翌日、開店前の準備をあらかた済ませたレオナは、紋章師の店を訪ねた。
「ジーン、いるかい?」
外の眩しさと中の薄暗さのギャップに、声をかけながらも眩暈を感じて店先に立ち尽くす。
「ちょっと待ってて、レオナ」
カウンターではなく、奥から聞こえた返事に目を凝らすと、来客用に設えられた長椅子にジーンがルキアと並んですわっているのがわかった。
ジーンは刺草(いらくさ)を巻きつけたルキアの右手を両手で包みこみ、呪文を詠唱する。
「大地を盤石たらしめる世界樹の根を以て、汝を縛める。汝、寸毫も動くこと能わじ」
包みこむ両手から光がわずかにあふれ、すぐに消えた。そして、血をにじませるルキアの右手を、刺草ごとゆるく包帯で巻いていく。
「……私の力じゃ、せいぜい二日も保てば良いところよ」
「わかってる」
気遣わしげなジーンに、ルキアは大丈夫だと笑って手袋をはめた。
「ルックに診せるつもりもなければ、グレッグミンスターへまだ帰る気もないのね」
「あぁ」
諦めたように、ジーンは溜め息を吐いた。
「じゃあ、今夜は私のところにいらっしゃい」
「うん、ありがとう。手間かけさせてすまないな」
「そう思ってるなら、態度で示して欲しいものだけど」
立ち上がりかけたルキアは微笑んで屈みこむと、ジーンの右の頬、左の頬、そして唇にキスを落とした。
それじゃ、とルキアは外へ向かう。レオナは慌てて出入り口から退いた。
「昨夜はありがと」
すれ違い様ルキアはそうささやいて、店を出ていった。
「お待たせ、レオナ。なにかご用?」
物憂げな様子で、ジーンはレオナを見上げていた。レオナは躊躇いがちに向かい側へすわる。
「用って言うか……」
珍しくレオナの歯切れが悪い。先手を打つように、ジーンは口を開いた。
「私の答えられることにしてちょうだいね」
一瞬、言葉に詰まるものの、レオナは気になって仕方のないことだったので、ダメもとで訊くだけ訊くことにする。
「………ルキア、なにかあったのかい?」
「…………誰かと、喧嘩したらしいわ」
「あの人当たりの良い子が?」
「ルキアだって喧嘩くらいするわよ。聖人君子じゃないんだから」
「へぇ……」
それにしては鬱ぎこみようが尋常でなかった気がする。
「気になる? ルキアのこと」
「………友人として、ね」
からかうように訊かれて、レオナは無難な答えを返した。
「無理しなくて良いのに」
「…………前から訊きたかったんだけどさ、ルキアの何処が好きなんだい?」
レオナははぐらかすように問いを変えた。
「佳い男でしょ」
「それは認めるけど」
「そうねぇ……。敢えて理由をつけるなら、本質を見抜く眼。そして、それに対して動じないところ、かしら」
意味ありげな言葉に、レオナはある出来事を思い出す。
『謎に満ちあふれたジーンの秘密が知りたい』という依頼が殺到して、リッチモンドが調査に乗り出したことがあったのだ。
だが、その後しばらくして、リッチモンドは布団を頭からかぶり自室の隅でガタガタと震えていた。なにがあったのか訊かれても、「俺はなにも見ていない!」の一点張り。謎を解き明かすはずが、ますます深めてしまったという事件があった。
ルキアにとって、それは謎でもなんでもなく、自然体で受け止められることだというのだろうか。
「………でも、結局、いつか終わる恋だろ。それで良いのかい?」
ジーンの艶やかな笑みが深みを帯びた。
「あら、レオナ。あなた、まだ永遠なんて信じてるんじゃないでしょうね……?」
まさか。夢見る少女じゃあるまいし。

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