問わず語り



 眠りにつく前、屋上で風と戯れるのはルックの習慣だった。決めた時間があるわけではないが、他人と会うことは滅多にない。
 今夜は、その珍しい夜だったようである。屋上には二つの影があった。
「・・・それが、彼からの伝言……」
 一つは、ルキア。
「…………そうかえ。あ奴は、笑っておったのじゃな……」
 もう一つは、シエラ。
 月明かりに浮かび上がるような白い衣装のシエラと、闇に溶けこむような黒い衣装のルキアは、とても対照的だった。
 塀にもたれてすわっていたルキアは、ルックに軽く笑いかけたあと、隣りに立ってこちらには背を向けているシエラを見上げた。
「生涯、忘れられない、笑顔だったよ」
 シエラは訝るようにルキアを見下ろし、気がついてルックに視線を寄越した。なにか言おうとして口を開いたが、手に持っていたグラスを口に運んで、言葉をワインと一緒に飲みこんでしまう。
 珍しい取りあわせに、ルックは首を傾げた。
「なに、してたの……?」
「シエラの思い出話を聞いてたんだ」
「……そう」
 ルックにはルキアが話していたように見えたが、敢えて追求はしなかった。
「ルックもテッドに会ったことがあるんだよ」
 ルキアはルックを手招きしながら言った。
「ほぉ……」
「………たった、二回きりだよ。それに、言葉を交わしたわけじゃない」
 ルキアの傍らに立ちながら、ルックは言葉の意味に気がついてシエラを見た。
「……あんたも、会ったことあるんだ………」
「………遠い昔じゃ………」
 シエラは遠くを眺めて、そう答えた。
「昔過ぎて、もう笑い顔しか思い出せぬ…………」
 吐息のように零れた言葉が消えぬうちに、今度はゴクウがひょっこりと現れた。
「話し声がすると思ったら、珍しい組みあわせだね」
「……うん、ちょっと思い出話をな………」
 相変わらずすわったままのルキアが、ひらひらとゴクウに手を振る。
 残り少なかったグラスの中身を、シエラはゆっくりと飲み干した。指先で唇の跡を消し、グラスをルキアへ返す。
「馳走になった。さすが、カナカンの銘酒じゃな」
「カナカンでも、滅多に飲めるものじゃないよ」
 返してもらったグラスに、ルキアは傍らに置いてあったワインを注ぐ。
「………さて、わらわは散歩にでも行こうかの」
 シエラは優雅な動作で、ひらりと屋上の塀の上に立った。ヴァンパイアの驚くべき運動能力に、ゴクウは目を瞠る。
「私は元気だからって、伝えてくれるかい、シエラ」
 ルキアの言葉に軽く微笑んで、シエラは塀の外へ身を躍らせた。ゴクウが慌てて塀に駆けより下を覗きこむと、優雅に滑空する大きな白い蝙蝠が城外へ飛んでいくのが見えた。
「……ビ、ビックリした〜」
 大きく安堵の息を吐いて、ゴクウはそのままずるずるとすわりこむ。
「………あのオババが、そう簡単にくたばるわけないだろ」
 小馬鹿にしたように見下ろしたルックに、ゴクウは頬を膨らませる。
「でも、心臓に悪いよ。あんな、躊躇いもなく身体ごと倒れられたら」
 ルキアが喉の奥で笑った。
「シエラはね、そんなゴクウの反応を見て楽しんでるんだよ」
「……結局、遊ばれてるわけね、俺は………」
「そこが、ゴクウの良いところさ」
 ガックリと肩を落としたゴクウの背を、ルキアは軽く叩いた。
「それ、褒め言葉?」
 疑いの眼差し。
「もちろん」
 にこりと返る極上の笑み。
 ゴクウは諦めたように溜め息を吐いた。
「………三人共通の思い出話ってなに?」
「これの前の持ち主を、三人とも知ってたってことさ」
 ひらひらと右手を振るルキア。ゴクウは申し訳なさそうに、目を伏せた。
「ごめん……」
「気にしなくて良いよ」
 ルキアの宿す“生と死を司る紋章”の前の持ち主が、テッドという名前で、ルキアにとってはかけがえのない人で、すでに亡くなっている、ということだけゴクウは知っていた。
「……シエラも、その人に会ってたんだ……」
「テッドも三百年以上、生きていたからな」
「そういう出会いもあるんだねぇ……」
「『出会う』なんて、億劫なだけだよ」
「ルック、冷たい」
 むくれるゴクウを、ルックは冷ややかに見下ろした。
 失ったことはあっても、奪われたことはない真っ直ぐな瞳。その時が来ても、ゴクウはこうして出会いを憧れることができるのだろうか。
 自分には関係ない、とルックは素っ気なく視線をそらした。
「出会いに別れはつきものだけれど、だからって誰とも記憶を共有しないのは淋しいよ」
「……そうだね、それは、哀しいことだね」
 ルキアはいつのまにか空にしたグラスを、ゴクウに持たせた。
「前向きなゴクウにも、特別に飲ませてあげるよ。カナカンでも滅多に飲めない、最高級のヴィンテージワイン」
「ありがとう」
 月明かりに煌めく液体が、芳醇な香りを漂わせてグラスに注がれる。ゴクウは、ゆっくり味わって飲んだ。
「美味しい……!」
 感嘆の声をあげるゴクウを、ルキアは満足げに見つめる。
「ごちそうさま、ルキア」
「どういたしまして」
 ワインを飲み干して、ゴクウはルキアにグラスを返した。
「じゃあ、俺はもう寝るよ。また明日も、会議があるんだ」
「そう……。おやすみ、ゴクウ」
「おやすみ、ルキア、ルック」
「……おやすみ」
 ゴクウは軽い足取りで、屋上を出ていった。
 月明かりの降り注ぐ音まで聞こえてきそうな、静けさになった。
「ルック、すわってくれよ」
 法衣の裾を軽く引っ張って、ルキアは言った。他に誰もいなくなったので、ルックは素直に隣にすわった。表情は、変わらず仏頂面ではあったけど。
「………さっきから、ずっとすわってたみたいだけど、えらいなら部屋に戻って休んだほうが良いんじゃないの」
 素っ気ない口調、でも優しい言葉。ルキアは嬉しそうに笑った。
「う〜ん、ちょっとまだな。でも、ルックと美味しいお酒があるから、もう少し起きていたいんだ」
「…………。バカ」
「真っ赤な顔で言われてもなぁ」
「塀の影になってるのに、どうしてそんなこと言えるのさ」
 ルキアはグラスにワインを注いで目の前に持ってくると、にっこりと極上の笑みを浮かべた。
「このワインが、綺麗なバーガンディー色だってわかるように、ルックの顔色だってちゃんとわかるさ」
 なにか言いかけて、結局、やりこめられるのだけなので、ルックはそっぽを向いた。ルキアはそんなルックを横目に見ながら、美味しそうにワインを飲んだ。
 空にしたグラスを、ルキアは差し出した。
「はい、ルック」
「……後ろ向きな僕にも、飲ませてくれるわけ?」
 根に持ってるなぁ、と乾いた笑いを浮かべてルキアは頷いた。
「ルックは後ろ向きじゃないよ。いま、みんなと記憶を共有してるだろ」
 ずいっと差し出されたグラスに、ルキアはワインを注ぐ。期待に満ちた目でルキアが見つめるので、ルックはその視線を気にしないように前を向いたまま飲んだ。
「どう……?」
「……美味しい……」
 不覚にも、このワインには素直に賞賛の言葉が出た。
「良かった」
 にこりとルキアは笑った。グラスを持つルックの手をつかんで、自分も飲む。
「ちょっと、まだ、僕が飲んでるんだよ」
「しょうがないだろ。グラス、一つしかないんだから」
「飲み終わるまで、待てないの」
「待てない」
 即答で返されて、ルックは盛大に溜め息を吐いた。
「こうやって、二人で飲もう。まだ半分以上、残ってるし、それに、明日の会議、どうせルックは出ないんだろ……?」
 あくまでもにこやかに、ルキアはボトルを掲げた。溜め息で、ルックは答えた。
END




 前サイトのキリ番『9999』をゲットされた砂雪様からのリクエスト、『坊ルクで、真の紋章持ちが絡んでくる話』でした。いかがでしたでしょう?
 またまた裏ネタオンパレードになりかけて、なんとか踏み留まりました。冒頭シーンはその名残ですね(;'-')
 “獣の紋章”の穢れを落としたその日の夜です。だから、ルキアの服装がいつもと違ってます。ワインはキャラバンの長からもらった物だったりします。
 バーガンディー色は暗い赤色です。フランス風に言うとブルゴーニュ色。つまりワイン・レッドのことなんですが、語感が好きなのでこの言い方をしてもらいました(笑) ちなみに今回の文字色もバーガンディー色です('-'*)

 リクエスト、ありがとうございました(*^_^*)