佐保姫の恋、竜田姫の恋



 ハイランド王国の皇都・ルルノイエが陥落した。後に、『デュナン統一戦争』と名付けられた、長い戦いがようやく終結したのである。
 戦勝祝いの宴は、盛大に梁山(リアンシャン)城にて行われた。皆がこの苦しい戦いを勝ち抜いたことを喜び、さらなる希望に向けて歩いていくことを祝ったのである。
 だが、都市同盟を率いてきたリーダーのゴクウは、その宴の最中、心此処にあらずな表情をするときがあった。育ってきた環境のせいか、変に気がまわるこの少年のことなので、皆がいる前ではそんな表情を見せはしない。だが、目敏い何人かはその表情を目撃し、彼の心中を思いやるのであった。
 そして、翌日、この地に国を建てて欲しいというシュウやテレーズたちの申し出を、ゴクウは断った。
「それは、できません。………僕には、まだ、やらなくてはいけないことがあるのです……」
 ちらりと自分の右手に目をやって、ゴクウはきっぱりとそう言ったという。
 その話を人づてに聞いたアイリは、ホッとしている自分を自覚した。ゴクウの言った『やらなくてはいけないこと』の意味は、なんとはなしに想像はできたけれど。
 でも、ゴクウがアイリたちのところへ来たとき、言わずにはおれなかった。
「ゴクウ……あたしたちと、気ままな旅に行かないか? また、ナイフ投げやろうよ……」
 微笑むだけで、ゴクウはそれには答えなかった。
「ゴクウ、旅! 旅!! また一緒に行こう!」
「どう? 一緒に行かない?」
 ボルガンもリィナもゴクウに行こう、と誘った。
「妹も喜ぶわ」
 リィナの言葉に、アイリは顔を真っ赤にした。
「姉貴!!」
 ひとしきり笑ったあと、ゴクウは真面目な顔で言う。
「……ありがとう。本当にアイリたちと行けたら、どんなに良かっただろう………」
 シン…とその場が凍りつく。
「リィナ、ちょっとアイリを借りても良いかな?」
 ゴクウのこの申し出に、アイリはさらに固まってしまう。一枚も二枚も妹より上手のリィナは、いつものアルカイックスマイルを浮かべて頷いた。
「ふふ、どうぞ。煮るなり焼くなり、好きにしてちょうだい」
「ありがとう。……行こう、アイリ」
「……え!? あ、ちょっと、ゴクウ……!」
 ゴクウに手を引っぱられて、アイリは我に返った。

 エレベーターに乗って、ようやくゴクウはアイリの手を放した。
「ゴクウ、何処へ行くの?」
 アイリは平静を保とうとするのだが、頬の紅潮はすぐにはおさまらない。
「屋上まで」
 その声音が、初めて聞く少年の声のようで、アイリはゴクウのことをまじまじと見つめてしまった。
「? なに?」
「……うぅん、なんでもない」
 アイリは慌てて視線を逸らす。
 屋上に着くと、こっちだよ、とゴクウは屋根に取りつけられた梯子を登った。右側はフェザーの指定席。元気かい、と彼(?)に手を振って、ゴクウは左側へと進む。
「足許、気をつけて」
「うん」
 さしのべられたゴクウの手を、アイリは躊躇いもなく取った。そんな何気ないことがとっても嬉しくて、ゴクウの顔は自然とゆるんでしまう。
「風が気持ち良いね」
 屋根の上にすわって、ゴクウは言った。アイリもその隣に腰を下ろす。
「………どうしたんだい、ゴクウ?」
 アイリのこの当然の質問に、ゴクウは照れくさそうに頭をかいた。
「なんだよ、言ってくれなきゃ、わからないだろ」
 ゴクウは本拠地の広場で、アイリたちとは行けないことを告げた。いまのアイリは泣かずにいることが精一杯で、知らず知らずのうちに口調はぶっきらぼうになってしまう。
 それを察したのだろうか、ゴクウは意を決したようにアイリに話し始めた。
「…………。此処から一望できるデュナン湖の景色が、一等好きなんだ。だから、最後にアイリと一緒に見ておこうと思って」
「……ゴクウ……。さ、最後って………」
 アイリは湖を眺めるゴクウの横顔を見つめた。
「……もうみんなには、挨拶してまわってきたんだ。俺、今日中にこの城を発つよ」
 淡々と告げられたこの言葉に、アイリの心の箍が外れた。
「何処へ行くんだよ! 戦いは終わったんだ。これから新しい国をみんなで始めるんだろ。それなのに、この国のリーダーになることを断ってまで、あんたがやらなきゃいけないことってなんだよ……!!」
「アイリ………」
 ゴクウは手を伸ばして、アイリの瞳から零れ落ちる涙を拭った。アイリはその手を払うとゴクウに背を向ける。
「…………。ごめん、怒鳴ったりして……」
 背を向けたまま、アイリは言った。
「ちょっとはわかってるんだ、ほんとは。あいつの……ジョウイのところへ行くんだろ……」
 ゴクウはアイリの背中から、自分の右手へ視線を移す。
「うん……。…………英雄の紋章だかなんだか知らないけど、こんな厄介なものがこの手にある限りは、好きな子と旅に出ることもできないよ」
 思わず、アイリはゴクウを振り返る。目があうと、ゴクウはニコッと笑った。
「………で、でも、その紋章は、昔の戦争のときも一つにはできなかったんだろう。一つにするには、確か…………」
 以前、ルックに教えてもらったことを思い出して、アイリは凍りついた。
「まさか、ゴクウ………死にに行くつもりじゃないだろう……?」
「………一応、考えてはみたよ」
「ゴクウ!!」
 アイリは此処が屋根の上だということも忘れて、ゴクウの胸ぐらをつかんだ。
「危ないよ、アイリ」
「あ! ごめん……!」
 ゴクウに言われて、慌てて手を放す。
「でも、そのつもりはないよ。自分でもちょっと意外だったけど」
「当たり前だ」
 咬みつくような勢いで、アイリは言った。ゴクウはコロコロと変わるアイリの表情を楽しそうに見つめる。
「…………ジョウイと、戦うつもりもないんだ」
 アイリが危惧したことを、先にゴクウは否定した。
「……じゃあ、どうするんだい? その紋章は、剣と盾が戦い続けて、勝ち残った者が一つにできるんだって聞いたよ」
「そこなんだよね、問題は………」
 溜め息混じりにゴクウは呟いた。だが、あまり切羽詰まっている様子にも見えない。
「………もう、どうするか決めてるんだね………」
「…………。戦わない。紋章も一つにしない。このままで、俺たちになにができるか、探すことができないかって思ってる」
「そんなことできるの!?」
 あまりにも楽天的な考えにアイリには聞こえた。
「やってみなきゃわからないよ。それに、もうジョウイと戦う理由なんて、俺にはないから。『お姉ちゃん』もそれを望んでるし………」
「ゴクウ………」
「あとは、ジョウイがまた早まったこと考えてないと良いんだけどね。………もしそうなら、今度こそ止めないと………」
 最後の戦いの前、広間に集まったみんなに見せたのと同じ、真剣な眼差しだった。
 もうなにを言っても止められないんだ、とアイリは事実を受け止める。それなら、自分が最後にゴクウにできることはなんだろう、と思う。
「笑って」
 ゴクウがアイリに言った。
「え、え……?」
 考えていたことが口をついて出てしまったのか、とアイリは口許を押さえる。
 にっこりと笑って、ゴクウはまた言った。
「…………大好きだよ、アイリ」
 ポカンと口を開けてアイリはゴクウを見つめた。ゴクウは照れたように少し微笑んで立ち上がる。
「じゃあ、もう行くね」
 器用にアイリの後ろを通り越して、ゴクウは屋根の上を降りていく。アイリは思考がパニックを起こして、身動き一つできない。
 すると、突風が吹いた。まるでアイリの背中を押すように。身体を支えるために、屋根の上に手をつく。
「! ゴクウ、待って!!」
 我に返ったアイリは、ゴクウのあとを追いかけた。ゴクウは突風をやり過ごすため、まだ梯子の近くに立ち止まっていた。
「ゴクウ!!」
 もどかしくなって、アイリは梯子の残り二、三段を飛び降りた。
「わぁ! アイリ、危ないよ……!」
 慌てて、ゴクウはアイリを支えるために手を伸ばした。身が軽いのでそれくらいでバランスを崩すはずもないが、アイリはその手をつかむと詰め寄った。
「ゴクウ、それが、その言葉が最後にあたしに言う台詞なのか!?」
 どうしてこんな時に、告白なんかされるのか、アイリにはわからなかった。
「ごめん……迷惑だったかな」
「違う、そうじゃなくて……! 別れの台詞は『さよなら』じゃないのか!? なのに、それなのに、好きだなんて言われたら……あたし、どうしたら、良いか…………」
 言葉の最後は、涙に遮られてしまった。
「アイリ………」
 泣きじゃくるアイリに、参ったなという顔をするゴクウ。
 ぎこちなく、壊れ物でも扱うかのように、そっと肩を抱いた。
「ごめん、アイリ。……その、頼むから、泣かないで………」
「どうして、あんなこと………」
 アイリはギュッとゴクウの服をつかむ。
「…………。アイリには『さよなら』って言葉は言いたくなくて。それに、自分の気持ちをちゃんと伝えてなかったし。だから………『大好き』って言葉に変えてみた。………カッコつけ過ぎたかな」
「バカ………」
 アイリはゴクウの胸を叩いた。
 リィナも言っていたが、ゴクウは本当に男らしくなった。初めて会った頃は、なんだか頼りなげなところがあったのに、いまではアイリがすっぽりとその腕の中におさまってしまう。ゴクウの肩に額をのせて、アイリはしばらく、とても居心地の良いその場所に身体を預けた。
「…………『またね』って言ってくれれば、それで充分だったんだよ」
 やがて、アイリはそう言った。ゴクウは苦笑する。
「そうか……」
「……あたしは、『またね』って言葉にしておくよ」
 するりとゴクウの腕の中から逃げ出して、アイリは悪戯っぽく笑った。
「え、えぇ、そんなぁ………」
 ゴクウの情けない声に、アイリは笑い声を上げた。
「……良かった……。アイリの笑顔が見れた」
 とても嬉しそうにゴクウは言った。
 それを聞くと、アイリは笑うのを止めて、ゴクウのもとへ歩み寄った。
 ゴクウはアイリの頬に触れる。
 どちらからともなく目を伏せて、唇を重ねた。
 とろけるような甘い時間が過ぎたあと、ゴクウはアイリの大好きな笑顔を見せ、やはり「大好きだよ」とささやいて、屋上の階段を下りていった。
 アイリは一人で立ち尽くし、ゴクウの足音が聞こえなくなると、その場に泣き崩れた。