記憶の海
年中温暖な気候である群島諸国とはいえ、やはり冬の夜明け前は冷える。昼間は見張り役がいる後部甲板は、いまは誰もいない。人の気配すら遠いその場所で、水平線とその向こうに広がる星空を眺めていたテッドは、毛布にくるまりながら身体を震わせた。船はいま、東へと向かって進んでおり、背後から白々とした光が届きつつある。
いきなり、テッドはわざとらしく大きく溜め息を吐いて、不機嫌そうに口を開いた。
「なんか用か?」
「…………足音も気配も消して近づいたのに、どうしてばれちゃうのかしら……?」
背後からやってきたのはフレアだった。
「お前が宿星だからだよ」
振り向きもせずに、テッドはフレアに聞こえない小さな声で答えた。
「……毎晩、なにを見ているの?」
テッドの隣にすわってフレアは訊いた。
「別に………」
素っ気なく答え、フレアの問いをよくよく考えて顔をしかめる。
「どうして、毎晩なのを知ってるんだよ……」
フレアは軽く肩をすくめた。
「明け方は目が覚めちゃうときがあるの。そうしたら、誰かが足音を忍ばせて廊下を歩いてる気配がして、侵入者かと思って確かめたら、あなただったのよ」
「俺だってわかったなら、寝直せよ………」
「良いじゃない、別に。寝ちゃうと却って、寝覚めが悪いんだもの」
呆れたように吐き出された溜め息は、フレアのくしゃみに紛れて消えた。立ち上がったテッドは、乱暴にフレアの頭へ毛布を落としていく。
「ちょっと、なにするのよ」
毛布の下から顔を出してフレアが唇を尖らせると、テッドは背中を見せて手を振っていた。
「俺は遠慮なく二度寝させてもらう」
「テッド……!」
抗議の声を無視するのにも慣れた。テッドは白と藍が織りなす空を見上げて独りごちる。
「こんな寒い夜は、エッグノッグでも飲みたいな……」
後部甲板を降りていくテッドを見送って、フレアは切なく溜め息を吐く。落とされた毛布にくるまると、まだ残っていたテッドの温もりが優しく包んでくれた。
朝食の時間帯の混雑も一段落ついた頃、フレアはフンギに声をかけた。
「ねぇ、エッグノッグって飲み物、知ってる?」
フンギは期待に反して首をひねった。
「エッグノッグ……? 聞いたことないなぁ。……ケヴィンさん、パムさん、聞いたことあります?」
「………ないですねぇ」
「私も、初めて聞きます」
まんじゅう屋の夫妻も、厨房で働く他の人々も、聞いたことがないと答える。
「……何処の飲み物なのかしら………。……ありがと、手を止めさせてごめんなさい」
「いいえ、こちらこそお役に立てず……」
施設街の次に、フレアはデボラのもとを訪ねた。
「こんにちは、王女様。探し物?」
オスカルと談笑していたデボラは、入ってきたフレアになにもかもお見通しのように訊いた。
「はい、そうなんです。デボラさんとオスカルさんは、エッグノッグっていう飲み物を知ってますか?」
「さぁ、私は聞いたことがないわ。デボラちゃんは……?」
オスカルは首を傾げてデボラを見る。
「私もないわねぇ」
頼みの綱のデボラにもそう言われて、フレアは肩を落とした。だが、にこりとデボラは言葉を続ける。
「でも、図書室にレシピ本があったから、それに載ってるんじゃないかしら」
フレアはぱっと顔を輝かせた。
「そっか、本がありましたね」
「いろいろな地方の料理について載っていたから、もしかしたらその飲み物の作り方も載っているかもね」
「はい、図書室に行ってみます。ありがとうございます」
「どういたしまして」
「さすが、デボラちゃんね」
続いてフレアはターニャのもとを訪ねた。
「あら、珍しい人が来ました………」
「……こんにちは、ターニャさん。いろいろな地方の料理が載ってるレシピ本があるって聞いたんだけど……」
「………さらに珍しいことを聞きました」
こちらの話を聞いてはいるらしいが、とぼけたターニャの言葉にフレアは苦笑するしかない。
「こちらがお探しの本です。題して『百万世界の料理』」
大量の蔵書の中から、ターニャは少し分厚い本を手渡した。
「ありがとう……!」
フレアは目次を指で辿る。
「…………。あった……。ね、ターニャさん、この本、しばらく貸してもらえないかしら?」
「良いですよ。汚さないでくれれば……」
「えぇ、もちろんよ。ありがとう」
スキップしたくなるような気持ちで本を胸に抱え、フレアは自室へ戻った。ページをめくる手ももどかしく、目当てのレシピを開く。
「………へぇ、気候の寒い地方で飲まれてるものなのね」
材料は、こちらでも見慣れたものばかり。作り方もさほど難しくはない。ただ、味の想像がちょっとできなかった。
「お昼が終わった頃なら、厨房も借りられるかしら」
レシピをメモに書き写し、本を返しがてら材料をそろえることから始めることにした。
昼食の時間も過ぎて、夕食の仕込みの始まる前の時間帯。フレアは厨房にいた。
卵黄、砂糖、牛乳、生クリーム、4種類の香辛料とラム酒。レシピを見る限り、この材料を火にかけながらひたすら混ぜ続けていれば良いだけである。
が、フレアにとっての最大難関は、まだ始まってもいない一番最初の、卵を黄身と白身にわけることにあった。
フンギがボウルを二つ用意して、慣れた手つきで卵を二つに割りながら、片方の殻に黄身を入れる。あふれた卵白は下に用意した器につるんと落ちた。
「こうやって二つにした殻に交互に黄身を移しながら、卵白を下の器に落としていくんです。殻で黄身を割ってしまわないように気をつけて。……で、黄身だけになったら、もう一つの器に入れます」
卵はきれいに黄身と白身にわけられた。フレアは感心したように小さく拍手した。
「はい、どうぞやってみてください」
フレアは新しい二つのボウルと手に取った卵を見つめる。意を決して、ボウルの縁に卵を打ちつけた。
グシャ……!
「あ……」
フンギは内心で、やっぱり……と付け加える。
「えぇ、どうして!?」
右手が卵の殻と中味でベトベトになってしまったフレアは、早くも涙目だ。
何個か試したが、フレアはどうしても力加減が把握できない。とりあえず試作品を先に作ってしまおう、とフンギに説得されて、卵黄は用意してもらうことにした。
沸騰させないように注意しながら、ゆっくりゆっくり火を通す。
やがて、芳醇なラムの香りと爽やかなスパイスの香りを漂わせる、白いとろりとした飲み物が完成した。小さなカップに移して、フレアはドキドキしながら口をつけた。
「………あ、美味しい……」
「ミルクセーキの温かいヴァージョンかな。上手にできましたね、フレアさん」
フンギも試飲しながら、悪くないと頷く。
「これは身体が温まりますね」
「美味しいですよ、フレアさん」
夕食の仕込みに来たパムとケヴィンにも試飲してもらうと、美味しいと褒めてくれた。上手く作れたことが嬉しくて、フレアは表情を綻ばせる。
「………でも、結局、黄身と白身をわけられなかったわ………」
これにはフンギは乾いた笑いを返すしかない。フレアの潰した卵から、殻を取り除く方法をあれやこれやと考える。
「慣れですよ。卵料理をするときにでも、練習にいらしてください」
パムに励まされて、フレアは頭を下げた。
「食材、駄目にしちゃってごめんなさい」
「飲みたくなったときのために、卵黄を2個分、作っておきましょうか」
フレアはぽっと頬を赤らめた。
「ありがとう、お願いします……」
パムが気を利かせてくれたのに便乗して、ちゃっかり二人分の材料を確保できた。
ベッドで、フレアはパチリと目を覚ました。父親のイビキと波の音以外に聞こえるものはない。そのままじっと耳をそばだてていると、密やかな足音が聞こえてきた。
猫のようにしなやかで密やかな足音。侵入者かと思ったと言ったが、フレアはもうずいぶん前からこの足音がテッドのものだと覚えていた。
また寒空に一人、物思うのだろうか。せめて、エスペランサ号に乗っている間だけでも、そばにいたいと願うことは許されないのだろうか。
こっそりと厨房に降りてきて、火にかけた鍋の中味をかき混ぜながら、フレアは自分に言い聞かせる。
「別に許可なんか必要ないじゃない。私の行きたいところに、彼もいるのだもの。………あ!」
鍋肌が小さく泡立っていて、フレアは慌てて火を止めた。卵黄が固まってしまってないかかき混ぜてみたが、ダマにはなっていないようだ。ホッと息を吐いて、また弱火にかける。
「この戦いが終わるまでくらいなら、良いわよね………。………怨念かけちゃおうかしら……」
とろみが出てきて完成間近の飲み物に、フレアはささやく。
「嘘よ、嘘。テッドが笑ってくれたら、それで良いの………」
火を止めて、生クリームとラム酒、ナツメグを加えてさらに混ぜ、マグカップに移してバニラビーンズをほんの少し浮かべる。
「できた……!」
フレアはマグカップを二つ持って、後部甲板へと向かった。
昨夜と同じように、テッドはそこにいた。
「ユウに睡眠薬でも処方してもらったほうが良いんじゃないか?」
相変わらず振り向かないまま、ぶっきらぼうに言葉を投げてくる。
「そこまで重症じゃないわよ。……はい」
テッドの隣までやってきて、フレアはマグカップを差し出した。
「なんだ?」
「エッグノッグ。昨日、飲みたいって言ってたから……」
訝しげな表情のまま、テッドはマグカップを受け取る。
「お前が作ったのか?」
「そうよ。……ご心配なく。ちゃんと味見したから飲めるわよ」
隣にすわったフレアに、テッドはマグを床に置いて、身体に巻きつけていた毛布を広げた。
「来いよ。そんな薄着じゃ、風邪ひくだろ」
自分でも赤いだろうな、とわかるくらいに顔が一気に熱くなった。フレアは内心の動揺を悟られやしないかと、ドキドキしながら広げられた毛布の内にすわった。
「そっちの端、持ってくれ」
「うん……」
左手で毛布の端をつかんで身体に巻きつけ、右手にマグを持っていると、テッドが隙間を空けないようにとさらに身体を寄せた。
肩が、触れる。
「……あぁ、美味いな。お姫様にしてはやるじゃん」
いつの間にかテッドはエッグノッグを飲んでいた。
「……そ、そう………。良かったわ、初めて聞いた飲み物だったから、この味であってるのか、心配でもあったの」
いつもならお姫様呼ばわりなんか許さないのに、フレアは肩先から伝わる体温に気を取られてしまっている。
「小さい頃、冬の定番の飲み物だったんだ………」
テッドの声がとても切なく胸に響く。
「……酒は入ってなかったけどな」
さっきの懐かしそうな寂しそうな表情は何処へ消えたのか。テッドはそう混ぜ返した。
「多過ぎたかしら……?」
「いや、いまの俺にはちょうど良い。もう酒も飲めないガキじゃない………」
そうして、また一口飲んで、ほぅと白い息を吐き出す。
パチパチと薪の爆ぜる音を響かせている暖炉。もう名前も思い出せない、笑っている父と母。ロッキングチェアをゆらす祖父の膝の上で、両手でくるむようにしてボウルカップを持って、エッグノッグを飲んでいる幼い自分。
「これを宿す前の記憶なんて、もう跡形もないと思ってたんだが、味覚と嗅覚ってヤツは意外と強力だったんだな………」
「テッド……?」
「ありがとな、フレア」
テッドはにっこりとそれは穏やかな笑顔を浮かべた。
「…………どういたしまして……」
フレアはそれだけ返すのが精一杯。
確かに、笑顔でいて欲しいと願った。だが、これは余りに反則ではなかろうか。
(自分ばっかり好きになってる気がするわ………。やっぱり呪いでもかけておけば良かったかしら)
何故だかとても癪に障るので、フレアはテッドにもたれかかってエッグノッグを飲んだ。
END

サイトを復活させて、初の企画をしました。某所に上げてるラフ絵は誰と誰でしょう?というクイズを出してたのです。で、正解者の中から抽選で1名様にリク権を差し上げます、という企画でした。
参加、正解してくださったリスこ様がリク権をゲット。リクエスト『テッド×フレアでほのぼの』でした。いかがでしたでしょう?
リクエストもらえるって嬉しいですね(*^_^*) 喜んでいただけると、もっと幸せですね(≧∇≦)♪ リスこ様にはお気に召していただけて胸を撫で下ろしました(笑)
いかんせん、ほのぼのラブの書き方を忘れてしまっていた、私(;'-') 「切ないのは駄目だぞ〜、しんみりさせるなよ〜」と呪文のように心中で唱えながら書いてました。で、最初にできたのが、百歩譲ってほのぼの系な話にはなったものの、厨二病全開過ぎて、差し上げものにはまったく向かない代物(爆) もう一回、一から考え直して完成したのがこれになります。これも、ラストが切なくなってしまいそうになり、慌てて軌道修正(;'-') テドフレは、やっぱり突き詰めて考えていくと切なくなりますよ〜、リスこさん(≧△≦)
ともあれ、この話でなんとかほのぼのラブの書き方は思いだしたデス(;'-')
エッグノッグについて補足を。
ミルクセーキ(←和製英語)のお酒入りと思っていただければ間違いないかと。定番はクリスマスに暖かい部屋で飲む冷たい飲み物なんだそうです。今回使ったレシピのように温かいままで飲むのももちろん可。この名前のカクテルもありまして、西洋版卵酒とも言われてるのだとか。黄身と白身にわけずに、全卵1個とお砂糖と牛乳だけ(お酒はお好みでプラス)で作る超お手軽レシピもありましたが、私的にもうちょっととろみが欲しいなって思って、このレシピになりました。
私が参考にしたレシピはこちら→カリフォルニアのばあさんブログ
レシピでは、火を止めたあと生クリームか牛乳をプラスするのですが、フレアには分量の半分を生クリーム、残り半分をラム酒にして作ってもらいました。話の都合もあったけど、私がラム酒の香りが大好きなので('-'*) バニラエッセンスもビーンズに変更。これは、さすがにないかなって思って(笑) お酒が苦手な人は、分量通りに作るのが良いかな。ブログ書かれてる方もお酒は入れないそうですし。美味しかったので、卵や牛乳が平気な方は是非お試しあれ(*^_^*)
企画の参加&リクエストしてくださったリスこ様に百万の感謝をm(_ _)m このお話も気に入ってくださってありがとうございます(≧∇≦)♪
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