惜しみなく、尽きることなく、
夜の帳が下りると宿屋は忙しい。
近隣に並ぶものなしといわれる花の都・グレッグミンスター、そこの一番宿ともなれば尚更だ。宿泊客だけでなく、都民にも開放されているレストランは、さながら戦場のような多忙さ。食事の時間が終われば、酒場へ姿を転じ、客足は閉店間際まで絶えることがない。
「セイラ! 此処を頼むよ!」
女将のマリーがバーカウンターから、この時間帯は給仕に借り出されているセイラを呼ばわった。
腰に手をまわそうとした無粋な客の手を、遠慮なく叩き落として、セイラは答える。
「いま、行くよ、母さん!」
愛嬌を振りまくことを知らないぶっきらぼうさは、三年経っても少しも変わりがないのに、そこが良いという客も多く、カウンターに来るまで、声をかける男たちはずいぶんと多かった。
「セイラ、仕事中は『女将』って呼べって言ってるだろ」
「そうそう昔の癖は抜けないんだから、しょうがないさ。それに誰も聞いちゃいないよ」
腰に両手をあてて憤慨していたマリーは、少しも気にしていないセイラに軽く溜め息を吐いた。
「……しばらく、此処を頼むよ。私はお客様の様子を見てくるから」
マリーは決まった時間になると、客への挨拶にまわりながら、なにか不都合なことがないか宿を厳しく点検している。その気配りが、最も信頼できる宿としての定評を得ているのだ。
「行ってらっしゃい」
「それから、あすこの飲んだくれには、サングリアといえども、もう一杯もアルコールはやるんじゃないよ」
「飲んだくれ……?」
マリーが顎をしゃくった先に、ミーナがフルーツをいっぱいに入れたゴブレットを両手に包んでいた。露出した肌はすでに真っ赤で、一目で相当に酔いがまわっているのがわかる。
「どうしたのさ、あれ……?」
「さあね。どうせ、ルキア絡みには違いないだろうけど。……まぁ、とうの立った私より、歳が近いあんたのほうが話しやすいかもね。じゃあ、頼んだよ」
「あぁ」
マリーはカウンターを出て、代わりにセイラが入った。
どうしたものかな、とミーナを横目で眺めつつ、ひとまずカウンターの洗い物をセイラは片づけた。
「お母さん、お代わり〜」
とろんとした目で、ミーナはゴブレットをぐいっと前に突きだした。
「程々にしておきなよ、ミーナ」
「………あれ、セイラ? お母さんは?」
「挨拶まわり。あんたにはもう飲ますなってさ」
「なんでよ〜、私は客なのよ。客がお代わりって言ったら、お代わりを注ぐのがお店の仕事でしょ〜」
間延びした口調に、これはかなりきてるな、とセイラは溜め息を吐く。ゴブレットの中のフルーツに、フォークを突き刺した。
「フルーツでも食べてな」
「む〜、なによ〜、子供扱いして〜」
「子供だろ」
「失礼ね、もうじき18よ」
「あぁ、そうかい。明日のステージに二日酔いのまま立つ気かい?」
言葉に詰まるミーナ。
やがて、ゴトンと危なっかしい手つきで、ゴブレットをカウンターテーブルに置いた。
「……なんでよ………」
「……ミーナ?」
ぼろぼろとミーナは涙を零していた。
「……おい、大丈夫かい……?」
「……なんで、私、ダンスが一等なのよ………」
「……?」
「どうして、ルキアが、一等にならないのよ……。あんな男、世界中、探したって、いやしないのに、一等、好きになれないなんて……」
ふとセイラは、あの戦争中に聞いた言葉を思い出す。
『二番目に好きな者同士だから、ちょうど良いんだってさ。………それってさ、裏を返せば、互いに一等好きだったら悲劇だってことだよな。そんなの、あんまりだよな……』
おどけたことばかり言う少年が、やり切れない、と零した言葉だった。
「…………。ルキアとなんかあったのか?」
「………別に……」
泣きながらそっぽを向いたあと、ちらりとグラスに目をやる。
「サングリア、くれたら、話しても良いけど」
「じゃあ、結構。酔っぱらいの戯言なんかに、興味ないしね」
「セイラのケチ」
「おや、知らなかったのかい?」
一向に堪えた様子のないセイラに、ミーナはイーッと顔をしかめる。セイラはすっかり無視して、洗い終えたグラス類を磨くように拭き始めた。
「…………。セイラは、ルキアのこと好き?」
セイラはワイングラスを取り落としそうになる。慌てて両手でつかんで、大きく息を吐く。
「どうしていきなりそんなこと訊くのさ? グラス、割りそうになったじゃないか」
「……ごめん、なんとなく……」
ちょっと舌を出して、おどけたようにミーナは謝る。
「…………好きだよ」
顔を赤くして、でも手許はしっかりとさせて、セイラは答えた。
「………そっか……。じゃあさ、ルキアが、他の誰かと両想いになれたって、わかったら、悲しい?」
セイラはまじまじとミーナを見つめた。ミーナはうつむいていて、どんな表情をしているのかわからなかったが。
「………いいや。どっちかって言うと、嬉しい……かな」
「嬉しい……?」
「あぁ。………泣きたくなるような嬉しさ」
「……うん、わかる。私も、そうなんだよね………」
「ルキア、両想いになれたんだ、彼女と」
セイラは三人称を使ったが、ミーナは大きく頷いた。
「やぁっとね」
「長かったな」
「……長すぎよ」
「でも、必要な時間だったんだろうよ」
「うん………。ルキア、本当に嬉しそうだったな……。一等、大事な人をやっと手に入れられたんだもん、当然、だよね。すごく、幸せそうで。あぁ、やっとこの人も、幸せになれるんだ、って思ったら、胸の奥が、ぎゅうって締めつけられて、泣きそうになちゃって……。でも、ルキア、勘違いしそうだったから、精一杯、我慢してたの…………」
「お疲れさん」
ポンポンとセイラはミーナの頭を撫でた。
「もぉ〜、ゆらさないでよ〜、零れるじゃない……」
言いながら、もうあとからあとから、涙が溢れて止まらない。
「ルキアが、幸せなら、私も幸せ。ほんとのほんとに、大好きなの。ずっとずっと。私の一等はルキアじゃなくても、愛してるの。だから、こうなって本当に良かったって思ってる。嬉しい、嬉しいよ、ほんとだよ」
幼子のように、ミーナの気持ちが零れ落ちる。
「でも、苦しいの……。悲しいの。……だって、そう遠くない未来になったら、泣いて頼んだって、もうルキアは私を抱いてくれないもの。ダンスを捨てることができない私は、いつか、ルキアの記憶からなくなってしまうもの」
「あんたが苦しいのは、ルキアもカスミも好きだからだろ」
「………そうね、これで、どっちかでも憎めたら、こんなに苦しくないんだろうな……」
頬杖をついて、ミーナは溜め息を吐く。涙は、まだ、止まらない。
「それに、少なくとも、あんたは忘れられないと思うよ」
「……どうして、セイラにそんなことが、わかるのよ……?」
「あんたは確かに、あの時、どの女たちよりルキアの側にいたからさ」
「…………。ルキアって、本当に罪作り……」
「同感だ」
二人は顔を見あわせて吹き出した。
「……明日は、ちゃんと踊るから、今日は此処にいさせてね」
「あぁ、私の狭い部屋で良ければ泊まってきな」
「ありがと、セイラ」
「どういたしまして」
「明日は、ルキアにちゃんと言わなきゃ」
涙を拭って、ミーナは笑った。
「それでも、愛してるわって」
END
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