魔天の夜
カクの街で数年ぶりに開かれた、ゴウランの竜胆祭。解放軍の者たちも、そのほとんどが出かけて束の間の賑わいを楽しんだ。
だが日も暮れ、祭りがフィナーレに向けて盛り上がりを見せようとしたとき、解放軍本拠地・梁山(リアンシャン)城はかつてない危機を迎えていたのである。
カスミをお供に遊びに来ていたルキアは、シーナに呼ばれた。
「城から緊急招集がかかった!」
「なにがあったんだ!?」
船着き場へ向かって、人混みの中を器用に走り抜ける三人。
「俺にもわかんねぇよ! 急に全員帰城せよ、だけさ。まったく、人使いの荒い……!」
シーナはブツブツと悪態を吐いた。
雲が出始めた空はすっかり藍に染まったが、盛大に焚かれた篝火のおかげで視界は悪くない。
「親分、こっちだ!」
帝国最速を誇る船・“炎雷”から、ゲンが叫んだ。
「他は先に行った。親分たちで最後だ」
ルキア、カスミ、シーナの順に乗りこんだのを確認して、ゲンはエンジンを始動させた。“炎雷”には、モーガンも乗っていた。
「ゲンさん、待ってください! 私たちも乗せていって!!」
桟橋から叫んだのはアップルだった。その後ろには、何人かの少女たちの姿も見える。だが、ゲンは船を止めずに叫び返した。
「嬢ちゃんたちは、カクを頼む! それが、気難し屋からの伝言だ!!」
「え!?」
カクは瞬く間に遠くなった。
「ゲン、城でなにが起こってる?」
「モンスターだよ、親分」
ゲンは舵を取りながら答える。
「急に城を襲ってきやがった」
「帝国の攻撃か!?」
「わかんねぇ。ただ、寺の坊主が剣の力がどうとかこうとか言ってたな」
「剣……?」
篝火に照らされてその威容を浮かび上がらせているはずの湖上要塞が、いつもより昏(くら)い気がする。
「………ビクトールはどうした?」
「俺は見てねぇ」
「彼なら、金を手に入れてすぐに城へ帰ったはずだ」
ゲンが首を振ると、船縁にもたれていたモーガンが答えた。
ルキアは考えこむ。
城の結界は、ヘリオン・フッケン・クロウリーと仲間にしてからは著しく強化されていた。殊にクロウリーは、トラン湖全周に渡って結界を施したので、湖を航行中にモンスターに襲われる心配もなくなっている。ウィンディの力をもってしても、魔物を城内へ送りこむことは不可能になり、ルキアは人間の暗殺者(アサシン)にのみ注意を払えば良くなったので、身体的・精神的負荷がかなり軽減されたのである。
そんな状態の中、モンスターが城を襲うとは、俄には信じられない。
ただし、フッケンの言った「剣」が星辰剣のことならば、やはり状況は変わってくるのだろうか。
「……おい、なんだよ、あれ……!」
シーナの押し殺した悲鳴に、ルキアは我に返った。
「どうした……?」
緊張に身体を強張らせて、シーナは真っ暗な湖を指した。モーガンは隙なく立ち上がって身構え、カスミがゲンを振り返る。
「エンジンを止めてください……!」
湖に黒い影がいくつもいくつも、城へ向かって泳いでいる。
「え、えぇ……!?」
ゲンが戸惑っている間に、ルキアが厳しい声で命令した。
「駄目だ!! もう遅い! このまま城まで突っ切れ!!」
その命令と同時に、湖からモンスターが襲いかかってきた。
「うわあぁ!!」
悲鳴を上げながら、ゲンはエンジンを出力最大にする。急激な速度変化に対応できたのは、モーガンとカスミだけ。水妖はモーガンの一蹴りで、湖に突き落とされた。
エンジンの凄まじい爆音に、ひたすら梁山城へと向かっていただけの水妖たちが、標的を“炎雷”へ変えた。
船縁に右足をかけ、短い裳裾をカスミがたくし上げたので、床にバランスを崩していたルキアとシーナは目を瞠る。
“炎雷”の掲げる灯りに、白い太股が露わになった。その白さに似つかわしくない金属が、鈍く篝火を反射する。太股に金属棒を鎖状に繋いだ九節鞭を巻いていたのである。どういう仕組みか、それを軽く引っ張っただけで鞭は解けてカスミの手におさまった。
次の瞬間、金属のしなる音を響かせて、鞭が宙を舞う。
「ギェッ!」
湖から飛びかかってきたモンスターが、九節鞭の餌食となって叩き落とされた。
次々と湖から飛びかかってくるモンスターを、ゲンは天才的舵捌きでかわしていく。執念で船にしがみついてくる水妖は、モーガンの“金爪”と、カスミの九節鞭によって撃退された。
「武器は!?」
ルキアとシーナは空手だ。
「これしかねぇぜ!」
ゲンは銛を二本、蹴って寄越した。ないよりマシだ、と二人はそれを手に応戦する。
だが、水妖の数は城へ近づけば近づくほどに増した。
「こんなんで、帰り着けるのかよ!?」
銛で串刺しにした水妖を、シーナは重力を利用して湖に振り落とす。
「いまさら退けるか!」
右手の紋章で、進路を邪魔する者を蹴散らすルキア。モーガンは無言だが、さすがの彼にも疲れが見え始めている。
城まであとわずかだというのに。
「私が火を使って、進路を確保します!」
船縁をつかんでいた二匹をまとめて鞭で叩き落とし、カスミが叫んだ。
「無茶だぜ、カスミ! 水属性のこいつらに、火は効かない!」
「足止めくらいにはなります。視界を灼かないでください!」
言うなり、カスミは早技で九節鞭を一つに束ねて腰帯に差し、大きく開いた両手を胸の前で交叉させ、口の中で何事か呟いたあと、勢いよく前へ投げ出した。
「ギャアァー!!」
耳障りな咆吼をあげて、宙に躍り上がっていた水妖たちが火達磨になる。
「ゲンさん!」
「おうよ!」
“炎雷”がエンジンを全開に噴かして突き進む。
だが、しつこく水妖たちは進路を塞いできた。
(やっぱり、この術では無理か……。これを使うしか………)
カスミは自分の喉に触れた。この乱戦状態では、敵味方関係なくねじ伏せてしまうことになるが仕方ない。ルキアに万が一のことがあってはならないのだ。
カスミが意を決したその時、一陣の冷気とともに耳許に男の声が届いた。
「その能力(ちから)、使うに及ばず」
「フウマさん!?」
カスミは声の主を探した。
突然、真冬のような冷気が降りてきた。
「寒っ……!」
シーナが思わず自分の肩を抱く。
ピシピシと音を立てて、湖から飛び出していた者、船縁に手をかけていた者たちが氷の塊になった。
「なんだぁ……?」
ゲンの素っ頓狂な声。
「氷華、散……!」
冷淡な男の声に、醜い氷の彫刻群が粉々に砕け散った。
「怪我はありませぬか、我が君?」
舳先には、腕組みをした長身の男がまったく体重を感じさせずに立っていた。
「大事ない、フウマ」
ルキアは些か憤然として答える。それに少し口の端を上げ、フウマは次にゲンを見た。
「このまま、進まれよ」
「よっしゃ」
“炎雷”が再び速度を上げる。
「カスミ」
「はい」
「先に参るぞ。クロウリー殿が呼んでいる」
「え、でも……」
カスミは手を伸べてきたフウマとルキアを見比べた。
「待て、フウマ。現状を教えていけ」
眦をつり上げるルキアに、フウマは口の端を上げたまま答える。
「日没の開始と同時に、湖と空から魔物の襲撃を受けています。原因は、星辰剣の暴走によるもの。大広間を本陣にして、マッシュ殿が指揮を執っています」
「ビクトールは?」
「星辰剣とともに、2階の鍛冶屋衆と。クロウリー殿もそこに」
「何故、カスミが必要なんだ?」
「さぁ、そこまでは。“星を望む者”の心なぞ、拙者ごときにわかろうはずも……」
ルキアの口から唸り声がもれた。
「お借りしてよろしいか……?」
あからさまな揶揄をこめた問いに、ルキアは渋々頷いた。
「では、行って参ります」
カスミはルキアに丁寧に頭を下げてから、フウマの手を取った。
頭上の手をカスミがつかむと、フウマは軽々とその華奢な身体を引き上げてより添わせる。
「お先に」
そう一言残して、フウマとカスミの姿はかき消えた。
細い腰に手をまわしたのは当てつけだろうなぁ、とシーナはルキアに気づかれないように嘆息した。
「…………。急げ。この分だと、広間に辿り着くのも至難だ」
「おうよ」
フウマの冷気よりも冷たい声音に、誰も無駄口を叩かなかった。
それから、船着き場まではモンスターに襲われることはなかったが、城の周りを強風が吹き荒れており、船を桟橋によせるのに手間取った。
船着き場では、クワンダ・ロスマンが一隊を率いて防衛にあたっていた。
「この風………。ルックか?」
方向をまったく無視して吹き荒れる風に、ルキアは頭上を見上げた。
「ルキア殿、早く本陣へ! この風の隙をついて、モンスターたちが襲ってきます!」
船着き場から這い上がってこようとする水妖を、巨大な斧で叩きのめしながら、クワンダが声をかけた。
「クワンダ、ルックを見たか?」
「? いいえ、私は見ておりませんが」
近くにいてルキアの問いが聞こえた兵も、一様に首を振る。
「そうか……。城内への進入は許してないな?」
「……それが、2階はすでに手のつけられない状態です……」
「元凶がそこにあるなら無理ないか……。ゲン、クワンダの指揮下に入れ。この岩礁、人には効くが、魔物には逆効果だ」
「あいよ」
ルキアから投げられた銛を受け取って、ゲンは最前線に向かった。
「………武器を貰ってくぞ」
急いで運んできたのだろう。乱雑に置いてあった槍の一本を、ルキアは軽く蹴り上げて手におさめた。
「………使ったことないんだよなぁ……」
小さく文句を言いながら、シーナは銛を空から急襲してきた飛行タイプのモンスターに命中させて、槍を手にする。
「シーナ、モーガン。ルキア殿を頼むぞ」
クワンダの言葉に、シーナは軽く胸を叩いた。
「まかせとけって」
モーガンは力強く頷くのみ。
「エレベーターはまだ生きています。それを使って本陣へ」
「わかった」
三人は地階に入り、エレベーターに走りこんだ。
それより、少し前。
2階のフロアに入る手前の踊り場に、フウマとカスミの姿が渦を巻く風とともに現れた。
二人の足許から外へと流れていく風は、たちどころに冷気の矢となって、階段の窓から侵入しようとした魔物を凍り漬けにしてしまう。窓は魔物ごと氷で塞がれた。
「この札を口にくわえて、鍛冶場へ行け」
フウマは懐から取り出した札を一枚、カスミへ差し出した。
「はい」
カスミがハンカチを巻いたままの手で札をつかんでも、フウマは手を放さなかった。
「フウマさん……?」
いつもの忍び装束ではなく、普通の少女のように着飾ったカスミをフウマは見下ろしていた。
「…………もし、この戦争がなければ、お前に印を刻んだのは誰であったろうな……?」
「それはきっと、兄様であったことでしょう」
フウマの目を真っ直ぐに見つめ返して、カスミは答えた。
「……お前の銘も、あいつは手に入れていたはずだ」
「はい……」
「でなければその役は俺だろう、と思っていたよ」
「……私も、そう思っていました」
「それでお前は良いのだな……?」
「………『女』の感情を知ってしまった最初は、苦しくて苦しくて、どうしてもっと早く兄様に印を付けてもらわなかったのだろう、と嘆いた夜もありました。でも、いまは……あの方に想いを注ぎ続けていて良いとわかったいまは、真白である自分を愛おしく思います………」
「そうか……。なれば、もうなにも言うまい。お前の望むままにするが良い」
「ありがとうございます」
札から手を放したフウマは、その手をカスミの頬に添わせた。
「だが、もし気が変わったなら、あいつの代わりに俺がお前に印を刻んでやろう」
カスミはくノ一の顔で微笑んだ。
「もしも、そんな時が来たならば……」
フウマもそれに笑みを返し、姿を消した。
札を口にくわえると、カスミは2階へと足を踏み入れた。
そこは、魔界と化していた。
鍛冶場からもれてくる灯りも、外から射しこむ灯りもわずかなものだったが、夜目が利くカスミはすぐに慣れて、その場の異様な様相を見ることができた。
このフロアの主な施設は、倉庫と風呂と鍛冶場である。そして、外にテラスのように張り出した場所があるのだが、それが禍したようだ。そこから魔物たちの侵入を許し、形ある物すべてが破壊されていた。外壁も崩され、確か風呂場があった場所は瓦礫の山になっている。
だが、床には瓦礫に混じり、累々と魔物たちの屍も転がっていた。まともに動いている者もいるようだが、彼らは恨めしそうにある一点を見つめている。
(一体、なにを……?)
足場を苦労して探しながら、カスミは一歩一歩着実に進んでいた。札の効果か、それとも尋常ならざる気がこの場に流れているせいなのか、魔物たちはカスミに一瞥もくれない。
歩きながら、カスミは魔物たちが見つめるものがなんであるのかわかってきた。
(ビクトールさん……?)
鍛冶場の入り口には、星辰剣を正眼に構えたビクトールが立っていた。だが、様子が明らかにおかしい。呼吸すらしているのか怪しいほど動きがないのである。
そして、2階に充満する異様な気は、その手に握られた星辰剣の発するものだった。
「王ヨ……!」
ザワリと耳障りな声が、カスミの耳朶を打った。
「我ラガ王ヨ!」
「何故ダ!?」
「復活ヲ待チ望ンデキタ我ラヲ、何故、拒ム!?」
魔物たちがゆっくりとビクトールへ近づいていった。
(いけない!)
カスミは慌てて腰帯にはさんでいた九節鞭を握った。だが、それを振るう前に。
「ギャアァッ!!」
「ギエッ!」
見えない壁に弾かれたように、魔物は吹き飛ばされたのである。
「何故ダ?」
「“星マトウ王”! 我ラノ世界ノ復活ヲ!!」
ザワザワと魔物たちのさざめく声が、恨めしそうに星辰剣の力の外へ退いた。
カスミは自分も弾かれるのではないかと躊躇ったが、気を取り直して歩みを進めた。クロウリーがあの中にいて、自分を呼んでいるのなら、この札は星辰剣の力を無効にしてくれるはずだ。
果たして、魔物たちが弾き飛ばされたところまで来ても、カスミは無事だった。
歩みを速めてビクトールの横を通り抜けようとしたとき、逆光でよく見えなかった彼の姿が視界に飛びこんだ。
(……!)
カスミは大きく息を飲む。
彫像のようにピクリとも動かないその姿は、すでに異形になりつつあった。半ば開いた口からは、牙のような犬歯が伸び、見開いた目は獣のように縦に引き絞られた瞳孔をしている。耳も尖りつつあり、前髪の生え際に二ヶ所、なにかが突き破ろうと膨らんでいた。
「“呪(うた)う者”、これを哀れに思うなら、早く行くが良い」
胸を抉るような悲愴な声は、星辰剣のものだった。
我に返ったカスミは恥じ入るように目礼し、鍛冶場の中へ入った。
鍛冶場はいつもと同じようにむせかえるような暑さだった。火の勢いはさほどでもなかったが、鍛冶師の五人はそれぞれが自分の作業に没頭している。そして、その反対側では、クロウリーとヘリオンがなにかを言い争っていた。
「例えそうだとして、あの娘の寿命を削る権利が我らにあるわけがない!」
「儂らの術よりも確実な手があるのに、それを使わぬことこそ愚かしいとは思わぬか」
怒り狂うヘリオンを、クロウリーがうんざりしながらなだめているようだった。
「老い先短い我らの命を使わずに、あの子の一等大事な娘を犠牲にしろと!?」
「儂らの不完全な術では命を失ったとて、成功する確率もまた低い。じゃが、“呪う者”が唱えるだけでこの場はおさまるのじゃぞ。儂らの命までなくして、ルキアの傷をまた抉ることになるよりマシじゃ」
「ルキアはあの娘の命を秤に掛けるくらいなら、私の命が消えたとて嘆くものか」
呆れたようにクロウリーは盛大に溜め息を吐いた。
「………五十年経ったとて、お前の頑固さは変わらぬの」
「茶化すでない!」
「カスミが来た。お前はルキアのフォローにまわるが良い」
クロウリーは“瞬きの紋章”が淡く光る左手を、ヘリオンに向かって突きだした。
「ちょっ……アルナスル……!」
まだなにか言いかけたヘリオンだったが、言葉が終わる前に転移されてしまう。
クロウリーはやれやれと溜め息を吐き、カスミを振り返った。
「もう札をくわえておらずとも良いぞ」
札を手に取ると、ビリビリと独りでに破れてしまった。紙片の行方を目で追っていたカスミを、クロウリーは鋭い眼光で見つめた。
「さて、聞いておったであろうが、これからお前に頼みたいことは、多少なりとも命に関わる」
一度、言葉を切り、今度は探るような目つきになった。カスミは変わらぬ落ち着いた表情で、その視線を受け止める。
「いますぐ生きるか死ぬかという事態になるわけではない。それは保証する。……ただ、寿命が年単位で減るだろう、と予測できるだけじゃ。それでも、儂はお前に“夜の紋章”の暴走を止めてもらいたいと思っておる。もちろん、断ってくれても構わん。まぁ、不確実にはなるが他に方法がないわけでもないからの」
「一つ、訊いても良いですか?」
「なんじゃ?」
「先ほどのお婆様の言葉……。あれが、あなたの誠の名ですか?」
予想外の問いにクロウリーは目を瞠り、やがてクツクツと喉の奥で笑った。
(ほんに聡い娘じゃ)
ヘリオンのわずかばかりの意趣返しは、カスミにしっかりと伝えられていたようである。
「いまの名ではないがの」
さも楽しげに答えたクロウリーに、カスミは生真面目に頷いた。
「では、偉大なる古の魔法使いの銘を報酬に、その役目、引き受けましょう」
「すまんな」
カスミはにっこりと笑った。

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