執務室での打ち合わせのあと、モンドとサスケの二人は屋上にいた。
 サスケの腕には鷲が留まっていて、なにやら紙に書きつけているモンドを待っている。書き終わったモンドは小さく紙を丸めると、鷲の足にくくりつけてある筒の中にそれをしまった。
「副頭領の許へ今日中に届くか?」
「愚問」
 モンドの問いを、サスケは一蹴した。人差し指と中指を立てると鷲の眉間に当て、口中で何事か唱える。そして、腕を軽く振る。
「行けっ!」
 鷲は飛び立つと、二人の頭上を一度旋回して、北西の方向へ飛んでいった。
「でもさ、なんでリーダーじゃなくて、カスミさん宛なんだ?」
 サスケはモンドを見上げた。
「我らはこの軍の伝令役ではない」
 アップルからフィッチャーを通して、すでにゴクウとハウザーの許へ伝令は走っている。到着は早くても明日、戦いの始まった頃だろう。
「サスケ、いまの我らの主は誰だ?」
「トラン共和国」
 迷うことなくサスケは答えられた。
「我らの隊長は?」
「カスミさん」
 そこでサスケは解答を得る。
「そっか、トランにとってあってはならない事態に隊長の指示を仰がないと………」
 よくできた、とモンドはサスケの頭をなでた。乱暴なその手をサスケは邪慳に払う。
「カスミさん、どうするかな………」
「早ければ今夜、遅くとも明朝には戻ってこられるだろうな」
「そんなに早く!?」
「あの方は望めばどんなことでも叶えられる能力(ちから)がある」
 モンドは表情を消してサスケを見下ろした。
「サスケ、ルキア殿をお前がどう思っていようとかまわぬが、明日の戦でそれを表に出すなよ」
 些細な私情でせっかくの作戦をぶち壊すな、とモンドは念を押す。サスケは不満そうに頬を膨らませた。
「わかってるよ、俺だって忍びの端くれだ。そんな餓鬼みたいなヘマはしない」
 満足げにモンドは頷いた。
 サスケは青空を見上げた。その両眼が鷲の眼へと変化する。
(早く……早く……カスミさんの許へ……!)

 カスミがモンドからの密書を受け取ったのは、日も落ちた頃。グリンヒルの防衛にあたっていたカラヤ族とユーバーの召喚した魔物の軍を蹴散らし、明日は市内に乗りこむことに決定した軍議のあとだった。
 密書を開封し目を通すカスミの眉間に皺がよる。
「なにがあったんだい?」
 ただならぬカスミの様子に、トラン共和国の援軍部隊の副将をつとめるローレライが訊いた。同じく副将のジーンもカスミを見つめている。
「ルキア様が、いま梁山城にいます」
「え!?」
「そして、ハイランド王国軍の別働隊が、明日にも梁山城に攻め入るべくクスクスの街に上陸した、と」
「城はいまほとんどもぬけの殻じゃないか……!」
「………ルキアを、戦争に巻きこんだのね………」
 驚愕するローレライとパチッと雷撃を零したジーンに、カスミは顔を上げた。
「軍主殿のところへ行きます」
 感情をまったく表に出さず、だが密書をきつく握りしめ、カスミは自分の天幕を出た。二人も迷わずあとに続いた。
 ゴクウの天幕には、まだシュウやキバ、クラウスにナナミも残っていて、最終的な打ち合わせをしていた。
 見張りの兵の先触れも待たずに、三人は中へ入っていく。
「ど、どうしたの? カスミさんたち」
 いつも優しい笑顔のカスミがまるで仮面のような無表情で、ナナミはビックリしている。
「許可も待たずに入ってくるなど、いささか無礼ではないか、カスミ殿」
 キバの苦言をカスミは綺麗に無視してゴクウを見た。
「軍主殿、あなたは此処へ来る前に何処へ行っていたのですか?」
「え、あの、ルキアを迎えに……」
「ルキア様を戦争に巻きこんだのですね」
「違っ……! 確かにグリンヒル奪還戦が始まってるなんて聞いてなかったけど、でもそんなつもりじゃ……」
 ゴクウは慌てて説明をしたが、カスミの表情はぴくりとも動かなかった。
「明朝、ハイランド王国軍の別働隊が梁山城に攻め入るそうです」
 カスミの報告にゴクウたちは息を呑んだ。表情を変えなかったのは、すでに聞いていたローレライとジーン、そして。
「………やはりか……」
 カスミの様子をじっと見つめていたシュウのみ。
「やはり、だって!? わかっててルキアを巻きこんだのかい!?」
 ローレライが柳眉をつり上げる。
「シュウ……!」
 ようやくゴクウにもなにが起きているのか、自分がなにをしてしまったのかがわかった。
「ルキア殿の手を借りるまでもない。籠城して、ハウザーの部隊が戻るまで保たせることはできる」
「本気でそうお考えか、軍師殿?」
 カスミの氷のような声音。
「2個大隊が攻城機もそろえて梁山城へと向かっているというのに? 空っぽの城が持ちこたえられると?」
 想定外の部隊だったのか、シュウは唇を噛みしめる。
「軍主殿」
 カスミはゴクウに向かって手を差し出した。
「我が国がお貸ししている“瞬きの手鏡”をいますぐお返しください」
「…………」
 ゴクウは黙って手鏡を取り出すと、カスミに渡した。
「ローレライ、ジーン、トランの部隊をお願いします。軍主殿の指示に従ってください」
「カスミ、一人だけで戻るの?」
 心配そうに気遣うジーンに、カスミは此処へ来てようやくほんの少しだけ表情をゆるめた。
「大丈夫です。ルキア様は私が必ずお守りします。そして、あの人が愛する少女も………」
 ジーンはやんわりとカスミを抱きしめた。
「どうか二人をお願いね。武運を祈ってるわ……」
「ありがとう」
「頼んだよ、カスミ」
 ローレライはカスミの肩を軽く叩いた。
「はい」
 “瞬きの手鏡”を起動させる前に、カスミはもう一度ゴクウを射貫くように見つめた。
「軍主殿。このようなことはこれっきりにしていただきます。……でなければ、ルカ・ブライトが成し得なかったことを私がすることになるでしょう」
「………絶対に、もうルキアを巻きこんだりしないよ」
 震えが来そうになるのを拳を強く握りしめることでやり過ごし、ゴクウは答えた。カスミはシュウにも同じ視線を向ける。
「“鴉”を怒らせたのは失策でしたね。二度と、デュナン河の利権は都市同盟には戻らないでしょう。そしてあなたも、二度と交易商には戻れますまい………」
 シュウが口を開く前に、カスミは鏡を起動させた。カスミを包んだ光が収束して消える。
「じゃ、用は済んだから戻るわね」
 ジーンとローレライは天幕を出て行った。
 気まずい沈黙が降りる中、ナナミがゴクウの両頬をペチンと軽く叩いた。
「いまどうにもならないことはひとまず置いといて、目の前のやるべきことをちゃんとする!」
 ビックリして眼を瞬いたゴクウは、やがてナナミを真っ直ぐ見つめ直して力強く頷いた。
「うん」
「お姉ちゃんがついてるから、この戦いが終わったらちゃんとルキアさんのところに謝りに行こう」
「うん……!」
 若干のぎこちなさはあったものの、最終打ち合わせは再開された。

 カスミは梁山城の転移の間に立っていた。
 城内は慌ただしい雰囲気に包まれていたが、転移魔法の使えるビッキーがいないいま、此処は他に人影もなく静かだった。
 カスミは少し顔を上げ、口中で何事か呟いた。程なくして、目の前にはモンドが膝をついていた。
「おかえりなさいませ、副頭領」
「ただいま戻りました」
 そこへ慌てた様子で、サスケがモンドの横に現れる。
「カスミさん、帰ってきてたの!?」
「えぇ、いましがた」
「………サスケ」
 下からモンドが咎めるようにサスケを呼ぶ。
「え?」
 サスケは眼を瞬いたあと、ハッと気がついてモンドに倣い膝をついた。
「その後、どうなりましたか?」
 表情の乏しい声でカスミが訊くと、モンドが明日の作戦について説明する。やがて聞き終えたカスミは口を開いた。
「私も橙旗に入ります。術の仕上げは私がしましょう」
「承知しました」
「仕込みは何処で?」
「御案内します」
 三人はその場を離れた。
 カスミが蒼旗の作業場で仕込みを終えて出てくると、ルキアが待っていた。
「ルキア様……」
「おかえり、カスミ」
 カスミの表情がふっと和らいだ。
「ただいま」
「このあと、なにかまだすることあるか?」
「いえ、少し仮眠を取ろうと思っていたところでした」
「良かった。添い寝、頼みたいんだ」
「はい。私で良ければ喜んで」
 差しのべられた手に、カスミはにこりと笑って自分の手を載せた。
 ほとんど会話らしい会話もしなかった。グリンヒルの様子を訊きもしなければ話もせず、ルキアの部屋でおやすみのキスだけをして二人は眠りについた。互いのぬくもりが変わらず側にあることだけが二人の願い。
 目を覚ましたのもほとんど二人一緒だった。
「おはよう」
 ついばむようにキスを降らせば、カスミは恥ずかしそうに微笑んだ。
「おはようございます」
 夜明けまで一時間はある頃。カスミは起き上がると身支度を整えて、まだベッドにいるルキアの許へ身をかがめた。
「準備がありますので、先に参ります」
「ん、行ってらっしゃい」
「行ってきます」
 カスミは一瞬だけ唇を触れあわせて部屋を出た。
 自室で着替え等を用意して、カスミは風呂場へ向かった。戦争の前後は戦う兵たちのために、テツは24時間体制で大浴場を運営してくれている。
 女湯に他に人はいなかったが、洗い場の隅でカスミは桶いっぱいの水を頭からかぶった。瞬時に肌が粟立つが、気にすることなくまた水をかぶる。何度か繰り返すうちに、柔肌はなめらかさを取り戻して水を弾き、そのうち水は肌をすべるうちに消えていくようになった。
「よし……!」
 出ようと立ち上がったところへ、入ってきた人が見えた。
「あれ、カスミ、帰ってたのかい?」
 言葉ほどには驚いた様子もなく、アニタが先に声をかけてきた。
「はい、昨日の夜のうちに」
「………あんたも難儀な子だねぇ」
 カスミは苦笑を返すしかない。そして、思い出したように湯船からお湯を汲んで床にまく。何度も水をかぶっていたので、辺りはすっかり冷えてしまっていた。
「ありがと」
 カスミの心遣いににこりと笑って、アニタは洗い場にすわった。
「そうだ、私は黒旗に入ったよ。あんたは?」
「私は橙旗です。こちらの作戦が終われば、ルキア様の護衛に入るつもりですが」
「そうか……。今日の戦はあんたたちの出来にすべてがかかってるようなもんだ。無茶をしない程度によろしく頼むよ」
「はい」
 アニタらしい言葉に微笑んで、カスミは風呂場を出た。
 再び自室に戻ると、完全武装を整える。グリンヒル前で、武装を解く前にモンドの密書を読んでいて良かったと思う。怒りにまかせてそのまま戻ってきてしまっていた。置いてきてしまった荷物はジーンたちに任せておけば大丈夫ではあろうが。
 作戦に必要な物は昨日のうちに仕込みはすんでいるので、暗器を多めに身につける。最後に“葉桜”を腰に下げ、カスミは部屋を出た。
「カスミ……!」
「メグ」
 部屋の前にメグが立っていた。
「サスケ君に聞いたの、カスミが帰ってきてるって。それで……私……」
 彷徨う視線はやがて、カスミに真っ直ぐ向けられた。
「……戻ってきてくれて、ありがとう、カスミ。ルキアを戦争に巻きこむことになっても、私は此処を離れることなんてできないんだ。だって、幻影軍で一緒に戦うって決めたのは私なんだもん。……だけど、カスミが帰ってきてくれて、正直ホッとしてるのも本当。ごめん、こんな他人任せで………」
 カスミはゆるゆると首を振った。
「私は命令されて此処で戦うことになったけれど、でも、メグと同じように、此処に戻ることにしたのは自分で決めたこと。そして、ルキア様があなたのために此処に残って戦うことにしたのも、ルキア様自身が決めたこと。誰かに負い目を感じる必要なんてないし、気に病まなくても良いのよ……?」
「…………うん、そうだね」
 メグはようやくいつもの笑顔を見せた。
「ところで、メグ、その手に持ってるのは私の?」
「え……。あ〜、しまった、強く握りしめて皺になっちゃったよ……!」
 メグは両手に握りしめていたオレンジ色の布を慌てて広げて、パンパンと叩いて皺を伸ばそうとした。
「どうせ、腕にまいて結んでしまえば皺になっちゃうもの。気にしないで」
「ごめんね〜」
「それ、結んでくれる?」
 カスミはメグに向かって左腕を出した。
「うん」
 くるりと一度巻きつけて、メグはカスミの腕にオレンジ色の布を結ぶ。
「きつくない?」
「大丈夫」
 メグは巻いた布越しにカスミの腕を両手で包んだ。
「ご武運をお祈りします」
「ありがとう」

 屋上で、フッチはぼんやりと自分の左腕に巻かれた青い布を見つめていた。
「フッチ君は強いから、てっきり黒旗だと思ってたよ」
 腕に布を巻いてくれたのはメグだった。
「……僕は、竜の匂いがまだ残ってるみたいで、馬が怖がるんだ………」
「そっかぁ……。ブライトがあっという間に大きくなってくれてたら、紫旗(しき)になって、ほんとに五色復活になったのにね」
 にこりと笑う笑顔に、胸の奥がなんだか熱くなった。ブライトのことを疑いもなく“竜”だと信じていてくれる心も嬉しかった。
「ご武運をお祈りします」
「ありがとう」
 青い布を見つめて、フッチは誓う。
(僕は、いま、僕にできることを全力でするだけだ……!)