夜雨、南ニ寄ス
明け方まで静かに降り続いた秋の長雨がようやく止んで、トラン共和国の首都・グレッグミンスターは久しぶりの晴天に恵まれた。
たまった洗濯物を一気に片づけてしまおうと、どの家の軒先も洗い立ての衣類がひるがえる。少し冷たくなってきた風が、ついでに色づき始めた街路樹の露もはらはらと落としていった。
近隣に並ぶものなしと謳われる黄金の都は、つらく長かった解放戦争も歴史の一頁へと埋没させつつ、いまなおその栄華の留まるところを知らない。ただ、それでも秋空の下のグレッグミンスターは、春や夏の賑わしさに比べると、どことなくしっとりと落ち着いた雰囲気の中にあるようだった。
都内で元貴族階級の者たちが住んでいた地区は、いまだに高級住宅街の佇まいを保っている。
その一角に敷地を構えるマクドール家に、異国の客人が訪れた。カナカンのキャラバンを率いる壮年の長と、同じく壮年の用心棒が二人。
二代にわたってマクドール家の家宰を務める老人が、客間へと案内し、すぐさま主を呼んできた。
「いらっしゃいませ」
当主は長旅にて不在。代わりに客間に現れたのは、当主夫人のカスミであった。
髪を後ろですっきりとまとめ、品の良いかんざしを飾る。かつて目を惹いた俊敏さがすっかり形(なり)を潜めているが、鮮やかな身のこなしは少しも変わるところはなかった。
すわっていた長はゆったりと立ち上がり、深々と一礼した。長の両脇に立っていた護衛の二人も、長に倣い深く頭を下げる。カスミも優雅に腰を折り、遠来の客を出迎えた。
腰を落ち着けて、久しぶりの再会を喜ぶ挨拶を交わし、長が早速、用件に入る。
「ルキア殿にこちらを預かって参りました」
長が懐から取り出したのは、赤蝋で封印された手紙の束。
「いつもありがとうございます」
愛おしそうにカスミは両手で受け取る。それをテーブルの脇に置き、後ろに控えていた家宰から金貨の入った小袋をもらって、長の前に置いた。
「些少ではありますが、ご足労いただいたお礼です。お納めください」
「手間賃ならルキア殿からいただいています。どうぞお気遣いなく」
毎回、くり返される会話。カスミは微笑んで、ちらりと客間の扉へ目を向けた。閉まっていたはずの扉は、いつのまにかほんの少しだけ開いている。
「それでは、こちらはいまからの手間賃ということで宜しいでしょうか?」
長もカスミの視線を追って、生真面目な表情に笑みをのせる。
「そういうことでしたら喜んで」
空いた懐に長が小袋をしまうと、カスミは扉へ向かって声をかけた。
「フウガ、アリア、お客様にご挨拶なさい」
廊下で小さな悲鳴があがり、恐る恐る扉が開く。
「どうして、いっつもバレちゃうのかしら……?」
口の中で小さく呟きながら、幼い少女が入ってきた。続いて、その少女に苦笑しながら同じ年頃の少年が入ってくる。
ルキアとカスミの間にできた双子の兄妹。名を、フウガとアリア。マクドール家の、いや、解放戦争参加メンバーの間ではアイドルだった。
「アリア」
カスミに名を呼ばれてアリアは、しゃんと背筋を伸ばした。
毛先に行くほど波を描く黒い艶やかな髪は、背中にかかるくらいの長さ。表が縹、裏が薄縹の月草色目の袷(あわせ)とお揃いの裳は短く、すっきりと健康そうな足が伸びる。くるくるっとした黒曜石の瞳は愛らしいのだが、「可愛い」の一言ではすまされない闊達な光をたたえていた。
「遠いところからようこそいらっしゃいました、お客様」
ペコリと勢いよく頭を下げて、アリアはにっこりと笑った。髪に止めた金木犀のたわわな花枝がゆれて、ふわりと馥郁たる香りを運ぶ。
鈴の音のような声は、どことなくカスミに似ているのだが、顔の作りからその表情までがルキアが女の子になったと錯覚してしまうほどにそっくりで、長は笑いを堪えるのに苦労した。マクドール家とは家族ぐるみの付き合いである彼は、アリアが父親に似ていると言われると拗ねてしまうことを知っていたので。
アリアの言うことには、
「女の子が男に似てるって言われて嬉しいと思うの!?」
と至極当然のことではあるのだが。
続いて、フウガが会釈をした。
短く切った髪は同じく黒。アリアとは対照的に、表が赤、裏が濃き赤色の紅葉襲の袍(ほう)をまとう。瞳はカスミと同じ、深海の色。顔の作りも物腰も、フウガはどちらかといえばカスミに似ているのだが、その瞳がたたえる光はこの場にいない当主と同様、底知れないものがある。
手がゆるやかに動いた。
『いらっしゃいませ』
フウガは生まれついて声が出ない。手話で、遠来の客に挨拶をした。
「久しぶりだ、フウガ、アリア。大きくなったなぁ」
長が破顔して二人の挨拶に答えると、カスミの隣にすわりながらアリアが胸を張った。
「もちろんよ。私たち、もうじき12 になるんだから。ね、フウガ」
カスミをはさんで隣にすわったフウガも微笑んで頷く。
「長様、それよりも、旅のお話をして。父様、元気にしてらした?」
キャラバンの長たちが屋敷を辞したあと、カスミたちは場所を居間に替えて、ルキアからの手紙の封を解いた。
「ルキア様はいま、グラスランドですか?」
お茶を改めて入れなおし、クレオが訊いた。
「えぇ。………ゼクセンとまた戦争が始まってしまったとか……」
「あすこは、相変わらずのようですね……」
カスミとクレオは顔を見あわせて、少し表情を暗くした。
手紙は全部で三通。そのうちの一通をさりげなく自分の懐にしまって、カスミは別の一通を開けた。
一番分厚いそれには、交易や路銀の受け渡し場所の指示、ゼクセンやグラスランドの情勢が事細かに記されている。
カスミは素早く目を通し、最後のルキアの署名を確認すると、サイドテーブルで自分のサインを下に書き加える。
「この指示通りにしてください」
改めて折り畳んだ手紙を、家宰に手渡した。
「かしこまりました」
丁重に受け取って、家宰は居間を出た。
二通目の封を開けると、子供たちが待ってましたといわんばかりに身を乗り出した。その仕草に微笑んで、カスミはゆっくりと声に出して手紙を読んだ。
【愛するカスミ、フウガ、アリア、元気にしているか?
クレオやパーン、屋敷の者たちも変わりはないだろうか?】
「みんな元気だよ」
アリアが合いの手を入れる。
【私はいま、グラスランドとの境にあるハルモニア領ルビークという村でこれを書いている。山間の小さな村だ。
特筆すべきは、村人たちが馬ほどに大きな虫を操り、自在に乗りこなしていることだろう。虫の羽音の大きさには驚いたが、慣れてくると気にならなくなった。乗ってみたいと言ったら、村の者以外ではすぐに振り落とされるのが関の山だ、と断られてしまった。隙を狙って乗ってみようかとも思ったが、余所者には警戒心の強い虫らしく、危うく角で小突かれそうになった。以後、近づいてはいない。】
『父様らしいね』
笑いながら、フウガの手が動いた。
「人が乗る虫ってどんなだろう?」
アリアが首を傾げると、カスミは手紙を子供たちにも見えるように膝の上に載せた。
「こんな感じらしいわよ」
便箋の中程に、簡単な虫のスケッチが載っている。
「………こんなのに乗りたいだなんて、父様どうかしてるわ」
おませなアリアの口調に、カスミとクレオが笑い声をもらす。
【グラスランドは良いところだ。海を臨めるビネ・デル・ゼクセも悪くはないが、私にはこの草原の国のほうが性にあうらしい。
360°風の渡る草海原かと思えば、緑深い森もある。リザードマンたちの暮らす大空洞もあれば、ダックたちが住む池や沼の多い湿地帯もあり、いろんな表情を持った大地だ。そこに暮らす人々の気性も大自然の影響をそのままに受けたかのように、大らかで激しい。
私の用事が終わったら、みんなで訪れても良いな。
どうだ? フウガ、アリア。此処にはお前たちの好きなシンダル遺跡もたくさんあるぞ。】
「行くー!!」
飛び跳ねてアリアが叫んだ。
『面白そうな所だね、グラスランドって』
フウガの手も少し興奮気味に言葉を紡ぐ。
「シンダル遺跡があるんだよ、面白いに決まってるよ、フウガ」
『うん』
はしゃぐ子供たちに、カスミはコホンと軽く咳払いする。
「続き、読んでも良いかしら?」
『読んで、母様』
【ゼクセンやグラスランドをまわっている途中、懐かしい顔にいくつか会った。一等驚いたのは、星辰剣に会ったことだな。】
「剣(つるぎ)の小父様に!?」
声をあげたアリアだけでなく、その場にいた全員が驚いている。
【アリアに引きずりまわされて、あちこちぶつけられたのをまだ根に持ってたよ。】
「いつの話よ、失礼しちゃうわ」
アリアにとってはとっくに昔のことを話題に出されて憤慨するが、まわりの者は吹き出した。
【結局、エッジを連れに選んだらしい。彼には今回、初めて会ったわけだけど、なかなか面白い。あの星辰剣相手に、対等に渡りあってたからね。
それから、ビッキーに会った。】
「えぇ!?」
クレオが驚きの声を上げた。
『誰?』
「さぁ……? 昔のお友達じゃないの……?」
顔を見あわせる子供たちを余所に、大人たちはいまだに驚愕から冷めやらない。
【だけど、どうにも話が噛みあわないし、すぐにまた何処かに転移してしまったしで、彼女がいまどんな状況に在るのかはわからなかった。「何度やっても此処に出る」とかなんとか言ってたような……。……まぁ、これは帰ってから詳しく話す。もしかしたら、また会えるかもしれないから。】
「ビッキーは大丈夫だろうか?」
心配そうにクレオ。
「ヘリオンさんも気にかけておられたようだけど………」
手紙に視線を落としたまま、頬に手を当て困惑するカスミ。
「こればかりは私たちにどうこうできることではないが……」
暴発娘の行く末を案じて、二人そろって溜め息が零れた。
【私の用事は残念ながら長引きそうだ。思った以上に事が大きくなりそうでな。
ひとまず、明日にはこの山を下りて、グラスランドのチシャクランへ行こうと思う。そこは葡萄の産地で、カナカン産にもひけを取らないワインが造られている。此処でしばらく動向を窺うことにするよ。
最後に、フウガ、アリア、私がいないからって、わがままばかり言って母様を困らせるなよ。】
「はぁい、わかってるよ」
『良い子にしてるよね、僕たち』
二人は両側からカスミにぎゅっと抱きついた。小さな頭をふわりとカスミの手が撫でる。
クレオが少し複雑な表情で笑う。カスミよりもルキアのほうがずっと子供たちに甘いのだ。
【……と言っても、私が一等わがままを言ってお前たちを困らせているな。すまない。必ずお前たちの所へ帰るから、待っていてくれ。
愛を……。
ルキア・マクドール】
いつもと同じ言葉で手紙は終わった。
その場にいた全員が、異国の地を流離うルキアに想いをはせる。
ほんの少し寂しそうな様子のカスミを、子供たちは見上げていた。
アリアが真っ直ぐにフウガを見つめて唇を動かす。
「父様ったら、いつまで母様に甘えているつもりかしら?」
自分の耳にだけ届いた声に、フウガはアリアにだけ通じる指文字で答えた。
『たぶん、ずっとじゃない……? それこそ、死が二人を分かつまで』
アリアの眉間に皺が寄る。
「それを言うなら、死が二人を分かつとも、でしょ」
『そうでした』
「フウガ」
名を呼んで言葉を切ったアリアに、目線でフウガは先を促す。
「私たち、早く大人になろうね」
『うん。母様を早く父様に返してあげよう』
互いに頷きあった子供たちの誓いは、大人たちには秘密だ。
その夜。
子供たちを寝かしつけて、カスミは自分の寝室のベッドに腰を下ろした。手には、そっと抜き取ったルキアからの三通目の手紙がある。
旅に出たルキアから送られてくる手紙は、決まって三通。一通は仕事の用件。もう一通は家族全員に宛てたもの。そして、最後の一通はカスミに宛てた恋文である。
いつも一枚きり。
ただ一言、愛の言葉が書き留めてあったり、珍しい花を押し花にしただけだったり。家族宛の手紙に書ききれなかったことが、簡単に追加されていたり。ルキアの気分次第で、内容は様々。
サイドテーブルの小さな蝋燭の灯りを頼りに、封を開ける。
癖のある数行の文字。
それは、恋の詩だった。
【君問帰期未有期
(「いつお帰りになるのでしょう」とお前は尋ねたが、さぁ、それは私にもわからない)
巴山夜雨漲秋池
(いま私は巴山の麓で、池に降りしきる秋雨の音を聞きながら、眠れぬ夜を過ごしているよ)
何当共剪西窓燭
(想うのは、いつの日かお前のもとへ帰り、あの西向きの窓辺で灯心を切りながら、)
却話巴山夜雨時
(巴山での雨の夜の想いを語ろう、とただそればかりだ)】
カスミはきゅっと恋文を胸に抱いた。
「待てと言われるのなら、いつまでも待ちましょう。だから、どうか、無事に帰ってきて………」
祈りにも似た、願いの言葉が夜気に吸いこまれた。
END
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