Perfume Panic
ボンッ!
なにかが爆ぜる音が、デュナン湖畔に佇む梁山城に鈍く響いた。
中庭に散乱する歯車や螺子や木片。中でも、人の頭くらいはありそうな大きな木の板が、ちょうど中庭を歩いていた少年に向かって、凶器よろしく勢いよく飛んでいった。
異様な音にも平然としていた少年は、ちょっと首を傾けると革手袋をはめた右手で飛んできた板を容易くつかむ。
「ゲホッ、ゴホ……! う〜、何処が間違ってたって、言うのよー」
おさまってきた煙の向こうで、少女の声がする。それに口の端を上げて、少年は声をかけた。
「メグ、大丈夫か?」
「平気。ルキアこそ、大丈夫だった? 破片が飛んだみたいだけど」
「大丈夫」
ルキアはメグに板を手渡すと、懐からハンカチを取り出した。
「また派手にやったな」
笑いながら、煤のついた頬を拭いてやる。
「アイデアは完璧だったんだよー」
無惨な自作を前に、メグは頬をふくらませていた。
「怪我、しないようにね」
懲りた様子のない笑顔に、無駄と思いつつも取り敢えず釘を刺しておく。
突然、その笑顔がふっと曇った。
「ハンカチにシミが残っちゃうよ」
「別にかまわないけど」
「………顔、洗ってくるね……」
止める間もなく立ち上がったメグはその場を走り去った。
首を傾げたルキアは、ふわりと風に乗って漂ってきた花の香りに視線を落とした。視線の先には、自分のハンカチ。
真っ赤な大輪のバラ。
流れる艶やかな黒髪。
吸いつく柔肌。
潤んだ瞳。
「…………やられた」
香りが呼び覚ました記憶に、ルキアは思わずハンカチごと頭を抱えたのだった。
宿屋の近くにある井戸で、メグは頭に水をかけた。
「ふ〜……」
地面を見つめたまま、しばらく顔が上げられない。
優しく触れてくれた手から漂ったバラの香り。それは、ルキアの愛用している香ではなかった。
それにひきかえ、自分に染みついてしまっているのは、機械油の臭い。
お洒落で綺麗なルキアの隣に、煤や油にまみれた自分がいままで平気で立っていたのが滑稽に思えてきた。
「…………。こんなの、私らしくない……!」
活を入れるように両手で頬を叩き、顔を上げる。
でも、まずはお風呂に入って着替えてこよう、とメグは走り出した。
お風呂に入り服を着替えたメグは、汚れた服を持って洗濯場へ向かった。
「ヨシノさん、ヒルダさん、こんにちは!」
「こんにちは、メグさん」
「こんにちは」
広い洗濯場で、ヨシノとヒルダを筆頭に何人もの女性が洗濯物を干すために立ち働いている。
「……あの、いつも申し訳ないんだけど、これもお願いして良い?」
「えぇ、もちろんですよ」
「遠慮しないでね。遠くで爆発音が聞こえたから、そろそろ来る頃だと思ってたわ」
二人の言葉に、周りの女性たちもクスクスと笑い声を零す。ばつが悪そうにメグは頬をかいた。
ふわりと風に乗って、石鹸の良い香りが広がった。
「ヨシノさんとヒルダさんて、香水、使ってる?」
唐突なメグの質問に、二人は少し首を傾げたが丁寧に答えを返してくれた。
「私は使ってないですね。お部屋にお香を焚くことはありますけれど。旦那様が香水が苦手なんですよ」
やんわりと笑って返された答えは、いかにもヨシノらしいと思った。
「私もあまり使わないかしら。香りって、いろいろな記憶を呼び覚ますでしょう……? 宿屋に疲れを癒やしに来たお客さんには、そういう記憶やイメージが邪魔になってしまうこともあるから」
ヒルダの言葉に納得したように頷くメグ。そして、ちょっぴり胸に痛いことを思い出す。
(どうせルキアも、想い出して鼻の下を伸ばしたに決まってる……!)
ギュッと握りしめた拳を見つめたメグは、そんな想いを振り払うかのように頭を振った。
礼を言って洗濯場をあとにしたメグは、ホールへ続く踊り場でカスミに会った。
「カスミ、いまからお仕事?」
「えぇ。しばらく出かけるわ」
きびきびとした態度はすっかり忍びそのもので、こんなことを訊くのは邪魔かな、と思ったのはそれでも一瞬だけ。
「ね、カスミって香水を使ったことある?」
好奇心に勝てたことなんて、一度もないメグであった。
カスミは一瞬、面喰らった表情を見せたあと、微苦笑を返した。
「忍びはそういう人に悟られてしまう物は身につけないわ」
「あ、そっか、そうだよね。ゴメン、変なこと訊いて。お仕事、気をつけて」
「ありがとう。行ってきます」
カスミと別れたメグは、“転移の場”へ向かった。
そろそろティータイムという時間だったので、ビッキーが佇む大鏡の前にはテンガアールとニナがいた。
「メグちゃん、お茶しに行かない?」
手を振るテンガアールに、メグは申し訳なさそうに手をあわせた。
「あ〜、ゴメン。今日はパス。さっき失敗したからくりの後片づけがまだなんだ」
「派手な音してたよね〜」
いつもだったら笑って聞き流せるビッキーの一言も、今日はなぜだか胸に刺さる。
「………どうしたの、メグちゃん?」
いつもと違う反応に、ビッキーは首を傾げた。
「うぅん、なんでもないよ……」
慌てて首を横に振って誤魔化した。
「そうだ、みんなは香水って使ったことある?」
「うっ、嫌なこと思い出させないでよ、メグちゃん」
ニナが露骨に眉をひそめた。
「?」
「まだ学校へ行く前の頃に、ちょっとね……」
「なになに、勿体ぶらずに教えてよ」
好奇心むき出しのメグに根負けして、ニナは渋々と自分の失敗談を披露した。
「昔、ママの香水をつけてみたくなったの。ドレッサーにあった香水瓶を取ろうとしたら手が滑って、床に落として割っちゃったのよね。も〜、その強烈なニオイに目眩おこして倒れたわよ。目が覚めたら、ママには散々怒られちゃうし」
盛大に息を吐き出して、ニナは話を締めくくる。
「だから、私、香水には手を出さないことにしているの。……まぁ、愛しのフリックさんがつけて欲しいって言ったら考えないでもないけれど」
最後の言葉に、少女たちはこっそり顔を見あわせた。
「私も似たようなことあったな〜」
「ビッキーも……?」
「んとね、この前、ゴードンさんに香水のミニボトルをもらったの。お使いの人を転移してあげたら、なんだかすごく良いことがあったみたいで、そのお礼にって」
ニコニコと嬉しそうに語るビッキー。
「お花の香りのとっても可愛い香水で、ルック君とのデートのときにつけていこうって思って。でね、ちょこっとつけてみたんだけど、香りが全然しなかったの」
「………鼻がその香りに慣れちゃってたんだろうね」
テンガアールの解説に、一同、その後の展開が見えてくる。
「もっとつけなきゃダメなんだって思ったんだよね。身体中につけたら香りもするようになったから、ルック君に会いに行ったの」
「…………ルック、なんて言った?」
先ほどまでの笑顔は何処へやら、ビッキーはすっかり項垂れていた。
「うぅん、ひとっ言も喋らずに、何処かへ転移しちゃったんだよ。おまけに、それから三日も口をきいてくれなくて……。香水をつけすぎた私が悪いんだけど、そんなに怒らなくても良いのにね」
「ま、まぁ、そうだね……。じゃあ、テンガは……?」
口を尖らせたビッキーに、メグが苦笑を浮かべながら話の矛先を変えた。
「僕は、たまにつけるかな。デートするときとか」
「どんな香りの?」
匂いを嗅ぐように近づいた三人に、テンガアールは両手を振る。
「いまはつけてないよ。……初心者向けだって、フローラルグリーンの香水をジーンさんに勧められたんだ」
「ジーンさんに……?」
「うん。ジーンさんってさ、すごくイメージにピッタリな香水をつけてるなって思って、訊いたことがあるんだ。その香水ってなんて名前なんですかって。そうしたら、あなたにはこんな香りのほうが良いわよって、ミニボトルをくれて、マナーも一通りレクチャーしてくれたんだよ」
「へぇ〜………」
「メグちゃん、興味あるなら、ジーンさんに訊いてみると良いよ」
「うん、そうだね。ありがと!」
テンガアールへの返事もそこそこに、メグはもう駆けだしていた。
「……で、失敗作の後片づけはいつするんだろう?」
笑いながら訊いたニナに、テンガアールも笑いながら答える。
「それは、からくり丸がやってくれてるんじゃないかな」
薄暗くていつでもひんやりしていて、不思議な香りのする場所。ジーンの店は、賑やかな城の中にあって別世界に迷いこんだ印象を引き起こす。
店内の薄暗さに目を慣らしながら、メグはそんなことを考えていた。
「いらっしゃい。今日は、どんなご用かしら……?」
気怠げな声に首を廻らせば、カウンター越しにいつもの謎めいた微笑を浮かべてジーンがこちらを見つめていた。
「こんにちは! あのね、香水のこと、教えて欲しいんだ」
「香水……?」
前振りもなにもなく直球勝負。いけないいけない、とメグは自分の額を軽く叩いた。
「えっと、私、香水をいままでつけたことがないんだけど、ちょっとつけてみたくなって。それで、テンガからジーンさんが詳しいよって教えてもらったの」
「あぁ………」
もっと他に言いようがあったのかもしれないが、そんな簡単な説明でもジーンは得心したように頷いた。
「そうねぇ、あなたにはこれが良いかしらね」
後ろの戸棚から、ジーンは丸みを帯びたミニボトルを取り出した。キュッと音を立ててふたが取れると、広がったのは爽やかなシトラスの香り。
「良い匂い……」
「つけてみる?」
「うん!」
ジーンはメグの右手を取ると、手首の内側に香水を一滴落とした。
「左手首にこすりあわせてね」
言われた通りにすると、最初は気がつかなかった花の香りもしてきた。
「香水は直接、肌につけるの。下から上へと香りは上ってくるから、あとつけるとしたら膝の内側とか踝にね。上半身にはつけないように」
「はぁい」
「食事に誘われた時につけるのもタブーね。フローラルフルーティ系の香りなら、軽くつけるのには問題ないけれど。……まぁ、そういったことにもルキアは抜かりがないから、強すぎたりしたら、やんわりとお風呂に行くように言うんでしょうねぇ」
躊躇いもなく出てきた名前に、メグは上目遣いにジーンを見つめた。
「……バレバレッスか」
「当然よ」
にっこりと余裕の笑み。
「同じ目線に立とうとしなくても良いと思うのだけど」
理由まで見透かされて、メグは降参したように両手を挙げた。
「でも、相応しくありたいと思うのは間違いじゃないよね?」
この香りは気を惹くためなんかではなく。ただ、堂々と彼の隣に在るための手段。
ジーンは優しく笑った。
「えぇ、もちろんよ」
もらった香水をポケットに入れて、メグは中庭に向かって走っていた。
「後片づけのこと、すっかり忘れてたよ〜」
試作品を作っていた場所に駆けこむと、ルキアとからくり丸がすわっていた。散乱していた残骸は、跡形もない。
「あ、あれ……?」
「がらくたナラ片ヅケテオキマシタ」
キョロキョロと辺りを見まわしたメグに、からくり丸が言った。
「ガラクタとはなによー」
「形ナリ得ナカッタ物ノコトデス」
大真面目に答えを返してきたからくり丸に、メグはガッカリと膝をついた。
「そんなこと訊いてるんじゃないの。……まぁ、良いわ。片づけてくれてありがと、からくり丸。またシュウさんに怒られるところだったよ」
「私ハめぐノオ目付役トシテ、当然ノコトヲシタマデデス。礼ナラ、るきあニ言ッテクダサイ。手伝ッテクレマシタ」
「えぇ、そうなの!? ゴメンね、ありがとう、ルキア」
「どういたしまして」
「デハ、私ハコレデ……」
「何処行くのよ、からくり丸?」
カタカタと動き出したからくり丸は、ピタリと止まってメグを振り返った。
「『人ノ恋路ヲ邪魔スル奴ハ馬ニ蹴ラレル』ソウデス。馬ニ蹴ラレテハ、私モ壊レテシマイマスノデ」
そして、またカタカタと向きを変えると、からくり丸は行ってしまった。
「はぁ……?」
メグが呆れている隣で、ルキアはお腹を抱えて笑っていた。
「まったく、あの思考回路はどうなってるんだろ」
盛大に溜め息を吐いたところで腕を引っ張られた。あっと思う間もなく、メグはルキアの腕の中に倒れこむ。
「ルキア……?」
「せっかく気を遣ってもらったことだし」
茶目っ気たっぷりの返事に、メグはまた小さく肩をすくめた。でも、こんな居心地の良い場所を手放す気になるわけもなく。メグはいつものようにルキアの胸にもたれ、ルキアはメグを後ろから抱きかかえた。
顔は見えなくても、腰にまわされた腕が優しいことも、癖のある髪に顔を埋めて幸せそうに笑ってるのも、ちゃんとわかってる。
やっぱりお風呂に入っておいて正解だった、とメグがこっそりと胸を撫で下ろしたところで、ルキアは意外なことを言った。
「メグは、日向の匂いがするよな」
「え、そう??」
「うん。太陽の匂い。マクドールの男はこの匂いにめっぽう弱い」
喉の奥で悪戯っぽく笑って。でも、単にからかってるだけでもなさそうで、メグは少し顔を後ろに向けた。
「どうして?」
「それは、此処に新しい生命が宿ったら教えてあげるよ」
メグの下腹部にそっと手を置いて、ルキアは極上の笑みを浮かべた。
間近で見せられたその笑みは、メグの心拍数を跳ね上げる。ふと、ルキアは首を傾げた。
「…………シトラスの匂いがする……。香水……?」
「う、うん……。気に入った香りのがあったから、つけてみたんだけど、変じゃない? きつすぎたりしてない?」
「大丈夫。上手にまとってるよ」
「本当?」
心配そうに訊き返したメグに、ルキアの笑みは深くなった。悪戯っ子そのものの笑顔に、メグの頭の中で警報が鳴る。
「だって、食べたくなったから」
「…………。ルキア……!」
意味がわからなかったのは、一瞬のこと。顔を真っ赤にして身体を離そうとしても、しっかりと抱きかかえられてしまっていてはどうにもならない。
「一口……」
大好きな声で甘やかにねだられて、それだけでメグは力が抜けてしまう。
頬に添えられた手に誘われるように目を閉じると、優しい口づけが降りてきた。
汗ばむ陽気に、木陰に腰を下ろしたルキアは黒い胡服の片袖を脱いだ。単衣まで脱ぐ気にはなれなかったが、それだけでも風が当たって汗が引いた。
街道の両側に広がるのは、満開の花をつけたオレンジ畑。そよぐ風が運ぶのは、大量のごちそうを前に忙しない蜜蜂の羽音と、爽やかな甘い花の香り。
ルキアは目を細めた。
「『皐月待つ、花橘の香をかげば』……か………」
END
前サイトのキリ番『56789』をゲットされたギルティー様のリクエスト『坊メグの甘い話』でした。いかがでしたでしょうか?
パニックシリーズに加えるにはラブコメ度がちょっと足りないような気もしましたが、いつものことながらタイトル思いつきませんでした(≧△≦)
香り物は上手くまとうのが難しいです(≧△≦) さすがに一気に一瓶はないけど、ビッキーみたいなこともやらかしたことあるデス(爆)
マクドール家の男がお日様が好きなのは、自分たちが日の神の御使いであると思っているからです。そして、このお話のメインが時間軸『2』であるにも関わらず、タイムテーブルで一等最後なのは、END時のルキアのいる時代がそういうことだからデス('-'*)
ルキアが呟いた短歌は『古今和歌集』から。学校の授業で習ったときは、女の人から男の人に宛てた歌だと何故か思いこんでしまって、『伊勢物語』で見つけた時にはびっくりしました(;'-')
それにしても、ルキアにはなに歌わせても似合うわ(親バカ
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