Silver Rain
「雨は好きじゃない」
三年前、彼からこの言葉を聞いた人は、多くいた。
「柔らかい雨は平気。だけど、叩きつけるような雨は、身体が、すくむ………」
激しい雨の夜、そう呟いて縋りつく彼をなだめた者は、果たして何人いたのだろう。
激しい雨が降る昼下がり、ゴクウたちはずぶ濡れになってグレッグミンスターのお迎えから帰ってきた。
「お帰りなさ……、ルキアさん!?」
出迎えたビッキーの声が、途中で止まる。ルキアはビクトールに背負われていた。
「ルキアさん、どうしたんですか!?」
「あ、あぁ、ちょっと魔物に襲われてな……。気を失ってるんだ」
ビクトールの答えは歯切れが悪い。
「モンド、キリィ、ありがとう。ここまでで良いよ。早くお風呂に入って、風邪ひかないようにしてね」
ゴクウはパーティに入れていた二人に告げた。
「では、これで……」
「あぁ」
モンドは軽く頭を下げて、キリィは素っ気なく返事をして、その場をあとにする。おろおろと、ビッキーはあちこちに視線を走らせた。今回のメンバーは、バナーの峠の魔物では相手にならないくらい強いのに、この事態はどうしたことだろう。
「じゃあ、俺たちはホウアン先生のところへ行こう。……フリック、お札で応急手当はしてるけど、あなたもだよ」
フリックの背中の傷にゴクウは眉をひそめて、先に歩き出した。
「……あ、あぁ……」
フリックは茫然自失の状態で生返事をした。
「………雨の、せいですか……?」
静かに問われた言葉に、フリックは目に見えて身体を強張らせた。ビクトールは一瞬、びっくりしたようにビッキーを見て、やがて苦い笑みを零す。そして、フリックを促して医務室へ向かった。
ビッキーは三人の背を見送って、軽く溜め息を吐いた。
(雨は、嫌いじゃないけど………)
この時ばかりは、早く止めば良いのに、と思わずにはいられなかった。
「ホウアン先生!」
「おや、ゴクウさん、ずぶ濡れでどうしたんですか?」
穏やかな表情でゴクウたちを出迎えたホウアンは、ビクトールに背負われたルキアを見て眉をひそめる。
「ルキアさんはどうされたんですか?」
「実は……」
ビクトールがかいつまんで説明した。
「わかりました。ルキアさんはこちらでお預かりします。では、フリックさんの怪我の具合を先に診ましょう」
「あ、いや、俺は大丈夫だから……。“優しさの雫の札”が効いてるし………」
ホウアンはフリックの背中にまわりこんで、傷に触れた。雨のせいで、マントの広範囲に血が広がっていたが、傷口は完全に塞がっている。
「そうですね、大丈夫のようです。では、皆さんはお風呂に入って体を温めてください」
「じゃあ、ルキアのことお願いします、ホウアン先生」
ゴクウたちはルキアをホウアンに頼み、ひとまず解散した。
お風呂で充分、身体を温めて着替えたあと、ゴクウとビクトール、フリックは再び医務室を訪れた。
ルキアが寝ているはずの窓際のベッドには、人が集まっていた。
「ホウアン先生、ルキアは目が覚めたか?」
気楽に声をかけたビクトールに、ルックが詰めよった。
「一体、なにがあったのさ!?」
「………は?」
明らかに怒った様子で、ルックはビクトールを問い詰めた。
「此処へ来るまでに、なにがあったのか訊いてるんだ!」
「ルキアになにかあったの!?」
ゴクウとフリックが慌ててベッドへ駆けよった。
枕許にはルックの他に、ホウアン、ジーン、ラウラ、カスミがいた。
「目は覚めたのですが……」
沈痛な面持ちで、ホウアンは溜め息を吐く。
「え……?」
ベッドに身を横たえたルキアは、目を開けていた。だが、ひどく虚ろな目で、焦点があっていない。
「ル、ルキア……?」
ゴクウがルキアの目の前で手を振る。瞬き一つない。
「ルキア!」
声を大きくしてゴクウは呼んだが、ルキアの反応は全くなかった。
「どうしたの!? ルキア!」
ルキアの肩をつかんで揺さぶるゴクウを、ジーンとラウラが止める。
「ゴクウ」
「駄目よ、ゴクウ」
ルキアはまるで人形のように、微動だにしない。乱れた服や布団を、カスミが哀しげな表情で直した。
「……どうなってるのさ……!?」
「怪我はありません。少し打ち身がある程度で、頭を打ったようでもありません。身体的にまったく問題はないんです。それなのに、目が覚めてからずっとこの調子で………」
「私たちも、先生に呼ばれていろいろ回復魔法を試したのだけれど……」
「なんの反応もないのよ」
ジーンとラウラが困り果てたように言った。
「此処へ来るまでに、一体なにがあったんですか?」
カスミがルックと同じ質問をした。特に、ビクトールとフリックに視線を向けて。
「……魔物に襲われて、ルキアは足を滑らせて崖から落ちたんだ………」
溜め息を吐きながら、ビクトールが答えた。
「…………雨の、中を……?」
うつむいて呟いたルックの声は、微かに震えていた。
「……すまん。俺の助けが間にあわなくて……」
項垂れたフリックに向かって、ルックが身を翻した。
パンッと、フリックの頬が鳴る。
「ルックさん……!」
「ルック……!」
カスミとゴクウが同時に叫ぶ。二人の非難の声を無視して、ルックはフリックにつかみかかった。
「あんたがついていながら、ルキアをどうして雨の中、独りにしたんだ! どれだけ傷つくかわかってるだろう!!」
叩かれた頬を押さえて、フリックはつらそうにルックから視線をそらした。
「よせ、ルック」
ビクトールがルックを引き剥がす。
「放せ!」
「フリックを責めたところで、ルキアがもとに戻るわけでもないだろう」
重い響きを持つ言葉に、ルックは抗うのを止めた。そして、哀しげにルキアを見つめる。
「…………こんなこと、僕は、絶対に許さないから、ルキア………」
そう呟くと、ルックは風の魔法で何処かへ転移してしまった。
「雨のせいか………」
ジーンがルキアに向き直った。
「どうするの、ジーン?」
「無理かもしれないけど、直接、『心』に呼びかけてみるわ」
「気をつけて……」
ジーンとラウラの会話を、他の面々は不安そうな面持ちで、しかし一縷の望みを持って聞いた。
ルキアの額にジーンは手をのせて目を閉じる。
「………ルキア………」
ジーンの心は、ルキアの心の中へ入っていった。
漆黒の闇の中。かろうじて己の存在が光に変換されて、自分を見失うことはなかったが、沈んでいるという感覚だけがすべてだった。
(……ルキア………)
ただ、この闇には荒涼とした淋しさを感じない。むしろ、温かい。
(……何処なの、ルキア……?)
だんだん己の存在すら、まわりの闇に浸食されてきた。このままでは自分の身体に帰れなくなる。
(あれは………)
まだ遙か先に、淡い光をようやく捉えた。その光に目を凝らす。
(………二人……?)
胎児のように身体を丸くして眠る人影。
(駄目だわ、とても届かない………)
ジーンの心は、諦めて自分の身体へ帰った。
「……ジーン、大丈夫?」
ラウラが心配そうにジーンの顔を覗きこんでいた。
「え、えぇ……。大丈夫よ」
大きく息を吐き出して、ジーンはルキアから手を離した。
「ジーンさん、どうでしたか?」
不安げなカスミに、申し訳なさそうにジーンは首を横に振った。
「ごめんなさい、やっぱり無理だったわ………」
「……そう、ですか………」
「とても深いところで『心』が眠っているの。無理に起こさないほうが良いわ」
「でも、そうしたら、ルキアはいつ目が覚めるの!?」
ゴクウはいまにも泣きそうな表情だった。
「雨が止まないことには、ね………」
そう呟いてジーンは立ち上がった。ふらつきそうになるのを、ラウラが支える。
「少し、休ませてもらうわ……」
ジーンとラウラは医務室を出ていった。
「………ホウアン先生、すまないな。ここは俺たちが看てるから、待たせてる患者のところへ行ってやってくれ」
溜め息混じりのビクトールの言葉に、ホウアンは頷いた。
「……そうですね。では、お願いします」
ホウアンもその場を去った。
枕許には、カスミ、ゴクウ。ベッドを挟んでフリック、ビクトールが残った。
「ルキア……」
フリックの呼びかけにも、ルキアの反応はない。ぼんやりと焦点のあっていない目は、ずっと天井を向いたままだった。
「すまない、ルキア……」
枕許に肘をつき、祈るように組んだ手にフリックは額をのせる。ビクトールはその様子を渋い表情で一瞥したあと、ゴクウに視線を向けた。
「ゴクウ、お前は仕事に戻れ」
「えぇ、どうして……!」
「二日ばかり城を空けたんだ、城主としての仕事が溜まってるだろう。みんながお前を捜し出す前に戻るんだ」
「そんな、ルキアを放っておけないよ。俺が頼んで此処へ来てもらったのに」
渋るゴクウを、ビクトールはよりいっそう強い眼差しで見る。
「シュウにルキアのこの有様を知られたくないんだ。あいつは頭が固いから、事を大袈裟にしかねない。……ゴクウ、わからないか、俺の言っている意味が……」
ゴクウはうつむいた。確かに、これがシュウに知れたら、事態は大事になりそうだった。
「……わかった……。でも、なにかあったら、必ず知らせてよね」
「あぁ、わかってる」
後ろ髪ひかれる思いで、ゴクウは医務室をあとにした。
「さて……」
それを見送って、ビクトールも立ち上がる。
「ビクトールさん……?」
「ん、シエラをちょっと叩き起こしてくる。当たれそうなところは、片っ端から当たっておかないとな」
「……そうですね……」
「それから……」
ビクトールは殊更冷たい眼差しでフリックを見下ろした。
「フリック、こんな時に狂いやがったら、遠慮なくオデッサのところへ送ってやるからな」
「………あぁ、わかってるさ……」
「カスミ、悪いが、こいつのことも見ていてくれ」
「?……はい……」
医務室は静寂に包まれた。
「…………カスミは、なにも言わないんだな………」
長い沈黙のあと、掠れた声でフリックが言った。
「………ルックさんに、先を越されましたから」
ほんの少し困ったような顔で笑って、カスミは答えた。
「それに、その場に私がいたとしても、ルキア様をお助けできたかどうか………」
「助けることができたか、できなかったかっていうことじゃない」
「え……?」
「お前や、ルックなら、一緒に落ちていったんだろうか、ってな……」
「フリックさん………」
「ハハ、自分の情けなさに笑っちまうよ。落ちてくときのあの顔を見ただけで、ルキアの、なにもかも手放してしまったような顔を見ただけで、身体がすくんで動けなくなるなんて」
ルキアの顔を見つめながら、フリックは自嘲の笑みを零す。
「あんな顔、させたなんて……! クソッ……!」
「そんなに自分を責めないでください、フリックさん。目覚めたとき、ルキア様が哀しまれます」
「………そうだな……。すまない、カスミ。……俺は、どうも駄目だな、こういう時は………」
「平気な人なんていませんよ」
「…………ありがとう」
幾分、表情が和らいで、フリックは軽く息を吐き出した。
「少し休んだほうが良いんじゃないですか? 怪我をしたんでしょう?」
「どうってことないさ。それに……」
フリックは愛おしそうにルキアを見つめる。
「ずっと独りだったんじゃないって、こいつに言ってやりたいし……」
「そうですね」
カスミもルキアを見つめた。
「お前のほうこそ、ここにずっと詰めてて大丈夫なのか?」
「はい。……それと、シエラ様を待ってるんです。ちょっと、訊きたいことがあって………」
「あの妖怪オババか……。当分、来ないんじゃないか? 素直にビクトールの言うことなんか、聞くとは思えないぜ」
その様が目に浮かぶようで、カスミは思わず吹き出した。
夜も更けて、フリックは枕許に俯せて、寝入ってしまった。
ベッドサイドのテーブルには、小さな蝋燭の灯りがともっている。ルキアのほうは、いつの間にか瞼が閉じていて、微かに寝息を立てていた。それを見るにつけ、この状態は本当に精神的なものなんだと、切られるような痛みが胸に疼いた。
うつらうつらとしながら、雨音とともに二つの少女の声が聞くとはなしに耳に入ってきた。
「なんじゃ、こ奴はもう寝てしまったのかえ」
「峠越えをして、ずっとルキア様の側について、疲れているんでしょう」
「……ルキアも、普通に寝ているように見えるが………。……いや、かなり深いな、この眠りは………」
「………はい。たぶん、雨さえ止めば、目を覚ましてくださると思うのですが……」
「ふむ……。おんしの『声』でも目覚めるのではないかえ?」
「…………。えぇ、きっと………」
「では、何故、そうしない?」
「…………『言葉』は人を縛りますから………。それに、ジーンさんも無理に起こすのは良くないって言ってましたし………」
「そうじゃな……。おんしの『声』は最後の切り札にとっておくのが良いであろ。…………しかし、何故、紋章まで眠りについておるのじゃ?」
「やっぱり、そうなんですか?」
「ほんのわずかな気配がするだけじゃ。人の身に宿っておる以上、こんなことは………。……いま、おんし、『やっぱり』と言うたかえ?」
驚愕の声を上げた少女に、もう片方は苦笑いを返したようだった。
「……まさか、おんし、“生死を統べる者”と話したことがあるのかえ?」
「………はい。あ、あの、ルキア様の了解の上で、ですけど」
盛大な溜め息が聞こえた。
「ほんに、おんしは強いのぉ……。………わらわも、彼と話がしたかったのじゃが、ともに眠りについておるのでは無理じゃな………」
「シエラ様………」
「カスミ、おんしはもう休むが良い。此処はわらわが看ていてやろう」
「………はい、では、お言葉に甘えて」
「明日には雨もあがるであろ。恋しい男の声も聞けようほどに」
「シ、シエラ様……!」
「ふふ、ゆるりと休むが良いぞ」
「……はい、お休みなさいませ」
人の気配が一つ減った。
「…………。了解の上での会話か……。では、おんしは、“月”がわらわを望んだように・・・」
その言葉を最後まで聞く前に、フリックの意識はさらに深い眠りへと落ちていった。
勢いよくカーテンが引かれる音が響いて、さっと眩しい朝日が射しこんだ。
「うぅ………」
瞼にもろに朝日が当たって、フリックは眩しそうに顔を背ける。
「いい加減に、起きぬか!」
威勢の良い少女の声とともに、拳骨が頭に振り下ろされた。
「ってぇ!!」
さすがに、これにはフリックも飛び起きた。
「な、なにしやがる、シエラ!」
「……ほぉ、一晩、ルキアを看ていたわらわに、よくもそのように偉そうな口が利けるものじゃ」
半眼で見下ろされて、フリックはぐっと言葉に詰まる。
「見るが良い。良い天気じゃ」
そう言いながら、シエラは窓を開けた。いつもより水の香りをたっぷり含んだ、朝独特の冷えた空気が流れこむ。
「雨は止んだのか………」
「夜明け前にはな」
フリックは茫然と窓の外を眺め、そして恐る恐るルキアを見つめた。
「………どうした、起こしてやらぬのかえ?」
「……あ、あぁ……」
頷いたものの、フリックの身体は硬直したように動かない。ルキアの顔を見つめたまま固まってしまったフリックに、シエラはやれやれと盛大に溜め息を吐いた。
「おんし、ほんに世話が焼けるのぉ」
シエラはベッドを挟んでフリックを見据えると、パシンッとフリックの額を弾いた。
「……ってぇ……!」
あまりの痛さに、額を押さえてフリックはベッドに顔を埋めてしまう。
「ルキアのこの有様が己のせいだと思っておるなら、最後まで面倒を見ぬか。それとも、おんしの想いはルキアを到底、目覚めさせられぬかえ?」
嘲笑うかのように言われて、フリックは顔を上げてシエラを睨みつけた。
「冗談じゃねぇ。そんな柔な想いでたまるかよ……!」
フリックの視線を、シエラは真っ向から受け止める。
「では、早く起こしてやるが良い」
フリックはルキアを見つめた。そっとその頬に触れ、顔を耳許に近づける。
「…………ルキア」
万感の想いをこめて、フリックはささやく。
「ルキア、雨は止んだぞ。すごく良い天気だ。起きろよ、ルキア。一緒に出かけよう」
そして、少し顔を上げて、ルキアをじっと見つめた。
まるで永遠のような時間が流れ(シエラ曰く、数瞬じゃ、とのことだったが)、思わず駄目かと思いかけたとき、ルキアの瞼がゆっくりと開いた。
「ルキア!」
眩しそうに瞬きを繰り返したあと、ルキアはフリックの顔を見つめて微笑んだ。
「おはよう、フリック」
「ルキア!!」
フリックは嬉しさのあまり、ルキアの頭を抱えこんだ。
やれやれと呆れたように、だがそれでも安心したように、シエラは軽く溜め息を吐き、そっと医務室を出た。
END
前サイトキリ番『6666』をゲットされた蒼夜様のリクエスト、『いきなり誰にも心を開かなくなった坊』でした。ありがちな『雨』ネタ(爆)
またやたらとキャラ出し過ぎて、長くなってしまいました。でも、書いてて楽しかったです、エヘヘ(;'-')
起こす役を誰にしようか迷ったので、蒼夜様にメールで「カップリング物は大丈夫ですか?」とお伺いしたところ、「フリックかルック希望」とのお返事。うちのルックは“真紋”絡むと逃げてしまうので、フリックに白羽の矢が立ちました。
てか、「裏ネタ出しても良いですか?」と訊くべきでした(;'-')
後日譚で、ルキアにルックを迎えに行ってもらいました。坊ルクがお好きな方にサービス('-'*) 蒼夜様には一緒に進呈させていただいてます。
ご申告&リクエスト、ありがとうございました(*^_^*)
坊ルクなオマケ(ベタベタしてるだけデス)→
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