嗚呼、幻の・・・
部屋を軽くノックする音が聞こえて、ゲオルグは愛剣を磨く手を止めた。
「ゲオルグさん、いらっしゃいますか?」
顔を覗かせたのは、カスミである。
「戻ったのか、カスミ」
「はい。ご注文の品、買ってきましたよ」
カスミは二つ持っていた紙袋の一つを差し出した。
「おぉ、すまんな。いままであちこち旅をしてきたが、この味だけは忘れられなくてなぁ」
紙袋を受け取って喜ぶゲオルグに、カスミは微笑む。
「ちょうど今日で、今年の販売は終わりだそうです。良かったです、間にあって」
「そうかそうか。代金はこれで足りるか?」
「多いですよ。お釣りを………」
「良いって。お使い賃だ」
「そうですか……? じゃあ、遠慮なく………」
「どうだ、一緒に食べるか?」
ゲオルグの誘いに、カスミはすまなさそうに微笑んで、もう一つの紙袋を示した。
「ありがとうございます。でも、実はテンガたちと一緒に食べる約束をしてるんですよ」
「そうか、なら良いんだ」
「では、失礼します」
「ありがとな、カスミ」
カスミは軽く頭を下げて、ゲオルグの部屋を出た。
それを見送って、ゲオルグは早速、紙袋を開ける。中に入っていた物を、パクパクと立て続けに二つ食べてしまった。
指についた食べカスを舐めながら、袋の中を覗く。
「残り二つか………」
しばらく考えていたゲオルグは、散らかしていた物を片づけると、紙袋を持って部屋を出た。
1階のホールへ来ると、まわりを見渡す。探し人が見つからなかったので、ビッキーに声をかけた。
「よぉ、ビッキー。オウランは出かけているか?」
「こんにちは、ゲオルグさん。オウランさんなら、さっきゴクウさんたちと帰ってきたところですよ。レストランのほうじゃないですか?」
「ありがとう、行ってみるよ」
ゲオルグはレストランへ向かった。
店内をぐるりとまわってみたが、オウランの姿はない。
「……ハズレ、か……」
ホールにいない、レストランにいない、さて他に行きそうなところは、と考えながら、ゲオルグは店を出た。そこへ、ほかほかステータスのゴクウが階段を上がってきた。
「ゴクウ」
「やぁ、ゲオルグ。どうしたの……?」
「オウランが何処に行ったか知らないか?」
「たぶん、まだお風呂だよ。さっき、買い物から帰ったばかりで、お風呂場まで一緒に行ったから」
「そうか、ありがとよ」
風呂場に行きかけて、ピタリとゲオルグは止まる。女湯の前で待っているのは、さすがに恥ずかしい。もと来た道を戻って、レストランでしばらく時間を潰すことにした。
あいたテーブルを見つけてすわろうと歩きかけたとき、騒がしい少女の声が聞こえてきた。
「あ、ゲオルグさん、いたいた」
走り寄ってきたのは、ニナだった。
「フリックの居場所なら、知らんぞ」
ゲオルグは機先を制して言った。
「やだなぁ。わかってますよー」
にっこりとニナは笑う。そして、目敏くゲオルグの持っている紙袋に目を留めた。
「ゲオルグさん、それ……」
言いかけたニナの言葉の先に、ゲオルグはピンとくる。紙袋を背中にまわして、またも機先を制した。
「先に言っておくが、これはやれんぞ」
ニナの笑顔がひきつる。
「………よく、わかりましたね」
「お互い甘党同士。わからいでか。……まぁ、この情報を何処から仕入れたかまでは知らんがな」
「………一個くらいわけてくれても良いじゃないですか」
「悪いな。人にわけてやる余裕はない」
「レアもの、独り占めにする気ですか!?」
それなりに人の話し声が絶えたことのないレストランが、一瞬にして静まりかえった。
ゲオルグは目を覆いたくなる。いまの一言で、この場にいた全員が、大きな誤解をしたことだろう。ゲオルグの持っているのは、甘党にはたまらないレアな食べ物というだけで、間違っても通常いわれるレアアイテムではない。
とりあえず、逃げることにした。
「あ、待って!!」
ニナの制止を背中に聞いて、ゲオルグは厨房に向かって走った。正規の出入り口がニナの向こうにあるので、厨房を通って逃げようとしたのだが、突然、赤い影が斬りかかってきた。
「なにしやがる、キリィ!」
寸前のところで、ゲオルグはキリィの右の剣を鞘で止める。
「貴様、なにを持っているのだ?」
無表情でキリィは訊いた。だが、“ナイト”の片割れ、左の剣をいつ繰りだそうかと機会を窺っているのがはっきりとわかる。それを、鞘から抜いた“雲”で牽制しながら、ゲオルグは溜め息を吐いた。
「お前なぁ、あんな小娘の話を真に受けるか、普通?」
「誰が小娘ですってぇ!?」
剣の届かない位置で、ニナの抗議の声がする。それを無視して、ゲオルグは言葉を続ける。
「俺の左手の紙袋に、どんな珍しい物が入ってるか、俺のほうが教えて欲しいくらいだ」
「………シンダルの手がかりではないのだな……?」
「何度も言わせるな。俺は遺跡探索者でもないぞ」
薄く笑って、キリィは身を退いた。一振りで、“ナイト”をマントの内に隠す。ゲオルグも“雲”を鞘におさめた。そして、キリィの横を走り抜ける。
「ちょっと待ってよ、ゲオルグさん!!」
ニナは慌ててあとを追った。さらにその後ろを、ぞろぞろと何人かが追いかけるのを、キリィは無表情で見送った。
「あんたが、あんなに素直に行かせるなんて思わなかったよ」
クスクスと笑いながら、ローレライがキリィに言った。キリィはローレライを横目で睨む。
「あいつは、嘘は言わない男だ。………それに、お前がなんの動きも見せなかったからな」
「あんたから奪い取るくらい、わけないよ」
挑戦的にローレライは言った。
「そうか………」
キリィは乗ってこない。つまらなさそうに、ローレライは肩をすくめた。
「………あの紙袋の中身、知ってるからさ」
目線だけで、キリィは先を促す。
「ロッカクの里の名物和菓子だよ」
「なるほど………」
レストランから逃げ出したゲオルグは、階段を下りて風呂場の前を通りかかった。好都合にも、ちょうどオウランがアイリと出てきたところだ。
「オウラン!」
「ゲオルグ、どうしたのさ、血相変えて………」
「説明はあとだ、逃げるぞ」
「え!?」
ゲオルグは有無を言わさず、オウランの腕をとって走り出す。
「待ちなさーい!!」
ニナの声と、複数の足音が迫ってきた。
「ねぇ、ニナ、どうしたの?」
茫然とゲオルグとオウランを見送ったアイリが、ニナを呼び止めた。
「話はあと。それより、ゲオルグさん、どっちに行った?」
「ホールのほうだけど………」
「ありがと!」
ニナたちは再び走り出した。
「なんなの、一体………」
「ダメねぇ、アイリ。正直に行き先、教えちゃって……」
あとから出てきたリィナがポソリと言った。
「え……。やっぱり、気を利かせたほうが良かった?」
「そうね………。でも、それで終わりじゃ、面白くないか」
「……姉貴………」
アイリは溜め息を吐いた。
ホールへ続く長い廊下を走りながら、オウランはゲオルグに訊いた。
「ゲオルグ、なにがあったのさ?」
「ちょっと誤解をされてな。説明するのも面倒だから、逃げてるところだ」
「それで、どうして私まで?」
ゲオルグはニッと笑って、紙袋をオウランに見せた。
「お前と一緒にこれが食べたくてな」
どうしてこんなことになったのか、オウランはよくわからなかったが、ゲオルグと一緒、ということはとても重要だ。
「でも、いつまで逃げまわるつもり? いくら城が広いといっても……」
「そうだなぁ……。仕方ない、奥の手を使うか………」
ゲオルグはエレベーターの前で左に曲がって、ホールへ下りた。少し遅れてオウランもあとに続く。
「あ、ゲオルグさん!」
甲高いニナの声が響いた。彼女たちはすぐに左に曲がって、階段を駆け下りてくる。
「追いつかれるよ……!」
「大丈夫さ」
ゲオルグはビッキーのもとへ駆けこむと同時に、オウランの腕をとって引き寄せる。
「ビッキー、転移を頼む!」
「え、あの……は、はい……!」
ゲオルグたちが駆けこんできたことにも驚いている上に、さらにニナを先頭に集団が後ろから迫ってきていたことも、ビッキーをパニックに陥らせるには充分すぎるほどだった。行き先も聞いていないのに、ビッキーは愛用のロッドを掲げて、転移魔法を起動させる。
「オウラン、森の村だ」
しっかりとオウランを腕の中におさめて、ゲオルグは耳許にささやいた。不意打ちで抱きしめられて、とろけそうなオウランの意識に、森の村の情景が鮮明に浮かぶ。
緑濃い木々。その枝葉をゆらし森の香りを運ぶ風。戯れる鳥たちのさえずりと、素朴な人々の笑顔。こんな穏やかなところで、ゲオルグと二人きりで過ごせたらどんなに良いだろう。
ニナたちの目の前で、ゲオルグとオウランは魔法の光に包まれて、何処かへ転移してしまった。
「うそー! ビッキーちゃん、ゲオルグさんたちを何処へ転移したの!?」
ニナに詰め寄られて、ようやくビッキーは行き先を聞いてないことを思い出した。
「!! あぁ、どうしよう! 行き先も聞かずに、転移魔法をかけちゃった……!」
「なんですってぇ!!」
よろよろと、ニナはその場にへたりこむ。
「……あぁ、幻の大福が………」
ニナの呟きに、一緒に追いかけてきた集団が固まる。
「…………大福……?」
「レアアイテムじゃないのか……?」
ニナが眦(まなじり)をつり上げて、集団を睨みつけた。
「誰がそんなこと言ったのよ! もう、あなたたちまで追っかけるから、逃げられちゃったじゃないのよー!!」
怒りの矛先がこちらに向いて、みんなは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「あぁ、もう、口惜しい〜!!」
ニナの叫びが、梁山(リアンシャン)城にこだました。
「オウラン。オウラン、大丈夫か?」
名前を呼ばれて、オウランは意識を取り戻した。間近にゲオルグの心配そうな顔がある。
「ゲオルグ……。……あれ、此処は……?」
「森の村だ」
上は緑滴る葉を茂らせた大木の枝。前へ視線を向けると、お屋敷の壁が見える。森の村の村長宅の裏手にある広場だった。
「……ゲオルグ、転移魔法が使えるのか……?」
「俺にそんなことができるわけないだろ。これは、まぁ、転移魔法の応用だ」
瞬きの魔法は、術者の『魔力』に加えて『意識』が重要なカギとなる。術者が移動先を『意識』していない場合、それは移動する当人たちのものが反映される。ゲオルグはそれを利用したのだ。
「やっと、静かになったな」
微苦笑を湛えたゲオルグの言葉に、オウランも笑った。
「そうだね」
二人は並んで、木の根本に腰を下ろした。
「さて、あの騒ぎの元凶は無事か……?」
ゲオルグは紙袋の中身を取り出した。
「ちょっと潰れたか……。ほら、オウラン」
オウランの手のひらに、大きな大福が載せられた。
「………これ、大福?」
「あぁ。ロッカクの里の老舗で作ってる、この季節限定の大福餅だ。美味いぞ」
少し歪な形になってしまった大福を、オウランはしげしげと見つめた。そしてようやく、ニナがゲオルグを追いかけたわけに思い至る。
「じゃあ、遠慮なくいただくよ」
甘党の垂涎の人気商品に、オウランはかぶりついた。
「……!」
思いもしなかった味が口の中に広がって、オウランは目を瞠る。
「どうだ、美味いだろ?」
ゲオルグはオウランの反応を嬉しそうに見ている。
「うん、美味いよ、これ。なんていう名前なんだい?」
「“ふるーつ大福”さ」
そう答えて、ゲオルグも大福にかぶりつく。
爽やかな森の風が、吹き抜けていった。
END
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