誓い



 カスミは、三年ぶりにルキアとの再会を果たした。
 あの苦しい戦いのあと、ルキアがグレミオとすぐに姿を消してしまったことがわかったとき、涙があふれて止まらなかった。『呪いの紋章』を気にしてのことであろう、というのはカスミにもすぐにわかった。だが、黙って出て行かれてしまったことが悲しくて寂しかった。ルキアにとって、自分はそれだけの存在でしかないのだ、と突きつけられたのだと思った。
 だから、少しも変わらぬ元気な姿を見て、すっかり舞い上がってしまった。ルックから、注意を受けた言葉も忘れてしまって。
 彼は、真剣に言ったはずだ。
「誓え、いま此処で。ルキアに会うことを後悔しないと」
 その言葉の意味をきちんと理解していなかった、と自覚したのは、取り返しのつかない一言を言ってしまったあとだった。



 グレッグミンスター城で、解放軍元帥の再会と新同盟軍リーダーの来訪を祝う宴がお開きになったあと、カスミはルキアに会いに、マクドール家の彼の部屋を訪ねた。
 宴の間ずっと、ルキアはみんなに囲まれていてゆっくり話すことができなかった。このままでは、また眠れぬ夜を過ごすことになりそうだったカスミは、勇気を振り絞って彼の部屋を訪れたのだ。
「すみません、お部屋まで押しかけてしまって。………宴の時、あまりゆっくりお話ができなかったから……」
「良いよ、気にしなくて。私はかまわないから」
 恐縮するカスミに、ルキアは笑顔でソファを勧めてくれた。カスミの大好きだったその笑顔は少しも変わるところがなくて、彼女の心をさらに舞い上がらせた。
 カスミはこの三年間のトランの出来事、自分のこと、堰を切ったようにルキアに話した。すでに聞いた話もあったであろうが、ルキアの表情は変わらない。少し眩しそうにカスミを見つめ、話をじっと聞いていた。
「私も少し、背が伸びたんですよ」
「うん、カスミはグッと大人っぽくなったね」
 ぽぉっとカスミの頬が赤くなる。
「そ、そうでしょうか……。……ルキア様は………」
 ルキアを見つめたカスミは、以前、ルックから聞かされた真の紋章を持つ者が受ける呪いの話を、唐突に思い出した。
「ルキア様は、少しも変わられてないのですね………。ルックさんが言っていたように……。………本当に、歳を取らないのですね………」
 ルキアの視線がカスミから外れた。表情も微妙に変化する。
 だが、カスミは呪いを目の当たりにした衝撃に気を取られて、そのことに気づかなかった。
「…………終わることのない生…………」
 呟いてしまった一言と、ルキアの見せた哀しげな笑顔が、誓えと言ったルックの言葉を思い出させた。
「ご、ごめんなさい……! 私ったら………。本当に、ごめんなさい」
 ぽろぽろと涙を零すカスミに、ルキアはただ曖昧な微笑を返しただけだった。
「ごめんなさい! 私、失礼します」
 慌てて立ち上がり、カスミは部屋のドアを開ける。
「…………ルキア様………」
 もっともっと話したいことがいっぱいある。聞いて欲しい言葉は、なに一つ言えていない。だが、こんな残酷な一言を口にしてしまった自分に、他になにが言えるのか。どれだけ言葉を尽くしたところで、すべて虚言として響くだろう。
 己の愚かさが悔しくて、そして、ルキアの存在がこんなに遠くなってしまったことが哀しくて、カスミはそれ以上の言葉を続けることができずに部屋を出た。
 閉じられたドアをルキアは見つめるしかなかった。カスミを追いかけて自分は大丈夫だから、と言いたかったが、ルキアはその場を動かなかった。
「………これで、彼女を喰らうこともない………」
 そう呟いて、ルキアは天井を仰ぐ。
「強く在りたい………。もう、誰も泣かせたくない……」


 マクドール家を飛び出したカスミは、グレッグミンスター城へ戻った。定期的にグレッグミンスターへ兵士の教練に来ているカスミは、城に自分の個室をもらっている。
 城内の要所要所に立つ衛兵たちに、泣き顔を見られたくなくて、カスミは足早に長い廊下を歩いていた。
「カスミ?」
 廊下を曲がろうとしていたカスミは、さらに城の奥へと続くほうから歩いてきた女性に呼び止められた。
「あ、奥方様……」
 トラン共和国大統領夫人のアイリーンだった。
「あらあら、どうしたの? こんなに目が赤くなるまで………」
 気遣わしげなアイリーンの言葉は、カスミの心に優しく染みた。こんな優しい言葉をかけてもらえる資格なんてないのに、とカスミはさらに涙を零す。
「……カスミ………。こちらにいらっしゃいな」
 アイリーンはカスミの手を取って、自分の部屋へと誘った。
「ちょっと待っていてね」
 個人的な客をもてなす部屋であろう。こぢんまりとした部屋だが、置かれている調度類はセンスの良いものでまとめられていた。
 部屋の中央の丸テーブルについて待っていると、アイリーンがお茶のセットを載せたワゴンを持ってきた。
「奥方様、私がやります……!」
 らしくなく音を立ててカスミは立ち上がる。それを、やんわりとアイリーンは押し止めた。
「ダメよ。カスミはすわっていて」
「ですが………」
「美味しいお茶を入れるコツはね、楽しい気持ち。飲んでもらう人に、喜んでもらいたいなっていう気持ちが一等大事なのよ」
 泣きはらした目許に手をやって、カスミは恥ずかしそうにうつむいた。
「お手間をおかけして申し訳ございません」
「良いのよ、謝らなくて。私のほうこそ謝らなくちゃ」
 手際よくお茶の準備をしながら、アイリーンは言った。
「奥方様……?」
「私、嬉しいの。だって、また女の子の相談にのれるんだもの。ごめんなさいね。カスミ、泣いてるのに」
 ゆるゆるとカスミは首を振った。
「はい、どうぞ。熱いから気をつけてね」
 花柄のティーカップに、お揃いのソーサー。温かな湯気とともに、フルーティな香りが広がった。
 カスミは両手でカップを持って、ゆっくりと一口飲んだ。
「………ふぅ……」
 思わず、大きく息がもれる。肩の力が抜けていくようだ。
「…………どう? 落ち着いた?」
「はい……。ありがとうございます」
 カスミの涙もようやく止まった。
「なにがあったのか、話せる?」
「…………はい」
 アイリーンの問いかけには、少し間があったものの、カスミは顔を上げて答えることができた。
「私………ルキア様に酷いことを言ってしまいました…………」
 そう前置きして、カスミはルキアの部屋での出来事をアイリーンに打ち明けた。
「どうして、あんな事を言ってしまったのでしょう……。他にもっともっと聞いて欲しいことがあったのに……」
 カスミの目からまた涙があふれた。
「ちゃんと謝ったのでしょう?」
「えぇ……でも………」
「ごめんなさいって、ちゃんと言えたのなら上出来よ。あとは、明日、いつも通りにルキアさんに接することができればもっと良いわ」
 カスミにハンカチを渡しながらアイリーンは言った。
「そ、そうでしょうか………」
 すみません、と軽く頭を下げて、カスミはハンカチで涙を拭った。
「ルキアさんだって、カスミを泣かせてしまったことを後悔しているはずよ。ともに戦った仲間だったんですもの。カスミと気まずくなってしまうことは嫌だと思ってるでしょう。だから、明日、あなたがいつも通りに振る舞ってあげたら、きっと安心すると思うわよ」
 カスミはじっとアイリーンの言葉に耳を傾ける。
「それにね、カスミ。あなたはもう忘れないでしょう……? ルキアさんの姿は、あのまま変わることはないけれど、でも、心にはちゃんと時間が刻まれている。ちゃんと成長しているってこと。忘れないわよね」
「はい……はい、奥方様………」
 ハンカチを目に押し当ててカスミは答えた。その頭をふわりと優しい手が撫でる。
「宴の時に聞いたのだけど、ルキアさんはしばらくグレッグミンスターの家にいらっしゃるそうよ。お話ができる機会はまだあるわ。頑張って、カスミ」
「はい。ありがとうございます」
 それから、アイリーンはお茶を入れ直し、二人はひととき他愛もないおしゃべりをしてから眠りについた。


 翌朝、元気になったコウを連れて、ゴクウたちはグレッグミンスターをあとにした。ルキアとグレミオは彼らをバナーの村まで見送る。
「しばらくはあの家にいるから、グレッグミンスターへ来ることがあったら寄ってくれ」
「うん、もちろん」
 二人のリーダーが別れを惜しむ。他のメンバーもそれぞれ、ルキアとグレミオに別れを告げた。
 カスミは昨日アイリーンに言われたように、いつも通りにルキアに接した。少し緊張することもあったが、ルキアも変わらない態度でカスミに接してくれる。
「………ルキア様、私も会いに行ってよろしいですか?」
「もちろん。カスミも会いにきて」
 カスミの大好きな笑顔でルキアはそう言った。
「ありがとうございます」
 笑顔でカスミも答える。
「………あの時は、本当に申し訳ございませんでした。……でも……私、まだルキア様に聞いて欲しいことがいっぱいあるんです。それに、ルキア様のこともいっぱい聞きたいんです」
 カスミの意志を持った言葉にルキアは目が眩む想いがする。チリチリと疼く右手を後ろ手にまわし、なんとか笑顔を取り繕う。
「うん……。私こそ、すまなかった。……もうあんな情けない姿は見せないから」
 ルキアの優しい心遣いに、カスミはまた涙があふれた。
「こら、ルキア、女の子を泣かすなよ」
 ビクトールが軽くルキアの頭を小突く。
「え、あ……カスミ、泣かないで」
 困った様子で、ルキアはカスミの頭を撫でた。
「すみません、ルキア様」
 カスミは慌てて涙を拭い、顔を上げた。優しく微笑みかけるルキアと目があう。
 心にはちゃんと時間が刻まれている、というアイリーンの言葉をカスミは実感した。
 カスミは心に決める。ルキアに置いていかれることがないように、自分ももっと成長しようと。そして、ルキアを支えてあげられる女になろうと心に誓った。
END