ガタンッ!!
大きな音と鈍い衝撃とともに、突然エレベーターが止まった。
中にいる六人の少女たちは、緊張した面持ちで互いを見つめあった。
「……2階は、越えてた?」
震える声で訊いたのはロッテだ。
「うぅん、3階の手前で止まっちゃったと思う」
メグの答えに、ロッテは頭を抱えた。
「う〜、2階が一等やばい気がするのに〜」
「覚悟を決めなきゃね。私たち、自力で辿り着くって約束したんだから」
涙目のロッテの頭を、ミーナはなだめるように撫でた。
バキバキッ!!
「うわぁ!」
「きゃあっ!!」
凄まじい衝撃音とともに、木製のエレベーターの天井に亀裂が走る。
バランスを崩して床に転がる少女たち。
「開けるよ!」
這うようにしてメグは壁の非常用ボックスに辿り着き、地下から持ってきていたスパナで叩き壊した。中の取っ手をひねり、手動で扉が開くようにする。
片開きの扉を、テンガアールとメロディがほんのわずか開けた。扉の下側三分の一がまだ、2階の入り口と重なっている。
「大丈夫?」
ビッキーがそう訊いた途端に、亀裂がさらに広げられ、エレベーターが衝撃に耐えられずガクンと落ちかける。
「早く降りるんだ!」
テンガアールは真っ先に2階フロアへ飛び降りた。そのあとに、恐る恐るまたは勢いよく、少女たちは次々に降り立つ。
「ミーナちゃん、退いて!」
「え!?」
最後にエレベーターから出てきたミーナは、ビッキーの悲鳴に身体をひねりながら後ろを振り返った。
天井を突き破って、魔物がエレベーターの中に飛び降りてきた。開いた扉の向こうの少女たち目がけて鋭い爪を伸ばしてくる。
「行っちゃえっ〜!」
ビッキーのロッドが強烈な光を放ちながら、魔物に向かって振り下ろされる。ミーナの目の前で、魔物は忽然と姿を消した。
「…………ありがと、ビッキー。助かったわ……」
半ば茫然と、ミーナは礼を言った。
「安心するのはまだ早いよ」
右手の紋章を輝かせたロッテの緊張した声に、ミーナはフロアを見渡した。
怒りに身体を震わせて、ミーナは帯留めで床を弾く。
「………此処、何処なのよ……!」
そこは、魔界。
散乱する瓦礫。蠢く魔物たち。渦巻くねっとりとした陰気。
「ミーナ、ダメ……。刺激しないで」
メロディが縋りつくようにミーナの右手を抑えて、階段のほうへと誘導した。
ビッキーのロッドの光とロッテが右手に集めた魔力を警戒しながら、緩慢な動作で距離を詰めてくる魔物たち。少女たちもそんな魔物たちの行動を警戒し、ジリジリと後退るように階段に続く出入り口へ向かっていった。エレベーターから階段まで、いつもならものの数歩で辿り着けるはずなのに、長い長い時間がかかった。
階段からの冷えた空気が背中に感じられるようになったところで、横手の崩れた壁から魔物が躍りこんできた。
「“大地の声”!」
迷わずロッテは右手の紋章を起動させた。
襲いかかる魔物たちの足場の空間が歪む。
だが。
「……あ、あれ……?」
「ロッテ!!」
いきなり強烈な眩暈に襲われて、ロッテは倒れそうになるところをメグに抱き留められた。
魔法が完全に起動する前にロッテが倒れてしまい、魔物たちはほとんどダメージを受けた様子もなく距離を詰めてきた。
「早く、上へ!」
ミーナが鞭代わりの帯留めを振るって立ちはだかる。
その目の前に、いきなり一抱えはありそうな火の玉が降ってきて空中で止まった。
「な、なに!?」
本物の熱気に、互いに後退る。
「紅蓮、結界」
降って湧いた少女の声に、火の玉はいくつも分裂して、魔物と少女たちの間を隔てた。
「カスミ!」
ミーナの隣りにカスミが姿を現した。
「みんな、無事?」
肩で息をしながら、カスミは仲間の無事を確認した。
「どうして、カスミが此処に?」
「この事態を収拾するために、此処に残っている方たちの護衛なの。ロッテさん、陰の気にあてられたのね?」
「……ごめん……」
メグとメロディに肩を支えられて、ロッテは力無く頷いた。
「誰か、回復系の紋章を宿してる?」
「私、“流水の紋章”があるよ」
メグがあいた手を挙げた。
「じゃあ、それでひとまずしのいで。陰の毒気を抜くには、“気合”が一番だそうだけど、フッケンさんは上階にいるはずだから、それまでの応急処置よ。……さぁ、早く」
「カスミは?」
心配そうなミーナの表情に、カスミは安心させるように笑った。
「大丈夫」
そして、炎の結界の向こうにいる魔物たちに向き直る。
「私は、“呪う者”」
行く手を阻む魔物たちを叩きのめして、ルキアはようやく片翼の魔物に迫ろうとしていた。
「退けぇっ!!」
渾身の気迫をこめた一撃を、異形の者は余裕で受け止めようとして、突然、気に障るなにかを感じ翼を羽ばたかせた。
「え……!?」
勢い余って流された体勢をなんとか持ちこたえさせて、ルキアはルックを背に庇い空を見上げる。
「………なにが、いる……?」
巨大な翼は月光を遮り、ルキアとルックに影を落とした。だが、異形の者は二人ではない別のなにかに気を取られている。
「…………継承者……“セイリオスを望む者”………。いや、違う……。もっと、別の………最も、厄介な……」
細切れに風が運んでくる声。
「……?」
ルキアは訝りながらも、油断なく上空の魔物たちを見上げた。
「退く」
一言、異形の者は仲間に告げた。周りにいた魔物たちは、ギャアギャアと何事かを伝えたが、異形の者は首を横に振った。
「この城に夜明けが来ないことを確かめてからでも遅くはない」
一度だけ、大きく翼の音を響かせて、異形の者は姿を消した。それを合図に、屋上にいた他の魔物たちも城の上空から去っていく。
「………た、助かった………」
大きく安堵の溜め息を吐いて、ルキアは棍を杖代わりにもたれかかった。そして、本来の目的を思い出し、棍を放り出す。
「ルック!」
風の勢いに変化はない。ルックは相変わらず放心状態ですわっていた。
「おい、ルック! しっかりしろ……!」
傍らから抱きかかえるようにしてルックをゆさぶるが、反応が全くない。
「返事をしてくれ、ルック!」
目の前で手を振っても、軽く頬を叩いてみても、ルックは虚ろな瞳を見開いたままなんの反応も返さない。口許に手をかざして呼吸を確かめたが、それはあまりにも弱かった。
「ルック、頼むから………」
ルキアはルックの顔を仰のかせて、気と息を同時に吹きこむように唇を重ねた。
ピクリとほんのわずか、ルックの瞼が振れる。
「ルック……ルック、もう大丈夫だから……。戻ってこい。俺を、独りにするな………」
あやすように背中を優しくさすりながら、ルキアは耳許にささやいた。ゆっくりとルックの瞳が焦点を結ぶ。
その目に飛びこんできたのは、狂い月。
「……あ、あ……ぁ………嫌だぁっー!!」
猛烈な風を伴って錯乱したルックは、ルキアの腕の中から逃れようと暴れた。
「俺だ! ルック、落ち着け!」
頬を風に切られながらも、ルキアは腕を解きはしなかった。
目を大きく見開いたまま大粒の涙を零し、ルックはもがいた。己を狂わせる月から視線を外せぬままに。
「ルック!!」
泣き叫ぶルックの顎をつかんで、強引に視線を月から外させるとルキアは唇を重ねる。逃れようともがくのを力尽くで城壁に押しつけて、ルキアはルックに深く口づけた。
「………は……ぁ………」
力の抜けたことを感じて、ルキアは身体を少し離した。
「……ルック、俺がわかるか……?」
「………ル、ルキア……僕は………」
涙に濡れた頬を優しく拭って、ルキアは微笑む。
「迎えに来るのが遅くなってごめん」
ルックは、また涙をあふれさせた。
「ルキア……ルキアぁ………」
縋りついてくるルックを、ルキアは優しく抱きこんだ。戻ってきた温もりに安堵して、吐息のようにささやく。
「不安にさせてごめんな」
ようやく落ち着いてきたルックも、包みこんでくれるたった一つの縁に安堵の溜め息を零した。
「……ルキア、頬……」
「ん? あぁ、切ったな、そういえば……」
「ごめん……」
「掠り傷だよ。もう血も止まってるだろ」
ルックはルキアの頬をつたった血をきれいに舐めとり、唇にのせた風で傷も治してしまう。くすぐったそうにしながらも、ルキアはされるままにしていた。
「ありがと」
「………あいつらは……?」
「……退いた。なにか気に障ることがあったらしくて……」
「そう……」
「…………。立てるか? まだ、この城の安全が確保されたわけじゃない。クロウリーがお前に風の結界を創って欲しいようなんだ」
「結界……?」
「星辰剣の鞘の完成と同時に、退魔呪文とやらを起動させるらしい。その呪文から俺たちを護るための結界を、お前に頼みたいんだ」
「……わかったよ」
先に立ち上がったルキアの手を借りてルックは立とうとしたが、足に力が入らず、また崩れるようにへたりこんでしまった。
「大丈夫か?」
「力が………」
まさか先ほどの異形との会話が聞こえていたのでは、とルキアは身体を強張らせる。
(………そんなはずはない……。でなければ、ルックは還ってこなかった…………)
放心状態だったルックの姿を思い出して、ルキアは唇を噛む。魔物たちはルックの身体には傷一つつけられなかったが、最も触れられたくない心の傷を抉っていったのだ。
ルキアは片膝をつくと、ルックの胸に手を置いた。
「俺は、お前の存在とその心を愛しているよ」
一言一言、はっきりと発音されたルキアの言葉を、ルックは噛みしめるように胸に響かせる。
再び手を借りて立ち上がると、今度はちゃんと自分の足で歩くことができた。
「……ありがと」
ささやかれた感謝の言葉に、ルキアはルックの頭をクシャリと撫でた。
(………君がいなければ、僕はこの偽りだらけの自分に耐えられない……自分の存在を許すことさえできやしない………)
ルキアが触れていた胸許を握りしめて、ルックは目を閉じる。
「行こう、ルック」
棍を拾い上げて、ルキアはルックを振り返った。目を開けて、ルックはルキアのあとを追った。
3階へ続く階段の途中で、メグがロッテに回復魔法をかけた。
「どうかな……?」
“優しさの水”を浴びて、ロッテは大きく息を吐き出した。
「ふぅ……。うん、かなり楽になってきたよ。ありがと、メグ」
「あともう少しだから、ロッテちゃん、頑張って」
明かり代わりのロッドをかざしながら、ビッキーは励ました。
バタバタと階段を駆け下りてくる足音に、少女たちは身体を強張らせて一斉に振り仰いだ。
「テンガ!! どうしてこんなところに!?」
「ヒックス!」
駆け下りてきたのは、剣を手にしたヒックスだった。緊張していた空気が瞬く間に弛む。
「声がするから来てみれば……。ロッテは、怪我をしたの?」
「ヒックス、君ってば良いところに来てくれたね! ロッテをおぶって、フッケンさんのところへ連れてってくれないかな」
テンガアールが組んだ両手を口許に持ってきて頼みこむと、ヒックスは照れている状況でないのを察してすぐに頷いた。
「わかった。フッケンさんは4階なんだ。大丈夫かい?」
ロッテの前に膝をついて、ヒックスは心配そうに訊いた。
「う、うん……」
「テンガ、剣を頼むよ」
「まかせて」
ヒックスは愛剣を鞘におさめて、なによりも大事な少女に託した。メグとメロディに手伝ってもらい、ロッテはヒックスの背中におぶさる。
「ヒックス君、ありがとう」
「どういたしまして」
軽く頷いて、ヒックスはロッテを背負い直す。
「テンガ、ごめんね……」
どうしてロッテに謝られたのか、テンガアールはキョトンとしていたが、その意味を理解して微かに頬を染めた。
「こんな時になに言ってるんだい。遠慮なく、こき使ってやってよ」
「………テンガ……」
ヒックスは軽く溜め息を吐くと、気を取り直したように顔を上げて階段を登った。
4階の大広間。マッシュたちが指示を出す本陣と反対側では、リュウカンとフッケンたちが怪我人の治療にあたっていた。
「フッケンさん、ロッテが毒気にあてられちゃったの。治療をお願い!」
「おぉ、そなたたち、無事じゃったか」
走りこんできたテンガアールたちをフッケンは出迎えた。フッケンの前にロッテを降ろすと、ヒックスは力尽きたようにそのまますわりこんで肩で息をしている。
「ヒックス、お疲れ様。ありがとう」
テンガアールはヒックスの隣にすわって、汗をハンカチで拭いてあげた。
「回復魔法をかけてあげたほうが良いかな? それとも邪魔しちゃ悪いかな?」
こっそりと、メグはミーナに訊いた。ミーナはちょっと苦笑して肩をすくめた。
「いまは、テンガに任せておきましょ」
「うん、そだね」
ビッキーは大広間に入ると真っ先にヘリオンのもとへ向かった。
「お婆ちゃん、帰ってきたよ」
「……無事でなによりだ」
さすがに安堵の表情を隠しきれない様子で、ヘリオンは頷いた。
「ルックさんは?」
「まだだ。………なにかあったかもしれない」
「私、行って来る!」
「これ、お待ち……!」
身を翻したビッキーの袖をヘリオンが慌ててつかんだところで、ルキアがルックを伴って大広間へ帰ってきた。
「お帰りなさい、ルキア殿」
マッシュの出迎えに頷いて答え、ルキアはヘリオンに目を向ける。
「帰ったぞ。メロディは?」
「あぁ、いましがた戻ってきたところだ。……メロディ、おいで!」
エスメラルダとオニールと一緒に、怪我人の手当を手伝っていたメロディは、あとをメグに任せて小走りにやってきた。
「もしかして、塔内放送ですか?」
「あぁ、頼むよ」
ヘリオンの言葉に頷いて、メロディは右手に宿した“音の紋章”を起動させた。紋章の輝きの中から、光る球体が浮かび上がる。この球体を通った声は、各塔の各フロアに取りつけられたクロウリー特製の札から拡声されて響くのだ。
「解放軍元帥ルキア・マクドールから、総員に告ぐ!」
ルキアの声が城内に響き、皆がその言葉の続きを待った。

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