軍学者の愛弟子
「嵐になるなぁ」
雲一つない青空の下で、青年が一人、大きく伸びをした。
「こんなに良い天気なのに……?」
屋上の屋根の上だから危ないよ、と注意しながら、隣にすわっていた少年が首を傾げる。その膝の上には、真白の異形の者が気持ち良さそうに眠っていた。
「俺の悪い予感は外れたことがないんだぜ」
「良い予感は当たった試しがないのにね」
「大きなお世話だ」
青年がふてくされて、混ぜ返した少年の頭をぐっと押さえこんだ。
「なにするんだよ」
台詞ほどには怒った様子もなく、少年は頭の上の手を払う。
笑っていた青年の表情が、南に目を向けてスッと引き締まった。
「超弩級の颱風(タイフォン)が、南から来るぜ」
少年の瞳が不安げに曇った。
「………ねぇ、本当にシュウさんの狙い通りになると思う?」
「なるんじゃねぇの……? 誰かの思惑に嵌るなんて、あいつは真っ平ごめんだろうが、それよりも重要なものが此処にはある」
「カスミさん?」
「違う、カスミはいま、此処にいないだろ」
「…………」
むすっと押し黙った少年に視線だけ寄越して、青年は気楽に続けた。
「なんにせよ、トランには悪いようにならないんなら、それで良いんじゃねぇの……?」
「……初めて大統領の息子らしい台詞を聞いた気がする」
「………お前ね……」
「冗談だよ」
脱力した青年を少年は笑う。
「あの人と一緒に、確かに僕たちが建てた国だもの。僕だって、都市同盟があの人の怒りで無人の荒野になったって、トランに良いことなら別にかまわないよ」
けろりとした表情で恐ろしいことを口にした少年に、青年は、俺はそこまで言ってねぇ、と突っこんだ。
デュナン湖のほとりにある梁山(リアンシャン)城。その1階・大広間に設置されている転移の大鏡が光り輝いた。
“瞬きの手鏡”を所持している幻影(ホアイン)軍リーダー・ゴクウが帰城した証拠である。
「ただいま〜」
果たして、光る鏡面から飛び出してきたゴクウの腕を、ビッキーはハシッと捕まえた。
「おかえりなさい、ゴクウさん! 待ってたんだ、さぁ、行くよ〜!」
「え!? ビッキー、なに?」
「シュウさんがグリンヒル奪還作戦を開始するって。帰ってきたらすぐ連れてきてって言われてるの。そ〜れっ!」
「ちょ、それはまだ先のは、な……!」
ゴクウの言葉が終わらないうちにビッキーの転移魔法は起動して、二人の姿はかき消えてしまった。
後に残されたアイリ、アニタ、シモーヌ、キニスンは呆然とするばかり。
そして、もう一人。
アイリは恐る恐る最後に鏡から出てきたルキアに目をやった。
ゴクウの頼みで此処まで連れてこられた、いわば客であるはずのルキア。そんな彼をほったらかして、ゴクウは戦争に行ってしまった。普通だったら怒りを爆発されそうな事態に、当のルキアはなにやら思案気な表情である。
「すまないね、我が心の友、ルキア。我々はグリンヒル奪還作戦は当分、先のことになるだろうと聞かされていたんだよ」
この中ではルキアと気心の知れているシモーヌが、皆を代表するように謝った。
「……あぁ、ゴクウもそんなことを言ってたな」
怒っているようにも見えないが、やはり何処か心此処にあらずのルキアは曖昧に答える。
「君は戦争には参加しないのだろう? 来たばかりだが……」
「よ〜、ルキア!」
シモーヌが帰るか、と訊こうとした言葉を邪魔するように、脳天気な声がかかった。
「シーナ」
「ゴクウはもう行っちまったか? ほんと慌ただしいことになってて悪いな」
なにやらいつもの1.5倍増しで愛想を振りまくシーナを、ルキアは胡乱げに見やる。シーナの動きがぴたりと止まった。
「お前……なに持ってきたんだ?」
その視線はルキアの背中から突き出た得物に向けられていた。見慣れた“天牙棍”ではない。
「あぁ、これの手入れ中にゴクウに来られたんだよ。で、そのまま持ってきた」
「………へぇ」
その太刀は恐ろしく長かった。腰に差していてはバランスも悪いし抜けないので、ルキアは背に負っているのである。
「………ちょっと眠さ限界。悪いが、先に休ませてもらう。帰るかどうかは起きてから考えさせてくれ」
最後の台詞はシモーヌに向けて、ルキアはふらりと行ってしまった。
「…………なんかあった?」
シーナは残ったメンツに訊いた。
「なんかピリピリしてる感じはしてたんだけど……」
アイリはあまり要領を得てない様子で口ごもる。
「あの長刀のせいかな。鞘に収まってても、近くに立ちたくないくらい異様な気配がした」
代わりにアニタが答える。
「それにあてられたのかも」
「ふぅん……」
そこでシーナはようやく現状を思い出し、残された四人にお疲れさんと声をかけて解散させた。
一時間くらい経過したところで、シーナはルキアがいつも使っている客室を訪れた。
「あれ……?」
ノックをしても返事はなく、ノブに手をかけると鍵もかかっていない。部屋に入れば綺麗に整えられたままで、荷物もなにもなく、ルキアは此処へはまだ来ていないことがわかった。
他の寝場所は何処だったか、とこめかみに指を当てたところで、シーナはルキアの厄介な習性を思い出した。
「ん〜、と、ルキアが寝床にしてた奴は………」
指折り数えて、いまも幻影軍に参加しているその該当者が、全員グリンヒル奪還作戦に従軍してることに気がついた。
帰ったのか、とも思わないではなかったが、それすら億劫そうな様子だった。
ふと廊下から窓の外を眺めると、カーンが図書館へ向かって歩いて行くのが見えた。
「………あ」
いまこの城に残ってる中で、唯一ルキアが寝床にできそうな人物を思い出し、シーナは走り出した。
「シエラさん、起きてる?」
ドアをノックすると、中から応答する声が返った。
「入るよ〜」
「早く、こ奴をどうにかしろ……!」
ベッドにようやく上体を起こした様子のシエラがいた。
「……え?」
よく見れば、その腰をがっちり抱えこむようにしてルキアが寝ている。
「…………」
「目が覚めたらこの有様じゃ」
苦虫を噛み潰したようにシエラは言う。
部屋をよく見渡せば、ルキアの荷物もテーブルの上にまとめて置いてあった。
(さすが過ぎる………)
なんだか滑稽なのだが、此処で笑えばシエラの怒りの矛先がこっちに向きそうなので、シーナは笑いをかみ殺すのに必死だった。
「シエラさんがこの部屋出ない限り、目、覚めないと思う……。寝るって言ったときのルキア、ちょっとやそっとじゃ起きないんだ」
「付き合っておれん………」
こんな抱えこまれた状態でなければ、雷撃の一つや二つや三つくらい落としたいところだ。だが、何故だか無下に腕を振り解けなかったのも事実である。多少乱暴にしても起きないとわかって、シエラはルキアの腕を解きにかかった。
「ふぅ……まったく……」
ルキアの腕の中から脱出したシエラは、シーナには目もくれず、真っ直ぐルキアの荷物に向かった。テーブルの上には、あの長刀が置かれていた。
「…………まさか、こんなところで、こんな形で、おんしと相見えることになろうとは………」
シエラは鞘に手を載せた。
「……知ってるの……?」
答えてくれるとも思わなかったが、訊かずにおれなかった。
「………あぁ。かつての知り合いの、なれの果てじゃ……」
いつもの人を喰った態度からは想像もできない、悲哀に満ちた声音だった。
「星辰剣がおらんのは、幸いであったか、不幸であったか………」
「え、まさか、それも紋章……?」
シエラはゆるゆると首を横に振った。
「いまは、ただの妖刀じゃ。………ただの、と言うには気配は凶悪すぎるがの……」
「それ、シエラの知り合い?」
突然、割りこんだ声に二人はビックリして振り向いた。ベッドに横たわったまま、ルキアがシエラを見ていた。
「………あぁ」
妖刀に視線を戻して、シエラは頷いた。
「じゃあ、ちょっと預かってくれないか? 明日の朝、引き取るから」
「おんしにも、こ奴は荷が重いか……」
「嫌な予感しかしてないときに、マイナス思考の気炎ばっかり垂れ流されるとさすがに………」
起き上がりながらルキアは答える。
「………良いじゃろう」
「ありがと」
にこっと笑ったルキアに、シエラは人の悪い笑みを浮かべた。
「わらわの口にあうワイン一樽と交換じゃ」
長刀以外の荷物をまとめていたルキアの動きが止まる。
「わらわを抱き枕にしたのは何処の誰ぞ?」
「…………私です」
観念してルキアは頷いた。
「この城がまだ残ってたら送らせる」
呟くようにつけたされた言葉に、シーナの目許が引きつる。それに気づいているのかいないのか、ルキアは軽く首を振ってシーナを促すと部屋を出た。
ルキアは無言のままシーナを従えて、自分用の客室に荷物を置き、屋上へ向かった。さらに屋根の上まで登ると、腕組みをしてルキアは北東の方角を見つめる。
「お前の話を聞く前に、先に質問に答えてくれ」
ようやく口を開いたルキアに、シーナは内心ホッとする。
「なんだ?」
「この湖の向こうは何処だ?」
「対岸にあるのはコロネの村だな」
「……もっと北は?」
「ミューズ市。対岸はまだハイランドの占領下だ」
遠くを見つめるルキアの表情は険しい。
「あすこ……なにがあった?」
「え、ミューズ市のことか?」
ルキアは頷いた。
「………ルカがミューズ市民を皆殺しにしたってのは聞いてる……」
「他は?」
「え〜、他って……。あぁ、そういえばゴクウたちが獣を見たって言ってたな」
「獣………」
ルキアの眉間に皺がよる。
「巨大な光る獣がミューズ市の上空に浮かんだって。すぐ消えたらしいけど」
「そうか……」
深い溜め息が零れた。
「じゃ、次はそっちの話、聞こうか」
くるりと振り向いたルキアは、いつもの笑顔でシーナを見た。
「や、俺は別に……。ゴクウが速攻、行っちまったから、お前が訊きたいことあるんじゃないかと思って………」
ちょっとしどろもどろになってしまうのはしょうがない。シーナだとて、トランの英雄の無敵の笑顔には弱いのだ。
「ふぅん」
そんなシーナの胸の内に気づいているのかいないのか、面白そうに眺めたあと、ルキアはまたデュナン湖の対岸へ目をやった。
「グリンヒルってどっち?」
「こっちだな〜。あの山の向こうだ」
シーナは北西の方角を指さした。
「軍を2隊に分けたのか」
「よくわかったな」
「雲気を見ればわかる」
三年前、稀代の名門軍師二人がつきっきりでルキアを教育していたことを、シーナは思い出す。そのことをシュウはすっかり忘れてるな、と内心で愚痴を零した。
「グリンヒルはゴクウとキバが主力。その後背を突かれないように、ミューズへ抜ける街道をハウザーとフリック、ビクトールで防衛するって作戦なんだ。たぶん、ミューズ側はもう始まってる」
「そうだな」
右手を顎にあて、ルキアは考えこんでいる。視線は何故か戦闘が始まってるはずのグリンヒル市側より、ミューズ市のほうに向いていた。
「ミューズが気になるのか?」
「………いや。……もう、あすこにはないな……」
「なにが……?」
「ルカが持ちこんだもの」
迂遠な答えはそれ以上、言いたくない答えるつもりのない証。わかったもので、シーナはその質問はもうしなかった。
そして、やはりこれは自分が話すべきなのだろう、と考えを改める。アップルに、幻影軍の副軍師として自分が責任をもって話すべきだから、と口止めされていたのだが、なにが起ころうとしているのかあらかた察してしまっている様子のルキアに、これ以上隠し事をすることのほうがシーナには耐えられない。
「あのさ、ルキア……」
「なに……?」
「いま、始まってるグリンヒル奪還作戦はさ、初めて幻影軍が攻勢に出た戦いなんだ」
どうすれば上手く伝えられるだろう、と考えながらシーナは切り出す。ルキアは黙って続きを待った。
「だけど、お前ももうわかってるのかも知れないけど、ハッキリ言ってこれは結構ギリギリな賭けだ。攻める部隊と、それを守る部隊は出せた。だけど、それでもうお仕舞いだ。………この城には兵力なんてもう残ってない。もぬけの殻の状態なんだ。それで、シュウが、ゴクウを使ってお前を此処に呼んだ」
シーナは覚悟を決めたようにルキアを見つめた。ルキアの怒りを喰らうには自分では役不足かも知れないが、アップルにはさらに荷が重すぎる。
「………そのこと、知ってるのは誰?」
「あの場にいたのは、シュウとアップルと俺。あと、フッチには話した。………ほんとは、アップルが副軍師として伝えたいって言ってたんだけどさ。あいつのつらい顔、見るのは忍びなくて………」
照れたように視線をそらす。
「それから、アップルの名誉のためにも言っておく。あいつは反対したんだ。この戦争にお前は関係ないって。その銘を軍主にまで黙って利用することが、この先シュウ自身だけじゃなく、都市同盟にもどれだけの不利益をもたらすのかわかってるのかって」
一部始終を思い出したのか、シーナは盛大に溜め息を吐いた。
「結果は、まぁ、こんな状態なわけだけど……」
力なく笑って、ルキアに向かって肩をすくめる。ルキアはしょうがないなぁ、と苦笑した。
「シュウはマッシュよりもレオンに似てるんだよな。もし、逆にこの空っぽの城を攻められたらって思ってるんだろ? いや、むしろ、レオンなら絶対にこの好機を逃さないって」
やはり、ルキアが気づかないわけがなかった。
かつて二人の主だったルキアにこの言葉は相応しくないのかも知れないが、マッシュとレオンの一番弟子はアップルでもシュウでもなく、まして顔も知らないハルモニアの貴族でもない。ルキアなのだ。
シーナは腹を括って、最も言いたくなかった言葉を口にした。
「もし、街道に陣取った軍が見向きもされずに、ミューズにいる王国軍本隊に此処が攻められるようなら、ハウザーたちの防衛部隊が戻ってくるまでの時間、籠城で持ちこたえられるように策はシュウからアップルに授けられてる。ただ、お前がいるのといないのとでは士気も違うし、被害も最小で押さえられるだろうっていうのがシュウの算段」
「私はただの継承者で、そんな神がかりなことができるわけでもないのに」
ゆらり、とルキアの身体から気炎が見えたような気がした。その矛先が自分でないとわかるだけ、まだマシだろうか。ルキアはじっとグリンヒルの方角を見つめ、やがてシーナを見上げた。
「…………。シーナ、私が帰りたいって言ったらどうする?」
一等最悪の台詞が出てきたなぁ、とシーナは頬をかきながら天を仰いだ。だが、ルキアがそうしたいのなら、自分は止める気は全くなかった。
『解放戦争』でともに戦った仲間たちは、ルキアを二度と戦争に巻きこみたくないと思っている。シュウのご都合主義な狙いなど蹴ってもらってまったくかまわなかった。
「別にどうもしないぜ。俺らがさ、お前のしたいこと、止めたことあったか?」
真っ直ぐに黒曜石の瞳を見返してシーナがそう答えると、ルキアは極上の笑みを見せた。
「その言葉に免じて、回答はまだ保留にする」
「そ、そっか……」
ルキアは手をかざして太陽の位置を確認した。そろそろ正午になろうかという時刻である。
「お昼食べたら、執務室に行く。アップルにそう伝えておいてくれ」
「わかった」
シーナの答えを聞く前に、もうルキアは屋根からテラスに飛び降りていた。
ルキアが屋上から出ていくのを見送ると、シーナはへなへなとすわりこんでしまった。約束を破って、先にすべて暴露してしまったことはアップルに怒られるだろうが、これで良かったと思っている。
「嫌なことはさっさと終わらせるに限る。あとは野となれ山となれ、だ」
吹っ切るようにそう呟くと、アップルを探しに屋上をあとにした。

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