ハイランド王国に都市同盟を併呑することは不可能だ、というのがトラン共和国首脳部とルキアの共通の見解だった。このデュナンの大地に二国があることは、もはや無理であるということも。
 トラン共和国はデュナンを征するのは都市同盟である、と判断したのである。
 団結力に乏しかったジョウストン都市同盟であったが、いまやゴクウのもと、かつてなかったほどの強固な意志で結ばれている。ルカに蹂躙されたとはいえ、肥沃な大地と豊富な資源もはるかにハイランドを上まわる。そして、ゴクウの選んだ王道の政策。時間はかかるが、それだけの時間を稼げるとトラン首脳部は判断し、協力を承諾したのである。
 一方、ハイランド王国の場合、ルカのただひたすらの破壊という目的であれば、都市同盟を無人の荒野に変えることはできたかもしれない。“獣の紋章”の力を借りることによって。
 だが、破壊するのと自国の支配下に置くのとではわけが違う。ルカが破れた時点で、ハイランドは手を退くべきだったのである。ルカが強いた無茶な進軍は、王国の食糧事情に破綻をもたらした。占領下にあるミューズが都市同盟一の穀倉地帯であるとはいえ、ルカが肝心の働き手をことごとく虐殺してしまったあとである。
 また、新王が覇道を歩むのになんの躊躇いも見せなければ、違った結末になっていただろう。だが、ジョウイは最後の詰めで、覇道を歩むことを止めてしまった。
 ハイランド王国の現状と、ジョウイの非情になりきれない性格。それを鑑みて、レオンはハイランドに勝機あり、と思ったのであろうか。
 ルキアの出した答えは、否である。ならば何故、レオンはジョウイに力を貸したのか。確証の持てなかった答えは、いま此処で確信に変わった。

 ルキアはゆっくりと口を動かした。
それほどまでに、紋章が憎いか?
 その言葉は、ジョウイたちには届かなかった。ただ、レオンの耳にのみ響く。目に見えて、レオンの身体が震えた。
 レオンにも、この戦争が都市同盟に有利であることがわかっていた。ただ、時間がかかりすぎる。圧倒的な軍事力で、ハイランド王国が早々に勝利を収めたのなら、それもまた良し。だが、長期戦になるのなら、都市同盟の結束がより強固になるよう、ハイランドを動かせば良い。
 ただ一つだけ、レオンにとって気がかりだったのはルキアの存在である。忽然と行方を眩ませたかつての主君。自分と似たような境遇である、真の紋章の継承者である二人の少年のどちらかに味方することは、ないとは言い切れなかった。九割方、ルキアと再び相見えることはないと思っていたが、どうせなら都市同盟に味方してくれたほうが良い。そこで、レオンはかつての敵、ユーバーと接触した。ハイランド王国にユーバーがいる限り、ルキアがジョウイに味方することは絶対に有り得ない。
 そして、レオンの狙い通りに事は進んでいる。
「…………。そうだとしたら、あなたはどうするのです……?」
 拳を握りしめ、レオンは訊いた。ルキアは軽く肩をすくめた。
「別に。どうもしない。お前の思惑通りになったのは癪に障るけど、それは結果であって、私が選んだことには変わりないわけだしな」
 だが、ふと思いついたように、また微笑む。
「あぁ、でも、いま此処で皇王を討って、“門番の娘”が慌てふためく様を見るのも一興かな」
 挑戦的な笑みに、シードとクルガンは剣に手を置いた。二人を見やって、ルキアはほんのわずか憐れむように息を吐いた。
「冗談だよ。言ったろ、“守護する者”を憐れんで此処まで来たんだって。彼はいまでもお前の死なんか、これっぽっちも望んじゃいない」
 そして、胸の内で付け加える。蠱惑的に捨てがたい案ではあったけれど、と。
 ジョウイの表情が苦悩に歪むのを冷ややかに見たあと、ルキアは大きく息を吐き出した。そろそろ、体力の限界だ。最後にもう一言、言いたいことを言っておくことにする。
「これほどまでに穢れを浴びてしまっては、もはや“誇り高き者”はハイランド王国にはいられないだろう。お前は、その罪に耐えられるか……?」
 ジョウイがなにか言うより早く、ルキアは指笛を吹いた。その鋭い音に応えるように、大広間を煙幕が覆う。
「ま、待ってくれ! 僕はまだ……!!」
 煙を吸いこんでしまい、ジョウイは激しく咳きこんだ。シードとクルガンはすでにジョウイを庇うようにして、剣を抜き身構えていた。
 ルキアは煙幕が張られるのと同時に、ずっと獣の隣りに佇んでいたピリカのもとへ駆けよった。ここまで煙は届いていない。
「ピリカ、私はこれで帰るから」
「……気をつけて、ルキア様」
 ピリカからマントを受け取って、ルキアは一振りで身にまとう。
「元気でな、ピリカ」
「あの、また、会える?」
 思いがけない言葉に、ルキアは目を瞠った。だが、すぐににこりと笑みを返す。
「巫女がそう願ってくれるなら、いつか、また」
 そして、片膝をつくと、いつかのようにピリカの右手の甲に口づけた。面映ゆそうに笑って、ピリカはルキアの額にキスをする。
「無事にお家に帰れるように、お呪いだよ」
「ありがとう」
「我が君、お急ぎください」
 痺れを切らしたカゲが姿を現した。
「いま行く。またな、ピリカ」
「うん、またね」
 ルキアはカゲのあとを追って、さらに奥へと行ってしまった。ピリカはそれを手を振って見送る。
 そして、じっと二人のやりとりを見下ろしていた獣を見上げた。
「お願い。いまはまだ、眠っていて」
 巫女の願いに応えるように、獣は二つの頭を前足にのせて目を閉じ、やがてその姿はにじむように消えた。
 その頃になると煙もだいぶ薄くなり、ジョウイたちの姿もぼんやりと見えるようになっていた。ピリカはシードのもとへ真っ直ぐ歩いていった。
「ピリカ! 奴はどうした!?」
「疲れたから、もう帰るって」
「なんだとー!」
 いきりたつシードに、ピリカは困ったように笑う。
「……ピリカ、彼は……」
 茫然とジョウイは呟いた。だが、キュッと唇を引き結んだピリカの表情を見て、ジョウイは深く追求することを諦める。
「……ジョウイお兄ちゃん、もうあの子に力を使わなくても良いからね」
 そう切り返されて、玉座へ目を向けた。
「………そうみたいだね」
 もうシードとクルガンには見えないだろうが、ひとまず微睡みの中にある“獣の紋章”を確認して、ジョウイの口から安堵の溜め息が零れた。それに、先ほど言われたように、体調がすこぶる良い。代わりに、言葉の刺がいまも胸に痛いのだが。
「ところで、軍師殿は……?」
 シードの言うとおり、いつのまにかレオンの姿はなかった。
「………おじちゃん、気持ち悪くなっちゃったんじゃないのかな。血の臭いが酷いから……」
 ピリカに言われて、三人はようやくたちこめる血の臭いに気がついた。むせかえりそうになり、シードはピリカを抱き上げて早々に扉へ向かう。
「こんなところ、早く出るぞ、ピリカ」
「うん、シードお兄ちゃん」
 ピリカは嬉しそうにシードにしがみついた。ジョウイも扉へ向かい、クルガンがあとに続く。
「恐らく、広間の外に待機させていた兵を城外の捜索へ出したのでしょう」
 クルガンの言葉に、ジョウイは苦笑する。
「あぁ、わかってるよ」
 重々しい響きとともに扉は閉じられ、外から鍵がかけられた。

「まったく、無茶も大概にしてくだされ」
 馬上で、カゲは愚痴を零した。その前には、ぐったりした様子のルキアが、カゲにもたれかかってすわっている。
「そうだな。ちょっと無理しすぎたかも……」
「それがしの仕事は退路の確保であって、あなたをトランへ送り届けることではありませんでしたぞ」
「わかってる。あとで、追加料金、払うから………。それから、デュナンまでで良いよ」
 気分が悪そうに、顔をしかめてルキアは言う。
「トランまで、保ちそうにない」
「……デュナン湖の梁山(リアンシャン)城に、あなたを浄められる者がいるのですか?」
 カゲは声音を一変させた。
「ルックがいるから……」
「どれだけ急いでも、数日はかかりますぞ」
「それくらいは大丈夫。“優しさの雫札”も持ってるから」
「では、しばし耐えてくだされ」
 カゲは馬に鞭を入れた。
 金で結ばれた主従関係とはいえ、ルキアの深い瞳に魅入られたのはカゲも同じである。どんなことをしても、死なせる気はなかった。


 デュナン湖の梁山城は、ミューズ奪還作戦失敗の事後処理にいまだ追われていた。
 だが、“約束の石版”前には、面倒な事務仕事を有能な副将に押しつけた美貌の風使いが、いつも通りに佇んでいた。
 その目の前に、降って湧いたようにカゲが現れた。声こそあげなかったものの、さすがのルックも驚いて後退ったほど。
「着きました」
 カゲは背中に負っていた少年に声をかけた。おぼつかない足取りで降り立った少年の顔を見て、ルックは再び目を瞠った。
「ルキア!?」
「ルック」
 ルキアはルックを見て、花のように笑った。そのまま、ルックの胸に倒れこむ。
「ちょ、ちょっと……うわ……!」
 支えきれずに、ルックはルキアを抱えたまま尻餅をついてしまった。
「契約はこれで終了です」
「……追加料金は……?」
 ルックに抱きついたまま、ルキアはカゲを見上げた。
「附けておきます」
 カゲの答えに、ルキアは喉の奥で笑った。
「高くつきそー」
「無論」
「……ありがと、カゲ。助かったよ」
「…………。それがしは、契約を果たしたまで」
 そう言って、カゲの姿がかき消えた。それを見送って、力が抜けたようにルキアはルックにもたれかかる。
「………ちょっと、重いよ」
「うん、わかってるんだけど、もう動けない」
「君ねぇ……!」
「此処でキスされたくなかったら、もうちょっとこのままでいさせてくれ」
「…………。動けないんじゃなかったの」
 ほんのわずか頬を赤らめて、ルックは揚げ足を取った。返ってくる答えは、なんとなく予測がつくけれど。
「それとこれとは別」
 悪戯っぽく笑って、ルキアはやはりそう言った。
 諦めたように溜め息を吐いて、ルックは石版にもたれかかった。ルキアは幸せそうに微笑んで、目を閉じた。
END






 お疲れ様でした。外伝話、“獣の紋章”篇でした。いかがでしたでしょう?(ドキドキ・^^;)
 前サイトでお披露目した時のタイトルには『姫』はついてなかったんですが、今回プラス。某アニメのプリンセス・メイデンちゃんのせいなのを懺悔しておきます(;'-')

 この話が、最初はジョウイの話で書かれてたなんて、嘘みたいですね(爆)
 大広間での会話シーンが思い浮かんで話を練っていたんですが、ジョウイ篇にするにはあまりにも可哀想になったので、彼には別の話を用意しました。それなら、この話はもうルキアを全面に出したい!って思って、前半のシーンをプラス。

 もはや私にも、これはルキアの言葉なのか、“ソウルイーター”の言葉なのか判別ついていません(;'-') 『50の質問』でも言わせましたが、すでにルキアの一部。ていうか、思考回路が同じなのデス、彼らは。う〜ん、でもやっぱり、紋章と会話してる時はやっぱり“ソウルイーター”が喋ってるのかな・・・。

 久々に、この話のあとがき見て思い出したんですが(初稿2002年・^^;)、オフィシャルのレオンの思惑にどうしても納得いかなかったことも、この話を書いた動機でした。レオンは最初から、ハイランド王国を勝たす気なんてさらさらなかった。と、私は思っています。で、その補足が『軍学者の叛意』。なので、まだ未定だけど、アルベルトもその思考で動かして話を書きたいと思っています。
 マッシュなら気づいただろうけど、シュウにはわからなかったって感じかな。そうだな、あと何十年も経って、シュウが自分の人生を回顧した時に、もしかしたら・・・って思うことになるのかも。

 ピリカについて。
 嫌いな人も多いみたいなんですが(当時の話。いまはどうなんかな?)、私はそうでもないです。だけど、よくも此処まででっち上げましたねって感じで、すみません(>_<)
 どうしてこんなに妄想がふくらんだかと言えば、『ピリカ』がアイヌ語で『美しい』という意味だと知ったからなのでした。オフィシャルがアイヌ語から取ったのかまでは知りませんが、私は萌えました(笑)
 あの祠はハーンとゲンカクの時代にできあがったっぽいですが、my設定ではず〜っと昔からあって、マークスさんの家が中心になってトトの村が代々護ってきたということになってます。トトの村は全滅してしまったので、ピリカが祭祀を司れる最後の生き残り。レオナさんもトトの村出身だけど、そういう力はなくて・・・と、まぁ、いろいろと妄想しました(;'-')
 そうそう、ピリカが歌っていたのは、『
Amazing Grace』です。

 シードとクルガンに、あまり見せ場を作ってやれなくてごめんなさいです(≧△≦) 紋章がメインのお話だからね、ね(誤魔化し・^^;)
 クルガンの言葉遣いには悩みました。『2』ではわりと乱暴な口調もあるのだけど、『外伝』ではほとんど丁寧語なんですよね。ナッシュにでさえ。無難にまとめたつもりですが、どうでしょう?(;'-')
 シードは書きやすかったかな。彼はシスコン属性持ち(笑)
 でも、この二人について考えるとほんと悲しくなっちゃいます(T_T)

 長い話の上、此処までおつきあいくださいましてありがとうございますm(_ _)m