青い球体はモンドたちの場所からも確認できた。
「種も仕掛けもある忍術だ。これで転移される心配もなくなったな」
 昨夜のうちに、モンドとサスケは迎撃ポイントに忍術の札を埋めこみ、カスミは小麦粉の中に特殊な火薬を混ぜていた。
「サスケ、お前は黒旗に合流しろ。儂はルキア殿の命令を遂行する」
「わかった」
 モンドは哮り狂う炎の中へ躊躇いもせずに身を投じた。
 地揺れはすぐに収まったのだが、爆発による炎はいまだ勢いが衰えてはいない。攻城機はすべてが炎に包まれて、かろうじて生き残った者は風上へと逃げたようだった。
「モンド」
 まったく気配のないとろこから降ってわいた声に、モンドは思わず距離を取った。
「……シエラ殿」
 滅多に感情を出さない忍びの者を動揺させて、シエラは少し意地の悪い笑みを浮かべていた。
「燃える物もなくなれば火は消えようが、此処はかなり空気が薄くなっておる。わらわが見る故、おんしは南を頼む。カスミにもそちらへ向かわせた」
「承知」
 モンドの姿がかき消えるのを見送って、シエラは“月の紋章”の力を解放する。生半可な力では“生と死を司る紋章”の存在を気取られる。あくまでも、あの力は“夜の眷属”であると思わせておかねばならない。
「前線は仕上げが始まっておるな」
 梁山城の方角に目を向けるシエラの背後で、“月”の狂気に触れた者が炎の中へ飛びこんだ。

 モンドがカスミに合流したときには、すでにハルモニアの魔法部隊は全滅したあとだった。
「終わりましたか」
 暗器を背中の鞘にしまってカスミは頷く。
「えぇ。黒旗の援護に向かいます」
「はっ」
 粉塵爆発の動揺から覚めやらない王国軍は、黒旗のつかず離れずの攻撃に手を焼いた。
「後方部隊と距離が出来ている。此処は前線を下げて、合流し体勢を立て直そう」
「わかった」
 クルガンの言葉にシードは頷く。後退を告げる角笛が響き渡った。
「……こちらも退く」
 “静かなる湖”の範囲内に入ると同時に、“リデンプション”は収縮して姿を消したが、妖刀の爪はルキアの右手に食いこんだまま。黒旗は一糸乱れぬ動きで防衛柵まで後退した。
 防衛柵の前で整然と並ぶ黒旗。帰らぬ十何人かに、ルキアは軽く目を伏せて哀悼の意とした。再び、王国軍へと向いたルキアの前に、カスミとモンドが膝をついていた。
「我が君、ルキア様。任務完了しました」
「ご苦労」
 カタカタと鍔を鳴らす妖刀を抑えこむ。の鳴る音も聞こえたが、目許しか見えないカスミの表情に特に変化はなかった。
「膠着したかな」
 ルキアの右側には立てないので、必然的にカスミとモンドを両側に従える形になったシーナが独り言のように呟いた。
「そうだな。あと一押しいるか………」
 防衛柵からキニスンがフェザーに乗って走ってきた。
「ルキアさん、蒼旗が一斉射できるのは投石機も含め、あと3回だとフィッチャーさんからの伝言です」
「わかった、ありがとう」
 軽く頭を下げて、キニスンとフェザーは戻っていく。
 ルキアは右手に視線を落とした。ハルモニアのことはもう心配する必要がない。問題はもう一度、“リデンプション”を召喚しても暴走させずに済むかどうか。一か八かの賭けはしたくない。此処に残った意味がなくなるから。
「ルキア!」
 突然、シエラが宙に浮いたままルキアの目の前に転移してきた。
「どうした?」
「ラダトの方角に、かなり大きな空間の歪みができておる。あれは転移魔法の前兆じゃ。新手かもしれん」
「サスケ」
 カスミが後ろを振り返ると、サスケの眼はすでに鷲の眼となっていた。
「いま、向かってる……!」
 シエラがラダトの方角を振り返る。
「来た……! 多いな、中隊クラスの人数じゃ」
 眉をひそめたシエラとは逆に、ラダトの方角に意識を凝らしていたルキアの表情は徐々に満面の笑みに変わる。
「来たか、我が盾、バレリア!
「え!?」
 シーナが素っ頓狂な声を上げる。
「バレリア?」
「トラン共和国六将軍のお一人です」
 首を傾げたシエラにカスミが説明する。
 ルキアは防御柵へ向かって指笛を吹いた。高く低く鋭くゆるやかに、まるでなにかを語るよう。その音色に三年前を思い出したのは、シーナ一人ではない。
 やがて、防御柵から黒旗をまわりこんで、青い疾風がルキアの前で止まった。
「呼んだか? ルキア!」
 韋駄天走りで現れたのは、スタリオンだった。
「あぁ、ラダト前に転移してきたバレリアに伝令を頼む。クスクスの街を牽制できるところまで進軍し、ハイランド王国軍には一切手を出すな。王国軍が撤退したあとに、梁山城まで交代の義勇軍を率いてこい。以上」
「了解!」
 ルキアは頭に巻いたバンダナを手に取って、スタリオンに渡す。
「私からの伝令だと、これでわかるだろう」
「わかった!」
 いざ走り出そうとして、スタリオンはふと動きを止めてルキアを見上げた。
「三年前と変わらず、エルフみたいな指笛言葉だな。懐かしくなった」
 ルキアは軽く笑みを返す。
「じゃ、行ってくる!」
 怒濤の勢いでスタリオンは駆けていった。
「義勇軍の交代って、もう少し先じゃなかったか?」
 シーナの言葉にカスミが頷いた。
「此処へ来る前にバレリアに会えたから、一日でも早く来るように頼んであったんだ。それこそ手段を選ばずに、ヘリオンで無理ならクロウリーを引っ張り出してでもって。凄く嫌な予感がしてたからな」
 いままでの不機嫌さが嘘のように、ルキアは極上の笑み。
「もちろん、間にあわないのを前提にこの作戦は組んだけど。……バレリアが紅旗だ、シーナ」
「お前は………。バレリアがお前の頼みに応えられないことがあったかよ……!」
「ないね」
 即答されて、シーナの憤りはすっかりやり場がない。
「ルキア殿、王国軍が退却を始めたようです」
 モンドは土煙が王国軍の後方から起こっているのを確認する。
「向こうも新手のことが伝わったみたいだな」
 ルキアは馬を幻影軍と向かいあうように向ける。そして、妖刀を持ったままではあったが、高々と右手を掲げた。
「王国軍は撤退した! 我らの勝利だ!!」
 大歓声がわき上がった。

 妖刀を鞘に収めると、右手に食いこんでいた爪はズルリと引っこんだ。また鮮血を吹き上がらせた右手を、シエラが“癒しの風”で治してやる。
 茜に染まりだした梁山城へ凱旋を果たした黒旗と蒼旗は、白旗から大歓迎を受けた。
「ルキアさん、ありがとう……!」
 とうとう堪えきれずに涙を零すアップルに、馬を降りてルキアは優しく頭を撫でる。
「どういたしまして。悪いけど、後片付けは頼む」
「はい」
 馬を白旗の一人に預けると、ルキアはカスミを呼んだ。スカーフはいつものように首に巻き直してはいたが、カスミの表情はまだ忍びのまま。それに困ったように微笑んで、ルキアはカスミの手を取ると、喧噪の中を抜け出した。
 道場横の池の畔まで来ると、入り口の広場の喧噪も遠くなった。二人並んですわって、ルキアは真っ直ぐにカスミを見つめた。
「カスミ、おかえり」
 優しくささやけば、カスミの瞳が揺れる。目許に盛り上がった雫が一つ零れ落ちると、止める術がないようにあとからあとからあふれ出した。
「た、だい……ま、ルキ、ア、様……」
 縋りつくカスミに、ホッとしてルキアは優しく抱きこんだ。
I could stay awake just to hear you breathing
 Watch you smile while you are sleeping
 While you're far away and dreaming

 思わず口をついて出たのは、古い恋歌である。見上げてきたカスミを見つめて、ルキアは歌った。

 フッチは、部屋に閉じこめていたブライトをつれて、屋上へやってきた。後片付けも着替えも頭になく、ただ、風を感じたかった。蒼旗は機械に矢をつがえて空へ向けて放つだけで良かったが、久しぶりに見た戦塵は恐怖と不思議な昂揚をもたらした。
(あぁ、どうして、僕は空にいないんだろう………)
 風が猛スピードで身体を駆け抜けていく爽快感。いまも鮮明に思い出せるのに、自分は地に足をつけて立っているしかない。
 屋上に出た一瞬、竜の背に乗ったときと同じ風を感じた。だが、それは本当に一瞬の出来事。涙に濡れるフッチの頬を、ブライトが心配そうに舐めた。
「……ふぇ……」
 誰かのしゃくり上げる声が聞こえて、フッチは後ろを振り返った。梯子の先、見覚えのあるブーツが見えた。汚れた手袋で頬の涙を誤魔化して、フッチは梯子を登った。
 いつもの位置にフェザーがいて、彼にもたれるように泣き声を押し殺していたのは、やっぱりメグだった。抱えていたブライトに軽く頷くと、ブライトも心得たように頷き返して、メグの膝に飛び乗った。
「ブライト……?」
「きゅ〜」
 ブライトに頬を舐められて、メグはくすぐったそうに身をよじる。そして、傍らに立つフッチに気がついた。
「フッチ君……」
「……大丈夫?」
「…………。あんまり、大丈夫じゃないかも……」
 視線を落としたメグは、吹き上がった風に身体を強ばらせた。首を傾げたフッチは、風にほんのわずかな音が乗っていることに気がつく。壁になれるように、メグの隣に腰を下ろした。
「音ってね、上に向かって響くものなんだって聞いたことがあるよ」
 メグはバサバサとフェザーの翼の中へ潜りこんだ。放り出されて目を丸くしているブライトを腕に抱いて、フッチは苦笑するしかない。困惑した様子のフェザーに、小さく「許してやって」とささやいた。
(ルキアさんの歌なんて、初めて聞いたなぁ)

 歌い終わる頃、風が鳴った。
 カスミを腕の中に抱きこんだまま、ルキアは完爾と笑う。
「おかえり、ルック。早かったな」
「…………ただいま」
 風の中から現れたのはルックだった。泣きはらした様子のカスミが気にならないでもなかったが、ひとまず変わった様子のないルキアに知らず安堵の溜め息が零れる。
「勝ったんだね……」
 グリンヒル市内に入れたものの、ユーバーの召喚したボーンドラゴンに思いの外、手こずった。やっと倒したあと、ルックはなにも言わずに転移魔法を起動させていた。
「あぁ。………丁度バレリアも来た。広場へ行こう」
 一度、広場へ顔を向けていたルキアは、カスミの手を取ったまま立ち上がった。思いもかけない人物の名を聞いて、ルックは首を傾げたがルキアの後についていった。
 トラン共和国の義勇軍は、城壁外に陣を張ったようだった。広場ではアップルとシーナとバレリアが話をしている。
「バレリア」
 名を呼ばれて振り向いたバレリアは足早に歩みよると、ルキアの前で跪いた。
「我が君、ルキア様」
 右手に持っていたルキアのバンダナを一度、自分の胸に押し当ててから、顔を上げてルキアに差し出す。
「来てくれて助かったよ。ありがとう、バレリア」
 両手でバレリアの右手を包みこんで立ち上がらせる。
「我が君のためなら」
 いつも通り生真面目に返すバレリアに、ルキアは極上の笑みで包みこんだままの右手に口づける。サッと艶やかにバレリアの頬が朱に染まった。
「ルキア様……!」
 抗議の声に逆らうことなく、バンダナをもらってルキアは右手を解放した。
「バレリア、カスミが戻るまで代わりを頼むよ」
「はい」
「それから………」
 真っ直ぐにバレリアの瞳を見つめて、ルキアは口を動かした。
「もし、都市同盟がミューズへ侵攻することになったら、今回の一件を盾にして、トランの義勇軍は絶対に動かすな」
 この言葉はバレリアの耳にのみ届いた。
「御意」
 バレリアは恭しく頭を垂れた。それに満足げに頷いて、ルキアはふと北を振り返る。
 “リデンプション”を召喚してからというもの、まるでヘリオンの塔にいるように星の輝きが手に取るようにわかる。4本の鍵を同時に使うことは可能だ、と彼本人が教えてくれたが、1本でこの状態ではすべてを喚んだ時はどんなことになるのか、いまのルキアには想像もできなかった。
「…………あぁ、レオンはほんと、やること為すことそつがないな」
「まだなんかくるのか?」
 緊張した面持ちのシーナとアップルに、ルキアは苦笑して首を横に振った。
「此処には来ないけど、そのうちわかるよ。それじゃ、ルック、私とカスミをグレッグミンスターまで転移してくれ」
 再びカスミの手を取って、ルキアは言った。
「荷物はどうするんだよ?」
 シーナの疑問も最も。妖刀は背に負ったままだが、他の荷物は部屋に置きっぱなしだ。
「置いてく。どうせ、また呼ばれるだろ?」
 悪戯っぽく笑うルキアに、シーナは肩をすくめた。
「それに、星辰剣にいま会いたくない」
 南西の方角を見やって、ルキアはルックに視線を戻した。
「……じゃあ、飛ばすよ」
 疲れ切ってはいたが、ルキアに道を示すくらいはできる。ルックはロッドを振った。
 転移魔法特有の光に包まれて、ルキアとカスミの姿はかき消えた。
「お〜い、終わったのか!?」
 広場にいまにも潰れそうな馬に乗ったビクトールが駆けこんできた。
「遅いんだよ、ビクトール!」
 シーナは笑って出迎える。
「他を置いて馬を走らせてきたんだぞ。これ以上、早く来れるか……!」
 馬からずり落ちるようにして降り、ビクトールは肩で息をしてへたりこんだ。
「あぁ、でも後片付けが山のように残ってるから、よろしく」
「無理。もう動けねぇ……」
「後片付けはこちらがやろう。指示をくれ」
「助かります。バレリアさん」
 デュナン湖畔の梁山城は、いつもの穏やかさを取り戻しつつあった。
 すべてが終わったわけではないのはわかりきっているが、超弩級の颱風をやり過ごせたのだから。シーナはビクトールに肩を貸してやりながら、茜と藍に染まりだした高い空を満足げに見上げたのだった。
END







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