船着き場を出た二人は、少しお腹が空いてきたこともあって、2階のレストランへ向かった。
「………エレベーターで上へ行かないのか?」
 風呂場へ行くときに通った長い回廊を三たび渡りながら、ルキアは不思議そうに訊いた。
「………2階のエレベーターは、ちょっとあんまり近づきたくないところにあってさ……」
「ふぅん……。執務室の近く、とか……?」
「…………」
 図星を衝かれて、ゴクウは曖昧に笑った。
「ごめん、下手な案内の仕方で」
「気にしてないよ。その気持ちは、すごくよくわかる
 悪戯っぽくルキアが笑うと、ゴクウもホッとしたような笑顔が浮かんだ。
「デスクワークなんて、リーダーの仕事じゃないよな」
「まったくだ」
 声をあげて笑って互いの肩を叩きあって、弾む足取りで、二人は階段を駆け上がった。

「食事時は凄い混雑なんだ。……時間、過ぎてるし、たぶん、いまならすぐにすわれると思う」
 ゴクウの言うとおり、レストランはかなり空いていた。
「いらっしゃいませ、ゴクウさん」
「やぁ、ミンミン。照り焼きサンドのセットで、アイスティー、頼むね」
「はい。そちらの方は……?」
「同じ物を」
「かしこまりました」
「じゃあ、テラスのほうにいるから」
「はぁい」
 元気よく答えて、ミンミンは厨房のほうへ行った。
「良い雰囲気のレストランだね」
「ふふ、自慢のお店なんだ」
 ゴクウはちょっぴり胸を張って答える。
「そうだ、この時間なら、ルキアの知り合いがいるはずだよ」
「へぇ、今度は誰だろう……?」
 テラスへゴクウはルキアを案内する。
「ルキア!」
 そこにいたのは、ローレライだった。
「久しぶりじゃないか、元気だったか?」
「あぁ。ローレライも元気そうだね」
 さすがにローレライが泣くことはなかったな、とゴクウは内心で胸を撫で下ろす。だが、次に彼女がとった行動は、予想の範疇を超えていた。
 ぎゅっとルキアを抱きしめたのは良い。そのあと、ローレライはルキアの頭を包むように両手を添えると、左頬、右頬、そして唇にキスを落とした。ルキアもそれが当たり前のように、降りてくる艶やかな唇を受け入れる。
(……ルキア、羨ましすぎ……!)
 ゴクウ、内心で号泣。
「しばらく、此処にいるのかい?」
「……たぶんね………」
「どっちにしろ、今夜は宴会か……。積もる話は、またあとにしようか」
「そうだね」
 ローレライはルキアを解放すると、ふらりとレストランを出ていった。
「あら? 二人とも、席は何処にするんですか?」
 両手にトレイを二つ持ったミンミンが、まだすわっていなかった二人を見て不思議そうに声をかけた。
「あぁ、ごめんね。ゴクウ、何処にすわる?」
「………此処にしよう……」
 手近のテーブルにゴクウはすわった。
「ゴクウ、どうかした?」
 ルキアも向かい側にすわって首を傾げる。
「うぅん、なんてもない」
 首を振ってゴクウは答え、誤魔化すようにサンドイッチを頬ばった。

 レストランを出たあと、洗濯場をちょっと覗いて、二人はステージへやってきた。
「此処で、カレンのダンスが見れるし、あと、アンネリーっていう子がいて、彼女の歌が聴けるんだよ」
「立派なステージだね」
 ステージを見上げたあと、ルキアはくるりと部屋の隅を振り返った。
「ゴクウ、ちょっとごめん」
「え?」
 ルキアはゴクウに一言、断って、部屋の隅に佇む人物のもとへ向かった。
「クライブ、久しぶり」
 ステージに入ってきたときから、ルキアを視線で追っていたクライブは、ふと口許を緩める。
「久しぶりだな……」
「…………。まだ、彼女を追ってるのか?」
「………あぁ」
 予想していた答えとはいえ、ルキアは軽く目を伏せた。
「……お前が、そんな顔をする必要はない」
「うん……。そうなんだけど………」
「…………ゴクウが待ってるぞ」
「……うん……。また、あとで」
「あぁ……」
 ルキアはクライブと別れて、ゴクウのところへ戻った。
「……もう少し待ってようか……?」
 深刻そうな二人の雰囲気に、ゴクウはそう訊いた。
「いや、良いんだ。行こう」
 二人はステージを出た。

 部屋が立ち並ぶところに来て、ゴクウがポンと手を打った。
「そうだ、来賓用の部屋の鍵をアップルからもらわなきゃ」
 アップルがいそうな場所を思うと、ゴクウは気が滅入る。
「やっぱり、この時間は執務室だろうなぁ」
「真面目な彼女のことだから、ちゃんと仕事してるだろうな」
「はぁ〜、気が重い」
 ゴクウは大広間を通り抜け、執務室の扉を開けた。
「ただいま……」
「お帰りなさい、ゴクウさん」
 アップルが笑顔で出迎え、クラウスが軽く目礼する。シュウは相変わらず、気難しそうな顔をしていた。
「ご無事で戻られ、なによりです。客人を連れてきた、とマイクロトフたちから聞いていますが」
 二人とも逃げたな、とゴクウは真っ先に思った。
「あ、あぁ、うん………。俺個人のお客として来てもらってるんだけど、一応、紹介しておくね」
 ゴクウは身体をずらして道をあけ、ルキアに怖ず怖ずと目を向けた。それに軽く微笑んで応えて、ルキアは執務室へ入った。
「……!」
 アップルが大きく息を飲んだ。
「ルキア・マクドールだ。しばらく逗留させてもらうよ」
 そして、目を大きく見開いて固まってしまったアップルに笑いかけた。
「久しぶり、アップル。元気そうだね」
「……ル、ルキア、さん………」
 両手で口を覆ったアップルの目から、ぽろぽろと涙が零れ落ちる。ギョッとなったクラウスは、二人に視線を走らせている。そして、シュウの額には。
(……あぁ〜、青筋が浮かんでるよ………)
 ゴクウはそっと息を吐いた。
 ルキアはアップルの傍らにやってくると、子供をあやすような仕草で頭を撫でた。
「黙っていなくなったことは謝るから。だから、泣き止んで、ね」
 アップルはそうじゃない、と首を横に振る。
「……ごめ、んなさ……い……私、酷いこと……ばかり言って………ごめんなさい……!」
 泣きじゃくりながらアップルはそう言った。
 ゴクウが、なにがあったんだろう、と思いかけたのは一瞬のこと。ルキアがぎゅっとアップルを抱きしめたので、またまた固まってしまった。
「アップルはなにも悪くないよ。……私が、縛りつけてでもを止めておくべきだったんだ………」
「そんなことないです……!」
 ルキアの腕の中で顔を上げて、アップルは強く言った。
「マッシュ先生は、それこそ望んではいませんでした。だって、先生は……先生の顔は……」
 その続きは涙で声にならない。ルキアの穏やかな笑顔が、尚のこと胸に痛い。
 ルキアは困ったように笑いながら、でも内心は暖かい思いが嬉しくてたまらない。めざましく成長していた少女たちの姿を見るのは、やはりつらいのだけれど。
(でも、それにもまして、惜しみなく与えられる想いの心地よさ……)
 ルキアは一瞬だけ陶然と酔いしれて、また目を開けた。
「………そうだ、アップルに伝言があるよ」
「え……?」
「取材旅行が終わったら、セイカに帰ってきてねって、アヤって子から」
「アヤが……」
 マッシュがセイカで開いていた塾の生徒で、一等仲の良かった少女の顔を思い出す。ほっとアップルの顔に笑顔が戻った。
「良かった、やっと笑ってくれた」
 にっこりと、誰もが見惚れる笑みが零れた。
「え……あ、やだ、すみません、私ったら……!」
 ようやく自分の状況に気がついて、アップルは顔を真っ赤にして身体を離す。ルキアも逆らうことなく腕を解いた。
「えっと、そう、客室の鍵ですよね! ちょっと待ってください」
 あたふたと、アップルは棚の扉を開けて、鍵を探しだした。
 二人に視線が釘付けになっていたゴクウは、軋む音が聞こえそうなぎこちなさで、恐る恐るシュウの様子を窺った。
 完璧なまでの鉄面皮に、紛れもなく怒りのオーラが見えたのは、絶対に気のせいではない。
(…………ルキア、なんてことしてくれたんだぁ〜!)
 またしても、号泣。
「彼が正軍師……?」
 ルキアの声に、ゴクウは我に返る。
「あ、あぁ、そう。正軍師のシュウで、こちらは副軍師のクラウス」
 シュウはむっつりと軽く目礼し、クラウスは丁寧に頭を下げて名乗った。
「クラウス・ウィンダミアです」
「……ウィンダミアってハイランドの……?」
 クラウスは曖昧に笑った。
「よく、ご存じで……」
「お互い様。私の家名に反応したのは、お前が初めてだ」
 さすが、という言葉をクラウスは胸の内に留める。
「すみません、お待たせしました」
 アップルが鍵を持って戻ってきた。
「お部屋までご案内します」
「え、良いよ、アップル。俺が、城の中を案内してるところだし」
「いえ、あの、顔を洗ってきたいので、ついでというか………」
 頬をほんのり染めて、アップルは答える。
「そう……?」
「………シュウって、ラダトにいた?」
 唐突に、ルキアが訊いた。
「……そうですが、それがなにか……?」
「別に。……覚えてないなら良い」
「は……?」
 行こうか、とルキアは二人を促す。執務室には狐につままれた顔をした軍師たちが取り残された。
「ルキアさん、もしかしてシュウ兄さんに会ったことがあるんですか?」
「あぁ。二年くらい前だったかな」
「えぇ! そうなの!?」
「でも、シュウ兄さん、そうそう人の顔を忘れるような人じゃないんだけど……。まして、ルキアさんなら……」
 廊下を歩きながら、アップルは首を傾げる。
「まぁ、私は面と向かって会ったわけじゃないしね」
「一体、どうやって……?」
 ゴクウが興味津々の様子で訊いた。
「一時期、あるキャラバンにお世話になってね。そこの用心棒みたいなことをしてたんだ。楽しかったな、交易のことも教えてもらったりしたし……。ある時、私の一存で大きな取引を当てることができた。『奴に無駄足を踏ませたのは、お前が初めてだ』ってキャラバンの長に褒められたよ」
「…………まさか、その『奴』ってのが……」
 ゴクリと唾を飲みこんだゴクウに、ルキアは悪戯っぽく笑う。
「そう、彼だ。あの渋面を見たら思い出した」
 楽しそうに喉の奥で笑うルキアを見て、アップルは軽く溜め息を吐いた。
 抱きしめてもらったとき、なんだか隠者みたいにひっそりとした印象になってしまったなと思ったのだけれど、それはどうやら間違っていたらしい。好奇心旺盛で、自分の才能を出し惜しみすることがない彼は、やっぱりビックリ箱みたいだ。
「どうぞ、この部屋を使ってください」
 3階のバラ園に面した部屋に通された。
「ありがと、アップル」
「いえ……。では、私はこれで」
 アップルはルキアに鍵を渡して出ていった。

「さて。次は何処へ案内してくれるんだい?」
「そうだな、3階まで来たから、バラ園に行ってみる?」
 ゴクウはルキアをバラ園に連れて行った。花の時期ではないが、茂る緑は見事だった。
「ちょっとした空中庭園みたいだね」
「うん。うちのデートスポット」
「ははは、なるほど」
 折しも一組のカップルが二人の目に入った。
「あれは……」
 向こうもゴクウたちに気づいたらしい。少女は愛想良く手を振ろうとし、青年は軽く会釈しようとして、二人とも固まってしまった。
「……? どうしたのさ、ヒックスにテンガ?」
 ゴクウは訝って声をかけるが、二人の視線はその隣りに釘付け状態。
「やぁ、久しぶり、ヒックス、テンガアール」
 にこやかにルキアに挨拶されて、二人は呪縛が解けたように同時に叫んだ。
「「ルキアさん!!」」
「相変わらずだね、二人とも」
「お、お久しぶりです。お元気そうですね」
「おかげさまで。“成人の儀式”の途中かい……?」
「はい。……え、テンガ……?」
 ルキアと再会の挨拶を交わしたヒックスは、隣でテンガアールがぽろぽろと涙を零したのでビックリした。
「ルキアさん、どうして黙っていなくなったりしたんだい!?」
「ごめん。……さっきからずっとそれを責められっぱなしで、反省してるところだよ」
「それだけ、みんな心配してたって事なんだよ!」
「うん、そうだね……」
「テンガ、ルキアさんにも事情はあったんだから……」
 ヒックスがそっとたしなめても、テンガアールは首を横に振って聞き入れなかった。
「ズルイよ、ルキアさん。肝心なところで甘えてくれないんだもん。簡単に手放しちゃうんだもん……!」
「ごめん、もうしないから」
 ヒックスの手前、テンガアールに触れることはしなかったが、泣きながら自分を叱ってくれる彼女が、本当に可愛いとルキアは思う。
「絶対?」
「うん、絶対」
 じぃっとルキアを見つめていたテンガアールは、やがてにっこりと笑って、ルキアの頭を抱えこんだ。
「一緒に戦ってきた僕たちには、どれだけ甘えたって許されるんだって、覚えておいてね」
 テンガアールのほうが年下なのに、優しく抱きこまれて、姉か母にあやされているような気持ちになる。
「うん……ありがと……」
 すっかり蚊帳の外だったゴクウは、ちらりとヒックスを見上げた。
「……ヤキモチ、妬かない……?」
 ヒックスは微苦笑を返した。
「全然。……ただ、女の人って凄いなって感心するばかり」
「……?」
「すべてを断ち切ってしまうほどに追い詰められた人を、癒してあげられるんだから……」
「………そっか、女の子たちがルキアに抱きつくのって、一種の母性愛……?」
「まさか。思いっきり恋愛感情ですよ、テンガ以外はね」
「…………。ごちそうさまでした」
 参りました、とゴクウは両手を上げる。ヒックスはにっこりと笑った。
「お粗末様でした」
 ことテンガアールに関してはヒックスは思いっきり強気だよな、とゴクウは溜め息を吐いた。
「そうだ、ルキアさん」
 いつもの元気を取り戻したテンガアールは、ヒックスの腕に自分の腕を絡めた。
「しばらく此処にいるよね……?」
「そうだね」
「じゃあ、ヒックスの剣の修行に付き合ってくれないかな。もうヒックスったら、ちっとも上達しないんだよ」
 憤慨したように言うテンガアールに、ヒックスはげんなりとした様子で肩を落とす。二人の様子に微笑んで、ルキアは頷いた。
「良いよ。私も鍛錬したいところだったし」
「ありがと、ルキアさん!」
「でもね、テンガ、一つ覚えておくと良いよ」
「なに……?」
「練習でいくら上達したように見えなくても、いざっていうときにその強さが発揮できればそれで充分だってこと。ヒックスはちゃんと君を守ってくれてるだろう?」
 ポッとテンガアールの頬が赤くなる。
「……そ、そうだけど……。でも、僕はいつでもヒックスに格好良くいて欲しいんだ!」
 ルキアは楽しそうに笑ってヒックスを見た。
「ま、女の子のわがままを叶えてあげるのも男の役目だし。微力ながら私も手伝うよ」
「……はい。よろしくお願いします」
 深く溜め息を吐いて、ヒックスは頭を下げた。