八咫烏
トラン湖からの穏やかな風が、会議室兼執務室に流れた。会議は午前中に終わり、麗らかな午後。部屋ではマッシュを挟む形で、ルキアとアップルが勉強中だった。
ルキアはマッシュと解放軍の組織編成について議論していた。
「この組織編成そのままで、この国が動いたら良いな」
「反発が大きいでしょうね」
「そこはそれ、いろいろ手はあるさ。貴族階級は財産の保障をしてやれば、まず反論はしない。あとは『働かざる者、喰うべからず』。『責任』という言葉を叩きこんでやれば良い」
マッシュの提案を聞くのではなく、自分の意見を披露し、それにマッシュが軌道修正を加えていく。自分より少し年上なだけなのに、この理想と現実を弁えた思考には感心する。アップルはマッシュの出した課題に四苦八苦しながら、そんなことを思った。マッシュを戦争に巻きこんだルキアのことはいまだに許せないと思うけれど、こんなに活き活きとした先生を見るのは初めてのことで、悔しいけれどそれは、やはりルキアのおかげなのだと認めざるを得なかった。
控えめなノックの音に、二人はピタリと口をつぐんだ。アップルも手を止めて扉を見やる。
「坊ちゃん、グレミオです。あの、家の方が、どうしても坊ちゃんにお会いしたいと………」
ルキアが少し眉をつり上げた。
「どうぞ」
「失礼します」
グレミオが編み笠を目深にかぶった人物を連れて入ってきた。グレミオより少し背の低いその人物は、足許までグレーのマントで覆っていて、男か女かも判別できない。
「ありがとう、グレミオ。仕事に戻ってくれ」
「はい、坊ちゃん」
軽く一礼して、グレミオは部屋を出て行った。家の方と呼ばれた人物は、ルキアの近くまで腰をかがめて歩み寄ると叩頭伏礼した。マッシュとアップルは驚いてその人物を見下ろす。
「若様におかれましては、ご機嫌麗しく恐悦・・」
下から聞こえてきたのは、男の声だった。
「免礼」
ルキアは邪慳に手を振って、男の口上を遮る。男は立ち上がり、拱手を取った。
「用は?」
「玉璽を頂戴いたしたく、まかり越しましてございます」
年齢も容易に想像しにくい声の男は、ついぞ聞いたこともない丁寧な口調で答えた。嫌そうに目を眇めたルキアに、懐から薄い紙の束を取り出して見せる。
「お館様には、すでにご許可をいただいておりますれば……」
赤い封蝋に押された紋を見て、ルキアは渋々といった様子で席を立った。
「マッシュ、すまないが、30分ほど席を外す」
「承知しました」
ルキアは男を伴って部屋を出て行った。
慇懃な態度にもかかわらず、男は最後まで笠を取らなかった。グレミオの言い方も何処かおかしかった。『若様』がルキアを意味するなら、『お館様』とはテオ将軍を指すのだろう。いまや敵味方に別れた親子。その間を平気で行き来する男。
「あの人は、一体、何者ですか?」
アップルの口から疑問がついて出たのは当然だろう。そうですねぇ、とマッシュはどう説明したものか考える。
「少しこの地に伝わる歴史を勉強しましょうか。お茶を入れてくれますか、アップル」
「はい、先生」
課題を机の脇に片づけて、アップルは食堂へマッシュの好きな緑茶を作りに行った。
湯呑みから立ち上る爽やかな香りを楽しみ、お茶を一口すすったマッシュはある一族の話を語り出した。
それは、いまも生きている伝説だった。
「この国がまだ赤月帝国ではなく、ハルモニアの支配も受けてないほど昔のことです。ある集団がありました。彼らは、日の神の使いと言われる伝説の三本足の烏を紋に掲げ、『烏鴉(ウヤ)』と名乗っていました。彼らが血族によるものなのか、いまの私たちのような志を同じくする者たちの集まりだったのか、おそらくその両方ではないかと思うのですが、それはもう定かではありません。さて、この烏鴉がなにを目指して集まっていたのか。有り体に言えば、物欲です」
アップルはちょっと嫌な顔をした。潔癖な彼女らしい反応に、マッシュはやんわりと笑った。
「まぁ、物欲と言っても烏鴉は変わり種でした。この世界に有る物すべてを手に入れることなど、不可能です。そのことを、彼らはよくわかっていました。では、その欲求をどう満たせば良いか。彼らの出した答えが、わかりますか? アップル」
「…………。ありとあらゆる物を取り扱う者……交易商ですか?」
慎重に答えを出したアップルに、マッシュは大きく頷いた。
「正解です。すべてが手に入らないなら、なにが何処にあるのか把握すれば良い。烏鴉は、そう答えを出しました。それが、この世界の何処にでも在る交易所の原型です。さすがに世界中に広まってしまうと、志を同じくする者たちといえどもその意識は希薄になります。烏鴉はそれを嫌いました。そこでできあがったのが、交易商ギルドです。世界中にある交易所は、一つの例外もなくこのギルドに所属しています」
「いまも……?」
「はい、いまも。キャラバンや個人交易商までは、烏鴉もさすがに掌握することを放棄していますが、交易所だけはいまでも彼らの手の内にあります。幹さえ押さえられれば、枝葉末節には干渉する気はない、という方針なのです。そして、それが烏鴉という一族を生きた伝説にしたと言っても過言ではありません」
「生きた伝説………」
アップルは小首を傾げて、答えを急いだ。
「先ほどの男性が、そのギルドの人なのですか?」
「そのようですね」
「玉璽、と言っていましたが………。え、もしかして、マクドール家がギルドマスターなのですか!?」
目を瞠るアップルに、マッシュは頷いた。
「知っている人はごくわずかでしょう。マクドール家は交易の表舞台からすっかり身を退いてしまったようですから」
「ですが、あの人はテオ将軍にわざわざ会ってから、此処まで来ています。そこまでしているということは………」
「えぇ、ギルドマスターとして、マクドール家はいまだに厳然たる力を持っています」
「………なんだか、想像できません。ルキアさんには、武人のイメージしかないし……」
「それは、ギルドマスターが“太刀守(たちもり)”とも呼ばれてるからでしょうねぇ……」
「“太刀守”……?」
「………烏鴉の幹部クラスの一人が、ギルド設立の少し前に一振りの刀を手に入れたそうです。その刀故に、ギルドマスターには彼が選ばれ、“太刀守”と呼ばれるようになり、そして烏鴉の名を継承することになった彼は、その名とともに交易の表舞台から身を退かざるを得なくなったと伝えられています」
「その理由は……」
「さすがにそこまでは、外部には伝わってはいません。流血沙汰があったとか、その刀に魅入られて交易にすっかり興味をなくしてしまったとか、様々な噂があるのみです」
お茶をすすり、マッシュは講義を続ける。
「時は流れ、この地がハルモニアの支配下に置かれても、彼らに手出しはできませんでした。すでに烏鴉の物流網は完成していたからです。『日の光の及ぶところ、烏鴉有り』。ハルモニアといえども、物流を止めては国が立ち行かなくなりますからね。人心の支配に烏鴉がまったく興味を示さないことも幸いして、両者は共存しています」
「ハルモニア神聖国にも烏鴉が………」
「もちろん。さて、太陽暦230年はなにがありましたか、アップル?」
「ルーグナー家がハルモニア神聖国に反旗を翻して、赤月帝国が建国された年です」
すらすらと答えたアップルに、マッシュはにこりと頷く。
「はい、正解です。確か、烏鴉十二代目にあたる当時のギルドマスターは、一個人としてルーグナー家に味方し、独立戦争での功績を讃えられてマクドールという家名を賜りました。以後、表だって烏鴉を名乗ることはなくなり、この名前は完全に正史から消えます。そして、生きた伝説のできあがりです」
「…………なんだか、作為的です……」
「そうですねぇ。………本当は、交易商ギルドも手放したかったのでしょうかねぇ」
「…………先生は、そのことをどうやって知ったのですか? いままで教えていただいた本に、烏鴉に触れた物はなにもありませんでした」
「シルバーバーグ家も赤月帝国の開国には深く関わっていますからね。家史に記録が残っていたのですよ」
「そうなのですか……」
二百年を越える壮大な年月に、茫然としたようにアップルは呟く。
「表舞台から身を退いても、いえ、だからこそと言うべきでしょうか、烏鴉の影響力は重みを増しました。商人たちは自由に交易を行っていますが、自分たちの力ではどうにもできない問題の採決を烏鴉に頼ることを止めなかったからです。帝国将軍としての表の顔、ギルドマスターとしての裏の顔。マクドール家は代々この二つの顔を持っています。………ルキア殿も、そのように教育されているのですね………」
最後は何処か悲しげにマッシュは呟いた。アップルはちくりと胸が痛む。
「……ギルドは、親子が敵味方に別れたことをどう思っているのでしょう?」
そんなアップルに気づいているのかいないのか、いつもの穏やかな表情でマッシュは答える。
「好都合に思っているのではないでしょうかね。少なくとも、どちらかは生き残ってくれるわけですから」
アップルの眉間に皺がよって、マッシュは微笑いながら自分の眉間を指さした。それを見て、慌ててアップルは眉間をもみほぐす。
「…………あぁ、でも、玉璽がすでにルキア殿に託されているということは………」
ふと、思い至ってしまった事実。マッシュは痛ましそうに目を閉じた。
(テオ将軍、あなたはなにもかも見越して、それでも帝国軍人であることを選んだのですか………)
「先生……?」
一言、呟いたきり黙ってしまったマッシュに、アップルは心配そうに声をかけた。我に返って、マッシュはなんでもないですよ、と首を振る。そして、話題を切り替えた。
「アップル、一つだけ、覚えておいてください。マクドール家に借りを作ってはいけません。たとえマクドール家がその借りを覚えていなくても、ギルドが覚えています。まして、怒らせるなど以ての外です。交易商に目をつけられることほど厄介なことはありませんよ。烏鴉の名を知らずに生きていけるなら、それは幸いなことです」
「ですが、先生、解放軍はルキアさんをリーダーとしてもう動いてしまっていますよ……?」
「………えぇ、オデッサが彼を巻きこんだことには驚きました。もちろん、ルキア殿のリーダーとしての資質は素晴らしいものであるのはわかりましたが……。この国を解放したそのあとをどうするつもりなのか、と思ったのは事実ですね」
「先ほどのやりとりを聞いていると、ルキアさん自身はやはり為政者となることは考えていないようでしたが……」
「えぇ、血筋でしょうかね」
マッシュは苦笑する。
「ルキア殿を最初に解放軍に誘ったのはビクトールだと聞いたので、それとなく訊いてみましたよ」
興味津々な様子で、アップルは続きを待つ。
「ビクトールは烏鴉を知っていて、その存在を表舞台に引っ張り出してやりたかったようですね」
「え……」
「裏で隠れて人を操るような存在に、あまり良い気がしていなかったのだとか。これでルキア殿を担ぎ上げて、その名が伝説でなくなれば良いとも思ったそうです」
「…………成功、してませんよね……?」
「そうですね」
書庫の奥深くにしまわれていた初代シルバーバーグ家当主の日記を、マッシュは思い出す。
『“烏鴉”はすでにシステムとして完成しているの』
初代マクドール家当主の言葉として、そう記されていた。
「恐らくルキア殿が、初代マクドール家当主がそうであったように、一個人として、自ら参戦することに決めたからでしょう」
「一個人………」
「えぇ……。ですから、いまもギルドの援助がないように、この国が解放されたあとは干渉もないですよ」
少しだけホッとした様子のアップルに、マッシュは頷いて応えた。
新しくお茶を入れてもらいながら、マッシュの思いは再び先祖の日記に向かう。
『・・故にハルモニアの物流を止めることはできないけれど、もはや“円”とは呼べぬあの醜いモノと、私は縁を切る。あなたたちも、あの国の異様さを感じているのでしょう? クラナッハ、ユリアン』
END
うちとこのマクドール家の設定をマッシュ先生に講義してもらいました。いかがでしたでしょうか?
『Wheel of Fortune』でルキアが言った十二代様=初代マクドール家当主です。はい、女性デス。
テオは当主の証である璽を、ルキアに託して北方遠征に出ております。
あの賢明な人が、帝国の腐敗っ振りに目をつむってこれたのが本当に不思議なのです。そこに納得つけるために、『上邪』でのミルイヒとの会話なわけです。テッドのことがなくても、きっと自分の息子はこの状態を許しはしないだろう、とわかってたのではないかなぁ。そして、若さ故に古きを壊す方法を選ぶことも・・・。
此処で、そんなことが全部わかってしまって、マッシュはせめても、ルキアに父親殺しの罪は負わせまい、と「討て!」と命令したのに、親子そろってそれをはね除けてしまったという・・・。
そんな妄想話でありました。
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