その声に、その指先に



 その声は、心を震わせる。


 酒場で人々の喧噪以外に、楽器の音色が混じるのは珍しいことだった。
「あそこで、楽器を爪弾いてるのは誰だい?」
 オウランの指さしたテーブルを、一緒に飲んでいたハンナとローレライが振り返る。ゴクウとビクトールの他に、壮年の男がリュートを抱えていた。
「今日、ゴクウが仲間にした男だろ。名前は、ゲオルグ・プライムだ。赤月帝国六将軍の一人だった男だよ」
 ハンナが答えると、ローレライも頷きながら付け加える。
「私の故郷じゃ、女王騎士だった男さ。…………昔もこんな風に一緒に戦ったことがある」
「へぇ………。変わった経歴の持ち主だね」
 オウランはゲオルグを見つめた。
 使いこまれた剣、鍛えぬかれた身体、他を圧倒する力をひしひしと感じる。少なくとも二国において、武人としての最高位を極めながら、こんなところにやってきたのは何故だろう。
「なんだい、オウラン、あぁいうのが好みかい?」
 ニヤニヤと笑って、ローレライがオウランの顔を覗きこむ。
「別に。……そういうあんたはどうなのさ。あいつ、かなり強いぞ」
「私の守備範囲は、三十代以下」
「年下じゃなかったのか?」
 悪気は全くないハンナの言葉に、ローレライがむせる。
「ハンナ、あんたねぇ………」
「なんだ?」
 しれっと聞きかえされて、ローレライは軽く溜め息を吐く。
「良いよ、もう……」
 その時、弦の音色が調子を変えた。酒場にいた者たちのほとんどが、ゲオルグに注目する。
 朗々とゲオルグは詠った。
落魄江湖載酒行
(水郷の地に落ちぶれて、船に酒を載せて気儘に行き来していた頃、)
楚腰繊細掌中軽
(楚の佳人の細い身体は、我が腕の中で軽やかに笑っていた。)
十年一覚揚州夢
(だが、十年間の揚州での夢の日々も醒め果てたいまとなっては、)
贏得青楼薄倖名
(残されたのは、ただ色街の浮き名だけだった。)

 歌い終わると同時に、歓声がわき起こる。
「良い声だねぇ」
 拍手を送りながら、オウランはうっとりと言った。その様子を見て、ローレライがハンナにささやく。
「撃沈?」
「そのようだな」
 横目でオウランを見やって、あっさりとハンナは頷いた。
「じゃあ、友人のために一肌脱いでやるか」
 ローレライはゲオルグたちのいるテーブルへ行ってしまった。
「……ん? ローレライはどうしたんだい?」
「あんたのために一肌脱いでやるってよ」
「…………どういう意味?」
「そういう意味」
 ほんのり頬を染めたオウランに、ニヤリとハンナは笑った。
「………あれ、珍しい、あいつがこんなところにくるなんて……」
 オウランはハンナの視線を追った。ちょうど、キリィが酒場に入ってきたところだ。
「………ローレライが悪い癖、出さなきゃ良いが………」
 キリィがやってきたことに気づいたローレライを見やって、オウランが呟いた。ハンナは肩をすくめるだけ。
 軽く挨拶をして自分たちのいたテーブルへゲオルグを誘うつもりでいたローレライは、キリィを見つけて方針を変えた。ゲオルグの肩に手を置き、意味ありげに笑ってキリィを見つめる。
 それが引き金となったのだろうか。キリィは一気に間合いを詰めた。
「! あのバカ……!」
 キリィの殺気に、オウランは椅子を蹴って立ち上がるとテーブルを飛び越え、止めに向かった。
 その時の一連の有様を、正確に視認できた者が果たして何人いただろうか。
 ゲオルグはキリィが向かってきた瞬間に、手にしていたリュートをゴクウに放り投げ、腰の太刀を手にした。キリィは間合いに入ると同時に両手に剣を持ち、まず右の剣をローレライに向かって振りおろした。その疾風にも似た斬撃は、ゲオルグが鞘に入ったままの太刀で封じる。
 ならば、と左の剣が第二撃を打ち出そうとしたとき、急にその剣は向きを変えた。止めに入ろうとしたオウランへ、向けられたのである。凄まじい速さで向きを変えた剣に、勢いこんで間合いに入ってしまったオウランは対応できない。手甲代わりに腕に巻いているベルトで、剣を止めようとするのが精一杯。
「チッ!」
 ゲオルグは舌打ちをすると、右腕でキリィの左の剣を止めた。
 ピタリ、と動きが止まった。声を発する者さえいない。
「………気がすんだか、キリィ?」
 数瞬の静寂のあと、右腕と鞘で剣を止めたままのゲオルグが訊いた。
「剣をおろせ。まさか、俺の“雲”を首筋にあてたまま、続きがやりたいなんて言わんだろうな」
 いつのまにか、ゲオルグの右手には太刀があった。腕は剣を封じたまま、逆手に太刀を持ち、その刃先をピタリとキリィの首筋にあてている。
「フン……。腕は落ちてないようだな」
 キリィは無造作に剣をおろすと、マントの内に元通りに隠した。
「ローレライも、いい加減、こいつにちょっかいかけるのを止めろ」
 ゲオルグも太刀を鞘に収めて、後ろで平然と立っていたローレライに苦言を呈す。
「斬ってくれて良かったのに」
「ローレライ!」
 ゲオルグは呆れたように息を吐いただけだが、今度はゴクウが怒った。
「………悪かった、もうしない」
 さすがにリーダーに睨まれて、ローレライは両手を挙げて謝った。それによし、と頷いて、ゴクウはゲオルグを振り返る。
「……ゲオルグ、腕は大丈夫?」
「あぁ、大丈夫さ」
 ゲオルグはパクリと口の開いてしまった袖をめくる。がっちりとした腕には、手刀を仕込んだベルトが巻いてあった。
「…………あぁ、びっくりしたぁ………」
 ゴクウは大きく息を吐き出した。
「すまんな、驚かせて」
「良いけど、みんな無事なら………。シュウには黙っておいてあげるけど、城の中は訓練以外で剣を抜くのは御法度なんだからね。キリィもわかってる?」
「悪かった……」
 キリィの簡潔な答えに、ゴクウは諦めたように小さく溜め息を吐いた。そして、オウランのもとへ向かう。
「オウランも大丈夫?」
「あぁ、私はなんともないよ。……ゲオルグだっけ、助かった。悪かったね、却って邪魔したみたいでさ」
「良いさ。……素手の女に剣を向けるとは、お前のほうこそ腕が落ちたんじゃないのか、キリィ?」
「この女は、己の拳が武器だ」
「キリィ!」
 ゴクウに睨まれて、キリィは肩をすくめる。
「邪魔したな」
 そう言って、酒場を出ていってしまった。
「相変わらず無愛想な奴だなぁ」
「……ゲオルグはキリィとも知り合いなの?」
「あぁ……まぁな………」
 苦い笑みを浮かべて、ゲオルグは頷く。ゴクウはそれ以上を訊かず、リュートを返した。
「さて、俺も退散するとしよう。……この騒ぎの詫びに、酒を一樽、奢らせてくれ」
 ゲオルグの差し入れに、酒場はふたたび歓声に沸いた。さっきまでの静寂が嘘のように、喧噪を取り戻す。ゲオルグはリュートを片手に、酒場を出ていった。
「…………」
 それを黙って見送っていたオウランは、意を決したようにあとを追う。
「行っちゃったねぇ」
 ローレライがハンナのいるテーブルに戻ってきた。
「あぁ」
「ねぇ、上手くいくかどうか、賭けるかい?」
「……あんたはどっちに賭けるんだ……?」
「上手くいくほう」
「では、賭けは無効だな。私もそう思う」
「つまんないの」
「震いつきたくなるような女を振る奴がいたら、会ってみたいよ」
「………同感」
 二人の美女は顔を見あわせて軽く笑うと、酒を酌み交わした。

 ゲオルグは割り当てられた部屋には戻らず、4階のテラスへ行った。塀の上にすわり、降るような星月夜の下でリュートを爪弾く。しばらく弦を軽く鳴らしていたが、やがて、入り口へ向かって声をかけた。
「どうした? 俺に用があったんじゃないのか?」
 その声に誘われるように、オウランが姿を現した。
「よお。……確か、オウラン、だったかな」
「……あぁ」
 軽い身のこなしで、ゲオルグは塀から降りた。
「それで……?」
「あ、いや……別にこれといった用があるわけじゃないんだけど、あんたと話がしてみたくてさ」
「美人と話すのは、いつでも大歓迎だ」
「そりゃどーも」
「本気で言ったんだがな」
「だから、礼を言ったじゃないか」
 二人は顔を見あわせ、軽く笑う。並んで塀にもたれて、夜風で酔いを醒ました。
「ね、どうして守ってくれたんだい?」
「咄嗟のことだったからな。身体が勝手に動いたまでだ。どうやら、お前には必要なかったようだが、男って奴は基本的に女を庇いたくなるもんさ」
「……なんだか新鮮な感じだったよ、守られるっていうのはさ」
 照れたようにうつむいて、オウランは言葉を続ける。
「もともとボディーガードが生業なんだ。誰かを守ることが、生き甲斐さ。此処にいるのも、ゴクウが守り甲斐がありそうだと思ったからだし」
「あぁ、あいつはそんな感じだな」
 軽くゲオルグは笑う。
「そうだろう。……私がいつも誰かの盾であって、私の腕っぷしを知らない奴も、特にこの城じゃあいないし、庇われたことなんて、守られたことなんてなかったからさ………」
「必要な時は、ちゃんと守ってやるぞ」
 『いつでも』と言わないところが、オウランには嬉しい。
「私も、必要なときは、あんたを守ってやるよ」
「そいつは頼もしいな」
「借りっぱなしっていうのも、気分の良いもんじゃないしね」
「こんなの、借りのうちにも入らんぞ」
 ゲオルグは右腕を軽く振って言った。
「本当に大丈夫なのかい?」
「なんだ、心配してくれるのか?」
 顔を覗きこんで、ゲオルグは訊いた。オウランは真っ直ぐ見つめ返して答える。
「あぁ、心配だよ」
 絡みあう視線。
 多大なる努力を払ってオウランは、それを引き剥がした。ゲオルグの腕をとると袖をたくし上げ、数本の手刀を仕込んだベルトを外す。ゲオルグは黙ってされるがままにした。
 むきだしになった腕に、オウランはそっと触れた。両手で包みこむようにして、骨にも異常がないかどうかを確かめる。
「熱くなってるな」
「あぁ。明日には痣になってるだろうな。まぁ、打ち身の一つくらい、どうってことないさ」
 だが、この熱の持ちようはかなり痛むはずである。
「痛むだろ?」
「いいや。…………女を傷つけるよりは、ずっと良い………」
 その言葉は、とても切ない響きを持って届いた。オウランはまじまじとゲオルグを見つめた。
「………そろそろ、放してほしいんだがな。妙な気分になりそうだ」
 苦笑してゲオルグが言うと、オウランは一瞬、手を放しかけ、思い直して再び腕をつかんだ。
 力をこめられて腕がさらに痛んだが、ゲオルグはそんな素振りは少しも見せず、ただ不思議そうに首を傾げた。
「オウラン……?」
 低く名をささやかれただけで、オウランの意識はとけてしまいそうだった。
 ゲオルグは熱を帯びてきた瞳を見つめ返しながら、佳い女だとつくづく思う。守ることの価値を知っていることが、なによりも気に入った。ただ惜しむらくは、戦いが終われば去っていく自分は、おそらくこの国に必要とされるであろう彼女を連れて行くことができないということだ。
「………私だって、自分のせいで誰かが傷つくのはイヤだ」
「……悪かったな」
「だから、私があんたに一つ、貸し」
「…………。は……?」
 展開の逆転についていけず、ゲオルグはオウランを見つめた。
「代わりといっちゃなんだけど、この破れた袖、繕ってあげるよ。こうみえても、裁縫はちゃんとできるからさ」
 ほんのり上気したオウランの頬は、酒のせいばかりではないだろう。そういうことか、とゲオルグは微かに笑う。
「じゃあ、頼もうか。ちょうど部屋に、とっておきのカナカンの酒がある。ごちそうするぞ」
 にこりと笑って、オウランはゲオルグの腕に手をまわす。ゲオルグはもう片方の手にリュートと巻いていたベルトを持って、テラスをあとにした。

 翌日、きちんと直されていたゲオルグの袖を見て、いったい誰に?という議論が酒場で交わされたことを、特に記しておく。
END