Lost Ark



「なぁ、どうして、名乗らないんだ?」
「名乗ったところでなんのメリットもないよ。むしろ、問題を山積みすることになる。そんなことはしたくないんだ、僕は………」
「メリットデメリットの問題じゃないだろ」
「僕にとっては、そういう問題」
「…………お前って、変なところで俺よりドライだよな」
「そうかなぁ」
「もともとないと思ってたものが、いまこうして目の前にあるんだぜ? 奇跡じゃないか」
「そして、それをまた失う羽目になるかも知れないって、君みたいに怯えて暮らすのはごめん被りたいな」
 言い過ぎた、と思ったが遅かった。相手の拳をもろに喰らって、本当に星がまわるんだなぁ、なんて暢気なことを思いながら甲板から海に落ちた。


 そこは海図にも載っていないような小さな島だった。水平線にぼんやりとエルイール要塞が見える。ランドール軍はこの島の沖合に停泊することにした。
 島民たちは百人にも満たない程度だったが、恵まれた海流と、島に自生する木の実で食べていくには不自由はしていない、と島長はレイブンに語った。
「久々の陸(おか)だ〜」
 エスペランサ号から降りて、テッドは思いっきり伸びをした。
「テッドって、霧の船に長く乗っていたんでしょう? それなのに、海より陸地のほうが性にあってるのね」
 フレアがからかうように言うと、テッドはムッとしたように返した。
「あれは、海にあるから船って言ってただけで、中は陸と変わりなかったんだよ」
「へぇ、そうなの」
 海岸を二人でそぞろ歩く。テッドは一人で散歩に出てきたのだが、いつもの如くフレアが後を追っかけてきた。最近、テッドは追い払うのを諦め、フレアの好きにさせている。めんどくさくなってきた、というのが七割。フレアを邪慳にするとレイブンに睨まれるのもめんどくさい、というのが二割。残りの一割には蓋をした。
 切り立った断崖絶壁が、海岸をふさぐ。だが、どういう自然の理か、壁は穴を開け、向こう側の海岸へと続いていた。
「お前さんたち、その先へ行くつもりかい?」
 陸側から声をかけられ、振り仰ぐと、網を手入れする老婆がいた。
「お婆さん、この先は行ってはいけないんですか?」
 島にはそれぞれ独自の風習というものがある。禁忌に触れるつもりはない、という意味をこめて、フレアは訊いた。
「いやいや、そういうわけではないさ。ただ、お前さんたちが海で亡くしたものがあるなら、行かないほうが良い、と忠告したいだけさね」
 小さな老婆は、深い皺をさらに深く刻ませて人が良さそうに笑った。
「……それは、どういう意味だ?」
 断崖絶壁に開けられた短い洞窟の手前で立ち止まっている二人に、老婆は手招きした。テッドとフレアは老婆の前まで近づいて、言われるままに腰を下ろす。
「この年になると耳も遠いし、声を張り上げるのもつらくてね」
 そう前置きをして、老婆はあの洞窟の先にある入り江について語り出した。

 事の発端は七年ほど前。
 一組の男女が島に漂着した。男はほぼ無傷だったが、女の状態は酷かった。島民は女を助けるのは無理かも知れない、と思いながらも彼らを介抱した。だが、男が体力を取り戻すと、その身に宿した紋章で女の傷を瞬く間に治してしまった。
 意識を取り戻した女は、自分のいま置かれた状況を理解すると、はらはらと涙を零し続けた。よほど酷い目に遭ったのだろう。男からしばらくそっとしておいてもらえまいか、と頼まれたこともあり、島民は女の心の傷が癒えるよう祈るしかなかった。
 逗留の礼に、と男は島民の病気や怪我を治してくれた。船を造るための木の伐採も、たった一人であっという間にやってのけた。身体中に宿した紋章を使って。

「紋章……?」
 テッドが訝しげに口を挟んだ。
「そう、紋章さ。最初は全身に刺青でも彫ってあるのかと見間違えたが、それはすべて紋章だったよ、確かに」
 老婆はフレアを指さした。
「普通はお前さんのように、両手と額が限界だと聞くのに、その男は身体のいたるところに紋章を宿しておったよ」
 そして、老婆は話を続ける。

 ある日、泣いてばかりいた女はふらりとあの洞窟の先の入り江へ歩いて行った。砂浜に杖を使って、不可思議な紋様をびっしりと描きだした。
 描き終えると、海に向かって女は祈った。一瞬だけ紋様が光り輝くと、入り江にはおびただしい数の死体が揚がったのだ。
 それを見た女の悲鳴のような慟哭。男と島の者たちは、何事かと駆けつけた。
 あの死体は、異常だった。切り傷やなにかに突かれた傷くらいは島民たちにもわかる。だが、そのどれにも当てはまらなかった。モンスターにやられたような傷にも見えなかった。島の中だけが世界の島民たちには、到底わかりようもない傷を負った死体ばかりだった。
 男は丁寧に頭を下げ、死者を弔う手伝いをして欲しい、と頼んだ。
 死体を一つ一つ真白の布で包み、大きな筏に積んでいった。女も泣きながら、作業していた。時折、死者になにかを語りかけながら。
 結局、筏二隻に死体を積み上げ終えたのは、すっかり夜も更けた頃だった。男が油をまいて火をつけ、筏を海へと流した。
 満天の星空を映した海に、盛大に火を焚かれた二隻の葬送の船はなんとももの悲しかった。
 沖へ出た筏にもやがて火は燃え移った。筏が燃え崩れて海へ消えた瞬間、女は絶叫した。
「私は、絶対にお前を許さない! ウォーロック!!」
 砂浜に泣き崩れた女の背中を、男は優しく撫でていたが、男の目にも確かに復讐の炎が見えた。
 翌日になって、女はまた入り江へと足を向けた。何故だか心配になってあとを追った。驚いたことに、砂浜には昨日の紋様がそのまま残っていた。大勢で死者を弔って砂浜を踏み荒らしていたというのに。よく見れば、波が打ち寄せてもその紋様は消えなかった。
「これは、“呼び戻し”の魔方陣」
 女は疑問に答えてくれた。
「群島の海でなくしたものなら、なんでも呼び戻せる。物でも、人でも………。今日はこれを消しに来たのよ」
 消す必要はないのではないか、と言うと、女は悲しそうに笑った。
「そう? 物を探すには確かに便利だわ。でも、人の場合はどうかしら。あなたも昨日、手伝ってくれたのなら見たでしょう。命有る者は、生きて帰ってくれるとは限らないのよ。もしかしたら、骨になっているかも知れない。もっと酷ければ、肉の一片だけということもあるわ。いいえ、海でなくしたのなら、その可能性のほうがずっと高い。そんな惨い現実を見るよりは、何処かで生きているかも知れないってほんのわずかな希望でもあったほうが良いのではなくて?」

「あんた、それになんて答えたんだ?」
「…………。わずかな希望にすがって生きるより、つらい現実から目を逸らさずに生きることが必要な時だってある………。むしろ、そこから始められることだってある、と……」
 ほぅと老婆は長く溜め息を吐いた。テッドは少しうつむいて、そうだな、とだけ返した。

 女はやはり悲しそうに笑った。
「そうね……。そうかもしれないわね………。………私だって、彼らがまだ生きていると思って呼び戻したのではないもの………。突然の別離に戸惑って、なにもできなかった自分が口惜しくて、せめても弔ってやりたい、とそう願ったのだもの………」
 魔方陣はこのまま残しておく、と女は言った。トントン、と女が持っていた杖で砂浜を突くと、紋様が沈んでいったように見えなくなった。
 洞窟から、男が歩いてきた。
「島長への挨拶は済んだ。行けるか?」
 男の問いに、女は頷いた。
「私たちはもう発つわ。恐らく、此処へ戻ってくることはないでしょう。魔方陣を消去できるのは私しかいない。将来、やはり消してもらうべきだったと嘆いても遅くてよ?」
 艶やかな笑みを残して、女は男とともに島から消えた。

「そういうわけさ。あの入り江の魔方陣はまだ生きている。なくした者を取り戻したいと願うのだけは止めなされ。そうでないなら、行ってみると良いよ。年中、綺麗な花の咲く砂浜だからの。デートにピッタリさね」
 カラカラと笑った老婆に、テッドは眉間に皺をよせ、フレアは丁寧に礼を言った。
「………わかりました、お婆さん。ご忠告、どうもありがとう」
 老婆と別れて、テッドは迷うことなく洞窟に向かい、フレアは遠慮がちにあとをついて行った。
「わぁ、綺麗ね! ね、テッド」
 入り江は老婆が言ったとおり、綺麗な花が咲き乱れていた。フレアは感動した様子で、砂浜を走る。
「おい、転ぶなよ」
 心配そうにテッドが声をかけた矢先に、フレアが砂浜に足を取られた。
「きゃっ」
「言わんこっちゃない……」
 呆れたように手を差しのべて、フレアを立ち上がらせる。離れようとしたテッドの手を、フレアはキュッとつかんだ。
「フレア……?」
「……ね、さっきの話、本当の事かしら……?」
 うつむいたフレアはなにかに怯えているようだった。
「…………。嘘ではないみたいだな。この入り江には、なにかしらの魔力がある……」
 チリチリと右手が疼いている。右手に宿る主は、怒っているわけではなさそうだが、魔方陣とやらを鬱陶しがっているように感じた。
「女の人が叫んだっていう、ウォーロックっていう名前、やっぱり、あのウォーロックさんのことよね……」
「だろうな」
 紋章砲を発明した張本人は、なんの気まぐれかランドール軍に加わった。
「教えてあげたほうが良いわよね……?」
 見上げてきたフレアに、テッドは眉をひそめた。なににそんなに怯えているのか。
「どうかな。数年前の話だろ。それに、あいつはいろんな奴に追われてるから、あんな変なとこに隠れてたんだぜ。名前もわからない女が怨嗟の言葉を吐いてたって、あいつにとってはいつものことだろ」
「………そうね、せめて名前がわからなくては、ダメね………」
 フレアの表情はまだ冴えない。いまだに手を離してくれないので、あいた右手で髪についていた砂を払ってやった。
「……で、お前はなにをそんなに怖がってるんだ?」
「べ、別に怖がってなんか……」
 ちょっと顔を赤くしてフレアは否定したが、テッドの視線に根負けしたように溜め息を吐いた。
「………私、弟がいたって話したわよね」
「あぁ」
 少し前にレイブンとやりとりした会話を思い出して、テッドはムスッと頷いた。
「お母様はもうあの紋章に呑まれてしまったのだから、どれだけ願ったって、本当に、それこそ骨の一欠片だって此処に呼び戻せないことはわかってる。……でも、弟は………」
 テッドはようやくフレアの葛藤を理解した。
 生きて帰ってこれたのは、本当にごくわずかだったらしい。だが、まだ赤ん坊だったという弟は行方知れずのままだ。もう十数年も前のこと。フレアは生きてはいまいと思ってはいるが、突きつけられる現実に怯えている。でも、確かめたい、とも思っている。
(あいつが此処へ現れたら、お前はどんな顔をするんだろうな?)
 デメリットを山積みするくらいなら、いまのままで良いと言ったのはレイブンだ。だが、後悔することに怯えているようでは、この先、無限と有限の分岐を見誤る。
 テッドは優しくフレアの手を叩いた。
「確かめてこいよ。その覚悟があるなら、後悔だって受け止められるさ」
「………テッド……」
 ゆれていた瞳は、やがて真っ直ぐにテッドを見つめ返した。
 一人でフレアは海に向かい、その斜め後ろにテッドが見守るように立った。
 フレアが祈ると、砂浜が一瞬だけ輝いた。そして、海から盛大な水音。
「うわ! 冷たっ……! 海!?」
 レイブンが海に尻餅をついていた。信じられない、というように目を見開いているフレア。そんな二人をニヤニヤと眺めているテッド。
「よぉ、レイブン、ビッキーに魔法を暴発されたか?」
「え、ビッキーは近くにいなか・・」
 レイブンの言葉は最後まで続かなかった。フレアがレイブンに抱きついたのだ。
 濡れるのも構わずそのまますわりこんで泣きじゃくるフレアに、レイブンは困惑していたが、なだめるように背中を優しくさすってやる。
 にこりと笑って、テッドはもと来た道を戻っていった。