Engagement
木枯らし吹き荒ぶ峠道を越えて辿りついたグレッグミンスターは、穏やかな小春日和に包まれていた。
恒例のお迎えにやってきたゴクウ一行は、目的地であるマクドール邸の前に馬車が止まっていることに首を傾げた。
「お客さんかな……?」
「立派な馬車だね」
ゴクウとアイリは二頭立ての馬車を物珍しげに眺める。
「この紋章は、共和国のものですね」
馬車に施された花の紋を示して言ったのは、カスミである。
かつて、解放軍旗に使われた蕾の意匠は、トラン共和国の紋章となっている。
「お偉いさんでも来てるみたいだな」
「どうしますか、ゴクウさん?」
ゲオルグとフッチに言われて、ゴクウは残念そうに肩を落とした。
「……しょうがない、出直そうか……」
そうゴクウが言い終わらないうちに。
「いらっしゃい、ゴクウ君」
門を開けて、グレミオが出迎えた。
「あ、こんにちは、グレミオさん」
「どうかしましたか? 坊ちゃんがお待ちかねですよ」
にこやかに門を大きく開かれて、戻りかけた足をゴクウたちは中へと進めた。
すでに、マリーの宿屋で部屋を確保しているので、大きな荷物はない。玄関ホールで防寒マントを脱いで軽く旅の埃を払い、暖かい邸内に入った。
「グレミオさん、誰かお客さんが来てるんじゃないんですか?」
いつもの客間へ案内する道すがら、ゴクウの問いにグレミオは柔らかく笑って答える。
「はい、皆さんがよく御存知の方がおみえですよ」
「え、誰だろう?」
「ただ申し訳ないのですが、坊ちゃんは今日は先約がありまして、明日にならないとゴクウ君のお手伝いはできないんですよ」
「それは全然かまいません。お客さんが来てるのなら、出直そうかと思ってたところだし」
「すみませんね。………ゴクウ君たちをお連れしましたよ」
ゴクウたちへ申し訳なさそうに軽く頭を下げたあと、客間の扉にノックをしながら、グレミオは部屋の中へ声をかけた。
「あぁ、早く入ってこいよ」
「この声って……」
中からの返事はルキアのものではない。だが、聞き覚えのある声に、アイリとゴクウが顔を見あわせた。
ごく親しい者を通す落ち着いた調度品でまとめられたその部屋にいたのは。
「シーナ!」
トラン共和国大統領の一人息子であった。
「よお」
驚愕の表情の一行に、シーナは軽く手を挙げて簡単に挨拶する。軽い態度はいつものことながら、襴衫をまとい“麒麟児”を抱いて優雅にすわるその姿が見慣れなくて、ゴクウはあんぐりと口を開けた。
襴衫の表地は瑠璃、組んだ足許から覗く裏地は薄色の秘色襲(ひそくかさね)。黒鳶(くろとび)色の腰帯には柘榴石の玦(おびだま)を提げるその姿は、れっきとした若公子だった。
「なんだよ、ゴクウ、その顔は」
「馬子にも衣装って、こういうことを言うんだねぇ」
しみじみと言われて、シーナは怒りを通り越してガッカリと頭を垂れた。アイリたちは笑い声を止められない。
「かなり前から休暇の申請を出してたのは、実家に帰るためだったんだ?」
ソファに腰を落ち着けながら、ゴクウはようやく驚愕から立ち直った。
「まぁな。カナカンの大使が任期を終えて新任者と交代するから、送迎と歓迎を兼ねた国主催の晩餐会が今日あるんだよ。親父に、耳にタコができるくらい、これには出席しろって言われててさ。まぁ、カナカンの大使には俺も世話になってたし、出席するのはかまわなかったんだけどよ。窮屈な礼装を着せられるのがなぁ……」
肩が凝る、と首を傾ける仕草もいつもと違って見える。
「じゃあ、ルキアの今日の用事って……」
「そうです。坊ちゃんもそれはもう大使様にはお世話になってますので、今夜の晩餐会にご出席なさいますよ」
頷いたグレミオの言葉をシーナは引き継ぐ。
「俺は、ルキアを迎えにきたんだよ」
「ふぅん……」
新たな客にグレミオがお茶を出し、皆が落ち着いたところで、再び客間の扉が開いた。
「お待たせ」
家宰を従えて入ってきたのは、真白の礼装を身にまとったルキアである。
表地は柔らかい鳥の子色。足の運びに翻って見えた裏地は雪色。氷襲の襴衫を、光沢のある真白の帯で締める。髪は簡単に櫛で整え、一房を蘇芳色のリボンで巻いて左肩へ垂らしていた。
普段、目にするバンダナと紅い胡服姿とはまるで違う雰囲気に、ゴクウたちは見惚れてしまう。
「いらっしゃい、ゴクウ」
「……お邪魔してます」
背筋をピシッと伸ばしたゴクウに、ルキアは柔らかく笑う。
「明日なら出発できるから」
「うん!」
いつもと変わらないルキアに、ゴクウもいつもの調子を取り戻した。
「それから……。カスミ、ちょっとこっちに来てくれないか?」
ルキアの颯爽とした姿にぽぉっと見惚れていたカスミは、慌てて立ち上がった。
「は、はい」
傍らに立ったカスミに、ルキアは屈みこむ。
「……ルキア様……?」
「ん、ちょっとじっとしてて」
ルキアは手に持っていた瑪瑙の玦を、カスミの腰帯にくくりつけた。
「よし、できた」
少し離れて、玦を提げたカスミの姿を満足そうに見つめる。
「あの、これは……」
玦を見つめてカスミは困惑していた。
飾り紐を通す穴を日輪に見立て、それを背に三本足の烏が翼を広げている。日輪から伸びる光は太いものが両端に二本、その間を等間隔に細いものが三本。瑪瑙に彫りこみ金を流しこんで浮かび上がらせたその紋様が、マクドール家の紋章であること、日輪から伸びる線の数が二十三代目であるルキアを示すことをカスミは知っている。
「カスミにあげるよ。とくに今日一日は、外さないでくれ」
戸惑うカスミを余所に、ルキアはご機嫌な様子である。
「………ありがとうございます」
深く頭を下げるカスミに、ルキアは手を振る。
「礼には及ばないよ。本当はあの夏の終わりから、それはカスミの物だったんだから」
いつのことを言われたのか、そして、この玦にどんな意味がこめられているのか、やがて理解したカスミは耳まで真っ赤になった。
「あの、恐れ入りますが」
「はい……!」
遠慮がちに声をかけてきた家宰の声に、カスミは飛び上がる。
「これをお館様の帯に飾ってくださいますか?」
家宰の手には、紫の絹布に包まれた李の枝を模した細工物があった。
黒曜石の枝に、翡翠の葉。珊瑚で作られた李の実は三つ。両手におさまる大きさだが本物そっくりの見事な細工で、とくに李は艶々と美しく、この実を作るためにかなり大きな枝の珊瑚が使われたことは想像に難くない。
そっと受け取ったカスミは、ルキアの腰帯に枝を結わえた。
「おめでとう、ルキア」
ゲオルグにそう言葉をかけられて、ルキアは破顔した。
「ありがとう、大兄」
「良かったな、ルキア」
「おめでとうございます、ルキアさん」
「ありがとう、シーナ、フッチ」
シーナはどちらかといえばニヤニヤと、フッチは我がことのように嬉しそうに笑顔で言祝いだ。グレミオと家宰は感激した様子で目許を押さえている。トランの風習を知らないゴクウとアイリは訳がわからず、キョトンとした。だがここで野暮な質問をするのも気が退けて、知りたがりのゴクウもさすがに口を噤んだ。
「でも、ルキア、今夜はミーナも舞を披露することになってるんだぜ。それを見たら、取り乱しちまうんじゃねぇの……?」
意地悪く言うシーナに、ルキアの笑みは深みを帯びる。
「それで取り乱してくれたなら、この狂おしい愛しさもとうに褪せていただろうな」
わき上がる想いを誤魔化すように、シーナは顔を伏せて大きく息を吐き出した。
「……っとに、お前ってば、損な性分だよな……」
「得してるって言ったり、損してるって言ったり、どっちなのさ?」
「どっちもだよ」
カスミは玦を見つめ、シーナを笑うルキアの横顔を見つめて、こみ上げる想いに身体が震えそうになる。
生きとし生けるものを愛して止まないルキア。そんな彼の愛に、『世界』が耐えられないなんて哀しすぎる。自分は、ルキアを愛しルキアに愛された人たちの代わりなのだ。
そして、カスミは唐突に理解する。『言魂』はルキアのために『世界』が贈ったものだということを。
カスミは深呼吸して、ルキアを見つめる。
「………ルキア様、私は、死が二人を分かつともあなたとともに在ることを誓います」
突然の宣誓に、周りの者は顔を赤らめる。ただルキアだけが、至福の笑顔でカスミの頬をつたう涙に口づけた。
「ありがとう。私も、誓うよ。死が二人を分かつとも、お前を必ず見つけだすと……」
ハルモニアの支配以前からずっと、この土地に伝わる風習がある。
男性から女性に贈られた玦は、求婚を意味する。女性は快諾の返事として、愛する人へ果物を贈るのだ。
END
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