「……ル、キ……ア………」
 呟いた自分の声に目が覚めた。
「気がつきましたか、ルック!?」
 馬上で、クラウスにもたれかかっていることに気づき、つらそうにルックは身体を起こした。
「僕の馬を……」
「まもなく梁山城ですよ」
「だから」
 身体のつらさもあって、いつにもまして言葉がぶっきらぼうになる。クラウスは心配そうな表情ではあったが、それ以上はなにも言わず、ルックが馬を移るのを手伝った。
 姿勢を正して手綱を取るのもつらい。だが、極力表情に出さないようにして、ルックはクラウスを見た。
「………君はおしゃべりじゃないと思うけど、一応、言っておく。このことは、他言無用だ」
「……わかりました」
 その時、ザワリと空気が嫌な音をたてて軋んだ。ルックは心臓を貫くような痛みに、胸を押さえて上体を折った。
「ルック!」
 手を差し伸べるクラウスを、目線だけで止める。
「大丈夫。これは、さっきのとは、違う。………本陣が帰ってくるよ」
「………勝ったのですか……?」
「逆。やられたのは、こっちだ」
 先ほどの軋みは紋章の力。この荒々しさは、“獣の紋章”だろう。力の気配は感じなかったので、おそらくその眷属であろうが、それにしても凄まじい力である。ルカは“獣の紋章”とよほど相性が良いらしい。それもまた、『狂皇子』と呼ばれていた所以なのかも知れない。
 こんなに弱った状態でなければ、その余波くらいでダメージを受けるはずもなかったのに、とルックは唇を噛んだ。

 撤退をなんとか完了させ事後処理の済んだあと、幻影軍の主だったメンバーは大広間に集まった。
 シュウの策を持ってしても、ルカを討ち取ることができず意気消沈する皆を、ルックは無表情に眺めていた。
 作戦行動の報告は済ませていたので、此処にいる必要はもうない。悲鳴をあげ続ける身体を押さえるのも、そろそろ限界だ。広間を出ようと立ち上がったルックに、アップルが声をかけた。
「ルックさんの魔法で、ルカを攻撃することはできませんか?」
 僕に死ねって言ってるの、と喉まで出かかった言葉は、クラウスがアップルに向かって口を開きかけたので、飲みこむことができた。目線でクラウスを黙らせて、ルックはいつもの冷然とした声を紡ぐ。
「それはできないよ。あれは疲れるから。それに、僕は汗かくのって嫌いなんだ」
「そんな………」
 用は済んだ、とばかりにルックは風を呼ぶと消えてしまった。
「ビクトール」
 会議中に言葉を挟んだことのない星辰剣が、小さく相棒の名を呼んだ。
「な、なんだ、星辰剣……?」
「“視えざる者”を追え。死にかけている」
「え……!?」
 星辰剣が簡潔に言い放つときは、紛れもない事実で、しかも切羽詰まったことのほうが多い。ビクトールは慌てて、広間を抜ける口実を作らなければならなくなった。
「なぁ、休憩にしないか。いつまでもここに閉じこもっていても、良い考えが浮かぶわけでもないだろ」
「そうだね………。ひとまず、解散しようよ、シュウ」
 ビクトールの提案に、ゴクウが賛成してシュウを見た。
「………わかりました」

 ルックは刻まれた名の無事を確かめるために、“約束の石版”の前に現れた。だが、自分が思っていた以上に身体は重症だったようで、激しい眩暈に襲われる。
 石版にもたれて乱れた呼吸を整えようと思ったが、ズルズルと足が崩れていった。遠のく意識の端で、名前を呼ばれたような気がしたが、確認することもできなかった。
「ルックさん!!」
 駆けよったビッキーが、すわることもできずに倒れそうになったルックの身体を支えた。
「ルックさん、しっかりして!」
「ビッキー!?」
 ビクトールが階段を駆け下りてきた。
「あ、ビクトールさん、手伝って! ルックさんをホウアン先生のところへ連れて行かなきゃ」
「よし」
 軽々とルックを抱き上げると、ビクトールは医務室へ向かった。心配そうに、ビッキーもついていく。
 医務室は先ほどの戦いで普段よりも混雑していたが、ホウアンはルックの顔色を診るなりすぐにベッドを確保させ、そこへ寝かせた。
「ホウアン先生、ルックさんの具合は……?」
「……これは………。原因は、魔法ですか?」
「うん、“真なる風の紋章”を使ったせいだよ」
 ビッキーは握り拳をつくって、力説した。星辰剣とビッキーの言われるままに動いていたビクトールは、いまだ要領を得ない様子で訊く。
「じゃあ、なんで、あんな作戦に賛成したんだ?」
「そんなことわからないよ。でもでも、ヘリオンお婆ちゃんが言ってたよ。身に宿していない真の紋章を使うのは、自殺行為だって」
「待て待て、どうしてそこに、ヘリオンが出てくるんだよ?」
「だって、頼まれてるんだもん。ルックさんが無理して真の紋章を使ったりしないように見ていてくれって」
「はぁ? だから、なんで……」
 まったく噛みあわない会話。自然、声が大きくなってくるのを、ホウアンが割って入って止めた。
「二人とも、おしゃべりなら外でしてください。病人の枕許ですよ」
「……ご、ごめんなさい………」
「悪ぃ……」
 しょげかえる二人に小さく溜め息を吐いて、ホウアンは説明した。
「ルック君は命に別状はないですが、ただ衰弱が激しいので回復には時間がかかりそうです。魔法が原因となると、申し訳ないですが私にできることもそれほどないのですよ。まずは、体温を早急に回復させて、絶対安静でいることですね」
「はい……」
「……行こう、ビッキー。俺たちは此処では邪魔になるばかりだ」
「うん……」
 二人は、あとをホウアンに頼んで医務室を出た。
「さて、ビッキー、さっきの話の続きを聞かせてくれや。………そうだな、レストランにでも行くか」
「良いけど、ビクトールさんの奢り……?」
「ガキに金を払わせるほど、落ちぶれちゃいないぞ」
「やった」
 ようやく、ビッキーに笑顔が戻った。
 レストランに、珍しい組み合わせの二人が席に着いた。ビッキーはフルーツパフェを食べながら、何処から説明したら良いのかな、と切り出し、ビクトールはアイスコーヒーを飲みながら、辿々しく語られる話を聞いた。



 ビッキーがその疑問を確信に替えたのは、第二次スカーレティシア城戦の時である。その時になって、自分が所属する魔法兵団に、大将と副将が新たに任命されて、自分の負担が軽くなって余裕が出たせいもある。
 上官は、不思議な雰囲気を漂わせる妖艶な美女と、気難しそうな老婆という対照的な二人だった。兵士たちは近寄り難いらしく、遠巻きにするだけだったが、ビッキーはそういったことに無頓着なので、連絡事項を伝えにきた新しい上官に迷わず自分の疑問をぶつけた。
「私、不思議に思っていることがあるんだけど、ルックさんて、魔法、全然使ってないよね?」
 この突飛な質問に、大将と副将は顔を見あわせた。
「みんなの魔力を効率よく集めて、上手に敵にぶつけてるだけだよね。……それがちゃんとできるのもすごいことなんだけど、自分でも高い魔力を持ってるのに、どうしてなんだろう……?」
 ビッキーに他意はない。純粋に疑問に思っているだけである。
「………お店があるから、あとはヘリオンに任せるわ」
 城内で紋章師の店を開いている大将のジーンは、艶やかに微笑んでその場を逃げた。押しつけられた副将のヘリオンは、渋面を作って溜め息を吐く。
「…………ビッキー、その質問、本人にはしたのかい?」
 ビッキーは首を横に振った。普段いる場所も違えば、役割も違う。挨拶すら交わしたことがなかった。
「……そっか、本人に訊いたほうが早いね」
「これ、お待ち」
 歩きかけたビッキーを、ヘリオンは慌てて止めた。
「え?」
「………答えるはずもないだろうよ」
 不思議そうに首を傾げるビッキーを見て、ヘリオンはまた溜め息を吐いた。
「その理由は、私がわかる範囲で教えてあげるよ。それでも納得できなかったら、本人に訊きに行っておいで」
「うん」
 ビッキーは大きく頷いた。
「ルックが、“真なる風の紋章”を宿していないのはわかるかい?」
「え!? そうなの??」
「…………。そうなんだよ」
 これは、かなり魔力が高い者なら、注意深く観察することでわかる。ビッキーほどの魔力なら可能なはずだが、彼女が転移魔法に失敗していることをヘリオンは思い出した。そのため、ビッキーの魔力には、微妙な歪みが生じているらしいことにも思い至る。
「紋章というのは、人の身に宿して初めて力を発揮する。紋章と人の間で魔力を交換することで、なんらかの作用が生じて大きな力を発揮するわけだ。つまり封印球のままの紋章は、なんの力も発揮しない。ここまではわかるかい?」
「うん」
「では、“27の真の紋章”はどうか………。これは話が全然違ってくる。世界を創ったくらいだからね、あれ自体で恐ろしいほどの力があるんだ。宿さなくても、力は使える。ただし、彼らは欠けた力を術者の生命力で補おうとするから、使う力が大きければ大きいほど術者の命を縮めることになる」
「………と、いうことは、ルックさんは“真なる風の紋章”は持っているけど、使えないっていうこと……?」
「些細な力なら、どうってことなさそうだけどね」
「だから、戦いのときは、魔力を束ねるだけなんだ………」
「そういうことさ」
「………でも、どうして、宿していないの?」
「そこまでは知らないよ。……身体が子供のままでは、なにかと不都合なのも理由だろうけど、それ以上のことは、各個人の問題だ」
 ビッキーにも、それ以上は訊くな、と言われたことがわかった。うつむき加減に考えこんでしまったビッキーを、ヘリオンは見守った。
「気になるのかい、あの小僧のことが?」
「……うん……。だって、私、止めなくちゃ…………」
「………は?」
あの人に、あんな哀しい眼をさせたくないの


 頭の中に、あの胸締めつけられる声が響く。
こんなことをした僕が憎いだろう。次、逢ったときには必ず僕を殺してくれ。そうすれば、君はこんな目には遭わない」
 緑玉の瞳を真っ直ぐに見つめて、ビッキーは叫ぶ。
「そんなことできないよ……! だって、君は私を愛してるし、私は君を愛することになるのを、私は知ってるよ。私、君を護ってみせるから! そんな哀しい眼をさせないように……!」
 彼は、ますます哀しそうに顔を歪めた。
「君じゃ、ダメなんだ……」
 言葉を紡ぐ前に、時空が歪んでしまった。


「…………どういう意味だい、それは?」
 回想から引き戻されて我に返ったビッキーは、ふるふると首を横に振った。
「言えない……。これ以上、約束を破っちゃダメだもの」
 両手でスカートを皺になるほど握りしめて、ビッキーはなにかに耐えていた。その頑なな様子に、ヘリオンは軽く溜め息を吐く。
「……じゃあ、見ていておやり。“真なる風の紋章”の力を使いすぎたりしないように、気をつけていておやり。……あんたじゃあ、心許ない気もするけど、誰も気をつけてあげないよりはましだろう」
「うん、任せて……!」
 心許ないと言われたことに気づいているのかいないのか、ビッキーは大きく頷いて自分の胸をポンと叩いた。



 話が終わる頃には、ビクトールはアイスコーヒーを飲み干していた。
「………なるほどね……。やっぱ、厄介だよな、真の紋章っていう奴は」
「『力』を欲してやまない人間がよくも言う」
 星辰剣が嘲笑った。
「俺の身近にそんな奴はいないぞ」
「そうだよ、星辰剣さん」
 ビッキーにまで言われて、星辰剣は沈黙した。
「……だが、ルックが自分からあの作戦に参加した理由はわからずじまいか………。……ハルモニアに、因縁でもあるみたいだったが………」
 互いに溜め息が零れた。
「……さて、俺はそろそろ広間に戻るとするかな……」
 レシートを取りながら、ビクトールが立ち上がった。
「ごちそうさま、ビクトールさん」
「どういたしまして」
 ビッキーはビクトールがレストランを出るのを見送った。
「………ルックさん、大丈夫かな……」
 すっかりぬるくなってしまったミント水を飲み干して、ビッキーは医務室へ向かった。
 医務室はようやく落ち着きを取り戻したようだった。時折、痛々しい呻き声が聞こえる以外は、静まりかえっている。
 ビッキーは音を立てないように注意しながら、ルックが寝ているベッドへ向かった。間仕切りのカーテンの隙間から滑りこみ、ベッド脇の椅子に腰かける。
 顔色はまだ青白くはあったが、ルックの表情は穏やかになりつつある。ビッキーは、ほっと胸を撫で下ろした。
「………ル……ア……」
「……?」
 ルックがうわごとを言ったようだった。ほとんど掠れていて、聞き取りにくかったが、ビッキーはそれがかつてともに戦ったトランの英雄の名前であることに思い至る。
「………ルックさん………」
 ほんの少し、胸が痛くなった。自分では、本当に見守ることしかできないのだろうか。
 ビッキーは意を決したように顔を上げ、医務室を出た。
 “転移の場”に備えつけられた、帰還魔法のための大鏡の前に立つ。
「お婆ちゃん………」
 左手の中指にはまった、金の指輪に軽く口づけて、ビッキーはテレポートした。ビクトールに聞かせた話の続きを思い出しながら。



 ルックのことが心配だと言ったビッキーに、ヘリオンは眉をひそめてこう言った。
「…………あの小僧よりも、私はあんたのほうが心配だよ」
「え……?」
 まったく自覚がなさそうなビッキーの表情に、ヘリオンは何度目かの溜め息を吐く。
「転移魔法の失敗は癖になる。現に、あんたはこれが初めての失敗じゃあなさそうだ。自分の魔力に歪みが出てきているのがわかってるかい?」
「………わかっていますよ」
 返った答えは、ひどく醒めた声色だった。ヘリオンは訝って、ビッキーを凝視した。だが、ビッキーはいつもの笑顔で笑う。
「大丈夫だよ、お婆ちゃん。よくあることだもん。平気平気」
「誰が『お婆ちゃん』なんだい、まったく……」
 ヘリオンはブツブツと言いながら、あまり悪い気もしなかった。
「これをあげるよ」
 左手の中指にはめていた指輪を、ヘリオンはビッキーへ手渡した。
 己の尾をくわえたヘビの形をした指輪である。両目にルビーをあしらった純金の細工で、びっしり彫りこまれていたであろう鱗はほとんどすり切れてしまっていた。
「これ………」
 ビッキーは戸惑って、ヘリオンと指輪に交互に目を走らせる。
「あの小僧の面倒をあんたが見ると言うなら、あんたの面倒は私が見てやるよ。道に迷ったのなら、私を捜すと良い。その指輪が必ず、あんたを私のもとへ運ぶだろう」
「ありがとう、お婆ちゃん!」
 指輪を握りしめて、ビッキーはヘリオンに抱きついた。
「…………。あんまり、時間を越えるんじゃないよ………」
 ぶっきらぼうな言葉だったが、背を撫でてくれた手はとても優しかった。