すわりこんで泣きじゃくるアイリの隣に、コツンと密やかな足音がした。顔を上げると、心配そうにリィナがアイリの顔を覗きこんでいた。
「……アイリ………」
「姉貴……!」
膝をついたリィナの胸で、アイリは声を上げて泣いた。リィナは優しくアイリの頭を撫でる。
ひとしきり泣いたアイリは、やがて涙を拭いて顔を上げた。
「もう、大丈夫かしら……?」
「う、うん。……ありがとう、姉貴」
「どういたしまして」
リィナはアイリの手を取って立たせた。
屋上を囲う塀から、二人はサウスウィンドウ地区を見渡した。
「女の子をこんなに泣かせるなんて、ゴクウも罪な男だねぇ」
「…………」
リィナの言葉に、アイリはそっぽを向く。
「………姉貴こそどうなんだよ……」
「私……? なんのこと?」
「いろんな人から声をかけられてたみたいだけど……?」
「……いろんな人って……。たとえば?」
「たとえば……う〜ん、フリックさん。あ、これは姉貴からだったっけ」
「そういえば、そんなこともあったわね」
クスッとリィナは笑う。
「でも、あの人はオデッサさん一筋だから。いまさら、私の入りこむ隙間なんてないでしょ」
頬杖をついて、横目でアイリを見る。アイリも頬杖をついて、リィナの表情を見ていた。
「そうだね。……ニナのあのアタックに小ゆるぎもしないしね」
「ミーハーの追っかけにゆらぐようじゃ、大したことないわよ」
「……姉貴」
リィナの毒舌に、アイリは軽く息を吐く。
「それじゃあ、ビクトールさんは……? 一緒に飲んだことがあるんだろ」
気を取り直して訊いた問いには、珍しく間が空いた。
「………あの人は、人を見透かすから…………」
返す答えも中途半端に切れてしまう。アイリは意外そうにリィナを見た。妹の視線に気づいたのか、表情を隠すようにリィナはうつむいた。
「…………。『熊』呼ばわりされているわりには、ビクトールさんてもてるよね」
リィナの様子を窺うように、アイリは言った。
「そうね……。他人の悩み事とかちゃんと聞いてくれるし、必要なら答えも返してくれるし」
「うん。………姉貴、あの言葉、嬉しかっただろ……」
あの時、自分の心にできたほんの小さなさざ波を、アイリに悟られないようにしていたが、不意打ちだっただけに、上手く隠すことはできなかったようだ。
レオナの経営する酒場で、リィナは時々一人で飲む。最初は、まだ早いんじゃないか、とレオナに睨まれたのだが、ゴクウがビクトールたちのテーブルで隠れて飲んでいたのが見つかって以来、文句は言われなくなった。
そんな折り、ビクトールから飲み比べをしようとリィナに持ちかけてきた。
「……飲み比べ……?」
「おう。負けたほうが、二人分の酒代を払う」
「ふぅん。……でも、エールはあんまり好きじゃないんだけど」
「もちろん、お前さんの好きな酒で良いぞ。俺は酔えればなんでも良いからな」
そう言って、二カッと笑う。
「じゃあ、ウィスキーで勝負しましょう」
「良いぞ」
ビクトールがカウンターへ行って、レオナから酒瓶と氷をもらってくる。
互いに軽くグラスを掲げると、飲み比べが始まった。
二人ともピッチが早いので、瞬く間に空き瓶が並んだ。
他愛もない世間話、旅先での出来事など、グラスを傾ける合間に話していく。
アイリが酒場にリィナを探しに来たときには、空き瓶が乱立するテーブルの上に、ビクトールが酔い潰れていた。
「姉貴、なにしたの……」
「ビクトールさんが、飲み比べをしようって………」
いつもと同じ調子で答えるリィナ。アイリはビクトールに心から同情する。
「じゃあ、この酒代は………」
「もちろん、ビクトールさんもち」
アイリは額に手を当てて、溜め息を吐いた。
「おかげで、久しぶりに心いくまで飲めたわ」
「そうだろうね………」
呆れ果てて答えると、アイリはビクトールの肩をゆらした。
「ビクトールさん、起きなよ。こんなところで寝てると、レオナさんに怒られるよ」
「………う、うぅ……ゆ、ゆらすな…………。余計に、まわる………」
アイリは手を止める。
「だ、大丈夫……?」
「…………ダメだぁ………。お前の姉さん、なんて、つえぇんだ………」
「あたしがいたら、飲み比べなんて止めてたよ。姉貴より強い人、見たことないんだからね」
なんとか身体を起こそうとしていたビクトールだが、アイリの言葉にまた突っ伏してしまった。
「失敗、したぜ………。………酔い潰れでも、すれば……リィナも、少しは、グチの一つでも、零すかと、思ってよ…………」
「え……」
姉妹は顔を見あわせる。
「……その歳で……旅の一座を……率いるなんて、大変だろう……。でも、そんなこと……ちっとも顔に出さないで、いるなんて、えらいと思うぜ。たまには、羽目を外させて……やろうかと、思ったんだが……このザマじゃなぁ〜………」
ビクトールの言葉に、リィナは笑顔を見せた。
その様子を見て、アイリはビクトールにさらに同情する。もったいないことしたね、と。ビクトールはテーブルに頬を押し当ててしまっていて、リィナの笑顔を見損ねてしまった。いつもの営業スマイルではなく、本当の素の笑顔が見られたのに。
「そんなことなくてよ……。とても楽しいお酒だったわ。ありがとう、ビクトールさん」
「……おう、俺も、楽しかったぜ……」
ビクトールは突っ伏したまま、ひらひらと手を振った。
確かに、あの言葉は嬉しかった。
「………でも、ビクトールさんも自分のことは話したがらない人よね」
リィナの言葉に、アイリも頷く。
「そうだね。………誰かも、同じこと言ってたなぁ……」
ぼんやりとその言葉を聞きながら、リィナはもう一つの出来事を思い出す。ティント市攻防戦の頃のことだ。
ティント市がゾンビたちに占領されてしまったあと、それぞれの事情でネクロードを追っていたカーンとシエラを、ゴクウは仲間にした。
その夜、リィナはなかなか寝つけず、気晴らしに外へ散歩に出た。部屋を提供してくれた、クロムの村長の屋敷の裏手へとまわる。村の外へ出るなだらかな坂があった。
この坂を下りきり、村を等間隔に囲む巨大な結界石を出ると、モンスターに遭遇するおそれがある。この地域に出現するモンスターは、リィナの持っている“火の紋章”が効かない。
眼下に広がる荒野を一瞥する。とりあえず、気晴らしはできたので部屋へ戻ろうとしたとき、下のほうで小さくなにかが光った。
「……?」
よく目を凝らすと、結界の外の荒野で男が一人、剣を振るっているように見える。
満天を彩る星明かりが、男の振るう剣に反射されたのだ。リィナの足は、自然と坂を下り始めた。
男の剣の振り方は、型もなにもあったものではない。ただ闇雲に振りまわしているだけである。もともと目が良いリィナは、その男がビクトールだと気づいた。
「ビクトールさん………」
結界石を出ようとしたところで、リィナの足は止まった。
剽軽なところばかりが目立ち、戦いの最中でさえ余裕の表情を崩したことがないのが、普段のビクトールである。それが、怒りを露わにして、まるで悪鬼のように剣を振るっている。
おそらく誰にも見せたことがないであろう、彼の内面を垣間見て、リィナはその先を行くことを躊躇った。結界石が作る濃い影の中から出ることが、どうしてもできなかった。
「精が出ることよのぉ」
荒野から吹きつける風に乗って、突然、少女の声が聞こえた。ハッとなって目を凝らすと、いつのまにか、ビクトールの剣がギリギリ届かない位置に少女らしき影があった。
降って湧いたかのような少女の出現に、ビクトールも驚いたようで、飛び退いている。
リィナは聞こえてきた声と話し方で、新しい人影がシエラだとわかった。
ビクトールも気づいたのであろう。剣をおさめて、シエラに近づいた。切れ切れに、シエラへの文句が聞こえてくる。対するシエラは、少しも悪びれたところがないようだ。
また、シエラの声が聞こえてきた。
「夜はわらわの時間じゃ。星空を愛でながら散歩に出てみれば、熊が剣を振りまわしておるではないか。なにやら面白そうなことが見られそうじゃと思うたら、ビクトール、おんしであったというわけじゃ」
「誰が熊だ、誰が……!」
「………ふむ、そうじゃの、熊にしては、ちと凶悪すぎるか………。おんしの放つ殺気、怒り、憎悪だけで人が殺せそうじゃ」
ビクトールは黙っている。
「損な性格じゃのぅ。好きな女が死んでも、他人には泣き顔一つ見せぬとか。発散させたほうが楽であろうに。怒りも、悲しみも………」
「…………性分なんだよ、そういう………」
どんな表情かはわからないが、絞り出すような声だった。
「そうかえ。それで、こんな時間に人目につかぬ場所で、狂ったように剣を振るうか。………気は晴れたのかえ?」
「……どうだろうな……」
「なんじゃ、頼りない返事じゃな」
「あぁ、自分でも持て余すよ……」
ビクトールは自分の両手を見つめていた。
「普段は、どうってことないんだ。ただ……時々、どうにも遣り切れないときがあるだけだ。……ただ、それだけさ」
シエラはビクトールの右手を取ると、両手でそっと包みこむ。
「………おんしがいま此処に在るのは、おんしが正しいと思ったことをこの手でつかみ取ってきた証であろ。それで充分なのではないかえ」
ゆっくりと、シエラはビクトールに語る。
「人一人には自ずと限界がある。守りきれなかったものも多かろう。だが、それはおんし一人に限ったことではない。………他人にあたるのも感心せぬが、おんしのように己一人を責めすぎるのはどうかの。……おんしは、よくやっておるぞ。いま此処に在るのだから……」
うつむいているビクトールの肩が、微かに震えている。
「……今日、会ったばかりで、よく、言うよ………」
「人を見る眼は、おんしよりも確かなはずぞ。伊達や酔狂で、何百年も生きておるわけではないからの」
ビクトールはシエラの言葉を最後まで聞いていなかった。膝をつくと、シエラの腰に腕をまわして抱き寄せ、顔を埋めてしまった。
「…………まぁ、明日は大事な戦の日じゃ。今日くらいは、その無礼を許してやろう」
呆れたような口調ながらも、声を押し殺して泣くビクトールの頭を撫でる手は優しい。
リィナはその様子を見て、複雑な感情を押しこめた。
村へと戻る坂道を上りながら、まだまだ自分は子供だったのだなと思い知る。あの人が楽になれたなら、たとえ自分にはできなかったとはいえ、嬉しい気持ちにも変わりはない。
降るような星空の下、リィナは芽生えかけていた想いを、深呼吸して吐き出した。
すっかり沈黙してしまったリィナを横目に見ながら、アイリは悪いことを訊いたかな、と心配になる。
だが、駆け抜ける風に、リィナは顔を上げた。
「………そろそろ、私たちも出発の準備をしようか」
屋上を降りる階段へ向かいながら、アイリに提案する。
「え、もう……?」
慌てて、アイリもあとを追う。
「最後に興行をうって、旅の資金をもう少し蓄えたらね」
ほんの少し、いつもより弾んだ声だ。アイリもなんだか嬉しくなって、リィナを追い越してエレベーターに飛びこむ。
「じゃあ、ボルガンにも準備を手伝わせなくちゃ」
「そうね」
「ステージの演目よりも、うんと派手なのやろうよ」
「もちろんよ」
姉妹は仲良く広場へと駆けだしていった。
END
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