紋章に魅入られた子供たち 外伝
太極の者といとけき巫女姫と誇り高き者 篇
二人がそこで会ったのは、ただ一度。まわりの者を唖然とさせた、その出会いは一度きり。
声を失った幼い少女は、覚えたての文字を首から提げた石版に辿々しく書きつらねた。そして、それを表に向けるとお伽噺のお姫様がするように、スカートを軽くつまんで膝を曲げた。
『はじめまして、ルキアさま』
深く美しい瞳を持つ少年は、幼子の仕草にやんわりと微笑んだ。そして、お伽噺の王子様がするように恭しく彼女の右手を取ると、その甲に口づけた。
「初めまして、いとけき巫女姫」
二人はにこりと笑みをかわした。
それからしばらくして、少女は故国を去った。
どんよりと淀んだ曇り空の下に、ハイランド王国の皇都・ルルノイエはあった。
軍事国家として有名なこの国は、食物の収穫高が自国を賄えるほどにはない。もっぱら周辺諸国からの輸入に頼りきりだった。それが近年、都市同盟との戦争が始まり、南方からの物資の流れはほとんど止まってしまった。敵国の半分を支配下に置いているとはいえ、すぐに母国が豊かになるわけでもない。
だから、グラスランド経由でカナカンのキャラバンが入城したときは、ちょっとしたお祭り騒ぎになったのである。生鮮品はほとんど中継の地で捌いてきてしまったが、穀類などの日持ちする物や、銘酒と名高いワインは大量に持ちこまれた。
交易所に隊を止めて、早速、取引の打ち合わせが始まる。そんな忙しない喧噪の中を、キャラバンの長は闇色のマントに全身をすっぽりと覆った人物に近づいた。
その人物の背は、少年少女の年頃の高さ。とくに厳(いか)つい男たちばかりのキャラバンでは、さらに低く感じられる。左肩から棒のようなものが突きでており、積み荷を下ろす作業を手伝うでもなく邪魔にならぬように眺めている様は、それでも隊の用心棒らしいと推測された。
「あなたのおかげで、無事にルルノイエへ到着しました。ありがとうございます」
カナカンでもその人あり、と一目置かれている長が敬意を払って礼を述べ、握手を求めた。
「いや、こちらこそ助かったよ。こんな時期に此処へ来ることができたんだから。急がせて悪かったな」
男の声が返り、言いながら目深にかぶっていたフードを下ろして、長の握手に応えた。
あらわになった顔は少年のものだった。少し長めの、艶のある漆黒の髪。アクセントで、左の一房を紅いリボンで巻いている。そして、深みのある黒曜石の瞳。彼を初めて見た者は、まずその瞳の輝きに心を奪われる。
長がその瞳に惚れこんだのは、トランの内戦が終結した半年後のことだった。それから、数年の月日が流れたが、少年の姿は変わらない。長は、少年が真なる紋章の呪いを受けていることを知っている。だが、黒い絹の手袋に隠された甲に、どんな紋章が宿っているのか知ろうとは思わない。そんなことは知らなくとも、この少年がいかに素晴らしい度量の持ち主であるかわかっていれば、それで充分だ。
「ルキア殿」
長は、声のトーンを落として少年の名を呼んだ。
「お約束の報酬です」
「うん、ありがとう」
ずっしりと金貨の詰まった小袋を、ルキアは遠慮なく受け取る。
「では、これにて。縁(えにし)があれば、また会うこともあるでしょう」
キャラバン独特の別れの挨拶を、長は告げる。
「そうあることを願う」
ルキアもそれに対となる言葉を返して、キャラバン隊に別れを告げた。
「さて………」
荷物を担ぎ、都市の中心にある皇城をルキアは見上げた。城の上空には、さらに重い雲が垂れこめている。それに眉をひそめ、歩き出した。
皇都・ルルノイエは白亜の都市である。
城を中心に街並みは放射状に広がっているが、防衛上、一本道はない。初めて此処を訪れた者は、人の案内がなければ必ず迷ってしまう。そのため、街のあちこちに道案内を生業とする子供たちや、役人にギリギリ目をつぶってもらえるような簡略な地図を売り歩く者がいた。
時々、足を止めて方向を確かめるルキアは、格好の商売相手に見えたのだろう。一人の少年が声をかけた。痩せぎすで質素な身なりをしていたが、よく動く鳶色の目が愛嬌たっぷりだった。
「兄ちゃん、道に迷ったのかい?」
「いいや、人を捜しているだけだ」
「人が集まりそうな場所へ案内してやろうか?」
「いや、いる位置はわかってるから」
ルキアの妙な答え方に、少年は首を傾げた。だが、此処で諦めてしまっては、今日の食い扶持に困る。
「でも、道案内はいると思うな。此処は初めての奴は、絶対に迷うくらいに複雑な道してるから」
「いくら?」
「30ポッチ」
ルキアは少年の手のひらに、銅貨を落とした。
「毎度! で、何処へ行く気なんだ?」
「此処から西南の方向って、なにがある?」
少年はしげしげとルキアを見つめた。
「なに……?」
「いや、兄ちゃん、本当にルルノイエは初めてなのかなって思って」
「初めてさ」
「………西南は、歓楽街だよ」
「………ふぅん」
意味ありげに目を細めて、ルキアは歩き出した。
「あ、待ってよ、兄ちゃん」
少年は慌ててルキアのあとを追った。
真っ昼間ということもあって、そこは他と比べると静かだった。もちろん、人通りがないわけではない。ただ、その中を黒尽くめの少年と、さらに幼い少年の二人連れが歩いていく様は珍妙ではあった。
「次はどっちの方向?」
分かれ道に来るたびに、道案内の少年は尋ねた。ルキアはなにかに意識を凝らすように目を閉じたあと、方角を示すのだ。
その一角に、ひときわ豪華な屋敷が見え隠れしだした。
「………あの建物は?」
「あぁ、あそこは『女神の薔薇園』さ。ルルノイエ一の高級娼館だよ」
「見つけた」
獲物を見つけた肉食獣は、こんな表情になるのだろうか。その凄味のある笑顔に、少年は見惚れてしまった。
また一人でさっさと歩き出したルキアを、少年は慌てて止めた。
「ま、待った、待った、兄ちゃん」
「なに?」
「兄ちゃん、あそこに用があるのか?」
「あぁ」
「ダメだって。あそこは一見(いちげん)さんお断りの、超高級どころだぞ」
「詳しいな」
「そりゃ、此処いらは俺の庭みたいなもんだから……。だから、悪いことは言わないから止めときな。すっげー怖い顔した野郎どもに、叩き出されるのがオチだって」
「一流どころは、何処も同じだな」
しれっととんでもないことを言われた気がする、と少年は我が耳を疑った。この時になってようやく、目の前に立つ自分よりも少し年上に見える男が、かなり得体が知れないことに少年は思い至った。
「……心配しなくても、たぶん大丈夫さ」
謎めいた微笑をひらめかせて、ルキアは進んだ。少年は覚悟を決めて、案内することにする。何故か、此処で別れてしまうのは勿体ないと思った。
『女神の薔薇園』は、外観はただの豪邸だった。看板を提げているわけではなく、玄関もぴたりと閉じられている。
「なぁ、兄ちゃん、やっぱり止めといたほうが良いんじゃないか?」
「お断り。彼は間違いなく、此処にいるんだ」
「昼間にあの扉が開くとは思えないんだけど………」
「入るだけなら問題ないさ。こういうところは、地階はサロンと相場が決まってる」
呼び鈴もノッカーもないので、ルキアはそのまま扉を開けた。
(…………なんて、大胆な……)
少年は唖然としてルキアの行動を見守り、結局、あとについて中へ入った。此処に知り合いがいないわけでもないので、なにかあったときには取りなしてもらうよう頼めば良いか、と腹を括る。
館の中はルキアの言ったとおり、サロンになっていた。客に配慮してか、かなりの間隔を開けて低いテーブルが設置されていて、ソファには豪華な刺繍付きのクッションが、すわる場所もないほどに載せられている。もちろん、家具自体の意匠も細かくて出来が良い。大理石の床は、色違いの石を嵌めこんで幾何学模様を造り、窓にひかれたレースのカーテンは薄く織られた物で、裾には細かな刺繍が施してある。壁に掛けられたタペストリーや、花を生けられた花瓶、それを乗せる台。どれをとっても一流品で、非の打ち所がない。少年がルルノイエ一だと言うだけのことはあった。
時間が時間なだけに人影はまばらで、華やかな衣装を着くずした女の姿しかなかった。女たちは、奇妙な二人連れに驚いたように目を向けたり、微笑みかけたり、反応は様々。
「坊やたち」
一人の年嵩の女が、二人に声をかけた。
「此処は坊やたちの来るところじゃないよ」
娼館を取り仕切る女主人に声をかけられて、少年はルキアの後ろに隠れた。女はちらりと知った顔に一瞥くれて、また視線をルキアへ戻す。
「人を捜している」
素っ気なくルキアは言った。
「人……? お父さんのお出迎えかい?」
「もう良い、見つけた」
女の横を通り抜け、ルキアは部屋の隅へ向かった。
「ちょっと、坊や……?」
窓からの光も届かないサロンの奥に、男がすわっていた。花鳥紋様の意匠を施した大きな椅子の背にもたれ、近づいてくるルキアに目を向けていた。
肘掛けに両肘を置いた手は胸の前で組み、足は投げ出した状態で悠然と組んでいる。櫛で梳かしただけの髪に、青灰色のゆったりとした服。優雅な風情すら漂わせるその姿は、独身貴族のように見えなくもない。少年は、此処を常宿にできるほど羽振りが良く、尚かつ女たちに好かれている貴族に会ったことはないけれど。
ただ、彼の端正な顔には、苦虫を噛み潰した、という言葉がぴたりとはまる表情が浮かんでいた。
「久しぶり」
ルキアは男の前に立ってそう言った。
「……誰かと間違えているのでは……」
無駄な足掻きと思いつつ、男はそう答える。ルキアの表情が凄味のある笑顔に変わった。一瞬の動作で、マントの内から背負っていた棍を抜くと、床を甲高く突いた。
「星主の所望だ。応えよ、カゲ」
傲然と告げられた言葉に、男は座を立つとルキアの前に跪いて頭を垂れた。
カゲは金で雇われて『門の紋章戦争』に加わったのだが、ルキアの見せつけるカリスマ性に取りこまれたことは、他の仲間と変わらない。
満足げに頷いて、ルキアはカゲがすわっていた椅子に腰を下ろした。
カゲは溜め息を吐きながら立ち上がり、様子を窺っていた女主人に目線で下がるように伝える。女は軽く肩をすくめて引き下がった。それを確認してから、カゲはルキアに視線を戻す。
「それで、なに用ですか? それがしとあなたとの契約はすでに終わっているはずです」
「うん、ちょっと待って」
道案内の少年が、少し離れた位置に立って茫然と二人のやりとりを見ていた。ルキアは銀貨を一枚、親指で弾いて寄越す。少年は慌てて両手でつかんだ。
「ありがとう、もう良いよ」
ルキアの言葉に、少年は少し残念そうな表情を見せた。
「……うん。それじゃあね、兄ちゃん」
名残惜しくはあったが、少年は娼館を出ていった。
それを見送って、ルキアは改めてカゲを見上げる。
「契約して欲しいんだ」
「内容は?」
「退路の確保」
「…………。なにをしに、ルルノイエへ来られたのですか?」
ルキアは悪戯っぽく笑った。
「聞きたい?」
本当は聞きたくもなかったが、契約という名の命令に逆らうことなどできようはずもない。ならば、任務を全うするためにも聞かなければならなかった。
「教えていただきたい」
「“誇り高き者”に会いに来た。ついこの前、ミューズから此処へ戻されたと聞いたからな」
カゲは“誇り高き者”という名は知らなかったが、ミューズから戻された物といえば、たった一つしかない。カゲの渋面に、ルキアは相変わらず人の悪い笑みを浮かべている。
「ハイランドとの契約が終わったから、最高級娼館を常宿にするなんていう結構なことをしてたんだろ。私との契約が結べないわけがないよな」
渋々、カゲは頷いた。
「……契約金は、20,000になります。前金で頂きたい」
「では、契約成立だ」
ルキアは懐から金貨の詰まった袋を取り出して、カゲへ手渡した。カゲは珍しく、盛大に溜め息を吐いた。
ルキアとカゲは、皇城の西門前へ来た。街路樹の陰に隠れて、門の様子を窺う。
此処の門は他より狭い。御用商人や職人、召使いたちの使う通用門である。日中はいつも開け放たれているが、身元確認のチェックは当然、此処も厳しい。
「進路の確保は契約に入っておりませんでしたな」
「あぁ、いらない」
門番たちは、商人の荷馬車を確認している。ルキアは軽く跳躍すると消えた。風が、カゲの髪をさらう。
西門を突風が吹き抜けた。
「うわ……!」
「どうどう……!」
商人や衛兵たちは、風に吹き飛ばされそうになる商品を押さえ、いななく馬を落ち着かせる。
「………あれは、“疾風(はやて)”………」
軽い驚嘆をこめてカゲは呟いた。そして、カゲの姿もかき消えた。
皇城の庭の片隅。木々の植え込みの陰に、ルキアとカゲは移動していた。
「先ほどの技、誰に教わったのですか?」
いつのまにか目から下を布で覆い、見慣れた忍び装束をまとったカゲは訊いた。
「………カスミだ。……他言無用にしてくれ。無理に頼んで、教えてもらったんだから」
カゲは『門の紋章戦争』で知りあったくノ一を思い出した。
万事控え目な彼女が、実は末恐ろしいほどの力を秘めていることを知っていたのは、解放軍の中ではカゲともう一人の忍び、フウマくらいなものだろう。大の男でさえ音をあげるほどの二人の修行に、カスミはずっとついてきていたのだ。
カスミが解放軍での働きを認められ、ロッカクの里の副頭領になったことは風の噂で聞いた。カゲはその人選が名ばかりのものではなく、実を伴っていることを知っている。それほどの実力の持ち主が伝授したのであれば、忍びの者でもないのに、あの技のキレも頷けた。
「本当は“瞬速”を身につけたいんだけど、どれだけ教えてもらっても理解できなくてさ」
カゲが城の敷地内へ入るときに使った技の名を、ルキアは口にした。
“疾風”の弱点は、移動の際に風が起こることである。これでは屋外でしか使えないので、忍びの技としては下の下であった。“瞬速”は風すら起こさない。基本中の基本の技ではあるが、常人にそう簡単に会得されてはたまらない、とカゲは思ったが口に出しては言わなかった。
「………それで、此処からどう行かれるつもりですか?」
「とりあえず、こっち」
ルキアは無造作に歩き出した。
皇城の庭を、普通に、我が物顔で。
カゲは呆れてその背を見つめる。逡巡した後、結局、ルキアのあとについていった。
城の入り口にももちろん、衛兵は立っている。そこもルキアは“疾風”で、カゲは“瞬速”で通り抜けた。
ルルノイエ城はその戦いに満ちた歴史のせいか、城下町以上に内部構造が複雑である。
迷路のような城内を、ルキアは迷うことなく進む。時折、目を閉じ、伸ばした人差し指と中指を眉間にあててなにかに意識を凝らしたり、ちらりとカゲの表情を窺うだけ。それ以外は、まるで自分の屋敷にいるように歩いていた。ただの一人ともすれ違わない。
「………そろそろ、種を明かしていただきたい」
「人に会わないこと? 道に迷わないこと?」
「両方です」
ルキアは悪戯っ子のように笑う。
「人に会わないのは、これのせい」
言いながら、ルキアは右手を振る。
「魂魄の在処が、意識を凝らせばだいたいわかるんだ。それを避けてるだけさ」
カゲは手袋に隠された紋章を思う。
「道に迷わないのは、カゲが教えてくれるから」
「………それがしが……?」
城内へ入ってからは、一言も口をきいていない。ルキアはまた笑った。
「目は口ほどにものを言う」
歌うように指摘されて、カゲは反論しかける。だが、思い当たることがあって押し黙った。
かつての戦いで、ルキアは忍び以上に表情の乏しい仲間たちの気持ちにさえ、よく理解を示していた。常に最善のルートを計算していたカゲの思惑を読むのは、雑作もないことなのだろう。
突き当たりに、両開きの大扉が見える廊下に来た。
「私はあすこに用がある。そこからの退路の確保を頼むよ」
「無事に此処まで来られたのなら、帰りもお一人で充分なのでは……?」
「最初から見つかってない場合にだけ、この方法は有効なんだ」
ルキアの噛んで含めるような言い方に、カゲは諦めて溜め息を吐いた。
裏を返せば、このあと必ず見つかることをルキアは確信しているのである。また、それを避ける気も全くないらしい。
「では、それがしは、別の場所に控えておりまする。合図をくだされば、お助けにあがります故」
「うん、頼む」
カゲの姿がかき消えた。ルキアは大きく深呼吸してから、扉へ向かった。
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