言う権利があるはずもない。その胸の内に、どんな想いがあろうとも。
「…………。歪みは、この先だ」
 二人に視線を向けたあと、ルキアは行く手を指差した。
 近い。スラッシュにもわかったのだろうか、急に威嚇するような低い唸り声を上げた。ヨシュアもミリアも油断なく身構える。
「来る……!」
 木々を薙ぎ倒す凄まじい音ともに、爆風が襲いかかってきた。
「くぅ……!」
 風から顔を庇いつつ、前方を窺うと、薙ぎ倒されて開けた視界に異形の姿があった。
「あれは、ボーン・ドラゴン!」
 ミリアの驚愕の声を聞きながら、ヨシュアはさらにその背後に視線を向ける。ボーン・ドラゴンの背後の空間には、在るはずもない裂け目があった。まるで、広がる森の景色を描いた絵の中心で、紙が破れてしまったかのよう。その向こうに見えるのは、底なしの闇だった。
「あそこから、無理矢理、出てきたのか……」
 ボーン・ドラゴンが凄まじい咆吼を上げた。それを粉砕するかのごとく、いきなりスラッシュが氷のブレスを放つ。だが、巨体からは想像もできない速さで、ボーン・ドラゴンはブレスをかわした。
「ヨシュア、“破魔の紋章”か“風の紋章”を持ってるか?」
 ボーン・ドラゴンの動きに油断なく視線を向けながら、ルキアは訊いた。
「いえ、残念ながら……」
「……そう都合良く行くわけないか………」
 さして気落ちした様子もなくルキアは呟く。
「ルキア殿は……?」
「運悪く、あいつに耐性がある属性の物しか持ってない。……一応、“破魔の紋章”を封じた札ならあるんだが」
「紋章を封じた……? “破魔の札”ではなく……?」
「あぁ、違う。クロウリーにもらったとっておきだったんだけど、出し惜しみしてる場合じゃないな」
 ボーン・ドラゴンの青い炎のブレスを飛び退さってかわし、ルキアは懐から札を一枚取り出した。
 ヨシュアもブレスをかわしながら、懐かしい名前を聞いて、それが“古の秘法”であることを知る。
 最初の衝撃波や互いのブレスで場所が開け、スラッシュはミリアを背に乗せ、空からボーン・ドラゴンに襲いかかっていた。鋭い爪やミリアの槍をかいくぐり、ボーン・ドラゴンもブレスや自在に伸びる前足でスラッシュに反撃する。
 スラッシュの翼を引き裂こうとした前足を、光の軌跡を放ちながら矢が掠めていった。
「ルキア!」
 横合いから飛び出してきたのは、弓矢を持ったエルフ。
「ルビィ! どうしたんだ、こんなところに!?」
 スラッシュを仕留め損ない、怒り狂って爪が繰り出されたのをルキアは薙ぎ払う。再びスラッシュがブレスを吐き、攻撃対象を自分に仕向けた。
 かつてともに戦った隻眼のエルフは、早口に事情を説明する。
「街道でキルキスたちが途方に暮れてたから、俺が様子を見に来た。凄まじい咆吼が聞こえてきて、慌てて来てみれば、やっぱりお前がいるしな。……あれが、噂の正体か?」
「あぁ。……そうだ、ルビィ、バレリアには会わなかったか?」
「いいや。軍の奴らとは顔をあわせていない。来てるのか?」
「だと思ったんだけど……。……仕方ない、この状態で起動させるか」
 ルキアは札を構える。起動に時間がかかるので、誰か護衛役が欲しかったのだが、贅沢は言っていられない状況だった。
「ヨシュア様!」
 ミリアが悲鳴をあげる。ボーン・ドラゴンがヨシュアを尾で弾き飛ばしたのだ。幹をへし折りそうな勢いで叩きつけられて、ヨシュアは意識が飛びそうになるのを堪える。
「大丈夫か、ヨシュア!」
 駆けよったルキアに、軽く手を挙げてヨシュアは答える。
「平気です」
「……札を起動させる。ただ、普通の“破魔の札”よりもさらに時間がかかるんだ。すまないが、もう少し堪えてくれ」
「承知」
 槍をつかんでヨシュアは立ち上がった。
 空からスラッシュとミリアが攻撃し、それに注意が向いている隙にヨシュアとルビィがさらに攻撃を加えた。その戦いの場から少し離れたところで、ルキアは地を踏みしめ、左手に持った札を目の前に構える。
いま此処に、世界の欠片の封印を破る。汝、邪なる者を滅せんが為の欠片
 ルキアの詠唱とともに、札が淡く光り輝いた。
 ヨシュアたちの連係攻撃は、わずかずつながらも確実にボーン・ドラゴンにダメージを与えていた。それに対して、ボーン・ドラゴンも反撃に出る。スラッシュのブレスに炎のブレスで対抗してこれを相殺すると、すぐさま反転して、ヨシュアに向けて爪を振り下ろした。
 ぶつかり合った力の反動で、スラッシュは上空に流されている。あまりに素早い動きに、ルビィの弓矢も爪を止められない。ヨシュアは槍を楯代わりに突き出して、後ろへ飛び退さったが、凶爪は柄をへし折り胸当てを切り裂いた。
「ヨシュア様!!」
 ミリアは遥か高みにいることにも構わず、スラッシュの背から飛び降りようとした。
「来るな、ミリア!」
 ヨシュアは顔を仰け反らせて怒鳴った。既の所で、ミリアは踏み止まる。ボーン・ドラゴンの爪は防具では防ぎきれず、肌身にまで届いていたように見えたが、すぐさま距離を取ったヨシュアの動きに傷を受けた様子はない。キリッと皓歯を鳴らして、ミリアはスラッシュの手綱を操った。
 だが、攻撃の手が一瞬あいたことをボーン・ドラゴンは見逃さなかった。仰け反るように首を引いたあと、札を起動中で全くの無防備なルキアに向けて、禍々しい炎のブレスを放った。
「ルキア!!」
 ルビィの悲鳴にも似た叫び。
 札を持った手はそのままに、ルキアは棍を落として右手を前へ突き出そうと動かした。そこへ、疾風のごとく現れた鮮烈な朱(あか)が立ちはだかる。凛とした美しい女の声が響いた。
恵みをもたらす慈しみ深き大地よ。邪悪なる理を退け給え。“守りの天蓋の札”起動!
 赤を基調とした服や装備を身にまとった女騎士が手にした札を掲げると、光でできた蔓草が広がる。ボーン・ドラゴンのブレスは、蔓草に触れると霧散した。
「バレリア殿……!」
 ヨシュアが突然現れた女騎士の名を呼ぶ。
「ご無事ですか、ヨシュア殿」
 バレリアに引き続き、共和国軍の兵士たちも駆けつけた。
「遅くなって申し訳ありません、我が君、ルキア様」
 ボーン・ドラゴンに油断なく視線を向けたまま、バレリアは言った。
 ルキアは上げかけた手で、バレリアのゆるく波を描く亜麻色の髪に触れた。束の間、口許に華やかな笑みさえ浮かべて。だが、次の瞬間には、眦をつり上げてボーン・ドラゴンを睨む。髪から肩へと手が移動し、グッとバレリアを下がらせた。そして、最後の言の葉を紡ぐ。
世界は汝の在るべき場所にあらず。疾く去れかし!
 ルキアの放った光り輝く札は、吸いつくようにボーン・ドラゴンの眉間に貼りついた。札を中心にして光の曼陀羅が現れると、ボーン・ドラゴンがのたうち苦しみ、凄まじい咆吼を上げた。
 やがて、圧倒的な光についに耐えられず、サラサラと骨が崩れていく。光が収まる頃には、既に跡形もなかった。
「助かったよ、バレリア」
 ルキアはバレリアを振り返った。
「間に あって安心いたしました。…………。もう少し、御身を労っていただけないものでしょうか」
 ルキアの落とした棍を拾い上げ、バレリアは深い憤りをこめて言った。危険を顧みないルキアの行動もそうだが、それ以上に、自分の行動の遅さが口惜しくてならない。間にあわなかったら、と考えるだけでゾッとする。
 ルキアは“天牙棍”を握りしめたバレリアの手を、やんわりと包んだ。
「信じてたからさ。バレリアが絶対に来てくれるって。……お前が、一度でも私の危機に間にあわなかったことがあったか?」
 にこりと艶やかに微笑まれて、バレリアの頬がわずかに赤くなった。
「…………」
 なにか言い返したいのだが、結局、言葉が見つからず、バレリアは溜め息を吐くと、棍をルキアに返した。
 ボーン・ドラゴンが消滅したことを確認して、スラッシュがゆっくりと下へ降りてきた。走り出したい衝動を堪え、ミリアはヨシュアの許へ向かう。
「ヨシュア様、お怪我はございませんか?」
「あぁ、大丈夫だ」
 壊された槍と胸当てをミリアに渡して、ヨシュアは頷いた。
「これだけの広さがあれば、メイヴも降りられるだろう。連れてきてくれ」
「承知いたしました」
 無惨な武具や防具に、ミリアは背筋が冷える思いがする。だが、そんな素振りは少しも見せずに、再びスラッシュに乗った。森の外れに待たせているヨシュアの騎竜を連れてくるため、空へと飛び立つ。
 それを見送って、ヨシュアは空間の裂け目へと視線を転じた。
「あの歪みを閉じなければならないな」
 いつのまにか、ルキアが傍らにいた。
「はい。あの程度の大きさなら、“竜の紋章”で対処できるでしょう」
 右手の手甲を外すと、既に紋章は淡く輝いていた。ヨシュアが軽く手を伸ばせば、裂け目の下方に触れられた。
 紋章から零れ出た光が裂け目を捉えると、上へ向かって光が走る。底なしの闇が覗いていた裂け目を、光が埋めた。ゆっくりとヨシュアは上げていた手を下ろし、再び手甲をはめる。光は収束するように薄らいで消えていき、裂け目はなくなっていた。
「………これで、異界から迷い出てくる者はないでしょう」
 ヨシュアの言葉に、ルキアは頷いた。意識に触れていた歪みは、もう感じられない。ルキアはルビィを振り返った。
「ルビィ、キルキスに伝えてくれ。大森林はもう大丈夫だからって」
「わかった」
 ルキアはまたヨシュアを見た。正確には、ボーン・ドラゴンから受けた傷の跡を。札の起動に集中していたとはいえ、ルキアの位置からもあれは致命傷に見えたのだ。
 服の破れから覗く肌は、うっすらと異質な物を浮かび上がらせていた。ルキアの脳裏に、ゆっくりとある記憶が浮かぶ。
(………白金色の……鱗………)
 ルキアの視線に気がついて、ヨシュアは破れ目をあわせるように服をつかんだ。
「………竜なんだ………」
 茫然とルキアは呟いた。ヨシュアはバレてしまったな、と苦笑を浮かべて頷いた。
「はい。形だけは、かろうじて人ですが………」
「あ、ごめん……」
 慌ててルキアは謝った。ヨシュアは構わない、と首を横に振る。
「いえ。……ですが、内密に願います。竜騎士も知らないことなので」
「………わかった」
 ルキアは神妙に頷いた。
 空から二匹の竜の声が降ってきた。ミリアを乗せたスラッシュに続いて、青い竜が降りてくる。
「お待たせしました、ヨシュア様」
「ご苦労」
 ヨシュアはメイヴの鞍に結んであったマントをまとった。
「それでは、我らはこれで……。レパント大統領によろしくお伝えください」
「あぁ、またな。ヨシュア、ミリア」
 竜に乗ったヨシュアに、ルキアは軽く手を上げて答えた。
「ご助力感謝いたします、ヨシュア殿、ミリア殿」
 バレリアは深く頭を下げた。ルビィは軽く目礼する。頷いてヨシュアはそれに返し、ミリアは頭を下げた。
 二匹の竜が大空へ舞い上がる。一度、ゆっくりと旋回すると、竜洞へ向けて飛んでいった。
「………“空を征す者”か………」
 ルキアの呟きがポツリと空に溶けた。
END




 ヨシュア篇です。どんだけルキアが出張ってても、ヨシュア篇なんです(>_<) いかがでしたでしょうか?

 ヨシュアの気持ちももう少し書けたかなぁ。なんだか中途半端な気もしてるんですが。でも、二百年以上も生きてきたのだから、もう心に荒波が立つこともないかしら、とも思ったり。
 ところで、“竜の紋章”はどちらの手に宿ってるんでしょう? 小説版では左手だったような気もしたんですが、思い出せなかったので無難に右にしてしまいました。間違ってたら修正します。

 ミリアがちっともクールじゃなくてすみません!(>_<) いつも冷静さを失わない人なんでしょうが、うちではヨシュアが絡むと箍が外れるみたいです。
 バレリアももう少し活躍させたかった。コーネルが起動できなかった“守りの天蓋の札”を武闘派のバレリアに起動できるのか、というツッコミは受け付けてません(;'-') アレンやグレンシールを見習って、そこそこ魔法も使えたんじゃないかなぁ、とはマナの妄想(笑) 『2』では結局、彼女を選択しませんでしたが、好きなキャラです。解放戦争中、ルキアのお気に入りでした。が、あくまでもプラトニック!(笑)