紋章に魅入られた子供たち 外伝


上邪(じょうや)

或いは、生死を統べる者と呪(うた)う者 篇





 その力は、生まれ付いてのものだった。
 忍びの子供たちは一定の年齢に達すると、燕屋敷というところへ集められて、そこで修行を積む。その子供たちの様子がおかしい、とハンゾウが報告を受けて来てみると、ポツンと一人の幼女を他の子供たちが怯えたように遠巻きにしていた。
「……どうしたのだ? カスミ、なにかあったのか?」
 独りぼっちにされたのは、燕屋敷に入ったばかりのカスミだった。カスミ自身も怯えたように、泣きながら首を横に振る。
「怒ったりはせぬから、ちゃんと説明してくれぬか」
 安心させようと思って差しのべた手は、却って逆効果だった。カスミは身をすくめて、叫ぶ。
「カスミが悪いんじゃないもん! カスミは、なにもしてないもん!」
 言葉と同時に、ハンゾウに烈風が襲いかかった。
(こ、これは……!)
 ハンゾウは両腕で顔をかばって、その風に耐える。その風がおさまると、ハンゾウは優しくカスミに言った。
「あぁ、わかっている。カスミはなにも悪くないぞ。だから安心して、こちらへ来なさい」
 他の皆のように怯えないハンゾウに、カスミは目を見開いたあと、大人しく言うことを聞いた。
「………カスミは、しばらく儂が預かる」
 燕屋敷を任せている忍びにそう告げて、ハンゾウはカスミを抱き上げると頭領屋敷へ連れ帰った。
 座敷でカスミと向かいあってすわったハンゾウは、懐紙を取り出して間に置いた。
「カスミ、この紙に向かって、『燃えろ』と言うのだ」
 また泣きそうな表情になって、カスミはハンゾウを見上げた。ハンゾウは、安心させるように一つ頷くだけ。やがて、カスミは観念したように懐紙を見つめ、大きく深呼吸をしたあと、言葉を紡いだ。
燃えろ
 静かに、だが幼子の声とは到底思えない響きを持つ言葉が紡がれると、懐紙は瞬時に燃え上がった。ハンゾウはすぐさまその炎を握り潰す。畳の上に、わずかに焼け焦げた跡が残った。火傷した様子もない手のひらからハンゾウが灰を払い落とすと、部屋の中だというのに風が吹いて、灰を外へ送り出してしまった。
 ハンゾウの挙措をカスミは目を瞠って見つめるばかり。
「カスミ、おぬしのその力は、“言魂”というものだ。言葉にはもともと力がある。命令にしろ依頼にしろ、相手を動かすことができ、巧みに使えば相手を縛ることさえできる。おぬしの場合は、言葉に吹きこまれる力が、他の誰より強い。だから、普通の人が言ったところで燃えない紙も、燃やしてしまうことができるのだ。………わかるか……?」
「…………わかりません……」
 弱々しく答えて、カスミはうつむいた。
「おぬしはまだ幼い。それを恥じることはないぞ。ただ、わしの言った意味がわかるまでは、その力は封印する。良いな」
「はい、お願いします……!」
 パッと表情を明るくすると、カスミは手をついて頭を下げた。

 ハンゾウの言葉の意味がわかるようになった頃には、カスミは自由自在にその力が使えるようになっていた。ただ、いや、だからこそ、カスミは滅多なことではその力を使わなかった。作戦上どうしても必要なとき、もしくは頭領命令が出たときだけである。
 それを狂わせたのは、生涯で二度。一度目は死を呪(うた)い、二度目は愛を呪(うた)った。そしてそのとき使った言魂が、『永遠』という言葉でカスミの魂を縛りつけることになった。



 ロッカクの里は、怒号と馬の駆ける音、燃えさかる炎に蹂躙された。
 完膚無きまでに破壊されていく里を、崖の上から頭領のハンゾウとカスミが見下ろしていた。
 返り血と煤と涙でグチャグチャのカスミの顔を、ハンゾウは優しく拭った。
「カスミ、おぬしはロッカクの里が帝国軍に破れたことを解放軍に伝えよ。そして、そのまま解放軍に加わり、帝国の打倒を目指せ」
 頭領の命令は絶対、という掟に逆らったことのないカスミにとって、その指令を承服することはできなかった。
「そんな、ハンゾウ様! いまの解放軍のリーダーは、この里を焼き払ったあのテオ・マクドールの息子なのですよ!? 私には、仕えることなど、到底できません……!」
「確かに、マクドール家の嫡男が解放軍元帥だ。しかし、彼が南のクワンダ・ロスマンを撃ち破り、いままた、西のミルイヒ・オッペンハイマーを追い詰めているという。その手腕の見事さは、おぬしにもわかるであろう」
「ですが………」
 なおも言いつのろうとするカスミの言葉を、ピシャリとハンゾウは遮った。
「カスミ、これは命令だ。梁山(リアンシャン)城へ行き、このロッカクの里に起こったことを伝えるのだ。テオ将軍の次の狙いは、間違いなく解放軍であることも。そして、おぬしの眼で、解放軍元帥の為人を確かめるが良い。儂は、彼は稀代の英雄であろうと思っている。この儂の考えが正しいか、おぬしの考えが正しいか、確かと見極めるのだ」
 忍びとしての顔を取り戻して、カスミは頷いた。
「はい。………ハンゾウ様、もし、私の勘が正しかったときには……」
 ハンゾウは、カスミの喉許に指先を触れさせた。
おぬしの力を使うが良い。頭領の名の許に、許可する」
「承知」
 ほんのわずか、ハンゾウは肩の力を抜いた。
「カスミ、その力だけでなく、おぬしの実力は素晴らしい。……いずれ、この儂をも凌駕するであろう。だが、経験不足なのは否めない。外の世界に触れるのだ。広い世界に……」
「はい、ハンゾウ様」
「儂は生き残った者を集め、帝国に一矢報いる機会を窺う」
「ご武運を……」
「行け、カスミ!」
 カスミの姿がかき消えた。

 トラン湖の梁山城へ、カスミは辿り着いた。
 ミルイヒ・オッペンハイマーを撃ち破ったばかりの解放軍元帥に、目通りがかなう。
「ルキア・マクドールだ。……父が、すまないことをした………」
 汚れた戦装束のままのカスミの姿に、ルキアは痛ましそうに目を細めた。
「……ロッカクの里の忍び、カスミと申します」
 ルキアを見つめて、カスミは答えた。そして、ハンゾウの言葉が正しかったことを痛感する。
(………なんて、なんて深い闇を抱いた人だろう………)


 ゴウランに広がる平原は、火炎槍のおかげで焼け野原と化していた。まだあちこち燻る中、テオ将軍は自ら部隊を率いてルキアのいる本陣へ肉迫していた。ルキアもそれに応えるように、マッシュが止めるのも聞かず、黒旗(ルキア直属の親衛隊)を率いて迎え撃つ。
 テオの精鋭部隊といえども火炎槍の前には無力で、すでにその数は残りわずか。無傷の者は一人もいない。テオとて例外でなく、額と左腕の火傷は特に酷かった。その状態でなお、テオは傲然と解放軍元帥に一騎打ちを申しこんだ。
 ルキアが馬を降りると、マッシュが馬をルキアの前にまわす。
「ルキア殿、バカな真似はしないでください! なにをしている、早くテオ将軍を討て!!」
 マッシュの号令に、包囲する解放軍と包囲されたテオの部隊が再び武器を構える。
「待て!!」
 騎上より低いところから発せられたにもかかわらず、その声はすべての動きを止めるのに充分な力を持っていた。声の主であるルキアは真っ直ぐにマッシュを見上げる。
 いっそ艶やかとさえ言える笑みを浮かべて、ルキアは口を動かした。
「その気持ちだけ、ありがたく受け取っておく」
 ルキアの声はマッシュにだけ届いた。身体を強ばらせたマッシュの横を通り抜けざま、手綱を握る手を軽く叩いていく。ルキアが片手を上げて一度振ると、テオの部隊を包囲していた解放軍は黒旗よりも後ろへと後退した。
 整然と一糸乱れぬその動きを見て、感心したように息を吐き、テオもガルホースから降りた。そして、ガルホースに括りつけてあった二本の太刀を手にする。遠目からでも、それらがマクドール家に古くから伝わる兄弟刀であることがルキアにはわかった。父の意図も。
 いまテオが、皇帝より拝領の愛剣から佩きかえた太刀は、兄刀(えがたな)・“不知火(しらぬい)”。恐らく渡してくれるであろう手に持ったままの太刀は、弟刀(おとがたな)・“薄ら氷(うすらひ)”という。
 しかし、互いだけが必然だと理解している決闘の場に、降ってわいたかのように朱鷺色が舞った。
「お止めください、我が君! この戦の決着はついているのです。あなたが直接手を下す必要など何処にもありません!!」
 ルキアの前に立ちはだかったのは、今度はカスミだった。ルキアは淡々と首を横に振る。
「これは、戦の決着なんて二の次なんだよ。単なる、太刀使いの殺しあいだ」
「元帥がそんな死合いをするなど、許されるとお思いか!?」
「許されないだろうね。だから、わざわざこんな形を取ったのでしょう、父上?」
 ルキアは皮肉っぽく口の端を上げて問う。テオはわずかに頬をゆるめただけだった。
 ただひたすらに、強者との勝負に挑みたい牙竜一刀流(がりょういっとうりゅう)の流儀に血が騒ぐだけ。ついでに戦の決着もつけられるというなら、まさに一石二鳥。親子で殺しあうことの罪深さ? そんなものは知ったことではない。
「ですが、父上、一つ言わせてください。七代様の命を賭けた偉業に、俺はどれだけ安堵したことか……。いまこの時も、感謝してもしきれないと思っているのです。どうか、そのことは覚えておいていただきたい……」
「それはマクドール家を継ぐ者が誰でも思うこと。無論、私とて例外ではない」
「それを聞いて安心しました。………これで、俺の持てる力すべてを使って、あなたを倒すことができます」
「ははっ、ほざいたな、小僧」
 近づいてくる二組の足音に、ルキアは少し顔を後ろに向けた。
「……師匠とミルイヒまで止めに来たのか……?」
「儂はもう止めはせんよ。テオの奴を止められなかった時点で諦めた。お前だけでも、その呪いから解放してやりたかったがな………。烏鴉(ウヤ)は、骨の髄まで太刀使いなのだと思い知らされたわ」
 その言葉に、カイがテオの説得に失敗して、ガランの城塞で途方に暮れていたのだと知る。
「だが、一騎打ちには立会人が必要だろ……?」
 テオの後ろにはすでにアレンとグレンシールが控えている。ルキアは軽く頭を下げた。そして、ミルイヒに視線を向ける。彼は沈痛な面持ちで口を開いた。
「ルキア殿、どうか、テオ殿と話をさせてください」
 テオが自分の意志を曲げるとはとうてい思えなかったが、ルキアはその願いを許可した。ミルイヒは害意がないことを示すように両手を軽く挙げて、テオの許へ歩み寄った。カスミの横を通り過ぎ、声を張り上げなくともすむ位置で立ち止まる。
「テオ殿、どうしても我らとともに戦ってはくれないのですか? ともに陛下をお諫めすることはできないのですか?」
「…………。すまない、ミルイヒ。私は、どうしても友を裏切ることができないのだ」
「いまの陛下が、黄金皇帝と慕われた陛下であると本気でお思いか!?」
 悲しげにミルイヒを見やって、テオは右手の手袋を外した。
 露わになった手の甲には、ミルイヒとまったく同じ傷跡が残っていた。
「そ、それは……!」
 愕然とするミルイヒに、再び手袋をはめながらテオは言う。
「陛下が壊してくださった。この意味が、お前にならわかるな……? 陛下の、いや、友の心を知って、私は止めることではなく、ともに堕ちることを選んだのだ。救えなかった罪滅ぼしに………」
「あなたという人は………」
 かつての六将軍時代を思い出し、ミルイヒはきつく目を閉じた。
「友を裏切れない私。友を取り戻したいルキア。こうなることは、必然だったのだ」
 淡々と語るテオ。やがて、ミルイヒは目を開け、テオを真っ直ぐに見つめた。
「では、敢えて私にも言わせてください。友よ、私にできることはもうなにもないのですか?」
 ふっとテオの表情が和らぐ。
「先のことは他言無用に。せめて戦争が終わるまでは。それから、これをルキアに渡してくれ」
 持っていた“薄ら氷”をミルイヒに手渡した。
「わかりました」
 ルキアの許へ戻ったミルイヒは、太刀を渡しながら深々と頭を下げた。
「これを渡して欲しい、と。………なんの役にも立てず、申し訳ない、ルキア殿」
 背に負っていた棍をカイに渡し、ルキアはお気に入りの太刀を腰に差した。
「気にするな。これは、必然なんだ」
 親子揃って同じことを言い、ミルイヒは堪えきれずにあふれた涙を慌てて拭って顔を上げた。カイと同じく、立会人としての務めを果たすべく下がり、そして微動だにしていないカスミに眉をひそめる。
 ルキアは“薄ら氷”を抜いた。
「カスミ、そこを退け」
「いいえ、我が君。それはできません」
「……お前に仇を討たせてやれないのは悪いと思っている」
 カスミは強く首を横に振る。
「いいえ……! 私はそんな無意味なことを願って邪魔をしているのではありません」
「では、なんだ……?」
「親子の概念がない忍びでも、いまあなたのしようとしていることが罪深いものだとわかっているからです。何故、あなただけが罪を……闇を背負わなくてはならないのですか?」
 真摯な眼差しがルキアを射貫く。
「血を分けた者を手にかけることに、死合うことをかこつけていない、と言い切れますか……?」
「………それは、『卵が先か、鶏が先か』と同じことだ」
「…………。では、どうか、私を斬り捨ててからお行きください」
 ルキアは眦をつり上げる。
「こんなことになってしまったのは、テオ将軍に里が焼き払われて、あなたに助けを求めてしまった私の罪です。どうか、罰を………」
 “薄ら氷”の鍔が鳴る。
「本気で……本気で、そんなことを言っているのか!?」
 声を張り上げているルキアとカスミの会話は、風下にいるテオにはよく聞こえた。テオは、この少女がルキアの許にいてくれて良かったと思う。復讐の無意味さも虚しさもわかっており、ルキアのことを心から心配してくれている。平時であれば、いつか息子に紹介されるのはこの娘だろうかと思い、それも有り得ないかと苦笑する。ロッカクの里のくノ一と知りあうことなど、平時ではまず不可能だ。
(なんという廻りあわせだろうか……)
 使いたくない言葉を、ふと思い浮かべてしまう。
 そして、テオは動いた。存外、気の短い息子を助けてやるために。
 鞘走る“不知火”の音に、ルキアの身体は無意識に動いた。
「師匠! カスミを頼む!!」
 カスミの腕をつかんで後ろへ投げるように引っ張り、彼女の背を斬りつけようとした太刀を受け止める。だが、勢いよく振り下ろされた刃は、片手だけでは受け止めきれようはずもなく、左肩でも受ける羽目になった。
「ルキア様!!」
 駆けよろうとしたカスミを、カイは羽交い締めにして止める。
「駄目だ! 始まってしまったからには、もう止められん!」
 斬りあいを始めた二人と充分な距離があるにもかかわらず、カイはカスミの腕をつかんでさらに後ろへ下がらせた。
「カイ殿、離してください。もうお二人の邪魔に入ったりはしませんから……」
「もう少し下がれ。牙竜は衝撃波だけでも人が斬れる」
「知っています。………多少の切り傷くらいなにほどのものでしょう………。止めたかったのに……止められなかった………」
 一瞬、泣いているのかと思ったが、カスミは毅然と顔を上げて親子の決闘の様を見つめていた。
「本来、牙竜演舞(がりょうえんぶ)はこんなものではなかったはずなのに………」
「………いや、これが真実(ほんとう)の牙竜死舞演武(がりょうしまいえんぶ)だ。ルキアが言っておっただろう? マクドール家の、いや、烏鴉七代目が命を賭して、お前の知っている形へ変えた。最早、牙竜の極みを得るための形だけのものかと思っていたがな」
 しかし、いま眼前に繰り広げられているのは、紛れもない死合いで、ルキアが最初に受けた左肩の傷はあまりの激しい動きに一向に血の止まる気配もなく、テオには目立った刀傷はないものの、先に負っていた火傷が疲労速度を上げているのは目に見えて明らかだった。
 牙竜演舞は基本、技の出しあいである。相手の出した剣技を次の剣技で止めて返す。そして最終奥義へと辿りつく。二人の死合いも最終まで目前であった。
 ルキアが薙いだ太刀をくぐり、テオが裂帛の気合いとともに突きを入れる。心臓めがけて確かに刺された太刀に、立会人たちは息を呑み、声のない悲鳴を上げる。だが、“不知火”は澄んだ金属音を上げてルキアの胸を刺し貫くことはできなかった。左胸で太刀を受けたまま、ルキアは身体を回転させながら、“薄ら氷”の背で“不知火”を叩き斬り、さらに正面に体勢を戻しながらテオを斬り上げた。
 光る刃の軌跡が見えた。
「………祖之太刀(そのたち)、開眼…………」
 茫然とカスミは呟く。
 血飛沫を上げ吹っ飛んだテオは、どうっと背中から落ちた。