紋章に魅入られた子供たち 外伝

星月を抱(いだ)く者 篇




 グレッグミンスターへ向かう途中の峠道。ゴクウたちは、魔物に遭遇してこれを撃退した。
「やれやれ、なんとか片づいたな」
 そう呟いて、ビクトールは戦いのときに投げ捨てた鞘を拾い上げ、星辰剣をおさめた。
 と、その時。
 ビシッ……!
 鈍い音と同時に、鞘に亀裂が走った。
「……え?」
「マ、マジかよ……!」
「こないだ、買い替えたばかりじゃなかったか……?」
 ビクトールは我が目を疑い、近くにいたシーナは顔を青ざめさせ、ゲオルグは呑気に呟いた。
「どうかした?」
 固まってしまった二人を不審に思い、ゴクウが寄ってきた。
「俺、帰る!」
 くるりと背を向けて走り出そうとしたシーナの背中を、ゴクウはしっかりとつかむ。
「どうして帰るのさ? グレッグミンスターまであと少しだよ」
「アレじゃあ、着く前に野垂れ死ぬ」
「……アレ?」
 シーナの指さした方向には、星辰剣を手にしたまま、いまだ固まっているビクトールがいる。
「ビクトールが……?」
「鞘、また壊したんだね」
 ボソリと呟いたのはルックだった。それが引き金になったのだろうか、ビクトールは遠巻きに眺める仲間たちを振り返った。
「俺が悪いんじゃないぞ……! 鞘が勝手にだな……」
「物が勝手に壊れるか」
 言葉の途中を遮ったのは、星辰剣だ。
「だいたい、貴様の扱いが乱暴すぎるのだ。先程も、私ごと鞘で虎を殴りつけおって」
「咄嗟のことだったから、しょうがねぇだろ! ゲオルグだってなぁ、鞘ごと攻撃を止めることもあるぞ……!」
「止めるというよりは、受け流してるだけなんだが………」
 ゲオルグの呟きも一人と一振りには耳に入っていない。子供の喧嘩のような言い争いのうちに、鞘は亀裂からボロボロと崩れていき、もはや見る影もなかった。
「……それで、鞘がないと、なにが起こるわけ?」
 見慣れた口喧嘩を放っておいて、ゴクウはルックとシーナを見た。
「陽が沈んだら、星辰剣の力に惹かれて、魔物たちが襲ってくる」
「だけど、星辰剣は障壁を張りめぐらせるから魔物たちは近寄れず、結局、まわりにいる俺たちが襲われる羽目になるんだぜ!」
「………それはちょっと、嫌だなぁ………」
 ゴクウはゲオルグを見上げた。
「鞘って、やっぱり重要?」
「そうだな。刃は破壊象徴だからな。その衝動に人を引きずりこむ。だから、鞘で封じるんだ。力を暴走させたくなかったら、鞘の器量が上でなければ意味がない」
「………“夜の紋章”を上まわる鞘なんてあるの?」
「ないだろうな」
 ゲオルグはあっさりと首を振る。
「剣が紋章なら、鞘も紋章の力を借りて強くすれば良い。だが、真の紋章ともなれば、それにも限界がある。テッサイもいろいろ工夫を凝らしていたようだがな……」
「そっか……。…………ビクトールは相棒であって、宿主じゃあないもんね。力の制御には、関係ないんだ……」
 ほんの少し羨ましそうにゴクウは呟いた。それを見やって、ゲオルグはゴクウの頭をガシガシと撫でた。ゴクウは照れたように笑う。
 親子のような二人のじゃれあいを横目に見ながら、ルックはまとわりつく風を払った。うるさそうに眼を細めて、ゴクウに声をかける。
「一度、城へ帰るかい?」
「えぇ〜、せっかく此処まで来たのに………」
 拗ねるゴクウに、ルックは溜め息を吐いた。
「……城に戻っても、たぶん、どうにもならんぞ」
「どういうこと、ゲオルグ?」
「テッサイが言ってたのを聞いた。これ以上の鞘を作るのは無理だそうだ。“ゴールデンハンマー”があれば、作れんこともないそうだが……」
「俺も探してるんだけど、まだ見たこともないよ」
「……じゃあ、城に帰るわけにもいかないね」
「どーすんだよ、こんなところで夜になったら、マジで死ぬぞ」
 考えこむ四人。
 ふと、ゴクウが顔を上げた。
「………ね、ルキアのとこになら、星辰剣に見あう良い鞘がないかな……?」
「そりゃ、あいつんちは武家の名門だから、業物の一本や二本あるだろうけど、日暮れ前にどうやって辿り着くんだよ?」
「ルックなら、此処からルキアのところまでひとっ飛びできるだろ」
 諦めたように、軽く肩をすくめるルック。
「それしか方法はなさそうだね。とりあえず、君たちもグレッグミンスターを目指してよ」
「うん、わかった」
「……バルカス、嫌がるだろうなぁ……」
 国境警備隊のいる砦までは、日暮れ前に着ける。
「それじゃあ……」
 ルックは風の魔法で、グレッグミンスターまで転移した。

 マクドール家の屋敷で家宰に取り次いでもらうと、すぐにルキアに会うことができた。
「なにかあったのか?」
 客間に入ってきたルキアは、開口一番にそう訊いた。相変わらず察しが良くて助かる、と軽く息を吐いてルックは事情を説明する。
「ここへ来る途中、ビクトールが星辰剣の鞘を壊したんだ」
「…………また?」
「そう。……それで、その場凌ぎで良いから、なにか借りてこれないかってゴクウが……」
「う〜ん、ないことはないけど………。それじゃあ、根本的な解決にはならないよな」
「まぁね」
「………他のメンバーは誰?」
「シーナとゲオルグ」
「じゃあ、少しくらい時間がかかっても大丈夫だな」
「………何処、行く気?」
「まずはムースのところ。ちょうど私も“天牙棍”を修繕に出してるんだ」
 ルキアはグレミオに出かけることを伝え、ルックと転移魔法でグレッグミンスター内にあるムースの鍛冶場へ飛んだ。

「これは、ルキア様」
 鍛冶場にいきなり現れた二人に、弟子たちは驚いたが、ムースは丁重に出迎えた。来客用の席を二人に勧めて、ムースは向かい側にすわる。
「悪いな、突然。私の棍はできあがってるかい?」
「はい。これからお届けにあがるところでした」
「そうか。行き違いにならなくて良かった」
「ルキア殿」
「メース!」
 奥から、三年前に大師匠を引退したメースがやってきて、ムースの隣りに腰を下ろした。
「お久しぶりです、ルキア殿」
「元気そうだな。メースもいるなら、ちょうど良い。二人に頼みたいことがあるんだ」
 鍛冶屋の師弟は顔を見あわせた。
「なんでしょうか?」
「鞘を一つ作ってほしい」
「……もしかして、星辰剣のでしょうか?」
「察しが良いね。そうだよ」
「ルキア様、実は師匠が此処へ来たのもそのためなのですよ」
「え?」
 今度はルキアとルックが顔を見あわせた。
「三年前に見たあの剣の輝きは、そう簡単に忘れられるものではありません。あの魔天の夜に、急拵えで作った物を捧げるのはまったくもって不本意で、またいつか必要になる日が来るのではと日々、研究の毎日でした」
「………あぁ、そう……」
 メースの熱弁に、ルキアは少し乾いた笑いを返す。
「じゃあ、鞘はあるわけ?」
 情熱に水を差すように、答えを求めたのはルックである。
「……いえ、まだです。仕上げに必要な材料が、グレッグミンスターでしか手に入らなかったので」
「………それで、仕上がるまでにどれくらい?」
「一週間ですな」
「わかった。頼むよ」
「承知いたしました」
「……どうするつもりさ……? 一週間もビクトールを隔離しておくのかい?」
 ルックの問いに、“天牙棍”を受け取ったルキアは苦笑する。
「それはいくらなんでも可哀想だろ。次は、ヘリオンのところへつれてってくれ」
 一瞬、ルックは嫌そうな顔をした。
「ルックは外で待っていてくれれば良いからさ」
「……良いよ、僕も行くよ」
 本当は会いたくないが、外で待っていてもあのオバアに笑われそうだったので、ルックは嫌そうながらもそう答えた。

 二人の次の転移先は、魔術師の島。
 玄関に取り付けられている大きなノッカーに手を伸ばすより先に、扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
 顔を覗かせたのは、深紅のワンピースに真っ白なエプロンを着た可愛い少女。ただ、茶を帯びた濃く紅い瞳と、結んだ黒髪を飾る大きな瑪瑙の石が、少女と呼ぶには些か不釣り合いではある。
「お久しぶりです、“太極の方”様」
 少女は真っ直ぐにルキアを見つめてそう言った。
「久しぶり、瑪瑙。ヘリオンに会えるかな……?」
「はい、ご案内するように言い付かっております。どうぞ、こちらへ」
 瑪瑙という名の少女は、二人を塔内へ招き入れた。
 先に立って歩く瑪瑙の背を見ながら、ルックはルキアに訊く。
「あの子は……?」
「うん、ヘリオンの使い魔。他にも何人かいるんだ」
「………“太極の方”って……?」
「…………こいつには、いろいろ名前があるらしい……」
 ルキアは右手をひらひらと振って苦笑した。複雑な表情で、ルックはルキアを見た。
 塔内を奥へ上へと進む内に、ルックの足取りが重くなってきた。
「大丈夫か、ルック?」
「………此処って、いつからこんなになったのさ……」
 なにかに耐えるように、ルックは額を抑える。
 かつて、レックナートがこの星見の塔を使っていたときは、彼女やルックの事情で、外界をすべて拒絶するための結界が張ってあった。レックナートのいないいまは、当然その結界はない。だが、現在この塔の主であるヘリオンは、特殊な魔法陣をこの塔に布いているようだった。
「………あぁ、此処にいると、“夜の紋章”の気がよくわかるね。“古の秘法”、侮り難しってとこだな」
 トラン国内をめぐる気の流れが、ルキアにも手に取るようにわかる。
 クナン地方の最果てに感じる、異界の大いなる力。あれは間違いなく、竜洞騎士団長ヨシュアの持つ“竜の紋章”だろう。ロリマー地方には小さいが、だが、ハッとするほどに強い輝きが存在する。クロウリーの身に宿る、百の紋章たちである。
(………なるほど、“セイリオス”の名に相応しい……)
 そして、いままさにトランへ近づきつつある、二つの強大な力。一つは、眩いばかりに聖なる光を放つ“輝く盾の紋章”。もう一つは、その聖なる光さえ凌駕するほどに、深く冥い夜天光。ビクトールの持つ星辰剣である。
「なにを呑気に……。こっちは、“夜”の気に引きずられて、“風”が暴れそうだっていうのに……!」
 忌々しそうに唸るルックの肩を、ルキアは軽く叩いた。
「……どうだ? まだ、気分悪いか?」
「…………。治った……」
 ルックは不思議そうにルキアを見つめた。ルキアは曖昧に笑ってそれには答えず、瑪瑙のあとを追う。
 瑪瑙はひときわ重厚な両開きの扉をノックした。
「主様、お連れいたしました」
 扉を開けて、二人を中へ誘う。
 薄暗い部屋の奥に備え付けられた丸テーブル。ヘリオンは、そこで大きな椅子にすわって二人を待っていた。
「あの男は、また鞘を壊したのかい?」
 大袈裟に溜め息を吐いて、ヘリオンは言った。
「そうらしい。……新しいのを、いまメースとムースに作らせているから、それまで封印できそうな物をもらえないかと思って」
「仕方ないねぇ。トランを魔物の国に変えるわけにもいかないし」
 ブツブツと文句を言いながら、ヘリオンはテーブルの上に置いてあった札をルキアに差し出した。
「あの男に力加減というものを教えておやり」
「まだまだ、私が教わるほうだよ」
 ヘリオンの言葉にルキアは苦笑して、札を受け取った。
「これは?」
「“烈火の紋章”を封じてある。鞘ができるまでなら、それでなんとか代用品になるだろう」
「『火気は金気に克つ』か………。確かに、いまの“夜の紋章”は剣だから、一週間くらいなら保ちそうだね」
「それが駄目なら、私の手には負えないよ」
「冗談ばっかり」
 投げやりに言ったヘリオンをルキアは笑う。ヘリオンは片眉を上げて、ルキアを見つめた。
「………ルック、これを持って行きなよ。星辰剣の刀身に貼れば、鞘の代わりになるから」
「……君は?」
「ヘリオンに送ってもらう。グレッグミンスターで待ってるよ」
 受け取った札とルキアを見比べて、ルックは軽く息を吐いた。
「………わかった。じゃあ、あとでね」
「あぁ、気をつけて」
 ルックはその場で風の魔法を起動すると、転移した。それを見送って、ルキアはヘリオンを振り返る。
「“古の秘法”いや、“セイリオスを望む者の秘法”か……」
 厳かな響きを持った言葉に、ヘリオンは懐かしそうに目を細めた。
「まさか、あんたの口からその名を聞くことになるとは思わなかったよ。……懐かしいねぇ………。ただ情熱のままに、紋章の力を研究していた日々……。その名の通り、自分たちが焼き焦がされるとは思いもせずに、ただ、識ることを望んだ…………」
「真の紋章を封じるほどとは思わなかった」
 ヘリオンは軽く肩をすくめた。
「クロウリーが聞いたら、してやったり、と言うところだね」
「だろうな。………失われるしかないとは、実に惜しい」
「仕方ない。『進化』の次に訪れるのは、必ず『退化』と相場が決まっているもんさ」
「…………。では、『停滞』の次に訪れるものは……?」
 あまりに深い響き。だが、これはルキアの問いである。ヘリオンは真っ直ぐにルキアを見上げた。
「良いかい、ルキア。この世を『時間』が支配している限り、『停滞』なんてことはあり得ないよ。『時間』はこの世が終わるまで、刻まれ続けるものだ。誰の上にも、平等に。……刻まれ方は、人それぞれだろうがね」
 ヘリオンの答えに、ルキアは微かに笑った。
「そうだね。……やっぱり、亀の甲より年の功だな」
「用が済んだのなら、さっさとお帰り」
「うん。……ありがとう、ヘリオン」
「……瑪瑙」
 扉の前で控えていた瑪瑙が、ヘリオンに呼ばれてルキアの隣りに立った。
「お屋敷まで送っておいで」
「かしこまりました、主様」
 にこりと瑪瑙はルキアを見上げる。
「お手を取ってもよろしいですか、“太極の方”様?」
「どうぞ」
 ルキアの左手を、瑪瑙は両手で包む。
「では、お送りいたします」
 その声と同時に、転移魔法が起動した。
 二人の姿が消えたのを見届けて、ヘリオンは深々と椅子の背にもたれる。
「……まったく、手の掛かる子供たちだよ………」
 呟かれた声音は、限りなく優しかった。