紋章に魅入られた子供たち

創世の片割れ・守護する者 篇




 その人に初めて会ったとき、ゴクウは何故か悪寒が走った。
 祠の内部、薄暗い洞窟の中のせいかとも思ったが、結局、気のせいではなかったとあとになって思う。
 ジョウイは目の前にぶらさがった強大な力に気をとられ、その裏に潜むものに気がついていない。いつも冷静なジョウイが………。それほどまでに、彼らに降りかかった災厄は凄惨なものだったのだ。
 右の洞窟を選んで、走っていってしまったジョウイの背を、ゴクウはとても悲しい気分で見送った。
 だが、目の前に立つ女に、弱味を見せるのだけは死んでもイヤだった。
「『力』が必要ないなら、帰してくれるって言わなかったっけ、オバサン」
 かつてないほどの怒りをこめて、ゴクウはレックナートと名乗った女を睨みつけた。だが、レックナートは表情一つ変えずに、ゴクウの視線を受け止める。
「ジョウイは『力』を望んでいますよ」
「こんな異常な事態になってなかったら、ジョウイは己の手に余る『力』なんか欲しがっていない!」
「平時であれば、私も紋章に呼ばれなどしません」
「僕たちは選ばれた生け贄っていうわけ!?」
「…………。なんと言われようと、どれだけ憎まれようと、私の意志が変わらないことは覚えておいてください。私は、この紋章に取りこまれたときから、心に誓ったのです。大勢を救うためなら、必要最小限の人数を犠牲にすることは厭わない、と」
 ゴクウは両の拳をきつく握りしめた。手袋をしていなかったら、おそらく自分の爪で手のひらを傷つけていただろう。
 ギリッと歯噛みしたあと、ゴクウは左の洞窟へ駆けていった。
 無表情にそれを見送ったレックナートの口許が、微かに震える。
「……姉様………姉様…………」
 うわごとのように呟かれた言葉が、祠の壁に吸いこまれて消えた。


「貴様……“創世の片割れ”ではないか………」
 ゴクウをそう呼んで、嫌なことを思い出させたのは星辰剣だった。
 風の洞窟を抜け、現状の説明とパーティメンバーをビクトールが紹介すると、星辰剣はゴクウを見て驚きの声をあげた。
「………“創世の片割れ”って………」
 顔色を変えたゴクウに、ビクトールが慌てる。ダッシュでみんなから離れると、星辰剣を目の前に持ってきた。
「おい、星辰剣、口は災いの元って言葉を知ってるか?」
「貴様からそんな機転の効いた諺が聞けるとは、思ってもみなかったな」
「うるせぇ……! とにかく、俺は三年前の二の舞なんかゴメンだぜ」
 星辰剣は鼻で笑った。
「フン、あの時“生死を統べる者”に殺されかけたのは貴様であって、私には毛ほどの傷もつきはしなかった」
「だから、俺はまだ死にたくねぇんだ。ネクロードのゲス野郎を倒す前に死ぬ羽目になったら、その時はお前も道連れだ」
 本気のビクトールの声音に、星辰剣も真面目に返す。
「覚えておく」
「なに、二人で話してるのさ?」
「うわあぁ!!」
 後ろから顔を覗かせたのは、ゴクウだった。ビクトールは飛び上がって驚いている。
「ゴ、ゴクウ、驚かすなよ」
「ごめん。……ねぇ、星辰剣、“創世の片割れ”って、“輝く盾の紋章”のこと……?」
 星辰剣はちらりとビクトールを見上げた。諦めたように溜め息を吐いて、ビクトールは軽く頷いた。
「……そうだ」
「………“黒き刃の紋章”もそうなるのかな」
「無論。……もしくは、盾は“守護する者”、刃は“破壊する者”と我らは呼ぶ」
「そうなんだ………」
 ゴクウは自分の右手を見下ろした。
「………“破壊する者”は何処に……?」
「わからない………。……でも、たぶん……ハイランドかな………。僕の親友が、宿してるはずなんだけどね………」
 溜め息とともに零れた言葉を聞いて、星辰剣は「やはり……」という言葉をかろうじて飲みこんだ。
 相手を倒すことしか考えられない、悲劇の双子。宿主の意志などお構いなしだ。
「こんな『力』が手に入ってしまったから、ジョウイは………」
 そして、宿主の運命を狂わせる。
「お前がいるじゃないか、あいつには……」
 ゴクウの頭に、ビクトールが手を置いた。
「その『力』を客観的に見ることができるお前なら、紋章なんかに振りまわされることもないさ。ジョウイの目を覚まさせることだって、できるだろうよ」
「うん……そうだね……」
 泣き笑いの表情で、ゴクウは顔を上げた。
「ありがと。……行こう、いまはネクロードを倒すことが先だよね」
「おう、そうとも」
 二人は、先を行くみんなのもとへ戻った。そんな二人を見上げて、星辰剣はつくづく思う。
(やはり、ビクトールを選んだのは正解だったな。面白い奴ばかりが集まってくる)


 その後、ゴクウをリーダーに迎えた幻影(ホアイン)軍は、ついにマチルダ騎士団領を解放した。
 だが、ロックアックス城での戦いは熾烈を極め、その最中、ナナミがゴクウを庇って命を落とした。ゴクウも過労で倒れ、勝利したにもかかわらず、軍の士気はいままでになく落ちこんでいる。この事態に、正軍師は頭を抱えていることだろう。
 その夜、ルックは重い足取りで、最上階にあるゴクウの部屋へ向かった。転移魔法もエレベーターも使わずわざわざ階段で上を目指しているのは、どんな理由であれ、気が重いため。少しでも、部屋につく時間を引き延ばしたいという悪足掻きだった。
 ゴクウはいまだ、己にかけられた呪いの真実を理解していなかった。いまを戦い抜くことに精一杯で、自分のことになど気をまわしていられる状態でなかったせいもある。
 だが、それでは、『最後の選択』を誤りかねない。それだけは避けて欲しかった。だから、ルックは重い腰を上げた。彼なりに、幻影軍もそのリーダーも気に入っていたので。
 こんな大変な時期ではあったけれど、これを逃したら、ゴクウにはもはや考える時間すらないであろう。
 最上階について、少し乱れた息が落ち着くのを待つ。ゴクウの部屋へ向かうと、見張りの兵士たちが驚きの表情でルックを見た。それに冷たい一瞥を返すと、兵士たちは慌てて視線を逸らす。軽く息を吐き出して、ルックは短い階段を上った。
 扉をノックすると、中から返事がある。
 ルックが部屋へ入ると、ベッドで身体を起こしていたゴクウも、その横の椅子にすわっていたアイリも、驚いた様子でルックを見つめた。
「どうしたのさ、ルック? もしかして、初めてじゃないか、此処に来てくれたのって」
「もしかしなくても初めてだよ」
 椅子を持ってくるのも億劫で、ルックはベッドの端に腰をおろした。
「……それで……? ただ見舞いに来てくれたわけでも、なさそうだけど……」
「…………“始まりの紋章”について、君に伝えにきた。どうも君は、育ての親からなにも聞かされていないようだから………」
 ゴクウの表情が強張ったのがわかる。この場の空気が変わったことに居たたまれなくなって、アイリは腰を浮かした。
「あたし、席を外そうか……」
 ルックはそれを、手を上げて止めた。
「もし、ゴクウのことを気にかけてくれるなら、一緒に聞いて欲しい。ナナミがいないいま、幻影軍のリーダーではなく、ゴクウ個人を気にかけてくれるのは、君くらいしかいないからね。………ただ、真の紋章の呪わしさに耐えられないと思うなら、席を外してくれたほうが良い」
 アイリはほんのわずか考えたようだが、椅子にすわりなおすと、ルックの醒めた視線を真っ直ぐに受け止めた。
「あたしも一緒に聞くよ」
 軽く溜め息を吐いて、ルックはゴクウを見た。
「創世の物語は読んだことがあるかい?」
「うん……」
「闇が孤独に耐えかねて流した涙。それが剣と盾に分かれて、相争いともに果てた。そのかけらが、空と大地の始まり………」
 淡々と語られる言葉に、ゴクウはずっと疑問に思っていたことの答えをもらったような気がした。
「“輝く盾の紋章”と“黒き刃の紋章”は、相争うものなんだね……」
「そうだよ……」
「それは、紋章の意志なんだね」
「うん……。……その二つの紋章は、相手が滅びるまで戦い続け、生き残った者が一つにすることができる。そうして、“27の真の紋章”である“始まりの紋章”を手に入れることになるんだよ、ゴクウ………」
 ゴクウは大きな溜め息を吐いて、自分の右手を見つめた。
「………あぁ、やっぱり、これは半分でしかないんだ………」
「問題は、そこなんだ。完全な形でないから、不老の呪いはない。でも不足の力を、宿主の命で賄ってるんだ……」
 感情を差し挟まずに、淡々と語られる言葉。
「俺の命を削り取ってるってことか……」
 ルックは頷くのみ。
「じゃあ、いままで、ゴクウがよく倒れたり死んだように眠ってしまったりしてたのは、紋章の副作用だっていうのかい?」
 アイリの問いにも、ルックは頷いて答えただけだった。
「そんな………」
 愕然とするアイリとは反対に、ゴクウは自分でも不思議なほど落ち着いていた。
(………気持ちにも、底ってあるもんだな……)
 これ以上ないくらいに沈んだ気持ちは、紋章の真実を聞かされてもさほど変化はない。ルックもそれを狙って、いまこの時期に話をしに来たのだろう。
 ただ、こみ上げる怒りは、あの時とまったく同じだった。
「…………ジョウイは、知ってるのかな?」
「たぶんね。あっちには、前の宿主のハーン・カニンガムがいるから」
「じゃあ、ジョウイは、紋章の力をできるだけ使わないようにしてるよね……?」
 此処に来て、初めてルックの無表情が崩れ、ほんの少し同情の色を見せた。
「………それは、どうかな……。ハイランドには“獣の紋章”がある。ほとんど目覚めかけていたと思う紋章が、いまもなお沈黙しているのは、“黒き刃の紋章”のおかげなんじゃないのかな……」
 ゴクウは唇を噛みしめ、腕を伸ばして背後の壁に拳を叩きつけた。
「こうなることを、見越していたんだ、あのオバサンは……!」
 「オバサン」が誰のことを指しているのか、ルックはすぐにわからなかった。思い至って、“約束の石版”を携えて現れたレックナートを、ゴクウが親の仇を見るように睨んでいたことを思い出す。
「……それはないよ。レックナート様は番人でしかないからね」
「どうだか……」
「……では、ジョウイがハイランドについたのは、彼が選んだことではないと……?」
 淡々と訊かれて、ゴクウは言葉に詰まる。
「選択肢はいくつもなかったけれど、いまのこの状況はみんながそれぞれの意志で選んだ結果だよ」
「………わかってる。……でも、この紋章は押しつけられたということには、変わりない」
「そうだね……。真の紋章は、宿主の意志なんかお構いなしだから……」
「じゃあ、どうして、あの人はなにもしない! 真の紋章を持ちながら、未来を予見できながら、どうして、あの人が動かない!!」
 珍しく声を荒げるゴクウを、ルックは哀しそうに見つめた。
それが、あの人にかけられた呪いだ
 ゴクウは一瞬、泣きそうな表情を見せた。だが、口許をキュッとひき結んで、うつむいただけ。
「…………ごめん。八つ当たりだね………」
「良いよ。却って、安心した。……君はあまり感情を表に出さないから」
「ルキアはどうだった?」
「彼は出しすぎだ」
 即答で返ってきて、ゴクウはやんわりと笑った。
「でも、感情で本心を隠すこともできるよね」
 よく見ている、とルックは軽く溜め息を吐いた。
「だけど、彼の涙だけは、いつも真実(ほんとう)だよ」
 ささやくような言葉だったが、ゴクウにもアイリにも届いていた。
「……じゃあ、僕はこれで」
「うん、ありがとう、ルック」
 扉の前で、ルックはゴクウを振り返った。
「………君が、望む道を選べるように、願うよ……」
「……ありがとう。………その時までには、俺の答えをちゃんと出しておくよ」
 ルックは行きと同じように、階段を使って下りていった。結局、ゴクウは涙を見せなかったな、と思いながら。

「ゴクウ、もう眠りなよ……。疲れただろう」
 いままで黙っていたアイリが促した。
「……そうだね」
 ゴクウは大人しく、ベッドに横になった。
「難しいことはさ、明日、少しでも元気になってから考えれば良いよ」
「うん……そうする……」
 アイリのほうを向いて横になり、ゴクウはシーツからちょっと手を出した。
「ね、アイリ……」
「なんだい?」
「手を握っててくれないか?」
 いままで見たことのない縋るような視線に、アイリは胸が締めつけられる思いがする。
「寝つくまでで良いから………」
 本当に泣きたいのはゴクウのほうなんだ、とアイリはなんとか涙を堪えて笑顔を見せた。そして、差し出された手を優しく包みこむ。
「良いよ。今夜は特別に、ずっと側にいてあげるよ。手も握っててあげる。悪い夢を見そうになったら、ちゃんと起こしてあげる。……だから、ゴクウ、もうおやすみ………」
 まるで子供に子守歌を聞かせるように、アイリはささやいた。その優しい声に、ゴクウは安心したように目を閉じる。
「うん……おやすみ、アイリ………」
 なんて長くて、つらい一日だっただろう。
 明日、元気になれるかどうか、ゴクウにはいまひとつ自信がなかったが、ともかくいまは、眠りの海に静かに沈んでいった。
END






 タイムテーブルの都合で復刊がこんな遅くなりましたが、実はこれが『紋章に魅入られた子供たち』の第一作でした。いかがでしたでしょうか?

 『幻水2』のバッドエンドを見て思ったのが、実はこの話になります。えぇ、私、怒り心頭でしたとも、レックナートに。『力なんて必要ない』を選んだ人なので(それではゲームが始まらない、というのはこの際おいといて)。『1』ではむしろ好きだったんですがねぇ・・・。他の話でだいたい語り尽くしておりますが、うちとこのレックナートは“門の紋章”の操り人形です。だから、どんな非情なことも平気。だから、あの台詞。

 アイリが書けたのが嬉しかった話でもあります(*^_^*)