Kisses



 梁山(リアンシャン)城の昼下がり。大鏡の前で、ビッキーはあくびをかみ殺した。昼食を終えてお腹いっぱいのところに、ポカポカと陽気があたれば眠くもなる。外は今日も暑そう、と思いながら、眠気をとばすためロッドでコンコンと床を鳴らした。
 すると、まるでそれが合図だったかのようなタイミングで、大鏡がぼんやりと輝きだした。
「あ、帰ってきた……!」
 ビッキーに頼めば、その正確率はともかくとして、誰でも望む場所へ転移してもらえる。だが、此処まで帰ってくるのは自力だ。トラン共和国から“瞬きの手鏡”を借り受けたゴクウだけが、転移魔法で帰ってこられる。
 先日、バナーの村まで送り出したゴクウたちが帰ってきた、とビッキーは徐々に輝きを増す大鏡を見つめた。
「ただいま!」
 溢れる光の中から、ゴクウが飛び出した。
「お帰りなさい」
 ビッキーはいつものように笑顔で迎えた。
「ただいま帰城いたしました」
「……ただいま」
 生真面目なマイクロトフと、いつも少し気恥ずかしそうに言うアイリ。
「お帰りなさい」
「ただいま」
「ビッキーちゃん、ただいま!」
 カレンに続いて、元気よくビッキーに抱きついたのはナナミである。
「お帰りなさい」
 ビッキーも嬉しそうに笑って、ナナミを抱き止める。
「ねぇねぇ、今日は凄い人を連れてきたよ」
「誰……??」
 ワクワクしたように言うナナミに、ビッキーはキョトンと聞き返した。
「ただいま戻りました」
「へぇ、此処がデュナンの梁山城か……」
 カミューが軽く微笑んでビッキーに挨拶をして、そして、最後に現れた人物を見て、ビッキーは動きを止めた。
 カランと音を立てて、ロッドが手から滑り落ちる。
「ビッキーちゃん?」
 ナナミが驚いて、ビッキーの目の前で手を振る。ビッキーの視線はその手を通り越して、彼に釘付けになっていた。
 表地が緑、裏地が紫の松襲(まつがさね)のバンダナを頭に巻いた少年が、こちらを向く。そして、優しく笑った。
「久しぶり、ビッキー」
「………ルキア、さん………」
「あの宴で何処かに転移しちゃって、心配したよ。まさか、時間まで飛び越えてしまうなんて、思いもしなかったし」
「ルキアさん……」
 ビッキーは震える手を伸ばして、ルキアの頬に触れる。
「……本物……?」
 あの戦争のあと、ルキアが忽然と行方を眩ましたことを、ビッキーはこの城へやってきて初めて聞いた。そして、三年ぶりにグレッグミンスターへ帰ってきたことも。いつかゴクウに連れて行ってもらえれば会えるかな、と考えたことはあった。だけど、ルキアのほうから此処へ来てくれるとは、夢にも思わなかった。
「本物。君の記憶と、何処か違うとこある?」
 触れるビッキーの手に目を細めて、ルキアは答える。ビッキーはルキアの胸に顔を埋めてわっと泣き出した。
「ビッキーちゃん!?」
 まわりにいた者は、唖然としてビッキーを見つめる。ルキアは優しくビッキーを抱きこんで、柔らかい髪を撫でた。
「時間に取り残されちゃって、つらかったな。よく頑張ったな。……大丈夫、大丈夫だから。きっと、辿り着けるから……」
 優しく優しく紡がれる心地よい声。
(あぁ、この人は、こんなに静かに話す人だったかしら………)
 ビッキーにも、なにがこんなに泣けるのかわからない。ルキアの顔を見たら、なにか押しこめていたものが弾けた。だけど、幼子のように泣き叫んだって、ルキアなら黙って受け止めてくれるのはわかった。だから、心を止めることはしなかった。
「ゴクウ殿」
 カミューがそっと、茫然としているゴクウを呼んだ。
「あ、うん……?」
「私たちは、シュウ殿に帰城したことを報告に行きます」
「うん、頼むよ。……俺は、ルキアにこの城を案内するから……」
「はい」
 二人の邪魔をしないように、カミューとマイクロトフはその場を去った。
 しばらくすると、ようやくビッキーの嗚咽の声も小さくなって、顔を上げた。
「エヘ、ごめんなさい、泣いちゃって……」
 照れたように笑うビッキーの頬に残る涙の跡を、ルキアは優しく拭った。
「いいよ。私の胸で良ければ、いつでも貸すから」
「………あの、ルキアさん、此処で言うのは変かもしれないけど……。でも……」
「なに……?」
「お帰りなさい」
 三年前と同じように、満面の笑みでビッキーは出迎えた。ルキアも嬉しそうに笑って、答える。
「ただいま、ビッキー」
 三年前と同じように、くしゃりと頭を撫でようと思ったルキアは、気を変えて目許に口づけた。唇を濡らした涙を、悪戯っぽく笑って舐めとる。ビッキーは耳まで真っ赤になった。抗議の声をあげようとしたところへ、軽い足音がやってきた。
「ほら、メグちゃん、やっぱりナナミちゃんたち、帰ってきてた」
 “転移の場”へやってきたのは、トモとメグだった。
「さすが、トモ。マイクロトフさんの後ろ姿がちょっと見えただけ、で………」
 少し遅れてきたメグは、途中で言葉を凍りつかせる。
「メグちゃん……?」
 ナナミにお帰り、と声をかけていたトモは、メグの足が止まっていることを訝って振り返った。
「久しぶり、メグ。綺麗になったな」
 にこりとルキアは笑った。記憶に違わない、優しい声。メグはくしゃくしゃと顔を歪めた。
「ルキアさん………」
「うん」
「ルキアさん!」
 メグは駆けよって、ルキアに抱きついた。
「どうして、どうして、黙っていなくなっちゃったの!? 私、私も、みんなも、すごくすごく心配したんだよ……!」
 首にまわした腕にぎゅっと力をこめて、メグは声をあげて泣いた。ルキアはしっかりとメグを抱きとめて、柔らかい髪に口づける。
「ごめん、ごめんな、メグ。………だって、冒険が呼んでたからさ」
 メグは泣き腫らした目でルキアを見つめた。深く深く輝く黒曜石は、本当に綺麗で、吸いこまれてしまいそう。
「………ルキアさんも、冒険に呼ばれたの……?」
「そう」
「………そっか、じゃあ、しょうがないよね」
「だろ……?」
「でも! もう、黙っていなくなるのはナシよ!」
「うん、わかった」
「約束」
 メグは腕を解いて、左手の小指を差し出した。左手の手袋を外して、ルキアは華奢な小指に自分のそれを絡ませる。
「約束するよ」
「破ったら、針千本よ」
「それは勘弁」
 二人は顔を見あわせて笑った。
「あ、そうだ。メグ、レナンカンプのご両親から伝言」
「えぇ! ルキアさん、お母さんたちに会ったの!?」
「うん。“けやき亭”に用があって出かけたんだけど、偶然、そこで会ってね」
「………な、なんて……?」
「冒険を止めたりしないけど、たまには手紙くらい寄越しなさいって。あんまり、心配かけちゃダメだよ」
「はぁい」
 メグは素直に頷いた。その頭を優しく撫でて、ルキアはゴクウを振り返った。
「城を案内してくれるのかな……?」
「もちろん!」
 ゴクウはルキアを連れてその場をあとにした。残った女の子たちの話題が、ルキアに集中したことは言うまでもない。

「旅から帰ったら、やっぱりまずはお風呂だよね」
「良いね」
「あ、“約束の石版”は此処に置いてるんだよ」
「また目立つところだなぁ」
 クスッと笑ったルキアの目線は、ピタリとルックに向けられていた。
「…………ルキア……」
 少女たちの騒ぐ声は、此処まで届いていた。でも、いま目の前にルキアの姿を見るまで、ルックはとても信じられなかった。
「やぁ」
 いつもの感情の読めない笑顔で、ルキアは手を振った。
「……君は、此処へは来ないと思っていたよ……」
「ん……ゴクウがどうしても来て欲しいって言うから、条件付きで」
「そう……」
 まだ驚愕が冷めやらないルックに、ルキアは優しい眼差しで髪に触れる。
「私に会えて、嬉しくない……?」
「…………なに、言わせたいんだよ、君は……」
 喉まで出かかった言葉を無理矢理飲みこんで、ルックはぶっきらぼうに返した。
「いろいろ」
 ルキアはにこりと笑う。天の邪鬼なルックは、ふいと視線をそらした。
「あとでね、ルック」
 他に人がいるのでは、つれない態度はいつものこと。気にすることなくささやいて、ルキアはゴクウのあとに続いて階段を上った。

「もとは街を改造しただけあって、広いなぁ」
「ひたすら、増築と改築を繰り返してるんだ。軍の人間だけじゃなくて、戦争で焼け出された人たちも受け入れてるから、すぐに手狭になっちゃって……」
「増築できるのは羨ましいな。……トランは、湖上要塞だったから、広くするには限界があったからね」
「……でも、グレッグミンスター城のように、華やかにはならなくて……」
「あすこは、首都としての体面があるからあぁなってるだけで、此処も同じにする必要はないだろ」
「そっか、そうだね」
 トランの豪華さにいつも圧倒されていたゴクウは、ホッとしたように笑った。

 お風呂に入って髪が濡れているので、バンダナを襟許に巻きながら、ルキアは風呂場の前にある入り口を見た。向こう側は薄暗いが、さらに奥にまた出入り口があるのはわかった。
「この先は、何処へ繋がってるんだ?」
「貯水場だよ。そこから商店街が並んでる場所に出られる」
「へぇ。行ってみても良いかい?」
「もちろん」
 二人は外へ出た。
 昼下がりの商店街はなかなかの盛況振りだった。
「賑やかだなぁ」
「うん! 近隣の村や街からも、なにかしら売りに来たり買いに来たりしてるからね。此処が活気づいてると、ホッとするよ」
「頑張ってるな、ゴクウ」
 いつも浮かべている謎めいた微笑ではなく、優しい笑顔で言われて、ゴクウは照れたように頭をかいた。
「うん……。エヘ、ルキアにそう言ってもらえると、なんだかすごく嬉しいな」
 二人は人混みの中をそぞろ歩いた。
「そういえば、此処の紋章師の店って、ジーンがやってるんだってね」
「うん。あ、そっか、ジーンも解放戦争に参加してたんだっけ。………あのさ、ルキア、訊きたいことがあるんだけど」
「なに?」
「ジーンって、前からあんな格好ばかりしてたの!?」
「…………。あんな格好って……?」
 ルキアはなんとなく察しはついたが、一応、訊いてみた。
「……あ、あんな、すごく、目のやり場に困る、格好され、ると、仕事が頼みづらくて………」
「あははは、相変わらずみたいだな、ジーンは」
「ルキア、平気だったの!?」
「いや、あんまり平気じゃなかったけど」
 それでも笑いながらルキアは答える。
「できるだけ、顔だけ見るようにしてたかな」
「………それでも大変………」
「まぁ、そうだろうなぁ……」
 紋章師の店は誰もが使える物でもないので、表の喧噪から比べれば、かなりひっそりとしていた。ただ、そこを絶好のロケーションで見下ろせる場所にある防具屋は、どう考えても客以外の人間のほうが多くいるようにしか見えない。
「ジーン、久しぶり」
「ルキア……!」
 軽く手を挙げて声をかけたルキアに目を瞠って、ジーンは店のカウンターから出てきた。上のざわめきが少し大きくなった。
「久しぶりね。元気だった?」
「あぁ。ジーンも変わってないね」
 ジーンは柔らかな笑みを美貌にのせて、ルキアを抱きしめた。ルキアもジーンの背中に手をまわして抱き返す。上からどよめきが降ってきた。
「あぁ、柔い」
 高いヒールの靴を履いているので、もともと上背のあるジーンは頭一つ分、ルキアより背が高い。ちょうど胸許に顔がくるのを幸いと、ルキアははりのある肌に頬を押し当てた。
 ゴクウは開いた口が塞がらない。
(………ルキアって、ルキアって〜……!)
 恐らく、防具屋に陣取っている男どもも同じ気持ちだろう。
「ちょっとギャラリーがうるさいから、此処はあとでね」
 自分の唇にあてた人差し指をルキアの唇に触れさせて、ジーンは言った。
「あぁ、あとでね」
 ルキアはにっこりと笑った。
 すっかり固まってしまっているゴクウの背を押しながら出ていくルキアに、ジーンは投げキッスをした。
 防具屋から聞こえてきたむさ苦しいどよめきに、表にいた人々が思わず足を止めて店を振り返っていた。

 もと来た道を戻って、城の中に入ったところで、ようやくゴクウは立ち直った。
「じゃあ、次は牧場に行こっか」
 二人は畑を通り過ぎ、デュナン湖に突き出る崖の上に広がる牧場へやってきた。
「此処からの眺めもオススメ」
 穏やかな湖からの風はとても気持ちが良い。
「デュナンの湖は広いなぁ。………あれは、船着き場かい?」
「うん。港って言っても差し支えないくらい大きいよ。次に案内するね」
 ゴクウがルキアの問いに答え終わらないうちに。
「ルキア!!」
 遠くから、男の声が聞こえたかと思うと、青い影が疾風のように走ってきた。ぶつかりそうな勢いで来た男を、ルキアは紙一重でかわす。男はそのまま牧場を囲う柵にぶつかり、一回転しながら乗り越えて、向こう側に背中から落ちたところでようやく止まった。
「………スタリオン……」
 呆れたように、ゴクウは呟く。
「はっはっは、相変わらず、素晴らしい身のこなしだ、ルキア!」
 まったく気にした様子もなく、青い影・スタリオンは立ち上がり、身体についた土を払い落とした。
「ありがと、スタリオン」
 こちらも悪びれた様子もなく、ルキアも笑顔で返す。
「久しぶりだな、元気だったか?」
「おかげさまで。スタリオンも元気そうだね」
「もちろん、俺はいつでも元気だ」
「キルキスとシルビナから、伝言があるよ」
「お、あいつらも元気か?」
「あぁ。エルフの村も落ち着いてきたから、たまには帰っておいでねって」
「そうか。……こっちのケリが着いたら、一度、覗いてみるかな……」
 森に囲まれたエルフの村。あのアツアツ夫婦に、人付き合いの苦手なルビィ、懐かしい仲間たち。遠い故郷。
(俺の足なら、あっという間だ)

 ゴクウは地下へルキアを案内した。
「左が牢で、右は墓地。真ん中が船着き場に通じてる。釣りもできるよ。ヤム・クーが道具を貸してくれるし」
「それは良いな」
 桟橋に腰かけて、ヤム・クーが釣り糸を垂らしていた。
「ヤム・クー、釣果はどうだい?」
「今日はさっぱりダメですぜ。………あれ、ルキア……!?」
「やぁ、久しぶり、ヤム・クー」
「ご無沙汰してます。お元気そうで……。兄貴には会いましたかい?」
「いや、まだ」
「たぶん、シロウのところだよね」
 ゴクウがヤム・クーに確認する。ヤム・クーは頷いた。
「兄貴は好きですからね」
「………ちんちろりん……?」
「うん。あとで案内するけど、賭博場もあるんだ。そこを仕切ってるのがシロウで、彼の格好の餌食になってるのがタイ・ホー」
「相変わらずだなぁ」
「ありゃあ、一生、あのまんまですぜ」
 話に区切りがついたところで、ルキアはヤム・クー宛の伝言を思い出す。
「そういえば、ヤム・クーたちって、キンバリーに内緒で此処に居着いちゃったって本当か?」
 ルキアの問いに、ヤム・クーの頬が引きつる。
「……あっしは、反対したんですがねぇ……」
「伝言があるよ」
「あ、姐さんからですかい?」
「それから、クン・トーからも」
「お聞きしやす」
 観念したように、ヤム・クーは姿勢を正した。
「キンバリーからは、タイ・ホーに悪い虫がつかないようによぉっく見張ってておくれよってさ。クン・トーからは、ゴードンばかりに上手い汁、吸わせてられねぇから、いくつか取引をまわせって」
「…………了解しやした。……でも、おやっさんの話は、兄貴に直接言ってもらったほうが良いかもしれやせんぜ。兄貴は、賭け事の勘はさっぱりのくせに、商売事の勘は侮れないからなぁ」
「うん、タイ・ホーにもクン・トーからの伝言はある。クン・トーが言うには、ヤム・クーからもせっついてやれば、あいつの重い腰も上がるからってさ」
「なるほど。じゃあ、あっしからも言っておきますぜ」