「テオ様!!」
 アレンとグレンシールが駆けよる。“薄ら氷”を突き立て、ルキアもテオの許へと走る。カスミたちもその後を追った。さらに後ろから、馬蹄が二頭分聞こえてくる。マッシュとクレオだった。
 先にテオの許へ駆けつけていたアレンとグレンシールが、出血を止めようと躍起になっていた。
「父上……!」
 テオの顔の近くにすわり、ルキアは呼びかける。いまだ血の止まらない左肩を、カスミが自分のスカーフを使って縛り上げるのが煩わしかったが、それを無視してルキアは呼び続けた。
 うっすらと目を開けて、テオはルキアを見上げた。
「ルキア……我が息子よ………。立派に、なったな………」
「父上………」
 テオは目線で、アレンとグレンシールを退がらせる。
「………“不知火”は、逝ったか………。お前に、懐いて、た、“薄ら氷”を遺せただけ……良しとするか………」
 浅く苦しげな息づかいでテオは語る。
「……ルキア、最後、“不知火”を止めた、のは、なんだ……?」
 ルキアは襟もとに手を入れて、首に提げた手のひらより少し小さいメダルを取りだした。白金と黄金の二匹の蛇が、絡みあうように真円を作るメダルである。その形が変わっていて、ルキアは目を瞠った。二匹の蛇はそれぞれ対称の位置に頭を見せていたのだが、白金の蛇がカッと顎を外して牙を剥いていたのである。
「母上から譲り受けたメダルです………」
 首から外して、テオによく見えるようにルキアは持った。鎌首をもたげている白金の蛇に、納得いったようにテオは小さく頷く。
「………そうか………。ローテが、お前を……護ったか………」
「はい………」
 メダルを持つ手が震える。はらりはらりと顔に落ちてきた雫に、テオは微笑んだ。
「運もまた、勝者の、条件だ………」
 昔よくしたように、泣き虫な息子の頭を乱暴に撫でてやりたくなって手を上げるが、力が上手く入らない。中途半端な位置で落ちそうになるのを、ルキアがメダルごとしっかりと両手に包んだ。
「私は………幸せだ………。望む、通りに……悔いなく生きてこれた………。そして……我が子が、自分を、越える瞬間を……見ることができた……」
 ゆるく指を曲げたテオに応えるように、ルキアは力をこめて握り返す。
「テオ様! しっかりしてください……!」
 ルキアの右側に膝をついて、クレオが泣いている。それに優しい視線を向け、テオは反対側に膝をつくアレンとグレンシールに目をやった。最後まで忠義を尽くしてくれた二将も、静かに涙を流していた。
「アレン……グレンシール………」
「テオ様……!」
「……なんでしょうか、テオ様……」
「私の、意地に、お前たちまで………付き合う必要は、ない……。解放軍に……息子に、力を貸してやって欲しい。それが……お前たちのためにも………なるはずだ……」
「テオ様!」
 堪えきれず、アレンは慟哭する。
「ルキア……我が息子よ………。お前の人生に……幸多からんことを………」
 ルキアとその隣に控えるカスミを見つめて、大きく息を吐き出す。ゆっくりと落ちた瞼は、もう開くことはなかった。
「テオ様!!」
 すぐ隣のはずのクレオの悲鳴が、ルキアにはやけに遠くから聞こえた。右手が異様に熱い。だが、身体全体は酷く寒い。徐々に熱を失っていくテオの手よりも、自分の身体のほうが冷たいのではないかと思うくらいに。グラリと視界がゆれる。
「ルキア様!」
「ルキア殿!」
 最後に聞こえたのは、カスミとマッシュの声。
 暗転する視界。
 暗闇の中に、蒼く光る水面が見える。
(あぁ、まただ………)
 ぼんやりと、ルキアは思う。
 まるで藍晶石を溶かしたかのような、蒼く光る大きな泉。そのまわりを囲うように立つ、四人の人影。真っ黒なローブで全身をすっぽり包んだ四人のうち二人が、闇の中から上下左右に伸びる鎖に、両手を胸の前で交叉させて縛られている。
 突然、泉が強く輝くと、硬質な音を響かせて一人の鎖が砕け散った。解放された一人は、自由を確かめるように一度両手を大きく広げ、やがて他の二人と同じように手を下ろした。
(………三人目………。あと……一人…………)
 ルキアの意識はさらに沈んだ。


 梁山城のルキアの部屋をカスミはノックした。
「どうぞ」
 中から、ルックの素っ気ない声が返る。
「失礼します」
 主はまだ目覚めてないのは承知の上、律儀に声をかけてカスミは中へ入った。
 二人がけのソファに足を投げ出して、ルックは本を読んでいた。テーブルの上には分厚い本がもう一冊。邪魔をするのも悪いと思い、カスミは黙って、ルキアの眠るベッドサイドの椅子に腰かけた。
「交代の時間?」
「はい」
「そう」
 ルックはパタンと本を閉じ、テーブルの上に積む。膝を曲げて頬杖をつき、じっとカスミを見つめた。
「ねぇ」
「はい……?」
「あの時、本気で殺されるつもりだったの?」
 カスミは身体ごとルックに向き直った。
風は音を司るんだよ」
 あの場にいなかったルックが何故それを知っているのか、訝しげだったカスミの表情が納得する。
「………えぇ、そのつもりでした」
いまも、その気でいる?」
 ルックの表情も声音も読めない。カスミは少し考える仕草をして、やがてルックを真っ直ぐに見つめた。
「はい。……正確には、死を希っています」
 風がふわりと前髪を撫でていき、ルックは目を眇める。
「じゃあ、良いことを教えてあげる」
 他の女たちと何処か違う彼女。この真実を知ってなお、その態度は変わらないだろうか。試してみたくなった。
「ルキアは“27の真の紋章”の一つを宿している。その名を“生と死を司る紋章”。宿主に不老不死と強大な力、そしてそれにも勝るおぞましい呪いを与えた。ルキアに与えられた呪いは、自分と親しい者の魂を奪うこと。だから、かの紋章の二つ名は“ソウルイーター”とも言う」
 一度、言葉を切って、ルックはカスミの表情を窺った。
 少し目を伏せて、カスミはルキアが倒れる直前のことを思い出していた。ルキアの右手からあふれた禍々しい光。それはテオを包むと弾けるようにして消えた。あっという間の出来事で、ルキアが倒れたこともありいまのいままで忘れていたのだが、ルックの簡単な説明だけですとんと納得できてしまった。
「ルキア様の右手から光が溢れでて、テオ将軍の身体を一瞬包んで消えてしまいました。そういうことだったのですね……」
「あんたが死を希うなら、ルキアと親しくなれば良い」
「気の長い話、というより、成功確率の低い話ですね」
 返された言葉に、ルックは面白そうに口の端を上げる。
「親しくなって喰われてしまうなら、あなたの石版の名前はもっと数が減っているでしょう……?」
「ルキアの自制心を狂わすほどに想われる自信はない?」
「残念ながら、いまはまだ」
 ルックは首を傾げる。好き嫌いは知らないが、あの時のルキアは間違いなく箍が外れそうだった。テオが動かなかったら、自分が動いていただろう。
(………確かに気の長い話になりそうかも……)
 ソファから降りて、テーブルの本をルックは腕に抱えた。
「まぁ、頑張ってみれば」
「ご忠告、ありがとうございます」
 ルックは驚いてカスミを振り返った。
「………なんのこと」
「紋章のことを教えてくれて」
「『良いこと』って言わなかったっけ?」
「えぇ。でも、私にはそうも聞こえましたので」
「あ、そう」
 素っ気なく返して、ルックは風を喚んで自分の部屋へ転移した。珍しく風がグルグルと渦を巻き、部屋の中にもかかわらず戯れてくる。
「酔ってるの……?」
 まさにそんな様子。そして、ふと自覚する。煩くて要領を得ない他の女たちと違って、カスミと話すのはとても楽だったこと。簡潔に必要なことだけしか喋らない彼女。
 そんな彼女の言葉に“風”が酩酊状態。その酔いは、部屋に戻って気の抜けたルックにも伝播した。なんとか上着だけを脱いで、ベッドに倒れこむ。
「……彼女、何者……?」
 “風”の答えを聞く前に、ルックの意識は眠りの底へ沈んだ。

 ルキアは目を覚ました。ぼやけた視界に入ったのは、見慣れた石造りの天井。
「………気づかれましたか、我が君、ルキア様……?」
 気遣わしげな、楽の音のような声。顔を横へ向けると、ベッドサイドに椅子を持ってきて、カスミがすわっていた。赤い目許が気になって、ルキアは腕を伸ばした。
「痛っ……」
「駄目ですよ、ルキア様。やっと傷がふさがりかけたところなのに………」
 慌ててカスミはルキアを押しとどめる。
「……此処、俺の部屋?」
「はい」
「…………。何日、眠ってた?」
「ルキア様が倒れて、三日経ちました。いままで、医務室で治療を受けられてましたが、今朝、リュウカン先生が峠は越したと仰って、此処へ移動されたんです」
「そうか……」
 ふと、ルキアは首を傾げる。
「俺、一度も目を覚まさなかった?」
 カスミは苦笑する。
「縫合手術の際に、一度………。リュウカン先生とそのお弟子さんたちだけになったときに、目を開けられて、大騒ぎになったそうです。ジーンさんが付き添ってくださって、事なきを得たとか。私は哨戒任務に出ていたので、あとから聞いたのですけど」
 珍しく泣きそうな顔をしたジーンに、「私がいるから安心して、もう少し眠っていなさい」と言われたのは、やはり夢ではなかったらしい。
「そのあとは、ジーンさんがルキア様を起こさないようにローテーションを組まれました。いましがた、私はルックさんと交代で入ったところです」
「手間かけるな……」
 お気になさらずに、とやんわりとカスミは微笑んだ。
「身体起こすの手伝って」
「ですが………」
「大丈夫。のども乾いたし、なにか食べたい」
「わかりました」
 カスミはルキアの傷に触れないように注意しながら、背中に腕を差し入れた。まわした右腕に伝わるカスミの柔らかい身体、頬に触れる髪。ルキアは目が眩む。
 右手の甲がチリチリと疼いたりしなければ、このまま身体を預けてしまいたかった。
 枕をクッション代わりに背に当てて、上半身を起こした。水を入れたグラスをもらって、ゆっくりとルキアは飲み干す。
「リュウカン先生を呼んできます」
「………カスミ、もしかして哨戒任務明け?」
「はい……」
 出て行きかけたのを立ち止まって、思わず目許に手をやるとカスミは頷いた。
「じゃあ、仮眠を取ったらまた俺のところへ来てくれ。聞きたいことと、言いたいことがある」
「………はい」

 仮眠を取ったカスミは、再びルキアの部屋を訪ねた。部屋ではクレオがルキアの世話をしていた。
「あぁ、きたね。……クレオ、外してくれるか」
「はい」
 クレオと入れ替わり、カスミがベッド脇の椅子にすわる。
 三日分の報告書をサイドテーブルに置いて、ルキアはカスミを見つめた。
「………かばってくださって、ありがとうございました……」
 先に口を開いたのはカスミだった。
「…………。身体が勝手に動いただけだ。いまでも、あの言葉には腹を立ててる」
 カスミは目を伏せた。戦争の前、ルキアがいつも白旗(非戦闘員)に下す命令を思えば、その怒りももっともなことだ。いまでも、自分が死を希っていると知ったらどうするだろう。
「二度と俺に、『殺してくれ』などと言うな」
「生き恥をさらすことになっても?」
「そうだ」
「承知」
 カスミは神妙に頷いた。
(本当は、全員にそう言いたいのかな……)
 この戦時下では不可能な言葉。まして、解放軍を率いる身であるならば、真逆を命令するしかない。だから、せめて白旗にだけは、時としてそれが死よりも残酷であると承知の上で、『生きろ』とルキアは厳命する。
 愛するが故に、下す残酷な命令。
 愛するが故に、喰らう紋章。
(あぁ、そうか…………)
 ふっと浮かんだ答えに、カスミは涙を零した。
(この人とこの紋章は、似てる………)
 突然、声もなく泣き出したカスミにルキアはギョッとなる。自分の言い方がきつかったのか、言葉がきつかったのか、思い当たることもいろいろあって、だけど、絶対に譲ることもできなくて、どうして良いのかわからず途方に暮れる。女の扱いはそこそこできると思っているのに、何故かカスミが相手だと上手くあしらうことができない。
「………そんなに、酷いこと言ったか? 俺……」
 カスミはゆるゆると首を振る。
「……いいえ、すみません。いろいろ……思い出して、しまって……涙が………」
 一度あふれた涙は、なかなか止まらなかった。拭おうとする手を、ルキアは動く右手で止める。
「擦ると余計に赤くなる。………泣いてて良いよ」
 カスミも大切なものをなくしてしまっていることを、ルキアは思い出す。
「そうだな……お前もつらいよな……」
 濡れた頬に指先を触れさせると、新たな雫が指先を伝って、甲を、淡く光る紋章の上を滑り落ちていく。
(最後の贄を見つけたとでも、思ってるんだろうか………)
 何故か隠す気にもならず、ルキアはぼんやりと紋章を見つめた。
(別に、カスミと親しいとは思ってないんだけど………。てか、知りあったばっか)
 ふっとルキアの意識が遠のく。気を失ったわけではない。身体はちゃんと起きている。意識もハッキリしている。だが、目の前にいるはずのカスミが何故か遠く、身体も自分の意志で動かせなくなった。
 その状態で、勝手に自分の身体は右手の甲をカスミの濡れた頬にそっと押し当てた。
「ルキア様……?」
 ビックリして自分を見つめるカスミは、やはり遠い。それなのに、また勝手に自分は口を開く。
「……涙が、冷たくて気持ち良い」
 確かに右手が熱を持ってるのも自覚できている。だが、その言葉は自分の言葉ではない。
「まだ、熱がありますね」
 カスミはルキアの異常に気づいていない。気遣わしげに、右手を両手にくるむ。身体は冷たい手のひらを握りかえし、気持ちよさそうに目を閉じる。
(………勝手に、カスミに触れるな……!)
 焦るルキアの意識に、笑い声が届く。
『ツッコむところ、そこか?』
『誰だ!?』
『わかってるだろう』
『…………。勝手に、カスミに触るな』
 歯噛みしながら、ルキアは繰り返した。
『知りあったばかりの女なんか、どうでもよかろう』
『どうでもいい女じゃない!』
 闇に向かって絶叫して、ルキアは自覚した。それを悟って、また笑い声が届く。
『自覚したなら結構。………最後の贄が誰かなど、私にもわかることではないよ』
 最後に聞こえた言葉は、突き放したようで何処か暖かく、ルキアは戸惑いながら自分の身体を取り戻した。目を開けると、ちゃんと正常な距離にカスミが見える。ホッと安堵の息が零れた。
「カスミ、ちょっと頼みがあるんだけど」
「はい」
「そこの包帯を右手に巻いてくれないか?」
 サイドテーブルにあった包帯を目線で示すと、カスミは頷いた。敢えて、手のひらを上に向けて差し出すと、カスミは丁寧に包帯を巻いていった。
「ありがと」
「いえ……」
 ほんのりカスミの頬が染まる。気持ちが落ち着いて、初めてかけられた優しい言葉の数々に、いま頃になって嬉しさと照れくささがこみ上げる。
 紋章がまたチリチリと疼く。いままで死者を喰らってきたこれは、果たして生者の魂も狩れるのだろうか。
(試す気もないけど………)
 ルキアはもぞもぞとベッドに潜りこむ。カスミが気がついて、今度は横になるのに手を貸した。身体に触れてた手を、気力で引き剥がしてルキアは目を閉じる。
「少し、寝る」
「はい。おやすみなさいませ、ルキア様」
 楽の音の声は、ゆっくり眠りへと誘ってくれた。



 時が過ぎ、戦争も終わりが見えてきた頃。
 梁山城の地下で、人を惹きつけて止まない瞳を持つ少年は、星を求めた男の言葉を聞いていた。
「紋章に意志はあるか、じゃと……? “夜の紋章”が良い例じゃろが」
「……あぁ、そっか……」
「何故、いまさらそんなことを訊く?」
「…………。一度、身体を取られたことがあるんだ……。自分の意志を差し置いて、身体を操られたのはその一回こっきりだったけど、それからも知らないことをまるで記憶してたように思い出すことがあったりする……」
「さもあらん」
 クロウリーはあっさりと肯定した。
「え!?」
「お前とその紋章はよく似ておる。“魂の鏡像”じゃ。もはや複雑に絡みあって、他の誰にも継承させることなぞできん。お前が死ねば、その紋章も死ぬ。その紋章が死ねば、世界の理(ことわり)が崩れて世界が滅ぶ」
 あまりのことに、ルキアは声も出ない。
「お前が世界を望めば、その紋章が世界を喰らってしまうから、どのみち滅ぶことには変わらんのじゃがな」
 ニヤリとクロウリーは笑った。世界の命運さえ、些細なことであると言わんばかりに。
「………俺にどうしろって言うんだ……」
 血を吐くように呟いたルキアの頭を、励ますようにクロウリーは叩いた。
「なにも。お前はよくやっておるよ。与えることはできなくとも、受け止めることはできる。すでに、自分で答えを見つけておるではないか」
「…………彼女の前では、自信がなくなる………」
 珍しく弱気になっているルキア。クロウリーは自分の長い髭を撫でながら、朱鷺色のよく似合う少女を思い出した。
「そればかりはのぉ。儂にもつけてやれる薬はないな。……なにせ、紋章もあの娘をいたく気に入っておるようじゃし」
「……! どうして!?」
「……あの娘は、他の誰よりも深い想いを持っておるからの。他の者たちとは、始まりからして違うのじゃ。誰もが、お前の他を圧倒する気炎に惹かれたのに対し、あの娘は、お前がひた隠しているその闇を看破した。その闇を抱いたお前に惹かれたからじゃ」
「…………だけど、俺は、その想いに相応しい男じゃない………」
「わかっておるではないか」
「……そこで即答しないでくれよ」
「ふふふ……。では、相応しい男になれば良い。その紋章がもたらすものに、耐えられる男になれば良い」
「………それができるなら、こんな想いはしていない……」
「では、お前に一つ、予言をやろう。………いつか、お前はあの娘の想いの深さを知る。その時、お前がそれに相応しい男でなければ、到底、耐えられまい。じゃが、その想いを受け止められるほど、お前の器が大きければ、お前は永遠の伴侶を得られるじゃろう」
「………イヤな言葉を刻んでくれる………」
「真の紋章への嫌がらせは、わしの趣味じゃ」
 ルキアの渋面を、クロウリーは笑い飛ばした。