君がため
三年前、強大な赤月帝国を撃ち破って建国されたトラン共和国。
国民のための国を造ろうという意志のもとに建てられた国は、疲弊していた国土を瞬く間に甦らせた。その国と幻影(ホアイン)軍が同盟を結んだのが、一ヶ月ほど前。
また、あの華やかなりし都・グレッグミンスターへ出かける、と若きリーダーのゴクウは言った。ルカ・ブライトとの大決戦にも勝利し、まだ仮初めながらも平和を享受できるようになって、少しくらい羽を伸ばしたくなったのだろう。そして、城というよりはいまや都市と呼べるほどに発展した梁山(リアンシャン)城に、交易所が欲しいと常々言っていたことから、誰か人を引き入れるつもりもあることは明白だった。
「じゃあ、フリックさんとビクトールさんを護衛にすると丁度良さそうですね」
「え?」
アップルの言葉に二人同時に首を傾げれば、にこりと笑みが返される。
「黙っていなくなったこと、いい加減に謝りに行ってきてはどうですか」
「………わ、わかった」
「ゴクウさえ良ければ……」
ビクトールとフリックはこれは逆らわないほうが良い、とややげんなりとして頷いた。
ゴクウがそれを無下に断るはずもなく、さらに年に似合わぬ気遣いを見せて、トラン行きのパーティは、『門の紋章戦争』に関わったメンバーで組まれた。ゴクウ以下、フリック、ビクトール、カスミ、ルックの五名である。
ゴクウはシーナにも声をかけたようだが、「わざわざ親父の顔を見に行くよりは、アップルの側にいるほうが良い」と言ったとか。その時、隣で聞いていたアップルの顔がすっごく可愛かったんだよ、とバナーの村へ向かう船上でゴクウは語った。
山間ののどかなバナーの村へ到着した一行は、ゴクウの姿をそっくり真似た男の子・コウに出会った。
『ゴクウ将軍』を尊敬するコウは、目の前にいるのが正真正銘のゴクウ本人だとまったく気づいていない。ゴクウは面映ゆそうに笑うだけで、名乗ることはしなかった。
「僕、本当はあの人がそうなんじゃないかな、って思ってるんだけど」
「あの人……?」
コウの家族が経営している宿屋の食堂で、ゴクウは身を乗り出してコウの顔を覗きこんだ。
「うん、うちに泊まってる二人連れがいてね。いつも裏で釣りばかりしてるんだ。そのうちの一人がそうなんじゃないかなぁって。僕、何度も訊くんだけど、違うよっていつも笑ってはぐらかされちゃう」
「へぇ、会ってみたいな」
ゴクウは同じ年頃の少年に会えるのが、ただ嬉しいようだ。
「この宿の前の道をぐるっとまわって行けるよ。じゃあ、僕は家の手伝いがあるから、またあとでね、お兄ちゃんたち」
ひらひらと手を振って、コウは出かけていった。
「僕、ちょっと行ってくるよ」
ゴクウは教えられた場所へ走っていってしまった。
「おい、ゴクウ……! ……ふぅ、まぁ、仕方ないか……」
追いかけようとしたビクトールは、また椅子にすわりなおした。
「ゴクウさんも、もっと自由に遊んでいたい年頃ですよね」
「カスミまでそんなこと言ってると、オバサンの仲間入りするよ」
相変わらず、ルックは余計な一言を言う。
「ルックさん……!」
顔を赤くして怒ったカスミを笑ったビクトールに、星辰剣がさらに余計な一言を言った。
「小僧は、『まで』と言ったのだ。貴様はとっくにオジサンだ」
「な、なにを、このナマクラ剣が!!」
「私が言ったのではない。小僧が言ったのだ」
「……おう、そうだ、ルック、てめぇだ!」
「子供にムキになるなんて、大人げないって前にも言ったと思うけど」
ルックは澄ました顔で言う。
「くぅ〜…………」
今度はフリックがやれやれと止めに入ろうとすると、ゴクウがガッカリした様子で戻ってきた。
「ゴクウさん、早かったですね。会えましたか?」
「………それが、頬に傷のある男の人がいて、会わせてもらえなかったんだ」
自分の左頬に×と描いてゴクウは言った。この言葉に四人が凍りついた。
「ゴクウ! そいつの名前、訊いたか!?」
立ち直りが早かったビクトールが、ゴクウの両肩をつかんで咬みつくような勢いで訊いた。
「え!? うぅん、そこまでは………」
びっくりして目をしばたくゴクウは、何故だか自分まで慌ててしまって勢いよく首を振った。
「ビクトール……」
ルックがビクトールをたしなめる。
「あ、あぁ、すまん、ゴクウ………」
落ち着きを取り戻したビクトールは、ゴクウの肩から手を放した。ルックは残り二人に目をやって溜め息を吐いた。
(まだ凍ってるよ……。気持ちはよくわかるけど………)
頬に傷のある男が彼らのよく知る男ならば、二人連れのもう一人はあの少年でしか有り得ない。トラン共和国建国と同時に姿を消した解放軍元帥・ルキア。
そこへ、コウが帰ってきた。
「あれ、お兄ちゃんたち、どうしたの? あ、わかった。あの頬に傷のある男の人に追い返されたんでしょ」
ただならぬ雰囲気におろおろするゴクウと、期待にはち切れんばかりの四人。カスミはもうすでに涙目だ。
そんなことにまったく気づかず、コウが提案した。
「ねぇねぇ、お兄ちゃんたち、どうしてもゴクウ将軍に会いたい?」
「会えるのか!?」
目の色を変えて、フリックがコウに詰め寄った。
「う、うん……」
さすがにこの異様な雰囲気に気がついて、コウは一歩下がる。
「落ち着けよ、フリック」
ビクトールが押し留める。我に返ったフリックは、バツが悪そうに頭をかいた。フリックはいまにも走り出したい気持ちでいっぱいだった。
「それで、どうやって?」
大人たちが完璧に使い物にならないとわかったルックが訊いた。
「あ、うんとね、こういうのはどう? 僕が山のほうで『助けてー!!』って叫ぶの。そうしたら、あの頬に傷のある人もびっくりして助けに来ると思うんだ。その隙にお兄ちゃんたちはゴクウ将軍に会っておいでよ」
「うん、わかったよ。頼むね」
「まかせといて」
ポンと胸を叩くコウと、何処か上の空の大人たちを見比べて、ルックは軽く息を吐いた。
「行こうか、ゴクウ」
ルックは殊更、ゴクウだけを促した。
「う、うん……」
心配そうにゴクウはフリックたちを見た。
『門の紋章戦争』について知識はあっても、フリックたちのように肌で経験したわけではない。ゴクウが彼らのこの気持ちについていけなくても仕方がなかった。
五人が釣り場へ続く道の角で身を潜めていると、山のほうからコウの叫び声が聞こえた。
「助けてー! とくにそこのお兄ちゃーん!!」
「あ、あの声は、宿屋のお子さんの……!」
頬に傷のある男が飛び出してくる。脇に身を潜めている五人に気づかず、そのまま走り去っていった。
「グレミオ………」
やはりな、とビクトールが呟く。その男は、ルキアとともに姿を消したグレミオだった。
「久しぶりに会えるな」
わざとらしいほど明るく言って、ビクトールが歩き出す。
「待て」
その行く手をルックが塞いだ。
「なんだよ、ルック」
訝る四人に、ルックは愛用のロッドを水平に構えて険しい表情で言った。
「この向こうにいるのは、ルキアだろう」
「そうですよ。間違いありません」
いまにも飛び出していきそうなカスミを、ルックはロッドを突き出して止めた。
「どうして止めるんですか?」
「誓え、いま此処で。ルキアに会うことを後悔しないと」
「それは、どういう意味だ……!」
さらに険悪な表情でフリックが詰め寄る。
「ゴクウはともかく、あとの三人は誓え」
ルックも一歩も退かない。
「……ルック………」
ゴクウが間に入ろうとするが、ルックはピシャリと言った。
「黙っていてくれ、ゴクウ。これは、あの戦争に関わった者たちだけの問題なんだ」
ゴクウは少し後ろに下がった。こう言われては、もう成り行きを見守るしかない。
「ただ懐かしい、という気持ちだけでルキアに会うのは止めてくれ。それはルキアを哀しませることにしかならない」
「………お前なぁ、俺たちをあんまり甘く見るなよ」
やれやれと軽く息を吐いて、ビクトールは言った。そんな簡単な一言で片づくような気持ちでいるはずがない。
「うるさい、誓え」
「こんな性格の悪いお前にとっても、ルキアは特別なんだな。……わかった、それでお前の気がすむなら誓うよ」
「ビクトール……!」
いきり立つフリックの胸を、軽くビクトールは指で突いた。
「お前の此処にある気持ちは、『懐かしい』なんていう一言で片づくような代物か? 違うだろ。だったら、誓っておけよ。お前の気持ちが本物なら、難しいことじゃないはずだ」
グッと言葉に詰まるフリック。
「……誓います、ルックさん。だから、止めないで………」
堪えきれずに、カスミは涙を零した。
「…………。チッ、わかったよ、誓うよ」
観念したように両手を上げて、フリックも言った。ルックはようやくロッドを降ろす。ゴクウもホッとしたように息を吐いて言った。
「じゃあ、会いに行こう」
今度は誰も異議を唱えず、先へ進んだ。
細い裏道を曲がると、桟橋にすわって釣り糸を垂れている少年の後ろ姿が見えた。
表地が萌葱色、裏地が紫の松襲の頭巾に、紅い胡服姿。間違いない、という思いが四人全員にあったが、誰もがそれ以上、動くこともできないでいた。ゴクウも遠慮して、脇に下がったまま。
そのまま皆が立ち尽くしていると、少年が釣り竿を脇に置いて立ち上がり、こちらを振り返った。
少年の名は、ルキア・マクドール。
立ち尽くす五人にいつから気づいていたのだろう、ルキアは悠然と歩み寄り、少し距離をおいて立ち止まった。知った顔を順番に見つめる彼の笑顔に、ほんのわずか哀しい色があったことに気づいたのは、恐らくルックとビクトールだけだろう。
「よぅ、久しぶりだな」
軽く手を挙げてビクトールが言った。
「久しぶり………。変わりは、ないようだね……」
ルックは相変わらず無愛想な表情である。
「久しぶり、ビクトール、ルック。……それに、カスミ、フリックも」
「ルキア様………。良かった、お元気そうで………」
「うん、ありがとう、カスミ」
ルキアは感慨深げな表情だったが、しばらくして右手を掲げた。黒い稲光が手袋をした右手にまとわりついている。
「フリック、ビクトール………私に言うことは、それだけかい?」
にこやかな顔とは裏腹に、声音は絶対零度。名を呼ばれた二人はサッと血の気が失せ、すぐさまその場に土下座した。
「悪かった!!」
ビクトールは地に額をこすりつける。
「すまない、ルキア!」
もしまた会うことができたら言おうと思っていたことが山ほどあったはずなのに、こんな言葉が第一声なんて、とフリックは情けなくなった。
傲然と二人を見下ろしていたルキアは、しばらくして溜め息を吐き、軽く手を振って稲妻を払った。そして、ゴクウへ視線を向ける。
「……君は……」
「ぼ、僕はゴクウ」
「あぁ、君が………。都市同盟での活躍は噂に聞いてるよ。私はルキア」
二人の少年は、ニコッと笑った。
「じゃあ、宿屋へ戻るか。積もる話もあるしな」
一行が戻ると、宿屋は大騒ぎになっていた。
「どうしたんだ?」
「あぁ、坊ちゃん、大変です!」
グレミオは真っ先にルキアのもとへ走り寄った。
こいつ、俺たちのことが見えてないな、とビクトールとフリックが顔を見あわせて肩をすくめる。
「コウ君が山賊たちに攫われてしまったんです」
「え!? 本当?」
愕然とするゴクウ。
「本当ですとも。私はこの目でしっかり見たんですからね」
気まずそうに沈黙する五人。
「………助けに行かないと」
「おう、もちろんだ」
ゴクウの言葉に、ビクトールが頷いた。
「あ、あれ、ビクトールさんにフリックさん、皆さん、こんなところでなにをしてらっしゃるんですか?」
グレミオはようやくゴクウたちに気がついた。ガックリ、とビクトールは肩を落とす。
「それは道々話してやるから、いまはコウを助けに行こう」
「そう、で、すね………」
不自然にグレミオの言葉が途切れた。
「グレミオ……?」
額に手を当ててふらついたグレミオの身体をルキアが支える。
「ちょっと、立ちくらみが………。すみません、坊ちゃん」
グレミオの様子にルキアは顔を青ざめさせると、右手でグレミオの背中を軽くさすった。
「大丈夫か?」
「……あれ……? はい、楽になりました」
急激に力が抜けていく感覚が襲ってきたのだが、それは来たときと同じように急激に治まった。グレミオは不思議そうに首をひねる。ルキアはなにかを探すように視線を彷徨わせ、やがてゴクウを見つめた。
「………君か………」
「え……?」
ゴクウはわけがわからず首を傾げる。ルキアは軽く息を吐いた。
「ん、ちょっと訊きたいことがあるけど、とりあえず、いまは行こう」
総勢七人になったパーティは、山賊たちが走り去っていったという峠へと足を踏み入れた。
最初は緊張した様子でルキアをさんづけで呼んでいたゴクウだが、ルキアに「むずかゆくなるから呼び捨てで良い」と言われ、「でも……」と押し問答してるうちに打ち解けてきた。
「そうか、それが“輝く盾の紋章”なんだ………」
「はい。……もう一つの“黒き刃の紋章”は、僕の親友が宿してて……」
バナーの峠で、ゴクウとルキアを先頭にして、その少し後ろをビクトールたちが歩いていた。
「……親友は、いま、何処に?」
「それは……」
ゴクウはつらそうにうつむいた。
「……ごめん、立ち入ったことだったね。答えたくないなら、良いから」
あっさりとルキアは退いた。
「……ルキアも、宿しているよね……?」
さっきから、ゴクウは右手がチリチリと疼いていてしょうがない。
「まぁね……」
共鳴反応ばかりは隠しようがない。そして、このまっさらな陽の気を放つ“輝く盾の紋章”が共鳴以上に反応しているのは、偽りの魂魄を宿しているグレミオの存在が許せないのだろう。
(相変わらず、融通の利かない双子だ)
ルキアは溜め息を吐いた。
そんなルキアの内心にまったく気づかずに、ゴクウは遠慮がちに、だが訊きたくてしょうがない問いを口にした。
「……ルキアの紋章は、なんていうの?」
「…………“ソウルイーター”と呼ばれているよ」
その不吉な響きを持つ名前と、その名を口にしたルキアの声音の深さに、ゴクウはまじまじと見つめた。
「なに……?」
「あ、うぅん、なんでもない」
いままでただ憧れの気持ちだけで見ていたトランの英雄のことを、この時になって初めて、ゴクウはもっと知りたいと強く思った。
一方、都市同盟の現状とあわせて、彼らの近況を教えてもらったグレミオは深々と溜め息を吐いた。
「…………はぁ、そうだったんですかぁ………。都市同盟とハイランド王国との戦争が長引いていることは聞いていましたが、あのゴクウ君が、いまや都市同盟になくてはならないリーダーだったとは……。なんだか、似てますね………」
「………だからってわけでもないんだが、放っておけなくてな。此処まで付き合ったんだ、最後まで見届けてやりたいと思ってるよ」
ビクトールの言葉に、グレミオは頷いた。
「私たちは、トラン共和国の建国と同時に旅に出ました。……カスミさん、すみません、黙っていなくなって……」
「いえ、そんな……。ご無事なら、それで良いんです………」
グレミオに首を振って、カスミはルキアの後ろ姿を見つめた。
三年間、一日だって忘れたことはなかった。だが、こうして元気な姿を見ることができて、それだけでもう舞い上がりそうな気分だった。
「………あの紋章のことを、坊ちゃんなりにいろいろ調べたり考えたりしたかったようです……。もちろん、お二人のことも気にされてましたよ」
グレミオにまで言われて、フリックとビクトールは歩きながら頭を下げた。
「心配かけてすまなかったな」
「俺たち、あいつのお供のついでに、グレッグミンスターへ謝罪まわりに行くところだったんだ」
「謝罪まわりは坊ちゃんもなさらないと、でしょうねぇ。………あの村に長く滞在していたのは、その踏ん切りがつかなかったのか、お二人の噂を聞いて都市同盟に行ってみたくなったのか、たぶん、両方なんじゃないかと私は思っていますよ」
「グレミオ」
いつのまにか、ルキアがグレミオを軽く睨んでいた。わかりました、というように軽く息を吐いてグレミオは別の話題を口にした。
「コウ君は、何処まで連れ去られてしまったんでしょうねぇ……」
トラン共和国との国境が目と鼻の先に見えた頃、ようやく山賊たちに追いつくことができた。
山賊たちは途中、モンスターに遭遇したようでコウを置き去りにして、散り散りに逃げてしまった。先を急いだ一行は倒れたコウを発見し、襲いかかってきたモンスターを倒した。
だが、コウはすでにモンスターの毒を吸ってしまったようで、熱を出しうなされている。此処からならグレッグミンスターのほうが近いということで、一行はコウを名医・リュウカンに診せるべくトラン入りした。

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