シーナと別れたルキアは、真っ直ぐに約束の石版に向かった。いまは愛しい風使いはいない。それがなんだかとても寂しいけれど、当初の目的を思い出し、石版に刻まれた名前に目を走らせた。
 探していたメグの名前を右手でそっとなぞると、星の煌めきがルキアの心に飛びこんだ。同時に、手袋の下の紋章が脈打つように反応した。
「人捜しには便利なんだが……」
 右手を牽制するように睨みつけると、“ソウルイーター”は徐々に鎮まっていった。誰かを想うと、不意打ちのように反応する紋章にはだいぶ慣れたつもりだったが、今日は特に感度が良いのは気のせいではないな、と溜め息が零れる。
 あの妖刀のせいだ。どのような経緯でマクドール家が所有することになったのか、ルキアにはよくわかっていない。だが、数ある家訓の一つにあるということは、相当古くからあったのだろう。
 曰く、『家長以外、触れるべからず』。
 手入れをしていてよくわかった。あの溢れ出る妖気は、よほどの胆力がないと発狂する。命を求めて止まないところが“ソウルイーター”とそっくりだ。モンスターでも斬れば気休めなりとも鎮めになるか、と持ち出したのがとんでもない間違いだった。あくまでも人の血を求める想念は鎮まるどころか哮り狂うばかりで、ちょっとでも気を緩めようものなら、仲間にまで洒落にならない剣圧を飛ばそうとした。あのときばかりは、ゴクウが“輝く盾の紋章”を宿していることに感謝した。
 知り合いのなれの果てだ、と言っていたシエラ。なれば、あの血を求める狂気も当然のことなのだろうか。

『“死”を抱く我ら・・・』

 ルキアは嫌なことを思い出して、顔を顰める。吹っ切るように顔を上げると、港に向かって歩き出した。
 桟橋の突端で、メグが釣りをしているのが見えた。傍らにある樽はからくり丸だろうか。深紅のリボンが風に揺れている。
「メグ」
 名前を呼ぶと、まるで信じられないものを聞いたように振り返られた。
「ル、ルキア……!?」
「うん?」
 こちらを振り返ったメグは、驚きの表情を隠しもせずにたっぷり10は数えられるほどルキアを見つめると、竿を放り出して飛びついてきた。湖に落ちそうになった竿を、からくり丸の手がさっと伸びて捕まえる。
「どうして此処にいるの? いま、グリンヒル奪還作戦の真っ最中なんだよ!? こんなとこにいたら、戦争に巻きこまれちゃうよ! ビッキーに頼んで、早く帰って……!」
 グイグイと身体を押してくる。
「メグ、待って」
「早く帰るの」
 切羽詰まったメグに、ルキアの声が届かない。数歩はメグに従ってルキアは歩いたが、あまりの慌てぶりに埒が明かない、と歩みを止めてメグの両肩をつかんだ。
「メグ」
 少し身をかがめて視線をあわせ、名前を呼ぶ。メグの動きがハッと止まった。
「挨拶もくれないのか?」
 決まり悪げにメグの視線が泳いだ。
「メグ」
 もう一度名を呼ぶと、小さくごめんなさい、と呟いて上目遣いで見つめてくる。にこりとルキアは笑ってメグの肩を抱いた。メグも抱き返して、お互いに頬を交互に触れあわせる。最後はついばむようなキス。
「お腹、空いてるんだ。お昼、付き合ってくれ」
「………うん」
 またメグの表情が沈んだ。ルキアは安心させるようにクシャリと頭をなでる。
「難しいことはあとで」
「わかった……」
 ハイ・ヨーのレストランでランチを食べ終わると、二人は屋上へやってきた。
「さて、さっきの話の続きでもするか……?」
 並んで塀にもたれて、ルキアはいつものように穏やかにメグを見つめれば、メグはこちらに身体を向けてはいたがうつむいたままだった。
「ビッキーはゴクウを送るために、一緒にグリンヒルに行ってしまったよ」
 ほんのわずかメグの肩が振れたが、顔は上げてこない。上げられない。
「私も、帰りたいのはやまやまなんだけど、帰れないってのが現状」
「どうして!?」
 顔を上げると、怖いくらいに醒めた表情でルキアに見つめられていた。こんな顔のルキアを見るのは、おそらく『解放戦争』以来ではないだろうか。しかし、メグは当時、彼を遠くから眺めるばかりでそばにいたわけではなく、静かに怒っているルキアを目の当たりにして身をすくませた。
 ふっとルキアは息を吐く。メグに怒っているわけでは決してないが、怖がらせてしまっては同じことだ。
「まぁ、そういうわけだから………」
 大人気なかったと曖昧に言葉を濁し、ルキアはアップルが待っているはずの執務室へ行こうと歩き出した。
「ま、待って……!」
 慌ててメグはルキアの袖をつかむ。
「……どうして、帰れないの……?」
 振り返ったルキアは、優しい眼差しでメグを見つめた。
「お前が此処にいるから」
「…………」
 袖をつかむ手に力が入る。
「………もし、私がこの戦争に参加してなかったら……今日、ルキアは来なかった?」
「………来なかったな。手が離せる状況じゃなかったし」
「私の、せい……?」
 震える言葉に、ルキアは即座に首を横に振る。
「それは違う。ただの、私の我が侭だ」
「……ごめん、ルキア………。ごめん……」
 メグはなにかを堪えるようにうつむく。
「どうして謝るのさ?」
「だ、だって……私、此処を離れるわけには……いかないもん………」
 その言葉に、ルキアは自然と笑みが零れる。
「………本当は、メグを連れて帰ってしまおうかと思ってた。でも、きっとメグは拒否するだろうなってのもわかってた」
「ごめん………」
 ルキアはメグを優しく抱きしめた。
「良いよ。私は私のやりたいようにするだけだから」
 腕の中でメグが頷くのがわかった。
「いまから、アップルのところに行くんだけど、どうする?」
「………ついてく」
「うん」

 執務室にはアップルとシーナが待っていた。ルキアの姿を見るなり、アップルは立ち上がる。
「ルキアさん、ごめんなさい!」
 膝に額をつけんばかりに、アップルは深く頭を下げた。アップルに釣られて立ち上がっていたシーナは、困ったように二人を見比べる。
 ルキアは軽く息を吐いて、苦笑した。
「顔を上げて、アップル」
 手近にあった椅子にすわって、肘をつく。
「めんどくさいことはさっさと終わらせようか」
 にっこりと笑った顔が、いつもマッシュの隣で見ていたものと同じで、申し訳なさに泣きそうなのか懐かしさに泣きそうなのか、アップルはわからなくなった。ともあれ、懸命に涙を堪えて、アップルも席に着く。
 全員すわったのを確認して、ルキアは口を開いた。
「残ることには決めたから。多少、アテにしてくれても良いよ」
「ありがとうございます……!」
「助かるぜ」
 アップルはまたテーブルに額をつけんばかりに頭を下げ、シーナはホッと胸をなで下ろした。
「ただし」
 ピシャリ、とルキアは続ける。
「この私に、いや、マクドール家に借りを作ることがどういうことなのか、二人ともわかってるだろうな?」
 アップルは背筋を伸ばし、ルキアの瞳を真っ直ぐに見つめて頷いた。
「わかっています。あの戦争で、マッシュ先生にその銘の意味を私は教えてもらっていました」
 シーナはいささか行儀悪く軽く肩をすくめる。
「俺ん家もいちお、豪商だからな。その辺は親父から散々聞いてる」
 メグはきょとんとした顔をしていたが、口を挟むのはさすがに遠慮していた。
「なら良い。………もちろん、無知を言い訳にするのを許すつもりはないが、知っていてなお助力を請うと言うなら、かつての仲間の願いを蹴る気はない」
 頬杖をついて淡々とルキアは言い、視線を入り口に向けた。
「失礼します」
 ノックの音と同時に入ってきたのは、サスケとモンドであった。室内にルキアがいることに、サスケは一瞬ギョッとなったがすぐに表情を戻してアップルに向き直った。
「クスクスの街にハイランド王国軍が上陸しました……!」
「思ったより早かったな」
 あっさりと言うルキア。アップルはモンドを見上げた。
「数は?」
「まだ続々と船が着いているところでした。恐らく2個大隊はあるかと………」
「籠城の準備を始めてください」
「待て」
 忍者二人に命令を出したアップルに、すぐさまルキアが声をかぶせた。
「え……?」
 驚いてアップルがルキアを見る。その場にいた全員がルキアに注目していた。
「籠城はダメだ。討って出る」
「ルキアさん、それは無茶です。此処には戦える者はほとんど残っていないんですよ? シュウ兄さんからも籠城して街道の防衛軍が戻るまで耐えろ、との指示です」
 ルキアは頬杖をついたまま、空いた手でコツコツとテーブルを叩いた。
「アップル、籠城に必要な物は?」
「え、えっと、充分な水や食糧、武器です」
 突然の質問に戸惑いながらアップルは答える。
「他には?」
「堅牢な城壁や深い堀などの、攻めにくく守りやすい場所であること」
「他には?」
「………防御に徹し得る兵の数」
「最後」
「…………援軍のアテがすぐあること……」
 よくできました、と先生が生徒をほめるようにルキアはにこりと笑った。
「此処が当てはまるのはたった一つ、物資が充分なこと。攻めにくく守りやすい城壁も、まぁ、大目に見て入れても良い。だが、それだけで籠城なんて無謀は、冗談でも言って欲しくはないな」
「でも、防御に徹し得る兵の数がないなら、攻めることができる数だって無いわけだぜ?」
 あんまりアップルを責めるな、と言外に言いながらシーナはルキアを見る。
「適材適所って言葉、知ってるか?」
 片眉をつり上げて言われて、やっぱり相当ご機嫌斜めだ、とシーナの背筋に冷や汗が流れる。
「アテにして良いか?」
 ルキアは忍者二人を見て言った。
「無論。副頭領には遠く及びませんが、全力は尽くします」
 軽く頭を下げてモンドは答えた。サスケは苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、モンドに軽く小突かれて、同じく頭を下げた。
「ロッカクの里の名にかけて………」
 ルキアはそんな仕草に少しだけ口許を綻ばせた。
「二人は橙旗(とうき)で。黒旗(こっき)は馬に乗れる者を、私を含めて五十名ほどで編成してくれ。それくらいの人数はいるんだろ?」
「………五色旗団(ごしききだん)の復活か」
 シーナは面白そうにルキアを見た。
 かつて『解放戦争』において、初期解放軍は5大隊に分けて編成されていた。それぞれに色名を充てられたその軍は、五色旗団とも呼ばれていたのである。次第にふくれ上がった軍はさらに細分化され、最終的に8大隊となり、彩八旗(さいはっき)と名称を変えた。
 ニヤリと笑ってルキアは頷く。
「さすがに彩八(さいはち)は無理だからな。女、子供、老人は白旗(はっき)。黒旗の選から漏れた者は全員蒼旗(そうき)にまわして、ありったけの弩と投石機を用意」
「紅旗(こうき)はやっぱり無理かぁ」
 指折り数えて、シーナは残念そうに言った。ルキアはそれには答えず、窓の外を、さらに遠くを見やった。
(間にあわないことを想定してるけど、でもきっと、お前は間にあってしまうんだろうなぁ)
 ほんのわずか目を細めたが、ルキアは意識を引き戻すとテーブルの上に広げられた地図を指さした。
「迎え撃つ場所は、此処とクスクスの中間地点のこの平原で。王国軍は攻城機の設営や、こっちが討って出る余裕なんてないと思ってるだろうから、戦いが始まるのは明日の朝だろう」
 そして、一通りの作戦を説明した。
 ルキアの説明が終わると、皆の表情には一様に勝てるかもしれない、という希望が満ちていた。
「……一つだけ、よろしいか、ルキア殿」
「うん」
 先ほどの説明で地図に描きこまれた幻影軍と王国軍の布陣を指さしながら、モンドは訊いた。
「投石機の射程を考えると、黒旗も巻きこむかと。引き際のタイミングを見誤ると、こちらも大変なことになりますまいか?」
「……そこが、この作戦の不充分なとこなんだよな」
 ズバリと指摘され、ルキアは苦笑する。
「それはわらわが手を貸してやろう」
 不意に割りこんだ声に、全員が顔を上げた。
「シエラ……」
 ルキアの長刀を腕に抱えて、シエラが転移してきた。
「目的は、攻城機の破壊なのであろ? 例の物だけ、わらわがそこまで飛ばそう。なれば黒旗を巻きこむ危険もなくなろうし、おんしらも仕掛けがやりやすかろう」
「助かるよ。シエラも橙旗に加わってくれ」
 にこりと笑って、シエラはルキアに向かって指を二本立てた。
「あわせて二樽じゃ」
「この分は、幻影軍が出すべきじゃ?」
 ルキアは苦笑する。
「ふむ」
「わかった、こっちで出すよ」
 シエラに見つめられて、シーナが苦笑して答えた。
「じゃ、あとの準備は任せた。それから、みんなへの作戦の説明はアップルがすること。私は黒旗を率いる以外はしない」
「はい」
 アップルは頷いた。これ以上、彼に頼り切るほど自分も成長していないわけではない。
 その場が解散となって、メグはアップルに声をかけた。メグがなにを言いたいのかわかっているアップルは顔をうつむかせた。
「ごめんなさい、メグ」
「………うん、アップルだってこんなことしたくなかったのはわかってる……。でも、でもね」
「これが最初で最後よ。もし、シュウ兄さんがまた同じことをしようとしたら、次はどんなことをしても止めるから」
 顔を上げ、真っ直ぐにメグの瞳を見つめてアップルは誓った。
「だから、今回は許して……」
「ほんとにこれっきりだからね……? みんな怒ると怖いんだから」
 ルキアの女たちの顔を思い浮かべて、メグはちょっとくじけそうになった。弱気になっちゃいけない、と首を軽く振る。
「それから、私を蒼旗に入れて」
 アップルの手をきゅっと握りしめ、メグは頼んだ。
「え、それは……」
「当てるのは得意なの知ってるでしょ。大丈夫、前のときみたいに白旗も持つから」
「……わかったわ。でも、無理はしないでね」
「うん。それから、もう一つ」
「なに……?」
「前の戦争で、ルキアがいつも白旗に言ってた言葉。あれをちゃんと言って欲しい」
 アップルは目を瞠った。
「これが、ルキアを巻きこむ条件だよ」
 譲るつもりは毛頭ない強い意志をこめた瞳に、アップルは頷いた。
「わかった。私があの言葉を言うわ」