夢の通ひ路
ナナミの死によって受けた心の傷と過労で倒れたゴクウを見舞ったあと、ルックは階段を下りながら、三年前のことを思い出していた。
いま、彼はどうしているだろう………。
ルックは無性に会いたくなった。階段の踊り場で、紋章を起動させる。
「我が“真なる風の紋章”よ、僕を、彼のもとへ運べ」
ただ、彼のことだけを想った。
風が散って、ルックは地に足がついていないことに気づく。しまった、と思う間もあらばこそ、背中から下へ落ちた。
「!!! ゲホッ! ゴホゴホッ!」
「ルキア……?」
下にルキアがいるとわかって、慌てて退こうとしたが、シーツにくるまれるようにして抱きしめられた。ルキアは激しく咳きこみながら、ルックに縋りついてくる。抵抗しかけたルックは、ルキアの咳が止まるのを待った。
シーツから顔を出して、あたりを見渡す。マクドール家のルキアの部屋であることは狙い通り。ただ、ベッドの真上に転移してしまい、運悪くすでに休んでいたルキアの上に落ちてしまったようだ。
「大丈夫かい?」
「なわけ、ないだろ」
肩で息をしながら、ルキアは答えた。大きく深呼吸して、ルックの背中に額をつける。
「はぁ、死ぬかと思った………」
「…………ごめん」
殊勝な言葉を聞いて、ルキアはすぐに機嫌を良くした。シーツごと背中から抱えこんだまま、尋ねる。
「なにかあったのか? 転移に失敗するほど、慌てて会いに来てくれるなんてさ」
「慌ててたわけじゃないけど………」
ついでにいうなら、転移魔法も失敗したわけではない。“風”は正確に、ルックをルキアのもとへ運んでくれたのだから。ただ、正確すぎただけである。
「けど……?」
「……ちょっと、人恋しくなっただけ……」
いつもの冷たくはぐらかす声ではない。ルキアは腕に力をこめた。
「…………なにがあった?」
ルキアの声が真剣味を帯びる。
ルックは躊躇う。ルキアに、“死”について触れても良いものかどうか。
「ルック」
「………ナナミが死んだ」
ルキアの身体が強張るのがわかった。
「嘘………」
「他人の生き死にを冗談にするほど、バカじゃないよ」
「…………」
ルキアは無言で、右手をかかげて眺めた。
「………なに、考えてるの?」
沈黙に耐えきれなくなって、ルックは訊いた。
「うん……ゴクウは、大泣きしたろうなって……」
「泣かないんだ」
「え……?」
しっかりと包んでくれるルキアの左腕に、ルックは縋った。
「ゴクウが、泣かないんだ。………それが、余計に、傷ましい………」
「……優秀なリーダーじゃないか」
「その前に、一人の人間だよ」
「泣かないのは、ゴクウらしくない?」
「らしいとか、らしくないとかじゃなくて……」
「うん、わかってる」
ルキアはルックの耳許にささやいた。
「どうだか……」
触れる息がくすぐったくて、ルックは身をよじった。ルキアはそれに乗じて、ルックを自分のほうへ向かせる。
離れようとするルックを逃さず、唇を触れあわせた。ついばむように触れてくるルキアの顔を、ルックは手で押しのける。
「そこまでして欲しいなんて、言ってない」
憤然として言うと、ルキアは人の悪い笑みを浮かべた。
「ベッドの上に落ちてきて、そんなこと言うのか?」
左腕だけでがっちりとルックを抱きこんで、右手で顔に押しつけられた手をつかむ。頬を紅潮させたルックを横目で見ながら、華奢な指先に口づけた。
指先から走る軽い戦慄に、ルックは思わず目を閉じる。と、急に腕を解かれ、身体をくるんでいたシーツが広げられた。離れてしまった体温が恋しくて、ルックは目を開けた。
ルキアの穏やかな笑みは、変わらず間近にあった。
「おいで」
ルックはシーツの中へ引きこまれた。
素肌の肩に冷えた空気があたって、ルックは目を覚ました。窓から白々とした光が入ってきて、部屋の中はぼんやりと薄暗い。
(あぁ、夜明け前か………)
気怠そうに寝返りをうてば、隣にいるはずのルキアの姿がない。視線を巡らすと、出窓にルキアがすわっていた。
横枠に背を預け、右足も出窓に載せている。曲げた膝の上に右腕を置いて、自分の右手を眺めていた。
「………それのせいじゃないよ」
ポツリと呟くと、ルキアがこちらを向いた。
「うん……そうじゃなくて、別のことを考えてた………」
仄かな光を背にされたので、どんな表情なのかわからなくなる。加えて、真意の読みとれない声音でささやくように返されて、ルックは眉をひそめた。
「………ゴクウのこと、見舞ってあげてよ……」
ルキアは口の端を持ち上げたようだった。
「珍しいこと言うな。こんな時は、そっとしておいたほうが良い場合もあるんじゃないか?」
「此処まできて、都市同盟に負けられたら困るんだよ」
ルキアが音もたてずに、窓辺から降り立った。まるで猫のように無駄のない動きで、ベッドへ近づく。
(……いや、猫より質が悪い………。……まるで、豹のようだ……)
ルックはそっと、枕の下に手を入れた。
枕許に両手をついて、ルキアは身を屈めた。意味ありげに微笑んで、ささやく。
「ハルモニアの勢力圏が、拡大するのは困る……?」
「わかってるんなら……」
枕の下にあるサークレットをつかんで、ルックはあいた手をルキアに向けた。
「さっさと行ってこい!」
“真の風の紋章”が起動する。
「え!? ちょ、ちょっと……!」
風に取りこまれて、ルキアは消えてしまった。
たぶん着地に失敗しているだろうが、ルキアには良い薬だ。ルックはシーツをかぶり直して、ベッドに丸くなった。
いるはずの彼がいないこのベッドでは、どうせろくに眠れやしない。頃合いをみて迎えにいけば良い、とルックは目を閉じた。
唐突にルックは目を覚ました。一瞬、自分が何処にいるのかわからなくなる。
(……そうか………)
この違和感は、ルキアがいないせい。
思うさま求めあったあとに彼がいないと、いつも眠りは浅くなる。窓から入ってくる光は、ほんの少し強くなっているだけだった。
ルックは起き上がると、サイドボードに畳まれていた自分の服を着こんだ。最後に、枕の下から取り出したサークレットをつける。
今度は失敗しないように注意して、ルキアの気配を辿った。
身体を包む風が散り出すのと同時に、ルキアとゴクウの声が聞こえた。
「ルックに言ってやってくれ。私は飛ばされただけだから」
「うん、ルックにもあとで言っておくよ」
「別に良いよ、そんなこと」
「ルック……!」
突然、割り込んだ声に、二人が同時に振り返った。ルキアは軽く息を吐く。
「まだ、部屋で寝ているのかと思ってた」
「そういうわけにはいかないだろ。僕が無理に頼んだんだから……。ちゃんとグレッグミンスターまで送るよ」
そう言いながら、遠慮のないゴクウの視線が気に障って、ルックはゴクウを睨んだ。
「なに……?」
「え、べ、別になんでもないよ」
ゴクウは思わず後退る。
「………ゴクウ、私はこのまま、家までルックに転移してもらう」
ルキアの出した助け船に、ゴクウはすぐさま乗った。
「うん、わかったよ。……本当に、来てくれてありがとう……。また、必ず遊びに行くから」
「あぁ、待ってるよ」
「じゃあ、またね」
ひらひらと手を振って、ゴクウは屋上の階段を下りていった。
多少、いつものゴクウの表情に戻っていたことに、ルックは安堵の息を吐いた。
「そんなに心配しなくても、ゴクウなら大丈夫だよ」
微かに笑って、ルキアは言った。
「…………ありがと」
かろうじて聞きとれるくらいの小さな声で、ルックは礼を言った。ルキアはちゃんと聞き逃さず、軽く頷く。
「どういたしまして」
「……じゃあ、“風”に運ばせるよ」
紋章を起動させようとしたルックを、ルキアは怖いくらいに深い色の瞳で見つめた。
「ルック、ナナミは生きているよ」
「な……いま、なんて?」
集中力が途切れて、“風”が四方に散る。
「宿星が落ちたというのに、こいつが静かすぎるんだ」
ルキアは右手を軽く挙げた。
「“天猛星”の時とは大違い。………だから、ナナミは生きているよ」
ルックは、ロックアックス城突入前に戦死したキバ将軍のことを思い出した。
「……そのこと、ゴクウには………」
「言ってない。………ナナミも余程つらかったんだなって思ったから」
「つらい……!? そんなことで、逃げても良いっていうのかい!?」
「人それぞれだよ、ルック」
激昂するルックとは対照的に、ルキアは落ち着き払っている。
「それにね、一等身近な人たちが、紋章の力に巻きこまれて命を落とすよりは、このほうがずっと良いと私は思うんだ」
「…………。ルキア……それ……どういうこと…………」
ルキアは微かに笑うだけ。
なにか、とても恐ろしいことを聞いた気がする。ルックは眩暈を感じて、目を閉じた。それでも眩暈は酷くなるばかりで、支えが欲しくて手を伸ばした。
ルキアはその手を取る。そのまま、自分の腕の中にルックをおさめて、なだめるように背中を撫でた。
「……ルック、キスをちょうだい……。すごくすごく、甘いキス………」
何事もなかったように、ルキアは甘やかにささやいた。縋りつくようにルックはルキアの首に腕をまわし、ねだられるままに口づけた。
ただただ、請い願う。どうか君だけは、取りこまれたりしないで。望むなら、この身をあげるから。お願いだから、行かないで。
END
『黎明』でルキアがどうしてあんな登場の仕方をしたのか、解答篇でした。これ単独でも話の流れがわかるように、と努力はしてみましたが、いかがでしたでしょう?
タイトルは、困ったときの百人一首頼み・その2です(;'-')
住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ 藤原敏行朝臣
いまとなっては、はまりすぎて小っ恥ずかしい(≧△≦)
前サイト掲載時のあとがき見てみると、ラストが想定外でアップを延期していた模様(^_^;)
「ルキア、どうしてそんなこと言うの!?」って私が慌ててはどうにもなりません(爆) 『黎明』みたいな前向きさを目指してたって、マジか、私Σ(|||▽||| )
でも、一等書きたかったことはなんだったのか、いまでも覚えてます。皆様もおわかりですね('-'*)
もちろん、ルキアの上に落ちるルック!ですよ(≧∇≦)
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