水蜜桃



 いよいよグレッグミンスターへの進軍を開始する前夜。ルックは珍しく、自分からルキアの部屋を訪れた。
 ルキアは寝るにはまだ早い時間だというのに、すでにベッドに横になっていた。
「あれ、珍しいな」
 ルックの姿を認めてゆっくりと起き上がる。
「………つらいなら、寝てても良いよ。そいつの様子を見に来ただけだから」
 目線でルキアの右手を示して、ルックは言った。ルキアは苦笑を返す。
「…………気づいてたんだ……」
「一応、僕も継承者だからね」
 枕に背を預け、ルキアはつらそうに息を吐き出した。
「右手の熱が全身にまわってきてるんだ……。………明日の朝までには、抑えこめるとは思うけど………」
 ぼんやりと淡く光る右手の紋章に、ルックは眉をひそめた。ルキアの右手側に椅子を持ってきてすわると、熱を帯びている手を包みこむ。その手のひんやりとした感触に、ルキアは気持ちよさそうに目を細めた。
「こんな事、初めてじゃないか……?」
 ルキアが右手に宿している“ソウルイーター”が、宿主の意志を無視して力を吐き出そうとしている。それを無理矢理ルキアが抑えこんでいるので、力が熱に変わって身体に不調をもたらしているのだった。
「……そうだな……。でも、原因に心当たりはある……」
 ルキアの言葉が終わらないうちに、扉をノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
「失礼しますよ、坊ちゃん」
 入ってきたのは、手にトレイを持ったグレミオだった。
「おや、ルック君も坊ちゃんのお見舞いに来てくれたんですか?」
 ルックがなにか言う前に、ルキアが凄い力で手を握りしめてきた。
「なにを持ってきてくれたんだ、グレミオ?」
 ルックの愛想が悪いことはグレミオも先刻承知なので、返事が返ってこないのを気にすることもなく、ルキアに盆の上に載った器を見せた。
「坊ちゃんに少し熱がおありのようだったので、水蜜桃を持ってきましたよ。まだ小さい頃、ご病気のときは必ずこれを召し上がっていたでしょう。坊ちゃんの大好物ですからね」
「………あぁ、そうだったな………。ありがとう、あとで食べるから、そこへ置いといてくれないか」
「はい」
 グレミオはサイドテーブルに、トレイを置いた。
「それでは、私は明日の準備の手伝いがありますので、これで失礼します。ルック君、坊っちゃんをお願いしますね」
 ルックは軽く頷くことでそれに答えた。握りしめられた手の痛みに表情を変えないように耐えるのが精一杯で、とても声を出せる状態ではなかった。
 グレミオが部屋を出て、ようやくルキアは手の力を緩めた。
「……どうしたのさ、一体……?」
 真っ赤になってしまった手をさすりながら、ルックはルキアを見た。はらはらと、ルキアは涙を零していた。
「…………どうして、あんなところまで同じなんだろう………」
「ルキア……?」
 言葉の意味が理解できず訊き返したルックに、ルキアは縋りついた。
 声を押し殺して泣いているルキアに、ルックはなんと声をかければ良いのかわからない。ただその背を優しく撫でてやるだけだった。



 ルキアが風邪をひいた。
 昼頃になっても姿が見えないので、ゴクウが散々捜しまわり、結局、最後にルキアに提供している部屋で寝こんでいたのを発見したという、双方にとってはあまり笑えない事態、第三者には笑い話となった次第である。
 夜になって、ルックは見舞いに訪れた。
「鬼の霍乱」
 ベッドに横になったままのルキアの顔を見て、開口一番にルックはそう言った。ルキアはそれに苦笑を返すだけに留める。
「具合は?」
 手に持っていたトレイをサイドテーブルに置いて、ルックは椅子にすわる。
「うん、かなり楽になった」
 ルキアの額に手を置いて、ルックは軽く頷いた。
「なにを持ってきてくれたんだ?」
「水蜜桃」
 ルックの答えに、ルキアは目を瞠った。
「時季が時季だから、シロップ漬けなんだけど。……君の好きな物って、これしか知らないから………」
 ルキアはとても嬉しそうに笑った。
「ありがとう、ルック」
「別に……」
 照れ臭さを誤魔化すように、ルックはガラスの器を差し出した。ルキアの笑顔が、悪戯っぽいものに変わる。
「食べさせてくれないのか?」
「君ねぇ……!」
「病人なんだよ」
「………減らず口は相変わらずのね」
 ぶっきらぼうに言ったが、ルックはフォークを使って水蜜桃を食べやすい大きさに切り分けた。
「……はい」
 一切れフォークに突き刺して口許へ持っていくと、ルキアはパクリと桃を食べた。
「美味しい」
「こんなことさせて、不味いなんて言ったら怒るよ」
「うん、わかってるから、もっとちょうだい」
 子供のように笑うルキアに、諦めたように溜め息を吐いて、ルックは桃を食べさせた。
 器に残ったシロップも飲みたい、といつにも増してわがままを言うルキアに、ルックは盛大に溜め息を吐いた。
 シロップも飲ませてもらって、ルキアは極上の笑みを浮かべていた。
「なに笑ってるのさ」
 間近に顔を寄せたまま、ルックは訊いた。
「ルックが私の好きな物を覚えていてくれたのが嬉しいんだ」
「人の手に痣を作っておいて、よく言うよ」
「……ごめん」
 ほんのわずか哀しそうに笑って、ルキアはルックの頬に触れた。
 結局、あの時、ルックはなにも訊かなかった。訊かれて、素直に答えられたかどうかはともかくとして。グレッグミンスターを去った日のあの会話も聞こえていただろうに、真の紋章に絡むこととなると頑なにルックは目を閉じ、耳をふさぐ。
 ひんやりした頬に愛おしく触れながら、ルキアはささやいた。
「いつか、その訳に気づくよ」
「………知りたくもないよ、そんなこと」
「そうだな……。知ったら、ルックは壊れてしまうかもしれないな」
 ルックは唐突に身体を起こすと、膝の上に置いていた器をトレイに戻した。
「僕は帰るよ」
 立ち上がりかけたルックの腕をつかんで、ルキアは力任せに引きよせた。バランスを崩して、ルックはベッドの上に倒れこむ。
「ちょっと……!」
 怒って睨みつけたルックの目に飛びこんだのは、いまにも泣きそうなルキアだった。
「行かないで」
「ルキア……」
「いつか、私はお前を壊してしまうかもしれない。でも、お前を取り戻せるのも、私だけだから………」
 あの時と同じで、ルックはどう返せば良いのかわからない。ただ、心の奥底でチラチラと警告するなにかがある。
(知らない……知りたくない………知ってはいけない……せめて、いまはまだ……)
 黙りこんでしまったルックの背に手をまわすと、ルキアは薄い肩に顔を埋めた。
「良いよ、いまはまだ……。私と一緒にいてくれるだけで、良いから……」
「………ごめん」
 気づいたら、そう口にしていた。ルキアは安堵の息を吐く。
「じゃあ、今夜は一緒に寝よう」
「僕に風邪を伝染(うつ)す気?」
「ルックが風邪をひいたら、私が看病してあげるから」
「………絶対、ひかない」
 クスクスとルキアは笑った。黙らせるように、ルックはルキアを抱えこんだ。

 いまはまだ、互いの秘密は箱の中。
 否応なくその蓋が開くいつかを怖れているよりは、いまは互いのぬくもりに甘えていよう。

END






 前サイトキリ番『11111』をゲットされたMIE様からのリクエスト『ルックに甘える坊ちゃん(シリアス風味)』でした。いかがでしたでしょうか?

 まなは桃が好きなので、ルキアも桃が好きです('-'*) いつかやってみたかった、風邪ネタ(笑)
 甘いとシリアスの両立は、意外に難しいものだとわかりました(爆) 苦し紛れに裏ネタを持ち出してみたり。そのことで激怒したルキアは書いたけれど、知った直後は書いてなかったので。
 ルキアの箱の蓋はもうほとんど開いていますが、ルックちょーシカト(;'-') 『3』ネタもぼちぼち形にしつつはありますが、うん、まぁ、ルキアの言う通りの展開になるデス・・・。

 このあと、ルックが風邪を引いたかどうかは皆様のご想像にお任せします(笑)

 MIE様にはお気に召していただけて嬉しかったです(*^_^*) ありがとうございます。