「………みんな、大丈夫かしら……?」
カクの街の結界石の近くにある解放軍の駐屯地から、トラン湖を眺めてアップルは呟いた。
「大丈夫さ。あんたももう寝な」
「キンバリーさん……」
アップルの隣りに、キンバリーがやってきた。
「あいつらがそう易々とくたばるもんか。それよりも、こっちは明日に備えたほうが良いだろ」
「え……?」
「どうせ明日の片づけは、今夜出番のなかったあたしらの仕事さ。今週、此処を任されてるサンチェスやクロイツ、それにちびっ子たちもそれがわかってるから、さっさと寝ちまったんじゃないか」
アップルは駐屯地に来てすぐに、「おやすみ」と行ってしまったテンプルトンとクロン、マルコを思い出した。
「……でも、キンバリーさんは?」
「あたしは平気さ。交代の兵も来るし、なにより、あいつらが羽目を外さないか見張っておかないとね」
キンバリーが顎をしゃくった先には、宿直の兵と騒いでいるガスパーやジョルジュの姿があった。
「さすがに酒は飲んでないようだけど、まったくあいつらときたら、ところ構わず賭博場にしちまうんだから」
「キンバリーさんも程々にしておいてくださいね」
年端もいかぬ少女に釘を刺されて、キンバリーは言葉に詰まった。
「……わかってるよ」
「それじゃあ、私はお言葉に甘えて休ませていただきます。頼りにしてますから」
「あぁ、任せときな」
キンバリーの言葉に微笑んで、アップルはテントへ向かった。
1階からの撤収も始まり、3階と4階はかつてない人口密度になっていた。
「うわぁ! 私の図書室で剣なんか振りまわさないで!」
ユーゴが悲鳴をあげるので、グリフィスは忌々しげに舌打ちした。
「おい、エイケイ! 此処を代わってくれ! 室長殿が剣は立入禁止だとよ」
「いま行く!」
力任せにエイケイが殴り飛ばしたモンスターは、書棚を一つ巻きこんで、窓から外へ落ちていった。
「…………却って、最悪な人選だったか……?」
ユーゴが白目を剥いて倒れてしまったのを幸いと、グリフィスは図書室を出ていった。
手薄なところのフォローにまわろうと、廊下を走っているとパーンに行く手を止められた。
「待て、グリフィス。此処から先は、刃物を扱う奴は駄目だ」
「今度は誰だよ……」
「イワノフが、壁画に傷をつけるなって煩いんだよ」
「……まったくどいつもこいつも、この非常時に……」
「あぁ、その気持ちはよくわかる」
うんうんと頷きあっていたパーンの背後で、閃光が炸裂した。
「いまのは………」
「……ベルの波動拳か!?」
パーンの言葉を肯定するように、ベルの悲痛な声が聞こえてきた。
「しまった、やりすぎた……。……イワノフ、ちょっと、大丈夫かい!? 私が悪かった! この通り、謝るから、しっかりしておくれよ〜」
なにがあったのか、あらかた察した男たちはそろって盛大に溜め息を吐いた。
1階の雲・宵の塔に続く回廊の出入り口付近で、魔物と戦いながらカイがアレンに言った。
「此処を塞がない限りは、儂らはいつまでも撤退などできんぞ」
「わかっている……!」
自分の紋章術の威力で、撤退に必要な時間を稼ぐのはかなり微妙なところだったが。
(一か八か、賭けるか……!?)
アレンが右手の紋章に魔力を集めたところに、突然、男の声が降ってくる。
「此処はそれがしにお任せあれ」
「その声、カゲか……?」
アレンの問いに応えるように、目の前にカゲが現れた。飛礫のような物を、親指で出入り口に向かって弾く。コロコロと転がって止まったそれがピシッと音を立てて割れると、中から蔓草のような物が一斉に伸び始めた。
「なんだ……?」
最初は鞭ほどの太さだったそれは伸びるごとにどんどんと太く硬質になっていき、出入り口の天井に達したときには頑丈な岩肌に突き刺さるほどになっていた。複雑に絡みあう太い枝のような物が、出入り口を塞ぐのに、一分とかからない。外から魔物たちが突き破ろうと取りついているようだが、びくともしなかった。
「緑陰、結界」
カゲは一言呟くと、アレンに視線を向ける。
「お急ぎを。撤退にかかる時間くらいしか保ちはしません」
「わ、わかった」
「あら、こっちはカゲが塞いだのね」
相変わらず雷撃をまとわりつかせて、ジーンがやってきた。なんと返事をすれば良いのやら戸惑っているアレンをよそに、ジーンは右手を伸ばした。
「もう一つ、上乗せしておくわ」
その言葉と同時に右手から雷撃が伸び、カゲの施した結界の上に絡みついた。バチッ!と外から、魔物が弾き飛ばされた音が聞こえてくる。
「……そうだ、グレンシールのほうは……!?」
反対側の出入り口に走れば、そこは雷撃を絡みつかせた氷の壁で塞がれていた。
「グレンシール、そっちも塞がれたか?」
「あぁ、フウマとジーンがな」
アレンにグレンシールは頷いた。
「よし、急ごう。ルキア様がお待ちかねだ」
「あぁ。総員、撤収だ!!」
アレンとグレンシールは階段を駆け上がり、4階の本陣に辿り着いた。
「ルキア様、撤収完了しました」
グレンシールの報告に、ルキアは頷いた。
「ルック、風の結界だ」
「わかった」
ルックは目を閉じ、胸許に持ってきた両の掌の間に風を紡ぐ。徐々に広がっていった風の渦は、外に続くありとあらゆる出入り口を塞ぎ、3階と4階を完全に外界から遮断した。
「結界はできた。……でも、あまり長くは保たないよ」
ルックの最後の台詞は、ヘリオンに向けられた。
「あぁ、それはクロウリーにもわかっているさ」
2階のクロウリーは上で風の結界が創られたことを悟った。
「さて。ぼちぼち始めるとするかの」
鍛冶師たち五人をさらなる結界の中にすわらせておき、クロウリーはカスミを伴って入り口に立ちはだかるビクトールのもとへ向かった。横へまわりこみ、鞘を星辰剣に見せる。
「待たせたな。新しい鞘じゃ」
「…………急いでくれ。お前の施した呪縛も、もう保たない……」
「うむ。……では、カスミ、手はず通りに頼むぞ」
「承知」
クロウリーに頷いて、カスミはフロアの中心に立った。その背を一度見送って、クロウリーはゆっくりと鞘に星辰剣をおさめた。カチャリと鯉口が鳴り、完全に鞘が星辰剣を呑みこむと、渦を巻いていた陰の気が雲散霧消する。ビクトールの姿は人のものへと戻り、仰向けに倒れそうになるところを、クロウリーが支えてゆっくり横たえた。
カスミは大きく息を吸いながら手を胸許に持ってくる。そして舞うようにゆったりと肘を伸ばし、両腕を上へ掲げた。
言魂が、紡がれる。
「昼を憎み、夜を恋うる者たちに告ぐ。
此処は汝らの王国に非ず。
“星まとう王”の復活も、いまだ期に非ず」
2階にいた魔物たちが、その言葉の力に悲鳴を上げながら逃げ出していく。
「此処は、“太極”のおわす城。
陽の祝福と、陰の安らぎを享受する界」
4階で結界を維持しているルックの額を汗がつたった。
(なんだ、この力………。“風”が、畏れている……?)
「右手に死を、左手に生を宿す、
“輪を廻らす者”のおわす城なれば」
カスミの頬を涙がつたう。
キリリとルキアの右手が疼いた。無音の世界で、ルキアは右手に視線を落とすが、紋章はそれきり黙ったままだった。
他の塔や1階に侵入していた魔物たちも、風の結界を破ろうと取りついていた者も、我先にと逃げていく。
「夜に生きる汝らが、蹂躙すること能わず。
単陰なる汝らの世界へ、疾く去れかし!」
一瞬にして魔物の気配が、梁山城から、トラン湖からも完全に消えた。
こうして、解放軍を大混乱に落とした長い長い夜は終わりを告げたのである。
翌日、ヘリオンがカスミの部屋を訪ねた。
「体調はどうだい?」
「平気です。いつもと変わりありませんよ」
二人は小さなテーブルに向かいあってすわった。
廊下や窓の外から、突貫工事で城内の修復作業が進められている音が聞こえてくる。
「昨夜はあんたのおかげで助かったよ。ありがとう」
頭を下げたヘリオンに、カスミは慌てて手を振る。
「そんな、大袈裟ですよ。私は解放軍を守るという務めを果たしただけですし」
「そう言ってくれるなら、あんたばかりに荷を背負わせたこちらもありがたい」
「……お城は滅茶苦茶になってしまいましたが、大きな怪我をした人もいなくて良かったです」
ホッと安堵したように笑うカスミを、ヘリオンは強い娘だと思う。
「それで、今日はどうされたんですか?」
「…………。あんたは、力のなんたるかを知っているようだが、一つ、忠告させてもらおうかと思ってね」
「……なんでしょう?」
カスミは居ずまいを正してヘリオンを見つめた。
「言魂で、二度と人を殺めてはならないよ」
重々しいヘリオンの言葉に、カスミの肩がほんのわずか振れた。ヘリオンは優しい眼差しをカスミに向ける。
「責めているんじゃない。あんたは実に優秀な忍びだ。そして、言魂の恐ろしさを充分にわかっている。そのあんたが、そんな力で人を殺めてしまうなんて、余程つらいことがあったんだろう。……だけど、これだけは覚えておいて欲しい。そのただ一点が、本当に強くて美しいあんたの心にとって致命的な傷となっていることを。もし、また言魂で人を殺めたら、その力はあんたを破滅させる」
「………ご忠告、肝に銘じておきます」
胸に手を当てて、神妙にカスミは頷いた。ヘリオンはその手を取ると、ぽんぽんと優しく叩いた。
「だが、それが恥ずべき傷ではないことも覚えておいておくれ。その傷があればこそ、“太極の者”は自分の名を語るあんたを許したのだから。彼は、傷つかぬ者には決して寛容ではないからね」
カスミはヘリオンの温かい手に額を当てて、肩を震わせた。
「……ありがとう、ございます………」
カスミの嗚咽がおさまるまで、ヘリオンはずっと手を握っていた。
【あの夜は、ただ一夜の悪夢であったろうか。いや、そんなはずもない。城に充満したあの恐ろしい気配を、いま以て私は忘れることができないでいるのだから。ほんの些細な出来事が始まりであったあの夜は、だがしかし、人に語ることが許される代物ではなかったのである。星の輝きを魂魄に持った我らには、この一言さえあれば、あの夜をまざまざと思い出すことができるのだから、これ以上、私に語るべき事はない。
ただ、付け加えておくならば、マッシュが我ら解放軍の危機を帝国に悟られるのを避けるため、ソニア・シューレン将軍が守るシャサラザードの水上砦攻略を急がせたのは事実である。竜の氷のブレスを利用して、一日で五百隻の船を造るという荒技は、稀代の軍師とあの夜がなければ語られることはなかったのかもしれない。
恐るべし、『魔天の夜』。】
ユーゴ著『解放戦争史』より抜粋。
END
大変お疲れ様でした。前サイト掲載時『大恐慌の夜』でしたが、『魔天の夜』と改題いたしました。最後まで読んでくださって、本当にありがとうございますm(_ _)m
いかがでしたでしょうか? お疲れかとは思いますが、良ければ感想などを聞かせていただけると嬉しいです。
何処からそうなってしまったのか、半ば意地のようにキャラが出ています(^^;) しかも、名前だけを借りた別人状態ですね(^^;;;
片や死にそうな目にあっていれば、片や暢気に自分の財産(いろんな意味で)のことしか目がいかないという状況。世の中ってこんなもんじゃないかな、なんて思ったので、敢えてシリアスとコメディをごた混ぜにして書きました。
ペシュメルガはユーバーの鏡像で、ユーバーはペシュメルガの鏡像・・・だと良いな(^^;) というわけで、瞳の色が逆なのです。
『呪う』と書いて、『うたう』と読んでいただきました。言魂の力で人を殺したらカスミも破滅するというのは、「人を呪わば穴二つ」という訳です。最強の魔法使いの銘を言魂使いのカスミが手に入れたということは、彼女はその力を自儘に操ることができるようになりました。
「寿命を削らされるんだ。あんたもそれくらいの報酬は支払うべきだろ」(by.ヘリオン)
カスミが使うかどうかは、未定ですが。
ちなみに、アルナスルは「鷲」という意味のアラビア語から。アル・ナスル・アル・タイル。はい、星の名前です(^^)
最後に。
オマケがあります。というより、もう一つSSがあると言ったほうが正しいですね。忍びの者たちの会話を補足するために書いたものです。『一音が〜』の正妻vs愛人・第2ラウンド(核爆)。時代は飛んで『2』になるのですが。
「あの会話の補足」ときたら、オトナなあなたは察してくださいますね!(んな無茶な・^^;)
ということで(?)
警告します。もう一つの話は、下ネタです(核爆) 「なにを読んだって、気分を悪くしない」という自信が100%ある人だけ、いつものアイコンをクリックしてくださいm(_ _)m
|
|